“鬼ヶ島”といえば、香川県の女木島や愛知県犬山市が有名ですが、
兵庫県神戸市の六甲山系にも“鬼ヶ島”という場所があります。
瀬戸内海などの小島ならいざ知らず、神戸のそれも山奥に鬼ヶ島があるという事が
不思議でなりません。
由来などを調べたのですが、何の手掛かりも得られず困っております。
もしかすると、険しい所などと言う理由から近世に登山者によって命名されたのか
とも考えるのですが、それとて確証がありません。
どのような些細なことでも結構です、お心当たり御座いましたらご教示ください。

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A 回答 (2件)

裏六甲の鬼が島は狭くて人の住めるような場所ではないようですので地形的な命名ではないでしょうか。



参考URL:http://www.ne.jp/asahi/tanba/kirinosato/HANSINar …
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大きな辞書で「鬼」とか「島」の意味を見ますと、「鬼」には「見なれない人」とか「落ち武者や山窩など一般住民に隠れて住んでいる人」の意味があり、「島」には「一定区域に区切られた場所」「縄張り、勢力範囲」という意味があります。

これらを組み合わせますと、おぼろげにどのようなところだったのか推測できます。現在、地名については
 1.『大日本地名辞書』(冨山房、明治33~40年)全11巻
 2.『日本地名大辞典』(昭和53年~平成2年、角川書店)全49巻
 3.『日本歴史地名大系』(平凡社、昭和53年~平成 年)全50巻
 の書籍がありますので、近所の図書館などで確認願います。

参考URL:http://www.sonoda-u.ac.jp/rekisi/chimei.html
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Qドイツの貴族(近世以前。できれば神聖ローマ帝国時代)について教えて下さい。

小説を書いたりしているのですが、いろいろとこだわってしまうため気になることが多くて困ってます。


1.伯爵の息子は子爵だそうですが、公爵などの息子はどうなるのか(長男と次男以下の違い)
2.領地の分割相続は行われていたのか
3.上記の場合、およそ何歳で継ぐのか
4.爵位のない貴族の扱い
5.辺境伯、方伯、宮廷伯などの上下(どのような序列か)
6.主な宮廷内の役職と相応の爵位
7.辺境伯と侯爵の違い
8.イギリスにおける準男爵的地位はあるのか
9.イギリスでは騎士は一代限りだが、ドイツでそのような一代限りの称号はあるのか


以上の9つです。
それなりに自分で調べたつもりなのですが、他のヨーロッパの国々と混ざって余計にわからなくなってしまいました…。

一つでもわかる方がいらっしゃいましたら、回答よろしくお願いします。

Aベストアンサー

 すいません。いきなり間違えてました。m(_ _)m

>確か息子が用いる称号は父親が持っている爵位のうち、日頃使わない物を拝借していたと思うのですが。
 これイギリス方式ですね。ドイツ系では子供は全員両親と同じ階級の待遇を受けるようです。(女性の方が上位の爵位を持っている場合も有るので…。)
 イギリス方式も厳密に言うと、長子のみが親から譲られた儀礼称号を名乗れるようです。(次男以降は爵位を名乗れない)
 例 当主が A伯爵 B子爵 C男爵 を持っている場合…。
   当主 A伯爵○○閣下
   長男 B子爵□□閣下
   孫  C男爵△△閣下

  http://blogs.dion.ne.jp/duke/archives/89855.html

 ちなみに抜かした質問は、前回の回答時にも判断つかなかった者なので

>3.上記の場合、およそ何歳で継ぐのか
 基本、寿命が来るまで勤める事になると思うのですが…。
 バイエルン王国だと寿命まで勤めた方、途中で退位した方、廃位させられた方など色々いらっしゃいます。

 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%90%E3%82%A4%E3%82%A8%E3%83%AB%E3%83%B3%E7%8E%8B%E5%9B%BD

>4.爵位のない貴族の扱い
 爵位を持っている方を貴族と呼称するのだと思うのですが…。
 イギリスのジェントリー階級の事でしょうか?

