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基本的にロシアの脅威が少なくなったという意味で、救いだったのでしょうか。

A 回答 (12件中1~10件)

NO.7の追加説明



(1)質問者さんは、ロシア革命がなかったら、日本にとって、よかったのか、悪かったのかを聞いているんだと思います。
 私は、ロシア革命がなかったら、ということはすなわち帝政が続いていたら、共産主義者の台頭がなかったら、日露間はどうであったか、という観点から書いています。
 帝政ロシアと共産ロシアのどちらが怖いか、ということについては、どちらも怖いが、むしろ帝政の方が怖いと見ます。帝政は皇帝の独裁で代々続く世襲です。一方共産主義は一党独裁ですが、実態は書記長の独裁に近かったと思います。しかし、お互いの権力闘争もあり、少なくとも完全な独裁が世襲の形で続いたことは、なかったわけです。私は独裁が世襲で続く方が怖いと思います。
 松岡洋右は「スターリンは共産主義者ではなく、あれは民族主義者だ」と喝破しました。民族主義=膨張主義の意味です。私は松岡さんは好きではありませんが、その後の経過を見ますとその通りだと思います。
 したがって帝政も共産もどちらも膨張主義に変わりは無く、日露戦争の帰趨等も考慮して、帝政が続いた方がより怖い、日本にとって悪かったと考えました。
 まあ、ロシア皇帝の一族が代々有能であったかどうかはわかりません。しかし、もし、皇位継承者がスターリン氏や金父子さんのように有能であったら、皇帝は、成り上がりの人ではないので、生まれながらに国民の尊崇を集めているわけです。これの独裁は怖いと思います。有能な補佐人がつくということもあり得ますし。
 なにせ本物の帝国主義が続くわけですから、共産主義の理論的オブラートも何も無い、ぶったくりがその本性ですから怖いですね。

(2)シベリア出兵の影響については良く存じません。ただ「反日的な建国の原体験が」ということにつきましては、共産党首脳部というものは、反日感情とか、そういうものを度外視して、もっと合理的、功利的に考える人たちのような気がします。

(3)>国内の対立を解消する為に外敵の存在を強調し、時には戦争を行う事によって内部的結束を強める事は、古来為政者の常套手段だからです。・・・NO.8さんの文章を引用させていただきました。
 これは至言です。よくこの手をつかいます。戦争にはなっていませんが、今日、日本の近隣国で反日感情を煽り立て、国民の目を晦ます手を使っているのも、この手口です。
 私がロシアにおける共産主義の台頭と続くロシア革命が
>隣国の国内的混乱は、わが国の安心につながります。内を納めるのに必死になり、外へ攻めて出る余裕はなくなります。・・・
 と申しているのは、共産主義の台頭、ロシア革命は、外へ打って出るほどの余裕がなくなるほどの大混乱であったと思います。少なくとも日露戦争の早期終結に役立っていると見るのは間違いのないところだと思います(革命はもう少し後ですが)。
 国内政治の意見の対立による政情不安に対しては、目晦ましのために、外へ打って出る可能性はあるでしょう。しかし、その政情不安が進み、物理的な混乱になった場合は、それを抑える方向に働くと思います。為政者が目晦ましで戦争を仕掛けるのは、勝って人気を上げようとするからで、国力が明らかにダウンしているときは、普通は仕掛けないものだと思います。

 歴史上、あれが無かったらどうなってたか、と、考えるのは面白いですね。
 蒙古襲来のとき、神風が吹かなかったらどうなってたか、も、面白いと思います。いろんな意見が出て、一見荒唐無稽な意見でも、考えさせられるものが出てくると思います。
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この回答へのお礼

たいへんよくわかりました。結局日露戦争から日露協約第一次大戦の同盟国という関係のロシアは、やはり潜在的には脅威だというような気はします。ソ連の建国期の擾乱が、アジア満州方面への関心を鈍らせたことは日本にとっておそらく益があったのではないかと。

