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基本的にロシアの脅威が少なくなったという意味で、救いだったのでしょうか。

A 回答 (12件中11~12件)

ロシア革命は、日本の国益にとってはマイナスに働いたと考えます。



日露戦争の後、ロシア革命に至るまで日露関係は良好に推移していました。第一次大戦中には、日本が日露戦争中に鹵獲した旧ロシア戦艦を、軍艦が足りないロシアに譲渡しています。

日露戦争以後、満洲にロシアが大軍を貼り付けて南下を図ることがなくなりました。それに対応して、満洲に駐留する日本軍部隊も治安維持程度の小兵力に留まりました。日露戦争の結果としてハルビン等の北満洲はロシア勢力圏として、大連・奉天等の南満洲と朝鮮半島は日本勢力圏として確定し、相互に軍縮を行ったような形となりました。これは、日本にとり望ましい状態でした。

ロシア革命は、上記の安定状態を崩し、スターリン支配下のソ連という「世界革命を目指す超軍国主義の無法国家」を生み出しました。今の北朝鮮とオウム真理教を混ぜたような国です。
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この回答へのお礼

日露戦争から第一次大戦まで、良好な関係だということでした。軍縮も可能になったということは知りませんでした。しかしやはり潜在的には脅威で、革命によってシベリア出兵が可能になるほど疲弊したので、それは日本にとってどうだったのだろうかということです。

お礼日時:2006/10/08 00:41

とんでもありません。

(▼_▼メ)

日露戦争後、日本はロシアと日露協約を結んでそれまでの対立関係を解消します。
しかし、ロシア革命後、ソビエト政府はそれまでの協定を破棄したため、日本とロシア(ソ連)は再び敵対関係となりました。

日本はシベリア出兵してソ連に脅威を与えたのですが、ソ連もコミンテルンを通じて、日本に革命工作を仕掛けてきます。
最近の研究で、第二次世界大戦前の日中戦争や、第二次世界大戦における日米交渉において、背後でスターリンの指令を受けたコミンテルンのスパイが暗躍していた事実が少しずつ明らかになってきています。

ロシア革命とその後の共産主義勢力の躍進は、日本にとって大変な不幸な出来事だったというのが、私の結論です。
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この回答へのお礼

確かに日露戦争後、協約関係になりました。しかし、潜在的にロシア帝国が存在している限り、脅威は消えないのではないかということと、ロシア革命の混乱によって、満州をうかがう余裕がなくなったところにシベリア出兵が可能になったのではないか、という感覚を持ったものです。

しかし、革命工作などの圧力は増えたのでしょう。その点は知りませんでした。

お礼日時:2006/10/08 00:38

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