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 先頃、松下電器の社長が交代されましたが、前任者の中村社長は、経営不振にあえぐ同社を短期間で業績をV字回復されました。
 本人は否定しているものの、FF式ファンヒーター問題で退任となった気がします。
 古い話ですが、ナショナルの社長は松下幸之助~松下正冶~山下俊彦~谷井昭雄~森下洋一~中村邦夫~新任社長と系譜は続いていますが、幸之助氏の孫、正治会長の息子である正幸氏は何故、社長になれなかったのでしょうか?
 私は松下家にいずれは大政奉還されると見ていたのですが、正幸氏に実力、人望、カリスマ性がなかったのでしょうか?
 創業者の血縁者だから会社を継ぐと言う考え方は古いと思いますが、ダメな人だったんですか?

 当時の新聞経済欄で、山下元社長が、正幸氏の力量、資質について苦言を呈していたのを覚えています。会長の正治氏も自分の子を社長に据えたかったはずです。会長個人の思惑で、政権禅譲、世襲できないのは分かりますが、株主総会で議題にも上らなかったのでしょうか?

 正幸氏の経歴を見ると、有能な側近に囲まれ、御曹司の経歴に傷つけまいと、周囲の配慮があり、大きな失策もなかったので、社長になって当然だと思っていました。
 当時の成り行きをご存知の方、真相を教えていただけないでしょうか?

A 回答 (1件)

当時も報道されていましたが、中村氏の前任の森下氏は、創業家と経営は別だという考えを持っていました。

また、当時の松下は業績が悪化していて、松下幸之助氏の経営方法が限界にきていると言われていました。
中村氏の在任した6年を振り返ると、旧来の松下グループの経営哲学を根底からひっくり返したことで業績が向上したと言われています。
松下正幸氏の能力があったか否かはわかりませんが、従来の手法で経営をしていれば松下グループの業績は今ほど良くなってなかったのではないかと思われます。
例えば、松下家の事情で分かれていた松下電工の吸収合併などは、創業家の方はやり辛かったんではないかと想像します。
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この回答へのお礼

 ご回答有難うございました。
確かに創業者のやり方をことごとく、覆し、『破壊と創造』と言われていました。

 創業者の血縁者では出来なかったと思います。あの頃の松下はドン底でしたが、今、復活しています。

 数年前まで、松下に勤務していましたが、当時、社内でも何故?と言う声が多かったです。
 私は正幸氏を見た、話を聞いたことがあります。当時は分社の社長として在任されて居りましたが、取り立てて、他の幹部の方と変わらないなという印象を持ちました。
 当時の我々にとっては雲の上の存在だったので、よく知りませんでした。社長になれなかった原因は社内でもあまり、上司等からも言われませんでした。
 会長は残念だったと思います。
 でも、中村氏になって、業績は上がりましたが、現役の方に会うと、『物を作る前に人を創る』松下の哲学が消えたといっていました。
 詳細な回答有難うございました。
 

お礼日時:2006/10/04 20:43

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