お礼日時:2006/10/08 00:59

 No.5,7,9,11に回答したものです。


 私はロシア革命が日露戦争より後であったことくらいは知っちょりますぞ(笑)。
 日露戦争以前から、その萌芽のようなものがあったし、その後血の日曜日事件のようなものに発展していき、さらに革命へとつながっていってることは、誰もが認める事実だと思います。
 私は、ご質問が、「革命がなかったとしたら、日本にとって良かったのか、悪かったのか」と訊かれていると考え、「革命前の萌芽状態もなかったら」と仮定して回答させていただきました。
 したがいまして、当然日露戦争の帰趨にも影響しますし、ロシア人の膨張志向は帝政時代も、ソビエト時代も強烈に存在するが・・・というように話を組み立てています。
 もし、「革命が寸前でぽしゃった」という仮定で、話を進めるのであれば、また違った展開になります。
 帝政が続いていたが、内乱があちこちで起こり、政府が「もぐらたたき」のように、鎮圧に追われているような状態がつづき、そのうちに「皇帝は君臨すれども統治せず」のような国、すなわち日本や英国のような国になったと仮定すれば、これはソビエトよりはるかにマシでしょうから、革命がなくてよかった、共産主義(全体主義)がはびこらなくてよかったということになります。
 しかし、このケースはちょっと想像しにくいですね。当時のロシア国民の民度などを考えて見ますと・・・。右が左かはわかりませんが、当時のロシアであれば、独裁政治になったようなきがしますが・・・
 革命が寸前でぽしゃったと仮定するとその後の政治体制を想像することが難しすぎて、コメントできません。
 それから、日露戦争では、日本が勝ったということになっているようですが、「痛み分け」に近い判定勝ちと考える方がよいでしょう。終結後の交渉過程での小村寿太郎の苦闘振りを書いた本を読んで見ますとよくわかります。なにせ彼我の国力が全然違います、終戦時は、将棋でいうと日本は「指し切り」寸前だったと思います。
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この回答へのお礼

多くの回答をいただきありがとうございます。

結局のところロシアは国内的な問題によって、日露も第一次も折れてしまった感があり、それは結局日本やドイツのような直接脅威を受ける国々には歓迎されたのではないかと思ったしだいです。

お礼日時:2006/10/08 10:14

 社会主義(共産主義)の拡大は怖いですね。

というか怖かったに近いかな。本当の社会主義ではなく、中身は専制全体主義ですから。
 何回も言いますが、日本にとっては、ロシア帝国が続いていたら、もっと怖かったでしょうね。
 その南下政策に代表される膨張志向により、領土を拡大し、方々の国と衝突しています。同じ国と何回も戦争を起こしています。その都度条約を結んでいるはずですが、また起きているということは、条約が守られなかったんでしょうね。
 戦争が終われば、大体が条約を結びます。しかし国と国の間の約束事をあまりアテにしすぎると、あぶないとおもいます。紙に書いてハンコをついた約束事が守られるのは法治国家の国内のことだけと思っておいた方が間違いがないですね。
 前の大戦における日ソ、独ソ間の条約がどうなったか見てもわかると通り、どちらかが一方的に破棄しています。
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この回答へのお礼

結局ロシアもソ連も体質的には変わらないのだから、一時的には脅威は減ったけれども、結局は時間稼ぎができただけだったということなのでしょう。

お礼日時:2006/10/08 01:03

でも社会主義という新たな脅威を感じた人もいたわけでしょう?



それに日露戦争後は、日露協約を結んで両国は敵対関係ではなくなっていたわけですから、救いだったというのはよくわかりませんね。
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この回答へのお礼

一時的にですが、シベリア出兵をできるほどにロシアは衰えたのは救いではなかったのかということです。協約も一時的な関係だったのではと。

お礼日時:2006/10/08 01:01

最初に、前の私の回答に単純な誤記があった事をお詫びし訂正します。



誤:迷惑なだけっだたと言えるでしょう。
正:迷惑なだけだったと言えるでしょう。

さて、確かに帝政であれ共産主義であれ、ロシアの膨張主義に変わりは無い、と言う意見には一理あります。しかし、一度戦争を経験し、互いの妥協点が見えて来た相手である帝政ロシアに対し、全く白紙状態から交渉を始めなければならないソビエト政権を相手にする事の困難さはどうでしょうか。しかも、ソビエト政権にとって、日本のシベリア出兵(米英なども少数出兵しておりますが、日本は主力の圧倒的な存在)は反日的な建国の原体験となっています。結局得る所無く撤兵したシベリア出兵を考えた場合、勝って交渉する相手(帝政ロシア)と、負けて(実質的に)交渉する相手(ソ連)の違いは大きなものです。
さらに、隣国の国内的混乱は、国境(この場合勢力の境界線)を接する自国にとっては安心では無く脅威です。国内の対立を解消する為に外敵の存在を強調し、時には戦争を行う事によって内部的結束を強める事は、古来為政者の常套手段だからです。
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この回答へのお礼

しかしシベリア出兵は確かに建国の妨げをされたという意識はあったのでしょう。ロシアの脅威は消えていたのかという点が疑問です。

お礼日時:2006/10/08 00:54

NO5の追加説明



>その伝統的な膨張主義は帝国時代でもソビエト主義時代でも変わりはありません!!