 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%82%A7%E3%83%B3%E3%83%88%E3%83%AA%E3%83%BC

>1.単独相続の場合、次男以下は修道院や騎士になって奉公、という形がやはり一般的なのか。それともどこぞに婿入り?
 男爵家などの下級貴族は基本的に、当主が貴族としての最低限の品格を守るのすら難しいのが普通なので、次男以下は自活できる職を目指すのが一般的かと…。(修道士や学者や文化人、運が良ければ廃嫡された家に入れたり…。)
 ただ、辺境伯クラスになると、領邦と称される半独立国家状態に成りますので、とうぜん次男以下の息子にも、相応の職務を与える事が出来るようになります。(長男が社長なら、次男は支社長と言った感じかと)
  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%A0%98%E9%82%A6

 日本で言う所の陪臣と言うやつですね。(将軍家から見た場合の、各大名の家臣)神聖ローマ帝国には帝国等族身分と呼ばれる、300あまりの世俗諸侯、数百の帝国騎士、数十の聖界諸侯と帝国都市が存在しており、それらに仕える領邦等族と呼ばれる人達が存在しておりました。

>2.イギリスは騎士は次代からその称号が使えないだけで、その家格は失われないと聞き及びました。…ドイツの騎士に当たる階級の人々と、イギリスの騎士の違いって何なんでしょう。
 イギリスのナイト(勲爵士)の事を指しているのだと思いますが、中世の騎士とは全く別物です。中世の騎士団の故事をまねて、功績が有った人や主君のお気に入りを集めたものですから家格の上下には影響(本人に直接帰属する物です)は…。ちなみに、入団を許された証明としての記章が所謂「勲章」です。イギリスのガーター勲爵士(Knights of the Garter)に今上陛下が最高位の勲章騎士として序せられているくらいですし…。
  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8A%E3%82%A4%E3%83%88

 ちなみに、中世のヨーロッパの騎士を出来るだけ広範囲で包括しようとすると、騎士の従者など規定の訓練を受け、馬に乗って戦う者という事になってしまいます。騎士と呼ばれる身分のうち、その四分の三が不自由身分の家臣「ミニステリアーレ」だったりするくらいですから…。(主君がいない騎士だっています)

 http://www.h3.dion.ne.jp/~hiryu19/history/knight.html

 また、ドイツの騎士というと「ドイツ人の聖母マリア騎士修道会(チュートン騎士団)」は、外せません。(平時は修道士で、必要なら武器を取って戦う騎士でもある)
 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%89%E3%82%A4%E3%83%84%E9%A8%8E%E5%A3%AB%E5%9B%A3

 ドイツ騎士修道会の有名なFLASHが有りますので宜しければ。
http://www.geocities.jp/napowhis01/grunwaldver2.html (鉄十字の騎士)

 なお、彼ら騎士たちや修道会は神聖ローマ帝国内では、爵位を持った貴族たちと並列に存在しており、帝国代表者会議主要決議までは対等の立場でした。(世俗化と陪臣化)

 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B8%9D%E5%9B%BD%E4%BB%A3%E8%A1%A8%E8%80%85%E4%BC%9A%E8%AD%B0%E4%B8%BB%E8%A6%81%E6%B1%BA%E8%AD%B0

 すいません。いきなり間違えてました。m(_ _)m

>確か息子が用いる称号は父親が持っている爵位のうち、日頃使わない物を拝借していたと思うのですが。
 これイギリス方式ですね。ドイツ系では子供は全員両親と同じ階級の待遇を受けるようです。(女性の方が上位の爵位を持っている場合も有るので…。)
 イギリス方式も厳密に言うと、長子のみが親から譲られた儀礼称号を名乗れるようです。(次男以降は爵位を名乗れない)
 例 当主が A伯爵 B子爵 C男爵 を持っている場合…。
   当主 A伯爵○○閣下
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Q【神戸空港の建設と暴力団山口組の関係を教えてください】 神戸空港が神戸に造られたのは、東京都にカジ

