牛、豚、鶏、どれか一つ食べられなくなるとしたら?

どこに質問すればいいのかわからなかったので、ここにさせてもらいます。
ここがふさわしくなかったら、誘導していただけると嬉しい限りです。

題名の通り、「普通の人生」とは何ですか?また、それは存在しますか?

人は一人として同じ人生を歩まないと思うんです。
人それぞれ、違う人生だと思うんです。
人には人の人生の特徴とでもいうものがあると思うんです。
だったら、「普通の人生」って一体何なんだ?そもそも存在するのか?
と思いました。

「波乱万丈な人生」でないものが「普通の人生」なのでしょうか。
波乱万丈といわれるようなことも、その人の人生の特徴だと思いますが。

A 回答 (15件中1~10件)

五体満足で生まれて、悪い事、良いことを適当に楽しんで


大きな失恋を何度か経験して、結婚するまでに恋人が何人かいて
20代から30代にかけて結婚相手を見つけ結婚。

数年後には子供が生まれ
子育てに悪戦苦闘、やがて成長し小学校卒業で涙を流し
高校等への進学を助ける。

マイホームを買ったり子供への仕送りでお金のことを考える。
そして自分は頑張っている、頑張ったと自画自賛。

その子もやがて結婚し孫ができ
人生を振り返りながら病院で死ぬ。

普通の人生って大体こんなとこでしょ、この中は人それぞれ違うのは当たり前ね。
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全く回答になってませんが、僕も同じような質問をしました。



子供の頃に普通だと思ってた人生と全然違う人生を歩みました。

今からその普通の人生に合わせるのは大変だし、なんだか非効率的です。

例えば、マイホームを買おうと思っていましたが、不動産価格が
下がり続ける今の時代では、買うのが損な気がします。

子供を持つ計画もありました。しかし、子供を持っている人を見ると、
とてもマネしたいとは思いません。

そうやって、だんだんと普通じゃない人生のほうが気楽と思って、
子供の頃計画した人生と違うほうに歩みました。

普通の人生というのは存在します。しかし、それはかつて普通だと
信じていた人生で、今の時代に合っているかどうかはわかりません。
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結局は多数派という事になるんだと思います。


例えば普通の結婚って何でしょう。
日本では一夫一妻が普通ですが、アフリカ諸国では一夫多妻が普通じゃないですか。
そもそも普通とか常識とかに絶対的なものはないと思います。
例えば、男性の身長は大体170cm~180cm位が普通ですが、もし身長が100mもある宇宙人がいたら、地球人はめちゃくちゃ小人じゃないですか。
これはつまり、アインシュタインの相対性理論の世界です。
良いか悪いかというのも、結局は多数決みたいなものだと思います。
殺人にしても、みんな(歴史的な経験上)不幸な結末になることを良く知っていて、それをみんなが良しとしないからこそ、人を殺してはいけないというのが普通になった訳です。
現に、江戸時代には武士は殺しが許されていましたからね。
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>人は一人として同じ人生を歩まないと思うんです。


確かにそうですよね。

特に辛いことの多い方が波乱万丈といわれるような気がします。一般的には映画や小説ではジェットコースターのように変化の富んだ展開の方が退屈しないし、エンターテイメントを楽しむときものごとを深く考えたくない人にとってはそういう方が好まれます。また主人公が不幸であればあるほど。「人の不幸は蜜の味」で、自分の幸福の確認のために他者の不幸度を測るのはヒトの卑しい性ですが・・・。

「波乱万丈」とは「開き直り」のひとつかもしれません。まあ自分をヒーロー、ヒロイズム扱いしなければやっていけないというか・・・。
端的なものは端的なものに引かれ(惹かれ)ますから、普通イコール退屈ならば変化を求めますし、変化ばかりで疲れたのならば安定を求めるのは自然なことでしょう。

たとえば自分の人生をもっと高めたくて安定したサラリー生活を捨て、スカイダイバーになった女性。
80歳という高齢にも関わらず世界一周の冒険にくりだすおじいちゃん。
夢をかなえるためにディパック一個で世界を放浪する若者たち。・・・
それは「普通」に生活する市井の人たちです。波乱がくるのではなく、それを待ち望んでいるわけでもなく、普通の感覚で普通の欲求にしたがって行動にシフトした普通の人たちです。

