プロが教える店舗&オフィスのセキュリティ対策術

私は大学4年生、22歳の女です。
タイトルの通り、私は何でも「(近い未来に)自分が死ぬこと」を前提に物事を考えてしまい、長期の人生計画をたてることができません。

以前から「二十歳になる前に死ぬ」など期限付きで生きてきました。
これは小学生の時からで、原因は家族、特に祖母にあります。
最初は「十三歳になったら死ぬ」で、それが祖母との約束でした。
十三歳になる直前に、祖母自身が死んでしまいましたが……。
実際に何度も期限があったのですが、その度に生きることを選択してきました。
しかし、21歳の時に精神を病み、軽い自傷を行ってしまいました。
そのことが原因の一つとなり、当時付き合っていた最愛の彼氏と別れました。
私は当時通院しており(症状が軽かったため2回で終わりました)、私の自傷がよくなったので、彼から「もう自分がいなくても大丈夫だ」と別れを切り出されました。
その後、初めて本当に死ぬ準備をし、自殺未遂をしました。昨年の4月のことです。
今は落ち着いており、自傷もしておらず、時々ひどく落ち込むこともありますが、表面上は普通の生活を送っています。
しかし、「卒業したら死ぬ」と思ってしまうために、4月以降のことが考えられません。
4月からは修士課程に進学が決まっているのですが、入学手続きなども無意味なものに思われてしまいます。

おそらく多くの人にとって私の考え方は不愉快なものだと思います。
しかし、本気で悩んでおり、普通の人のように生きたいと思っています。
でも、できないのです。
ふっと「卒業したら死のう」と思ってしまってから、どんなに頑張ってその考え方を振り払おうとしてもできないのです。
卒業式以降の未来を考えようとしても(例えば修士の入学式)、「どうせ生きていない」とどこかで思ってしまうのです。

私はどうすれば普通の人のように考えることができるようになるのでしょうか?

A 回答 (24件中1~10件)

 kumosuke32です。

まだ、閉じてなかったので、前回のお礼に返事をしようと思います。

 前回は急に変なことを言い出して驚かれたと思います。でも、光、ずっと書かれてきたものを読んでいて、ああ、こうなんだなぁと思ったんですよね。それを、伝えようと思ったのです。いい形で伝わっていればいいなと思います。

 自分を捻くれていると思っていたと書かれていましたが、やはり、それだけの苦難を幼い頃から背負ってくれば、人格に影を落としますよ。そういった類だと思うんですよね。
 僕にもそういったものは付きまとういます。僕は今でも群衆の集まるところに行くと、思念や感情、欲、あるいは悲鳴のようなものの渦巻いたものの混沌としたものを、感じてしまい、簡単に言うとつらくなるのですよね。また、人を基本的に無知で、無神経で、粗野なものだと感じるような心構造がどこかにいつも転がっているように感じます。まぁ、未熟なわけですが。
 形は違えどもそういった類のものは、あなたにもあるのではないかと思います。

 でも、天から授かったものと言うか、もって生まれたものがあるわけで、それは各人違うのですが、あなたのそれはいいものだと思います。いい感性をしている、と一般では表現するかもしれないですね。これだけの困難にあってくると、多くの人は生まれ持ったものも歪んでしまったりしていて、くすんでしまう事が多いのですが、あなたの場合はそれがしっかり残っていたという感じがします。そして、ここに書いている間にも、ほこりを払ったように磨かれているように思います。
 そういった自分の中にあるものを、信じて、あるいは誇りにも思って、これからの浮き沈みはやっぱりあると思いますが、辛い中の励みというにはささやかですが、そうしてくれればいいなと思います。

 あなたは聡明さで言えば、僕なんかよりはるかに聡明ですから、いい人生を掴めるのではないでしょうか。”苦”はあっても、それは誰にでもある、というものよりちょっと重いぐらいで済むようになると思いますよ。そして、そんな中でもより充実した人生を掴めるのではないかなと思います。ああ、また、ちょっと混乱させてしまうかな。
 なんというか、やっぱり抜け出るには姿勢が出来上がらないと、そういったことに取り組めない面が強いのですが、それが普通の人は本当に長くかかるものなのですが、あなたには、まだ若いけれどもそういうものの萌芽を感じる、ということなんですよね。わかってもらえるでしょうか。
 たぶん、虐待家族の話とか、いじめとかでも、色々話を読んだり聞いたりしてみるとわかると思うんですよね。そういう姿勢が(あるいは気持ちの覚悟(というと誤解されそうなのですが))できてきた時に大きな転換点を迎えることが多いんですよね。