【神戸空港の建設と暴力団山口組の関係を教えてください】

神戸空港が神戸に造られたのは、東京都にカジノを造ろうと急いだ石原慎太郎と同じ暴力団の匂いがします。

そんなに急いで作る必要がなかったのに急ピッチで話が進んでトントン拍子で建設が決まっていった。

兵庫県知事と山口組と繋がりはなかったのでしょうか?

Aベストアンサー

神戸空港は山口組の金と労働力で作られたという話もありますね。 また、山口組は兵庫県の税収を支えているとも言われており、それが事実なら、兵庫県知事は山口組に頭が上がらないでしょう。

Q【横浜と神戸の街づくりがそっくりな理由を教えてください】 横浜港に横浜中華街。 神戸港に神戸中華街。

【横浜と神戸の街づくりがそっくりな理由を教えてください】

横浜港に横浜中華街。

神戸港に神戸中華街。

観覧車やホテルやルミナリエまでそっくりです。

Aベストアンサー

どちらも欧米との条約によって開港した都市であることはご存知でしょう。

この時に「開港する場所」については以下のような条件がありました。
・江戸または大坂から30キロ程度離れた場所にすること
・港として良い地形であり、近くの集落からほどよくはなれていること
・埋め立てがしやすいこと
などです。

横浜も神戸もこういう具合に選ばれた場所なのです。
横浜も神戸も元々が狭い湾であり、その後ろに丘があるのが特徴で、このような場所には日本人はほとんど住んでいませんでした。広い土地がないので農業には適していなかったからです。

開港するためには、港を整備する必要がありました。そのためどちらも埋め立てをして大きな異国船が接岸できる桟橋を作りました。
 異国人がやってくると、港の近くには商館が並ぶようになりましたが、西洋人は日本の湿度の高さを嫌って、風の抜ける丘の上に自宅を建てるようになりました。これが横浜の洋館や神戸の異人館の始まりです。同様に欧米人に交じって中国人もやってきて住み着きましたが、彼らは食べ物屋や床屋などの商売を営みましたので、港に近い場所に集まって住み着きました。これが中華街・南京町の始まりになったのです。


戦後の高度成長期になると、元々土地の狭い、横浜も神戸も埋め立てをして土地を広げました。最初は工業地帯として高度成長を支えたのですが、そのうちに工業が海外移転し始め、埋立地が余るようになりました。この土地を転用して作ったのがみなとみらいやメリケンパーク付近の商業地区です。

実はこの地区のモデルは、千葉県の船橋周辺にあり、商業施設と遊戯施設さらにはビジネス施設を同じ場所に作るアイディアだったのです。

このアイディアは神戸や横浜だけでなく、お台場や幕張メッセなどにも使われています。

しかし、横浜と神戸は「文明開化」というブランドがあるため、それに沿った戦略をしているわけです。
もっとも横浜はルミナリエはやっていませんね。ただ、花火大会とかプロジェクションマッピングなどの流行りものはかなり取り入れて、客引きをしていますが、それも古い造船所などの遺構があるからです。

ということで、横浜と神戸は都市てしての歴史や性格、周辺の大都市との関係性などいろいろ似ているため、お互いを参考にしながら、発展してきたのでしょう。

どちらも欧米との条約によって開港した都市であることはご存知でしょう。

この時に「開港する場所」については以下のような条件がありました。
・江戸または大坂から30キロ程度離れた場所にすること
・港として良い地形であり、近くの集落からほどよくはなれていること
・埋め立てがしやすいこと
などです。

横浜も神戸もこういう具合に選ばれた場所なのです。
横浜も神戸も元々が狭い湾であり、その後ろに丘があるのが特徴で、このような場所には日本人はほとんど住んでいませんでした。広い土地がないので農業...続きを読む

