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うつや神経症を治すには、ありのままの自分を好きになることが最終的に大事ですよね。森田療法なんかでもそう言っています。でも一度自分を嫌ったり、軽蔑したり、ダメだと思ってしまうと二度とありのままを受け入れられないような気がします。
もう無理なんじゃないかなと思います。

自分を嫌った経験のある方どうですか?再び自分を受け入れられる日が来ると思いますか?

A 回答 (9件)

先日、某アイドルが100キロマラソンで禊をするという番組がありました。

その番組がやらせだとか、どうかとかは関係なく、何事かに挑戦してそれを成し遂げることにより、新しい自分を見出すという技法は、はるか昔から行われています
例えば、自分のことが嫌いになっても、なにか新しい事を成し遂げれば、新しい価値基準でもって自分の事を好きになることはできると思います

この回答への補足

何かを成し遂げるとかではなく、今の自分を受け入れるということです。たしかに新しい自分が見えたら、そんな自分を好きになることができるかもしれません。でも、それは日々の日常の中でいつも挑戦しています。いつも人間は何らかの形で進歩し、考えが変わっています。大それたことをするとかではなく、日々の中で自分を受け入れられるか、それが疑問です。

補足日時:2006/09/14 18:03
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この回答へのお礼

ありがとうございました。

お礼日時:2006/09/14 18:06

ご自分で、「うつ」だとか「神経症」だと思うのだったら、すぐに医者に診てもらうべきです。



風邪をひいたら、病院に行く、というのと同じ。
当たり前だし恥ずかしいことではありません。

風邪だって、ほっといても治るかもしれない。
素人療法でもよくなるかも
(ねぎを巻けとか、しょうが湯を飲め、とか)(笑)

でもほっといて、悪化して、そこから肺炎になる可能性だってあるわけです。

それと同じことで、医者に診てもらい、薬を処方してもらうのが一番間違いないし、早道だって思います。

一日も早く心療内科に行くことをお勧めします。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。心療内科には通ってます。ただ、薬もらって、医者から気休めにもならない言葉をもらってもしょうがないので。
自分で自分と向き合って過ごしたほうが、よっぽど治療になります。

お礼日時:2006/09/14 18:08

私は好き嫌いがはっきりしている時期がありました。

それでは自分の幅が広がらないと思い、嫌いなことも無理して受け入れ、何がいいのか分析するようにしました。ところが自分に対する攻撃も無抵抗で受け入れてしまうことになり、精神的に不安定になりました。

今では、受け入れつつ最終的にギリギリのところで判断するテクニックが身についたので大丈夫になりましたが、今思うに、自分がもっとも自分らしくあるためには、自分の嫌いな部分も認めそれを個性として残す必要があると思います(あまりにもひどい部分は治す必要がありますが)。そうしないと自分は誰かの模倣でしかなく、自分らしい判断が下せなくなったり、困った時にどうしたらよいかわからなくなってしまいます。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。ギリギリのところで判断するテクニックですか。やはり徐々にそうやってならしていくしかないんですかね。

>自分がもっとも自分らしくあるためには…
>そうしないと自分は誰かの模倣でしかな…

たしかにそうですね。私もまったく同じです。でも、なかなか上手くいかなくて。

回答者さんは具体的にどうやって嫌いな部分を認めたり、自分らしくろうとしていますか?回答者さんなりの考え方とかあったら教えてください。

お礼日時:2006/09/14 18:14

本当に自分を好きな人ってあまりいないんじゃないでしょうか。

自分は自分の嫌な部分、だめな部分を一番知っているわけですし。確かに、自分を好きになる事はうつ病を治す方法のひとつかもしれませんが、それは絶対条件ではありません。無理に自分を好きになろうとする必要はないと思いますよ。おそらくうつ病が寛解した人の多くが自分の事を好きじゃないと思います(私の周り、二人程にリサーチしただけですが・・)。