他人からして他人の生活や人生が波乱万丈だと思っても、当人が普通のことであればそれは普通になるのでしょう。

普通ってマイノリティのこと。だから異端もマイノリティなこと、と思います。異物が増えれば普通になる。二律背反の質的、量的、カテゴリ的要素はすべて同じひとつのものだと思います。

普通の同義語「普段」⇒「不断」(「とだえないで続くこと。また、そのさま。「―な(の)努力」by.大辞泉)

維持させるという努力の美徳を考えると「普通」というのは高尚なことなのです。だってニンゲンて楽したい生き物でしょう?堕落に至る道は・・・ですよね。

波乱万丈ってすこし贅沢な響きもあるのではないかなと。当人が意図していない運命とか宿命で外側から煽られるから。だから退屈だと思っている人にとっては憧れの対象になるときもある。でも実際その人生を被ってみる自信がないから、フィクションを介して投影し、カタルシスを得る。
それはたまにならいいのです。あまりにもそれがくると日常になる。それは不幸とも呼ばれます。

「Mr.ハランバンジョー」でもそれを乗り切るためにも「生活」という日常をこなさなけれなりません。とすれば衣食足りるという余裕があればこそでしょう。
だから普通とは感謝に足ること、でもあると思います。普通の生活ができているのは自分を支えてくれる社会はもとより、それを遂行できる自分自信の力であります。
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普遍的な「普通の人生」は存在しません。

人の数だけそれぞれの「普通の人生」が存在します。
スポーツ選手にとっては自分がスポーツをすることが普通であり、スポーツをしていない自分は普通じゃないということです。(もちろん休日や引退などありますが)結局、今自分が普通と感じているか否かだけでしょう。しいて言えば共通部分の多さが普通にあたるのかもしれません。
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 人それぞれ違う人生を歩むと同じく、波乱万丈でない人生の方が少ないのではないでしょうか?


 但し、波乱万丈と言っても一攫千金や一家離散を繰り返すだけが波乱万丈ではなく、普通と波乱万丈とは少し意味合いが違います。波乱万丈には浮き沈みが激しいという意味合いがあり、平均的な生活と極貧生活を繰り返しても波乱万丈と呼べます。
 個人的に楽しい事辛い事があれば波乱万丈でしょう。

団塊の世代、集団就職真っ盛りの頃なら、大学に進む事が普通ではなかったですが、今や大学に行かない事の方が普通ではありません。
 全国レベルで平均的な進路を進む事を「普通」と呼び、そこから飛躍しようと挑戦していく事を普通でないと言うのでしょう。
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人それぞれ違う人生とは当り前の事。


ここでいう「普通」という前提は、
特徴を表している言葉ではありません。

ここでいう「普通」とは平均値の事でしょう。
多くの人達は何をして生計を立てていますか?
私はサラリーマンと自営業(農業、漁業、
製造業、サービス業・・・)だと思っています。
以上の方々は社会を形成する一般的多数派。
これらの方々は普通の人生の方々でしょう。
職種や職歴や勤務態度や階級や実績、
年収を特徴というのでは?

普通ではないのは、マイナスが健康なのに働いていない人、
刑務所の中の人、犯罪指向の人・・・でしょうか?
プラスではスポーツ選手や芸術家・・まだまだありますよね。
政治家は微妙・・・どっちかな?
病気の人は病気の種類や程度によります。
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#2です


私の考えでは 「プロ選手」は 競いあって頂点を目指すのが目的だったりしますので
平凡ではないと思いますよ。(言葉を悪く言えば、人を蹴落として上を目指す仕事ですから・・)

数が少ない仕事であれば 一般的には 普通とは言わないと思いませんか?
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>「普通の人生」とは何ですか?


「普通の人生」と口に出した質問者さんの周りの人物に聞き返すのが一番の解決策かと思います。

>それは存在しますか?
存在の確認はどうやってするのでしょう。

>人は一人として同じ人生を歩まないと思うんです。……。
もっともだと思います。そう思うならもう答えは出ているのでは?
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その時代が用意した無限の選択肢の中から自分に合ったものを選んで生きていくのが「普通の人生」であり、その時代が用意した選択肢以外の新しい選択肢を自分で創造して生きていくのが「普通でない人生」だと思います。

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