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聖徳大使や天武天皇はなぜ仏教を日本に広めたのでしょうか。
為政者が宗教を保護するのに「ただ好きだったから」
なんて単純な意味とは思えないんですが、
どのような意味があったのでしょう?

A 回答 (6件)

 現代日本人の宗教観からすれば、宗教は個人のものですが、奈良時代までの仏教は、国家仏教と呼ばれるように国家が管理したものでした。



 その導入の目的には、天皇を中心とした中央集権国家を作るためのイデオロギー(思想・理念)としての側面があります。

 元々、大和朝廷はその成立の経緯から、地方・中央の有力豪族の連合国家で、天皇家といえども絶対的な権威・権力があるわけではなく、言わば地方分権でした。
 しかし、国の規模が大きくなり、外国とも交流が行なわれるようになり、天皇を中心とした中央集権国家を作ろう(=国力のアップ:外交上の有利・政権担当者の権限の強化。中国という国家を見ることで、中央集権国家の国家としての能力の高さに目覚めたのではと思います。)という流れが起こってきます。

 中央集権にする以上、政権成立の経緯から、天皇―豪族の長―部民(豪族に属する人々。天皇家も豪族の一つとして直接支配する部民を持っていました。)という所属関係となっている国民を、直接天皇が支配する関係にしなければなりません。

 つまり、天皇家に属する部民のみが、天皇の命令に従う意識を持っていただけで、他の国民はそれぞれの豪族の長に従うという意識を強く持ち、「天皇や朝廷との直接のつながりは全く意識されていない。」という現状を、変えなければなりません。

 そこで、所属する豪族の枠を超えて、共通の考え方を持たせる目的で、仏教を国家的に導入することを考えたのです。
 国家仏教が導入されれば、国=天皇=朝廷=仏教=寺院(国分寺)と仏教を信じる人々が、豪族の長を通さず、直接つながりを持つ政治体制が始まります。

 当然、既存の豪族は最有力の物部氏を中心にその導入に反対し、逆に天皇家の家老(古代ではこのようには言いませんが)的な立場で、勢力を伸ばしていた蘇我氏としては、当然導入に賛成しました。

 物部氏が敗れたのは、豪族の中にも「中央集権」でないと、今後は他国との関係で不利になると考える人が結構多かったからでは、と思います。
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もう充分に説明はされていますが、補足まで。



古来、天皇やその側近(後の物部氏の先祖らですね)は、各地それぞれの神様を祭っていたのを伊勢神宮の名の下になんとなく統一された神道のようなものにまとめあげていきました。
これは、かなり初期から少しずつありましたが、朝廷による全国統一が進んだ丹波併合の頃くらいから顕著に出てきた傾向です。
その後、一度武烈天皇で天皇の系譜が途絶え、遠縁ということで遠国から継体天皇が呼ばれます。
継体天皇は、滋賀あたりで生まれ育ち、成人してからは福井のあたりにいました。 福井は、朝鮮半島との行き来の道中ですから、自然大陸で起こっていた仏教などに触れる機会も多く、本人が積極的でないにせよ、その周りにいる人たちは影響されていたようです。
中でも顕著なのが、継体天皇が上京するときについてきた関所の番人で、これが後の蘇我一族になっていきます。
だから、蘇我氏は既得権益を抑えていた物部氏に対抗するために、仏教を持ってきたんですね。

天皇は、そのときどきの側近となる人々のパワーバランスを見て、神道や仏教をそのときの状況に合わせて取り入れていったのだと思います。
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他の方の回答の他に、その時代に誰が政治の実権を握っていたか、或いは実権を握ろうとしていたかということでしょうね。


物部氏の神道、これを追い落として仏教を持ち込み、実権を握りたい新興の蘇我氏。

さらには、神道と仏教の両方を手にして(神道は旧姓の中臣、仏教は藤原と言う姓を使い)政治の実権を握った藤原氏というのは後の話。
蘇我入鹿や、藤原鎌足の名はご存知でしょう。

歴史では政治権力と、宗教はどこの国でも一体です。
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天皇などの支配者が広めようとしても


宗教のような精神的なものは民衆にその気が
なければ広まりません。
日本人は農耕民族です。隣近所が助け合わなければ
できないのが農業です。また作物を育てるのは
優しい気質を育てます。

詳しくは説明できませんが、一神教は攻撃的な
気質の狩猟民族に向いています。
仏教のような多神教は、穏やかな気質の日本人に
合っていたんです。

日本は政府が細かく多数の規制で国民や
経済活動をコントロールしていたので
社会主義国と言われたんです。
ですから、この問題では北欧などの
資本主義国と比較しても意味がないんです。

「知っていることなら何でも教えます。」というのは
本心でしょうか。
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こんにちは。


昔の仏教は今とは意味が全然違います。

仏教と共に外国の技術や物資を輸入していたので、布教を妨げない事で便宜を図った。

仏教自体が当時最先端の学問だったので、これを行政で一手に握る事で、支配力の強化を図った。

外国からは巨大な寺院がある事がステータスとみなされたので、世界標準となるべく仏教を保護育成した。

というのが主な理由でしょう。
ただ好きだったなんてお話じゃないです。

その結果、後には道鏡のように、生臭坊主に国政が翻弄される事になりますが。
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 当時の仏教は、建築技術、彫刻技術、冶金技術、製紙技術、作筆技術、絵画の技術等の先端テクノロジーとセットになって輸入されました。


 宗教的側面についてもそれなりに需要はありましたが、かような技術が欲しかったという面がありました。
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