 これだけ、この質問に返答というか、なかには共有して欲しい、聞いて欲しいというよう話も多いのですが、回答が付くのは、あなたが、前に言った”素直”、つまり、話を聞く才があるということだと思いますよ。
 だから、辛い日々にも自分を信じて、頼みにして欲しいと思うんですよね。きっと何か、自分に合った抜け出し方を見つけられるはず、自分にはそれができる、と思って辛い日々の支えにしてもらえればいいなと思うのです。
 力至らず、こんなことしか言ってあげられないのは、本当に申し訳ないと思うのですが。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
本当に何度もありがとうございます。

kumosuke32さんのアドバイスを読んでいますと、涙が流れてきます。
こんな私でもいいのだと思えてきます。
多くの喜びよりも、些細なつらさに目がいってしまって、そのつらさに心が支配されてしまいますが、もう少し頑張れる気がしてきます。
抜け出すことができるように、もう少し踏ん張ってみたいと思います。
そうやって、少しずつでも「未来」を思い描けるようになっていきたいです。
その未来を否定する心の声もまた、私自身の声なので、言わずにすむように。

うまく伝えることができなくて申し訳ないのですが、本当に感謝しています。
完全に前向きになったとはいえませんが、少し変わった気がします。
これで締め切りたいと思いますが、本当にありがとうございました。

お礼日時:2007/01/21 23:24

何度もすみません。


釈さんと同じの意味は19歳で前世が亡くなっているので、
前世を引きずってそれまでの彼女の人生は暗いものだったと言う事です。
19歳を過ぎてから今世の彼女の人生が始まったと言う意味です。

だからきっとyuiyui12さんも自分では分からないうちに
前世が関わっているのじゃないかと感じだからです。
要するに何かの原因で自ら命を絶っていると。
そしてもう一度やり直しているから今はつらいのだと思いました。

その他の出演者の方も何かしら前世と関わっている
場合もあるようです。

是非今後の参考に「オーラの泉」を見ると、
何か約に立つのじゃないかと思いました。

意味も無く何かが好きだったり嫌いだったり、
前世の記憶と言う場合もあるようです。

私は泳げますが、足の付かない海が嫌いでした。
後でわかりましたが、前世は海で溺れているそうです。

どんな理由があるにせよ、生きて乗り越える事が今世の修行ですから、
つらくても生きて下さい。
壁にぶち当たったらそれを乗り越えるために生まれて来たのだと
思って下さい。

生まれ変わりを信じる信じないに関わらず
こんな考え方やこんな能力のある江原さんなどの
意見も参考にされるともっと楽になると思いますよ。
科学の発達した現代でも不思議な事は山ほどありますから。

とにかく生を無駄にして欲しくなくしつこく回答しました。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

釈さんのことはそう言う意味だったのですね。
前世というのは面白いですね。
前世が本当に存在しているのか分かりませんが、私にも「今世の人生が始まる」ような瞬間が来るのでしょうか。

「オーラの泉」、時間のあるときに見てみたいと思います。
そして、少しずつ壁を乗り越えていきたいです。

お礼日時:2007/01/21 23:13

たまには自分との約束も変更したり、守らない場合が多いです。


正しくない約束は守らなくてもいいです。
よろしければ神経精神科へいって相談をする事をお勧めします

お宅でも自分が好きなアニメや漫画を見たりしながら、ほんの小さいものでも面白いものを探してみてそれを楽しめてください。

頑張って
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

精神科への通院も考えてみたいと思います。
守る必要もない約束(そもそも約束だったのかも怪しいですし)に縛られる必要などないのだと思います。
とはいっても、今では知らず知らずのうちに縛られてしまっているので、なんとか抜け出したらと思います。

頑張っていきたいと思います。

お礼日時:2007/01/16 00:21

kumosuke32ですが、ちょっと、驚いているので、もう少し書かせてください。



 僕はあなたの話と返事を伺っていて、あなた自身に貴重な資質があることを感じました。僕がいうのもおかしな話なのですが、あなたは”すなお”で”聡明な”方なのだなと思いました。

 ”すなお”というのは人の話の中から、周りから良いと思えるものを汲み取る力であり、”聡明”というのは、それを咀嚼して理解し己のものとする力です。他の方の話も含めて伺っていると、あなたは話し手が意図する以上のものを、そこから汲み取っているように感じました。それゆえに、あなたを縛っているものが及ぼす大きさをも感じ不憫に思ったのですが。