ソビエト共産政権は確かに強力で脅威でした。しかし、ロシア帝国がそのまま隆昌を続けていたら、これも脅威です。故に

>ロシア革命前後の混乱状態は、明らかにロシアのマイナスすなわち日本にとってのプラス、したがって「救い」になったんでしょうね。

隣国の国内的混乱は、わが国の安心につながります。内を納めるのに必死になり、外へ攻めて出る余裕はなくなります。

ロシア帝国主義が共産主義よりもマシだという保証はありません。強力なツアーがスターリンより怖くない?むしろ逆に近いでしょう。強力な秘密警察は帝政時代にもありました。本質的なところは帝政も共産も同じ専制膨張主義でかわりありません。
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この回答へのお礼

帝政でもロシアは常に膨張主義だったわけですから、革命の混乱がない安定した状態は、潜在的脅威であり続けたであろうと感じる事がありますね。

お礼日時:2006/10/08 00:49

誤解されている方も多いようですが、日露戦争とロシア革命に直接の関係はありません。

間に十年以上もの年月があります。確かに日露戦争中、明石大佐による工作で反政府活動が活発化した事や、ロシア国内に厭戦気分が高まった事は事実ですが、講和後、一切の工作は打ち切られ、明石は帰国しております。その後、日露協約によって日露間の関係は蜜月と言って良い程良好になります。つまり、日本の政府レベルでは、ロシア帝国の政権を転覆させる事までは考えていなかったし、その必要も無かったのです。第一次大戦では、いくら英国にせがまれても陸軍の出兵を断っていた日本が、あの革命のせいでシベリア出兵を余儀なくされ、多大な出血を強いられた上に、強力で活力のあるソビエト政権が誕生してしまったのですから、ロシア革命など日本にとって迷惑なだけっだたと言えるでしょう。
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この回答へのお礼

シベリア出兵が可能になったのは、ロシア帝国が崩壊してソ連の混乱に乗じられたということで、有利だったのかなと。長い目で見るとわからないです。

お礼日時:2006/10/08 00:47

 日露戦争の早期終結に効果があったことは、事実だと思います。

戦争が長引いていたら日本はどうなっていたでしょうか。やばかったと思いますね。国力と領土の大きさの差を考えると、日本はロシアを完全に占領して統治下におくことは、どんなことがあっても無理です。しかしその逆はあり得ます。
 その伝統的な膨張主義は帝国時代でもソビエト主義時代でも変わりはありません!!
 もしロシアにボルシェビキの発生がなく、帝国にそのままの状態が続いていたならば、日本は危なかったと思います。
 米英もロシアの反攻を苦々しくは見ているが、日本に味方してロシアに武力行使することはできないでしょう。
 せいぜい「その勝負待った」の声をかける位ですね。対馬沖の会戦も奇跡的な大勝利で助かりましたが、長引くと、日本優勢の海軍力がいつまでも続くとは考えられません。やばくなってきますと、外国からの借金の道も途絶えます。
 ロシア革命前後の混乱状態は、明らかにロシアのマイナスすなわち日本にとってのプラス、したがって「救い」になったんでしょうね。
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この回答へのお礼

日露戦争中にはロシア革命はありません。
第一次大戦中の革命が日本にとってどういうことだったかということです。

お礼日時:2006/10/08 00:45

ロシア革命によって、世界の勢力地図の均衡が変化しました。


ヨーロッパのロシアに対する脅威がなくなり、それまでの日英同盟は意味が無くなり、英国は日本でなく、アメリカよりの外交を展開していきます。
ロシアに変わって、日本を叩くという世界的な構図が出来てくるのは、ロシア革命の影響でしょう。
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この回答へのお礼

やはりロシアの脅威は一時的になくなったといえるのでしょうか。日英同盟の解消はそこに端を発しているとはしりませんでした。

お礼日時:2006/10/08 00:44

 日露戦争が日本有利に集結したのは血の日曜日騒ぎが起き、戦争どころではなくなってしまったのは救いでした。

というより、これは明石大佐の撹乱工作が見事に図に当たった結果ですよ。
 ヘルシンキにいた大佐はレーニンやトロツキーに豊富な活動資金を提供し、革命の援護をしていました。
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この回答へのお礼

そのようです。

お礼日時:2006/10/08 00:42

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