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自分が特になんとも思っていない男性から好かれたり、気があるそぶりをされると、嫌悪感を抱いてしまいます。
まるで、自分がその人に犯されているように錯覚してしまいます。
これは心理学的にはどういう解釈ができるのでしょうか。
また、嫌悪感を抱かないためにはどうしたらいいのでしょうか。

25歳、社会人女性。
恋愛・セックスの経験はあります。
家族の仲も良く、ごく普通の家庭です。
過去に、トラウマになるような大きな出来事(レイプなど)も特にありません。

A 回答 (3件)

好意を持っている人以外から気があるそぶりをされて嫌悪感を抱くのは、セックス経験の未熟な女性であればごく自然な感情のように思います。


心理学的解釈ということになれば、全くの独断ですがセックスへの強い願望が顕現しているとしか考えようがありません。
端的に言えば、性感に目覚めた処女が最も異性にあこがれると同時に最も異性を怖れるはずだということです。

性の快楽を知り始めの頃はさらなる無限の快楽が待ち受けているという期待を誰しも持たざるを得ませんから、これを完璧な形で実現したいものだと願うのが普通です。
つまり、本当に好意を持っている相手との間でその快楽を共有したいものだという欲求が特に強い段階だろうと思います。
ところが、このような理想に対して性欲がそれを上回るほど強いので、肉体自体は男性全てを性の対象として認識してしまいます。

このような自らの肉体の無意識的反応に対してあなたの精神が異議を唱えることになります。
そして、その相手(何とも思っていない男性)をひたすら嫌悪することによって、「これほど嫌悪しているのだから私がこの男とのセックスを少しでも望んでいるはずがない」と証明しようと必死になるわけです。
実際、望んでいるわけではないのですが、男というだけでわずかでも性欲に結び付けてしまいそうな自分に対しての叱責でもあるのでしょう。

あなたが本当のエクスタシーを獲得した段階で、またはそれに匹敵するほどの満足感を他の何かに見出した時点で、そのタイプの八つ当たり的感情は沈静化に向かうはずです。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
読んでいてなるほど、と思いました。
そう言われてみれば、思い当たるフシがいくつかありました。

>あなたが本当のエクスタシーを獲得した段階で、またはそれに匹敵するほどの満足感を他の何かに見出した時点で、そのタイプの八つ当たり的感情は沈静化に向かうはずです。

私もそんな気がします。

ありがとうございました。
とても参考になりました。

お礼日時:2006/06/27 23:04

心理学的な解釈ではありませんが、



好感・嫌悪感も特に持っていなかった相手(つまり意識せず無視できていた相手)から好意を寄せられて、嫌悪感に走ってしまう(意識してしまう)と言うことでしょうか?

これは男性だけが対象とのことですが、子どもや老人でも? それとも特定の条件の方? それによって何故、あなたがそう思うのかが見えてくるのではいでしょうか? 以外に小さな出来事が、こだわりの原因になっている場合がありますよ。

>また、嫌悪感を抱かないためにはどうしたらいいのでしょうか。

何故、嫌悪感が駄目なのでしょう。別に構わないのでは? 「人は誰でも好き」なんて性格、見方によったら八方美人ですよね。嫌悪感があってこそ、人だと思いますが。

ただ生活上それでは困るのなら、対策はあります。
もし、特定の条件の方なら「目にしない」「声を聞いたら耳をふさぐ」などでスルーされては? 避けていれば、自然に相手にも伝わって声をかけてくることも減るとは思います。(やりすぎると恨まれますが・・・)一生その方とつきあっていくわけではないのですから、意識して無視で良いのではないですか。

そして男性全般であれば、相手の好意をもっと過小評価してみてはどうでしょうか? 自分個人に向けられた好意と取らず、相手の性格から出たモノと。例えば、朝あったら「おはよう」と言われたぐらいの好意と。少しは気持ちが楽になるのではないでしょうか?

ピュアな魂を過去に置いてきてしまったおばさんの意見でした。^^
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

>好感・嫌悪感も特に持っていなかった相手(つまり意識せず無視できていた相手)から好意を寄せられて、嫌悪感に走ってしまう(意識してしまう)と言うことでしょうか?

はい、そうです。

>これは男性だけが対象とのことですが、子どもや老人でも? それとも特定の条件の方? 

同じ男性でも老人の方や子供に対しては思いません。
自分に好意を持つ男性に限ります。

>何故、嫌悪感が駄目なのでしょう

嫌悪感を抱くのが、自分にとっても辛いからです。
また、せっかく好意を持ってくれてるのだから、
私が相手のことを好きになれれば恋愛が成立しますよね。
私は、みすみす幸せになれるチャンスを逃してるような気がしてしまうからです。
女は愛されて幸せになると一般的に言いますよね。なのに、愛してくれる人を自分は愛せないなんて、結婚はおろか恋愛だってまともにできないのでは、と不安になるからです。

ちなみに、自分から好きになった男性は、私のことを好きになってくれない人たちばかりでした。
だから余計に、自分のことを好きになってくれる男性の中から、好きになれる相手を見つけたいと思うのです。

>相手の好意をもっと過小評価してみてはどうでしょうか? 自分個人に向けられた好意と取らず、相手の性格から出たモノと。

これは良い考えですね。
なるべくそういう風に意識したいと思いますが。。。

お礼日時:2006/06/25 13:59

はじめまして。



ご質問を拝見しまして、気になりましたのでアドバイス差し上げたく思いました。

>自分が特になんとも思っていない男性から好かれたり、気があるそぶりをされると、嫌悪感を抱いてしまいます。
まるで、自分がその人に犯されているように錯覚してしまいます。