 変な話ですが、ここは逆にあなたに聴いて欲しいという人が増えてきたと思いませんか。あなたのような人を見ると僕は人とは面白いものだなと思うのですが。変な意味ではないのですよ。

 あなたのそういった資質は、たぶん生まれ持ったものだと思いますよ。ある意味、あなたはそうやって、自身で、人として自分を高めるにはどうすれば良いか、を探して見つけ生きてきたのではありませんか?それゆえ、苦難を抱えながらも真っ当な生き方を選んでこれたというのもあるのかなと思いました。一生懸命生きてきたんですよね。本当にそのように感じるようになりました。

 いかんせん、今、周囲にあるものに、世界とはこれほど広大で、人を含む生命とはこれほど素晴らしいものなんだよ、と囁きかかるようなものは、まず、ありません。あなたのそのような力をもってしても、苦難に立ち向かわせるものを与えなかったのだと思います。あなたがそれに気づくことができれば、あるいは意外に簡単に縛り付けるものから逃れうるのかもしれません。

 思ったのですが、あなたのそういった資質は伸びる人には欠かせない資質で、正しい言い回しになるかわからないのですが、”男子、三日あわざらば割目して見よ”のような言葉がありますね。現代的には、成長期の男子がちょっと見ぬ間に男らしくなる、のような意味になりますが、あなたのような資質を持った人は、正しく伸びれば、まさに”割目して見よ”ぐらいの成長をなしてしまうのです。少女期のあなたにもそれを感じさせるものがあったのではないでしょうか。それゆえに、家族の期待を一身に背負う弟さんと比べた時に、おばあさんはあなたを押さえ込んだのではないでしょうか。

 戯言半分に聴いてもいいのですが、あなたのような人は一つのものに縛られずに、と、もうわかっていると思うのですが、満遍なく全て捉えられるといいと思いますよ。”勉強をする”のと”自ら学ぶ”の意の違いはおわかりでしょうか。”勉強”はあくまで今の常識的な流れでその学問を学ぶことのようなもので、”自ら学ぶ”は通り一遍でなく、己で大いに感心したところはおさえ、疑問に思ったことは自ら解を見出す、のようなやり方でしょうか。
 心理学のみで自分を掘り下げていくと、たぶん、凄い絶望感に襲われたり、ものすごい落ち込んでしまうことになると思うんですよね。そうならない可能性もあるのですが、まぁ、何事も多角的に見たほうがもっとより本質に近づけるでしょう。一つに落ち込んでしまうことはないようにということでしょうか。

 ただ、やはり、あなたの苦しみはすぐには止むものではないと思われるので、それは気の毒に思います。色々言ってもやはり、あなたは若いし、女性だから、男性だったらないような苦しみもあるわけで、あなたは、やっぱり心を病んでいると思いますが、病んでるところに男だと異性は寄ってこないものですから、そういった苦しみは多いと思います。若いというのは、やはり、どうしても見えている範囲が狭いのです。これは申し訳ないけど、そうなんです。大学を最高学府という思いは捨てて世の人々の声に耳を傾けて欲しいと思います。まぁ、大学にこもるなというか、ピュアな学問のエリートは視野が狭いから、他の視点をもてる準備もすることを勧めるという程度でしょうか。

 僕ごときが何をえらそうなことを言っているんだろうと思うのですが、あなたの中に萌芽を感じましたので、捨て置けなかったというぐらいです。耳の端にも置いておいてもらえれば、いつか役に立つこともあるのではないかと思いました。自分の影におびえずに、影を見定めて、生きていけるようになると思います。畏れずに自分を信じて欲しいと思います。前にも言いましたが、おばあさんを知り、家族を知れば、自分を縛るものは気にならなくなるはずです。この先々にはあなたを待っている人たちがたくさんいると思いますよ。本当に変な話で申し訳なく思います。失礼します。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

「すなお」というのは初めて言われた気がします。
自分自身でも、捻くれた性格だと思っていましたので、驚きましたし、嬉しかったです。

学ぶことの大切さはよく分かります。
学部の在籍中は学科の性質上、幅広いことを勉強し、学ぶ機会にも恵まれてきましたが、修士課程に進むと一つのことを掘り下げていくことになると思いますので、意識的に行わなければ、幅広いことを学ぶことはないように感じます。
わりと好奇心が旺盛なほうに思いますから、その気持ちを大事にしていきたいです。