話しは変わりますが、ある時ふと自分って別に悪くないじゃんって思えるようになる事もありますよ(もちろん人によりますが)。理想の自分像と比べると嫌な所がたくさんあるけど、周りの人と比べるとそれは決して特別な事じゃないって悟った時です。一種の良い意味での開き直りですが、嫌な部分も含めて自分を受け入れる事が出来ます。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。無理に好きになる必要ないですかね。でも、自分を軽蔑しながら生きるのってすごく辛いんです。だから、ある程度は好きにならきゃだめじゃないかなと思います。そうでないと妥協した人生になりそうで。なにより生きててたのしくないです。

>ある時ふと自分って別に悪くないじゃんって思えるようになる事もありますよ

そうなんです。この感覚がすごく大事だと思うんです。これがまさに自分を好きになることであり、自分を肯定することだと思うんです。嫌いな部分があってもいい、それでも自分は自分だと思えることが大事だと思います。

そうですね。開き直りのような気持ちも必要ですね。
嫌いな部分を含めて好きになるって大事ですよね。

参考になりました。

お礼日時:2006/09/14 21:58

自分の中に嫌な部分があることが、いけないことだと思わないことが、自分を受け入れることだと思います。



人間ですから自分の中に好きな部分や嫌いな部分があることは当然だと思います。
嫌いな部分が気になってしまい、それが存在することを認められなければ、自分を否定することにつながると思います。
嫌いな部分があることは普通のことで、ただ気にしなければいいだけだと思います。
人は気になることを自分にとっての大問題にする傾向があるからです。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。そうですね。嫌いな部分があるのは当然ですよね。それをどう自分が受け止めるかですね。過度に気にすると、病気になるということですね。それを気にしなくなる(受け入れる)のは難しいですね。

お礼日時:2006/09/15 18:01

鬱病で2年間休職中の者です。



鬱病や神経症はそれぞれに原因があります。
鬱病は、内因性のもの(いわゆるセロトニン不足仮説)と心因性のものがあり、
神経症は、心因性のものです。

内因性のものには、薬が一番有効だと思います。なぜかといえば脳生理学的な原因が、
はっきりしているのですから、それを改善すればよいからです。
ただ、鬱病自体は内因性と心因性のものがあり、心因性のものに薬の処方をしても効果が
でないことがあります。

そして、心因性のものは、心の中になんらかの不全な状態を抱えています。例えて言えば
心という釣り糸が絡まった、もしくはジグソーパズルがバラけてしまった状態と言えます。
その絡んだ糸を解いたり、パズルを組み直すには、心理療法やカウンセリングが必要です。

>心療内科には通ってます。
>ただ、薬もらって、医者から気休めにもならない言葉をもらってもしょうがないので。
>自分で自分と向き合って過ごしたほうが、よっぽど治療になります。

ところが、質問者の方は以上の薬や治療法は重要視せずに、根源的に自分を受け入れる事
を目指してるわけですよね。

その時、二つ言える事があります。
1)薬や心理療法は、自分の受け入れる事の環境を整える事にはなる。(特に心因性の場合)
2)自分を受け入れるというのは、自己肯定とは違う。

まず、2)の方ですが、自分の嫌な部分を自己肯定して「これでいいんだ」といって受け入
れる事は、無理がかかります。本来嫌な部分を無理矢理肯定するわけですから。
おそらく「これでいいんだ」という心の一方に「本当にこれでいいの?」という疑問の心
が生まれてしまいます。

実は、本当に自分を受け入れるというのは、この対立する要素をもった心を、そのままに
良いとか悪いとかの価値判断無しに認識してあげることなのです。
言い方を変えると、自分の良い部分も悪い部分もそのままにして、それらを、もうひとり
の自分が客観視、もしくは目をかけてあげることです。
今までは嫌な部分として否定的に嫌っていたものをそのままに受容してあげる事で、その
嫌な部分は抑うつされる事から開放され、ひねくれて暴走する事がなくなります。
そういう風にして、自分の色々な面を自分で制御していく事が必要です。

といいつつも、これを行なう事は簡単ではありません。ですから1)で述べたように、薬や
心理療法で自分の心の環境を整えておく。例えれば散らかした部屋を片づけておいてから
自分を受け入れるというのが必要なんだと思います。