Q近世初期の人々の求めていたものについて

高校では歴史を学んでいなかったので、近世というのがいつくらいからなのかはわかりませんが、江戸時代のあたりについての質問です。この時代はいきなり新しい法律ができたのではなく、以前から存在した法律を受けつきながら法律が改正されていたと聞きました。
その時代の人々が求めていたものは、法による規制というものが大きかったのではないかと思っています。戦国時代にはそういったものはなく、自力救済などがまだ存在していた時代であり、豊臣秀吉が現れたあたりから法による統治が始まったと聞きました。
自分の中では近世初期の人々というのは戦国時代のような荒れたというか規則がないような時代ではなく法による秩序がある時代を求めていたのではないかと考えているのですが、この考えは正しいでしょうか?また、これ以外にもこの時代の人が求めていたものがありましたら教えてほしいです。
冒頭にも述べましたが、歴史のことをあまり知らないので、間違った記述があるかもしれませんが、回答をよろしくお願いします。

Aベストアンサー

ある意味では正しい理解と思います。
しかし庶民が本当に求めたのは戦乱のない平和だったと思います。

その為キリスト教の普及がかなり急であったのは信仰に救いを見いだす人も多かった事を示します。

法というのはそれによる支配は権力者に都合のよい統治法で、庶民側から求めるものではありません。
戦国時代といっても各地に自治組織が存在していました。  これはおおくは信仰による結合体でしたし、過酷な徴税逃れの避難でした。

Q“門戸開放”“機会均等”

ジョン=ヘイが1899年に提唱した“門戸開放”“機会均等”ってそれぞれどういう意味ですか。機会均等は、辞書では「1 権利・待遇を平等に与えること。「教育における―」2 外交政策上、自国内における諸外国の経済的活動に対して、どの国にも平等の待遇を与えること。 」とありますが、列強の中国分割が進む中で、アメリカの国務長官が提唱した言葉として考えると、いったいどういう意味がこめられいるのか?教えてください。

Aベストアンサー

#1さんの補足になりますが、自由競争の保証された市場で勝つのは競争力のある国です。

中国進出に遅れをとったアメリカと、それから当時としては圧倒的な産業国だったイギリスは、他国が先んじて中国に自国経済圏を形成して他国の参入に障壁を設けている現状に不満を持っていました。外部への参入障壁でもあるその種のもろもろの特権がなければ自由貿易を通じて中国をわが国の市場に組み込むことができるのだが…という観点であり、ある程度の国力と自信のあったがゆえの発想です。

この発想は資本主義下での強者(国力の強い国家)の武器として、その後時間の経過とともに、とてつもなく強い力をもつことになります(金日成将軍様の主体思想のようなものといえば語弊があるでしょうか)。

世界的にも、WWI後のブロック経済を経て、WWII後に他の列強の権益は消滅への道をたどることになります(中国でも、WWII後の国共内戦で国民政府援護の意味もあり、各国は不平等条約を国民政府との間で改定に応諾)。自由貿易は平和を担保する機能を持つとの大義名分もあり、その後帝国主義期のようなブロック経済はでてきません。EU等の新たな地域連合は今でも増えていますが。

そしてアメリカはGATT・WTOの自由貿易を通じて経済的覇権を確保することに成功しました。

#1さんの補足になりますが、自由競争の保証された市場で勝つのは競争力のある国です。

中国進出に遅れをとったアメリカと、それから当時としては圧倒的な産業国だったイギリスは、他国が先んじて中国に自国経済圏を形成して他国の参入に障壁を設けている現状に不満を持っていました。外部への参入障壁でもあるその種のもろもろの特権がなければ自由貿易を通じて中国をわが国の市場に組み込むことができるのだが…という観点であり、ある程度の国力と自信のあったがゆえの発想です。

この発想は資本主義下での...続きを読む


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