今はわりと落ち着いていますが、今までと同じようにまた苦しい時期がやってくると思います。
そういった時期に、再び落ち込んで死にたいと思うのかもしれません。
少しでも元気のあるうちに、生き続ける強さを身につけたいと思うのですが、なかなか上手くいかないものです。
また、「知る勇気」を持つことも大切なのでしょうが、「知ってもらうこと」同様、難しいことも多いですが、少しずつ知っていけたらと思います。

変な言い方になるかもしれませんが、本当に「素直で聡明」と言っていただいたことも嬉しかったですし、自分の思いを否定されなかったこと、苦しみを認めてもらったことが嬉しかったです。
でも不思議なもので、人に「本当につらかったんだね」と言われると、実は自分の体験はそんなにつらいものではなかったように感じられるのです。
人に話すことによって悩み事の半分は解決する、とは本当なのかもしれません。
あと半分を落ち着いている今のうちに埋めることができたらと思います。

カウンセラーに通ったり、視野を広げたり、多くを学んだりすることによって、もっと遠い未来を見つめていけたらいいと思います。
ありがとうございました。

お礼日時:2007/01/16 00:18

「自分でもわからないのに、、、」


と言う理由ですので、参考までに
「オーラの泉」の釈由美子さんの回を
参考にしてみてはどうでしょうか?

なんとなく似ている気がします。
是非このまま一生懸命に頑張って生きていって下さい。
でもとりあえず、お願いですから、弟ばかりを可愛がられてと言う
気持ちをちょっと切り替えてみてください。
そんな自分をリセットしてからもう一度生まれ変って欲しいです。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

私は普段、テレビを見る習慣がないため、このオーラの泉も見たことがなかったので、インターネットで調べてみました。
釈由美子さんの意外な前世に驚きました。
似ているのかは番組を見ていないのでよく分かりませんが……。

弟ばかりをかわいがられて、ということばかりではなかったと思うので、そう言う気持ちはなくしたいですね。
最低でも「弟のほうがかわいがられていたが、私もかわいがってもらっていた」くらいには思えるようになりたいです。
生まれ変わるのは難しいですが、頑張って生きたいです。

お礼日時:2007/01/15 23:05

少しだけ私と似ていますね。



私の場合は、21歳ころまで死にたいのに死にきれず、22歳の時に大学に入りまして、「卒業までに死のう」と思って大学の4年間、最低限の講義とゼミに出席するだけで、あとは家で鬱々と暮らしていました。26歳で卒業するころには、もう何処にも就職できなかったので、大学院の修士課程に行き、キッカケのつかめないまま、博士課程まで出ていました。今は、研究機関に勤めています。

死にきれないままこの年齢に達してしまいますと、本当に死ぬ気力すら萎えてきました。以前は、死ぬ方向の気力だけはあって、現在のことをするのはシンドくて仕方なかったのですが、今は、死ぬ気力もありません。

こうしたわけで、ここ数年考えているのは、今現在を死ぬ直前の余生とすることです。そして、「ああ・・・、今日は生きているなあ」と思い、静かにこの日々を重ねていっています。「どうせ死ぬんだから、今日は生牡蠣を食べようか」、「この名著を読んでから死のう」、「いい女を抱きたいなあ、どうせ死ぬんだし」とか考えながら、一日一日先延ばししています。

私も最愛の彼女に数年前に去られました。
追憶が妄執に変わった時、なんども死にかけましたが、過去に拘束されるのだけは辛いので、死に向かうにしても、過去だけは心から追い出すように心がけました。

死を先延ばしにした一日一日の積み重ねなわけですが、
たまに調子のよいときがありますよね。
その何かの拍子に、その積み重ねが貯金として、自分の将来構想になることもあるかもしれません。そういう日はこないかもしれません。どうせ死ぬんですからどっちでもいいわけですが、急に状況が変わるかもしれないのですね。そういう日がくるかもしれないなあと思いながら、死を一日引き伸ばして、毎日思い出作りをすることをお勧めします。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
返信が遅くなってしまって申し訳ありません。

死を先延ばしにした一日一日の積み重ね、私もそんな風に感じていたことがあります。
そう感じる日々がまたくるのかもしれません。
確かに、とても調子がいい日、世界が輝きに満ちているように感じられる日があります。
そういう日は人には無限の可能性があるから生きてゆけると思えたりもするものです。
しかし、調子のいい日は本当に少なかったりするんですが。
今日のように、調子が良くもないし悪くもない、という日が一番多いです。
悪い日よりもずっと幸せな状態であると思います。

毎日思い出作りというのは素敵だなと思いました。
記憶に残らないような日々が多いわけですし。
悩むことも含めて、充実した日々を、たとえ先を見ることができなくても送っていきたいと思います。

お礼日時:2007/01/15 10:26

こんにちはyuiyui12さん。

だいじょうぶですか?