わたしはいま薬を飲みつつもそんな事をして自分の嫌な部分をうまく制御しようとしてい
ます。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。詳しい回答で。参考になります。内因性というのは初めて聞きました。それは本当に脳の病気になってしまうのですね。私は心因性なので、うつ病というよりも神経症の部分が大きいかもしれないです。
そうですね、薬物療法で環境を整えるのは大切ですね。もしかしたら、今薬止めたら身動きできないくらい憂鬱になってしまうかもしれないです。そこはやはり薬に頼るべきですね。

>来嫌な部分を無理矢理肯定するわけですから。
おそらく「これでいいんだ」という心の一方…

これわかります。いつもこの間でもがくんです。それが苦しくてどうしようもない。

>本当に自分を受け入れるというのは、この対立する要素をもった心を、そのままに
良いとか悪いとかの価値判断無しに認識してあげることな…

色々本は読んでいますが、それよりも詳しいですね。すごいと思いました。

>嫌な部分は抑うつされる事から開放され、ひねくれて暴走する事がなくなります。
そういう風にして、自分の色々な面を自分で制御していく事が必要です。

これもすごくわかります。嫌いな部分を抑圧するから苦しくなるんですよね。それを上手くコントロールするというか開放するというか、そういうバランスが心の中で大事なんだなっておもいました。

自分との戦いは長くなりそうです。

結構納得できました。回答ありがとうございました。

お礼日時:2006/09/15 18:10

おはようございます。



人には自我というのがあります。

もちろん対人関係において、この自我がないと
円滑な人間関係が成されない訳ですが、
この自我が滅するぐらいにまで、落ち込む状態になることが
そこから這い上がっていくのにとても大事なことだと思うんです。

落ち込むことってありますよね。
ただ、今まで生きてきた自分をもう駄目だ、とすべて否定する
いわば、臨界点に達するほどの境地にまでいかなければ
なかなか人間は本当の自分を受け入れることは
難しいと思います、自我が邪魔をしますから。
たいていは、どうしたらいいのか?と外に求めたり、途中でやめてしまったり、投げ出してしまいます。

逆説的ではあるのですが、
とことん自分というものを全否定するほどのところまでいって
すっかり自分というものを手放してみてください。


そうすれば、初めて自分を受け入れることができると思います。
そこには、嫌な自分、好きな自分という相対的なものはなくて
ただ、自分というものがあるだけ、命あるまま、あるがまま、そのままの自分、、これでいいんだ・・・という感覚がつかめると思います。

<全否定即肯定>ですね。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

>この自我が滅するぐらいにまで、落ち込む状態になることが
そこから這い上がっていくのにとても大事なことだと思うんです。

これなんとなくわかります。結構落ちるとこまで行ってから自分を肯定しようとすると、以外に上手くいったりします。不思議ですね。とことん自分を否定してみて、それで自分というのを観察してみるのもいいかもしれません。

>そうすれば、初めて自分を受け入れることができると思います。
そこには、嫌な自分、好きな自分という相対的なものはなくて
ただ、自分というものがあるだけ、命あるまま、あるがまま、そのままの自分、、これでいいんだ・・・という感覚がつかめると思います。

深いですね。そこまでたどりつけるか。本当に心の中の世界で迷ってしまうようですね。

参考になりました。

お礼日時:2006/09/15 18:13

No3質問者さんの補足に対する回答



努力したわけでもなく、むしろ努力しないことで自然とそうなりました。テクニックを身に着けていくことや自分を理解して自分らしくするというのは1ヶ月や1年、10年では身につかず、一生続けるという性格のものだと思います。

私は優れた映画を何本も見ました。戦争映画や英雄物はリーダシップと友情が色濃く描かれていることが多く、生き様やコミュニケーションがいろいろと興味深かったです。

自分らしくあるために、嫌な部分を認めるというのも大事ですが、それはネガティブ部分に関することで後ろ向きな努力なので、それよりは自分の得意な部分を伸ばす、というと難しく聞こえますが、好きなことを好きなだけしました。自分の熱中できることを探したり、熱中することがなければ浅く広くいろいろなことをしてみました。車も買ってあちこち走り回ったりもしました。

