性格悪い人が優勝

Wikipediaでヒトラーの項目を見ていて疑問に思ったのですが、ヒトラーはまず1913年に兵役を逃れるためミュンヘンへ移住、と書いてますが、その一年後の1914年の第一次世界大戦にはドイツの志願兵となっています。

兵役が嫌で逃げたのに、その一年後には(ドイツとオーストリアという、民族的に近い国とはいえ)他国で志願兵になっているというのがどうにも理解できず疑問なのですが……

しかし、外国人を志願兵として受け入れたというのも考えられないので、ヒトラーは生まれこそオーストラリアでも元はドイツ国籍だった、というだけなんでしょうか?
だったらまだ理解できる範囲ですが、調べてもその辺りの事が判らなかったので。

もし、お詳しい方がいらっしゃいましたら、よろしくお願いいたします。

A 回答 (2件)

1913年逃亡・1914年ドイツ帝国軍入隊というのがミソでしょうね。

学問的にも通説というのはまだないはずです。

可能性としては2つ考えられます。

1.思想的な面が大きいのではないでしょうか?
ウィキペディアでもいわれているように、ヒトラーはアーリア人優越の人種思想と反ユダヤ主義に染まってからオーストリア=ハンガリーを脱出、ミュンヘンへ逃れました。
当時のオーストリアは実態としてはドイツ人の単一民族ではなくハンガリー人やユダヤ人もかなり活躍していた多民族国家であり、ドイツ人の優越を信じるヒトラーとしては他民族のために命をささげるのはもってのほかと考えた(余が殉じるのはドイツ民族のドイツのみだ!と考えた)、とも考えられます。後日ナチの指導者となってからも「ボヘミアの伍長」等と揶揄されるのにはかなり気にしていたようですが、自分がドイツ民族のドイツを確保するための救世主と誰よりも自負していたから、とも考えられます。

2.単純に戦争勃発時の時点ではオーストリアには帰れなかったのでは?
ミュンヘン逃亡時にはオーストリアではヒトラーは徴兵忌避の前科者でした。思想的にはゲルマン民族に殉じる覚悟があってもオーストリアに戻れば犯罪人として拘束されてしまう以上、ドイツ帝国軍に志願して戦うより他なかったのでは?そう考えると、(1)オーストリアを逃れてもドイツに帰化しなかったこと、(2)オーストリア帝政崩壊後もオーストリア・ナチ等をけしかけて体制派の政治家等を妥当・粛清することに躍起になり最終的に独墺併合となったことも、心理的に「なるほど」と思えます。

1・2両者あいまってドイツ軍入隊となったのが実態では?とも考えられますが。
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この回答へのお礼

通説というのがないのですか。驚きです。何百年も昔の事じゃないし、軍に入隊するんなら、きちんとした書類の一つや二つくらいあると思ってたのですが……

1、2、共に説得力がありますね。現在でも、オーストリアの右翼の中には、自らをドイツ人と規定してドイツ国家を歌う人がいるらしいですし。周りが海で、アイヌや琉球を除けば他国や他民族に常時接するという状況に置かれたことのない日本人には分かりづらい感覚ですが。

ご回答、有り難うございました。

お礼日時:2006/10/17 17:58

ヒトラーはオーストリアの生まれですが、当時のオーストリアは国体が弱体化しており、軍隊も腐敗が激しかったと聞きます。

彼にしてみれば弱い軍隊には魅力を感じず、強制的な徴兵に従うのはアホらしかったのではないかと推測されます。また、前の回答者さまのオーストリアが混成民族の国だったからという説も説得力があります。
従って、強くて純粋なゲルマンの国=ドイツの軍隊に魅かれたのもヒトラーの性格からすれば自然と思われます。
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この回答へのお礼

そういえば、オーストリアは普墺戦争でプロイセン一国にこてんぱんにやられてましたね。
もっとも、だったらさっさとオーストリアを脱してドイツに行って国籍を取っとけば、逮捕されるという不名誉も得なかったと思うのですが。直前まで決心がつかなかったのでしょうか。

ご回答、有り難うございました。

お礼日時:2006/10/17 18:09

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