人間の感情は複雑です。
感情を心理学的に定義すると、個人の心の中で起こる、喜び、悲しみといった主観的な経験のことをいいます。これらは時として、笑いや涙といった身体的な表現を引き起こすこともあります。
感情を考える理論は、二つあり、代表的なランゲの説、刺激に対する抹消の身体的変化が感情を引き起こす、つまり「人は悲しいから泣くのではなく、泣くから悲しいのだ」が有名ですが、近年はこの考え方に加え、「日常生活の中に見られる複雑な情動は、いくつかの因子に分けられて、これはまた統合も出来るのではないか」という新しい説がプルチックという人によって提唱されました。
これは、感情は人間以外に犬や猫でも見られますし、微生物にだって存在するかも知れません。だから、情動を単なる生理的な反応としてみるのではなく、環境に対する順応行動として捉えようとするものです。

その理論を説明するために、プルチックは知覚における色彩立体モデルというものを利用して情動の立体モデルを作り上げました。
ここでは図が描けないので省きますが、プルチックは
この図を使って、
1.まず純粋な情動があり
2.その純粋な情動というのは、生理的基礎や行動において特異的で
3.それぞれが両極的に対になって存在し
4.その情動には強さのレベルがある
という考え方を説明しました。

例えば、この図のてっぺんにある「受容」「戦慄」「悲嘆」といった項目が、純粋な情動です。
色でいえば原色です。これらは同時には存在できません。そして、それぞれには、まるで反対色のように、相反する感情があります。「受容」の反対側なら「嫌気」のようにです。(ちなみに、「戦慄」の反対側は「激怒」、「悲嘆」の反対側は「エクスタシー」)
その「嫌気」もさらに下に続いていて、「嫌悪」「拒絶」とあります。これが強さのレベルで、下に行くほど弱く、と考えます。

これらの、純粋な情動がいろいろ結合して、混ざり合った情動を作ります。日常で見られるのは、それらの結合した情動です。これは、まさに混色の考えそのものです。

前置きが大変、長くなりました。

質問者さんが、何とも思っていない男性から好かれて、嫌悪感を抱くのは、明らかに「嫌気」の下にある「嫌悪」の因子で、抱く感情の情動の元になっています。
そして、その後の
>まるで、自分がその人に犯されているように錯覚してしまいます。
についてですが、これはどうなんでしょうね。

有名な精神科医のフロイトは、人格理論を「イド・・・英語におけるアイデンティティのようなもの、自我・・・中心的なもの、超自我・・・相談役で禁止をさせる役割」で構成しました。

「イド」は口を開けていて、「あれやこれがしたい」といった欲求を満足させるために、その場にあるものを手に入れようとする快感原則に従います。イドでは、本能、性、攻撃といった全てのものが起きます。
そのためのエネルギー貯蔵庫と考えることが出来ます。また、このイドには抑圧されたものを多く含んでいるとされます。

フロイトはこの中でも、特に性衝動について取り上げ
「リビドー」と名づけていろいろな考えに活用していきました。
さて、このイドの上に存在し、無意識、前意識、意識すべてに関わるのが「自我ego」です。
また、自我は防衛をコントロールします。
防衛には様々な手段があり、それを一般的には「防衛機制」と呼びます。これは、危険が迫った時に行なわれますが、そのきっかけとなるのが「不安」です。
ですから、防衛といっても現場に合わせるという適応の面も含まれています。

代表的な防衛機制は「抑圧」「否認」「投射」「同一化」「置き換え」の5つです。

質問者さんの場合、この中の「抑圧」があてはまるのではないかと・・・

「抑圧」とは、
受け入れがたい観念やそれに伴う情動を意識から追い出し、無意識にとどめておくこと。ただし、抑圧されたものは再び現れようとするから、そのために抑圧が強化されたり、ほかの防衛機制が使われることがある。

つまり、嫌悪感という情動を追い出したいのに、それが意識下で「犯される」という形で表れてしまう。本来自分が望む自然な形での愛情を伴うセックスではなくて、相手を自分の中から完全に抹消しようとしているのに、実はそういう不自然な形で相手の好意を受け入れている自分がいる・・・と。

>また、嫌悪感を抱かないためにはどうしたらいいのでしょうか。

自我はこれらの防衛機制(あるいは適応機制)を使っていろいろな場面を乗り越えるわけですが、この上にはさらに「超自我 super ego」が働いています。

超自我はいわば相談役であり、法律家で、禁止をさせる役割があります。自我は計画を立てて満足を延期させたわけですが、超自我はそれ自体を否定し、禁止するのです。自我がこれに従わなければ、超自我が自我と対立することになり、自我に罪悪感が生じます。

フロイトはこの超自我を発達によって獲得するものとし、これは自分の両親や社会的ルールなどを自分の中に取り入れることによって出来上がるんだ、としました。

最後に、質問者さんは、感受性豊かで、正しい心の指針を持った優しい方とお見受けしました。
ただ、寛大で優しい心をお持ち故に、時として感情の揺れ、心の平衡の均整を保てない場合が出現するのかなとも思いました。

すっかり長文になってしまいました。失礼致します。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
私が男性に対して嫌悪感を抱いてしまうのには、いろいろな心理が関わっているということがなんとなく分かりました。

>感情の揺れ、心の平衡の均整を保てない場合が出現するのかな

そうなのかもしれません。
人は皆そうだと思っていましたが、私はその傾向が強いのかも知れません。


ありがとうございました。

お礼日時:2006/06/25 13:43

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