蛇足になりますが、私の考え方の背景には、次のようなことがあります。

薬物に治療ということで依存して、セロトミンやらドーパミンの分泌がどうたらと言ったり、自分を変えるという難しい標語を掲げて哲学的な思考を始めて、そこから抜け出せなくなる人がよくいます。

そうした人達は、自分のここが嫌だ、それを治すにはどうすればいいんだ!なんとかしなくては、を繰り返してそこから抜け出せないのです。性格や考え方は変えようとしても変わりません。でも嫌な部分をどう隠すか、どうしたらそれを回避できるかというのは身につけることはできます。おそらく自分を見つめ直すということをしてはまり続けている人達はそうしたことに気づいていないと思います。

薬物はあくまで補助的なものであり、根本的な解決にはならないと思います。確かに外的な要因でうつなどになったり症状がひどい場合は薬物で補助するのが有効ですが、ある程度の期間を過ぎたら薬物には頼らきらず、リハビリをしていくしかないと思います。それができないのは甘えでしかありません。

うつになる人の多くがストレスとの付き合い方を知らないか、失敗してしまった人達です。ですのでストレスのある環境から抜けて、楽しいことをしているうちに回復すると思います。
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この回答へのお礼

二度目ありがとうございます。そうですね、一生続けていくものですね。一生自分との付き合いですから、上手くやっていかないとダメですね。根気のいることだと思います。

好きなことを好きなだけするっていうのは心理的には効果的ですよね。自分のいやなことにこだわっていくより、自分の得意なことや好きなことをしていくと人間として成長しますね。
それは納得できると思います。

>哲学的な思考を始めて、そこから抜け出せなくなる人がよくいます。

わかります。自分もそんな風に陥っている面があります。焦れば焦るほど抜け出せなくなるんですよね。
なんというか、もっと自然に自分と付き合っていくことが必要ですね。あるがままに。常に自然に自分と付き合っていく。

お礼日時:2006/09/15 18:19

大丈夫です、好きになれます。


私も昔は自分のことが大嫌いでしたが、今の自分はまあまあ好きです。大好き!超好き!とまでは言えませんが、まあ好きです。

と、なぜ好きになれたのかというと・・・・・・。

自分についてあまり考えることをやめたからです。自分っていったい何?自分はどんな価値がある?私の生きている意味は?色々悶々と考えましたが答えなど出ず、精神的に落ちていく一方でした。
そしてわけわかんなくなっちゃった時もありました。

で、もうしんどくなってしまってとりあえず楽しいことだけしてみようと考えたわけです。
怠け者でも、だめ人間でも、とりあえず楽しいことだけしてみようと。すると、どんどん気持ちが晴れ晴れしてきたんです。結果として自分に自信を持てるようになり、日々を楽しく過ごせるようになりました。

楽しいことだけをするって実は私にとってけっこう勇気がいることでした。それって怠け者か落ちぶれた人間がするもんだと思ってましたから。でも、そんなこと全然なくて、むしろそうしたほうが今の自分を好きでいられるんだなと学びましたね。

大切なのはニュートラルな自分でいることですかね。

ピンっと張った糸は張りすぎるとあるときぷっつんと切れてしまいますから。ある程度ゆるめることも必要なんですね。

私の場合だと、薬よりも何よりも、自分のことをあまり考えないようにすることと、楽しいことをたくさんしたことで、自分を好きになることができました。

参考になればうれしいです。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。何気ないようですごくよくわかります。まあまあ好きになれただけでもいいですよね。それで十分生きていけます。自分についてあまり考えないほうがいいのかもしれないですね。つまり自分に執着するのを止めてみるのもいいかもしれません。
あまり考えすぎると、言うとおりわけわかんなくなっちゃいますよね。それは言えてます。とりあえず楽しいことをしたり、自分の好きなことをするのはいいかもしれません。そんなことをしてるうちに自分というのが見えてきて、受け入れられるかもしれませんね。
自分に向かないことをいつまでもやってるよりよっぽどいいですよね。
とりあえず今はニュートラルな自分を目指してみようと尾も思います。参考になりました。ありがとうござまいます。

お礼日時:2006/09/15 19:59

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