わたしも父親との仲が不仲だったこともあり、昔はやるせない気持ちでいっぱいでした。 
その父は6年前に他界して…それからずっと考えたら、
父とそっくりな心配性な自分がいました。身近な人間ほど口だししちゃう。
昔は気付かないけど、父親だって私と同じに精一杯だったのです。
ちゃんと愛されていたんでしょうね。。今は想像でしか確認のしようがないのですよ…哀しいかな。

いまの私は父に感謝こそすれ、何のわだかまりもないです。
  (今こそ、ちゃんと暖かさが伝わってる気がします。)

yuiyui12さんのご家族、祖母様もまた、
 ご自身の親から同じような苦しみを味わったんじゃないかという気がするのです。

私も、もう親から子へという悪しき連鎖を断ち切るぞ。
 誰も何もわるくはないのです。あなたを存続してください。

私の場合は、息をすって、ぐっと胸にためてしばらくそのまま…とかも効果ありました。 
もしくわ、息を吐き続けると…苦しくなって息を吸うから。
 
『死にたい』=『生きたい』という悲鳴です。その声を聞いてあげてください。
愛してるって自分に言ってあげてください。
そして yuiyui12さんのご家族はあなたを心から愛してます。
4月からは修士課程、あと少しです。きっと楽しいことが待ってますよ!
音楽でも聴いてやりすごしましょう♪LET IT BE

わたしだって似たようなものです、ともにいきましょう☆
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
返信が遅くなってしまって申し訳ありません。

祖母も第一子の長女で、私も同じです。
確かに、私と同じような思いをしてきたのかもしれません。
特に今より、家庭内の女性の立場が低い時代だったでしょうから……。
そう考えると不思議な気持ちになります。

本当に誰が悪い、なんてないのだと思います。
もっと家族に対して優しい気持ちを抱けるようになれたらいいと思います。
そして、自分を大切にできるようになりたいです。
修士課程も頑張りたいと思います。

お礼日時:2007/01/15 10:15

 No.11のkumosuke32です。



 だいぶここも過熱してきて、質問者様も捉え切れなくなっているのではないかと思います。ですので、少しだけにしましょう。

 死ぬ期限を決めながらも比較的真っ当な生活を送っていた理由、もう一つ思い浮かびます。それは、体や本能は全く死を感じていなかったからでしょうね。無意識とも言えるかな?と思いますが。
 でも、あなたの顔には悲壮感があったのではないでしょうか。切迫感とも言えるのでしょうか。それで、人も離れていくことがあるのは僕も多く経験していますから。
 
 対処的なことを書くと、無理やり笑顔を作る。言いたいことがあっても、まず、人の話を聞いて相手の言わんとするところを汲み取る。これで、少しは人とのつながりが増します。その中で癒しと苦しみを得ながら、色々考えてはいかがでしょう。

 それと、勉強が好きなら、哲学的に”自分はなぜ生を受けたか”というテーマに取り組んでみるとか、心理学的に自分の心構造を読み解いてみるとかはいかがでしょうか。学問に限らず、武術の世界も広大ですし、身体の世界に眼を開いてみるとか。スポーツとは違うので一生取り組めますよ。ろくろを回してみるとかね。ブログとかホームページではこの手のものは勧めませんが、以前他の人も言ってましたが、文章にしてみるとかも文章化すると展開するものがありますよ。

 まぁ、精神病的なアプローチでなくても色々あるという感じでしょうか。気を長くして取り組んでみると面白いかもしれませんよ。敵を知り己を知れば百戦あやうべからず、でしょうか。では、応援しております。
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この回答へのお礼

何度も回答ありがとうございます。
皆様の回答には色々と考えさせられることが多く、感謝しています。

「体や本能はまったく死を感じていなかった」ということ、今まで一度も考えたことのない考え方でしたが、もしかしたらそうなのかもしれないです。
特に、「本能」は。
つらいから死にたいと思う一方で、生きたいとも思っていました。
私にとって「死にたい」と言う言葉は「生きたい」と言うことの裏返しなのかな、と思ったこともあります。
もちろん、必ずしもそうとは限らないのですが、そういった面はあると思います。

自分の顔に悲壮感があったのかはわかりません。
いつも通り過ごしていたつもりでしたし。
でも、それは「つもり」に過ぎず、上手く笑えていなかったかもしれません。
これからは今までよりも笑顔を心がけていきたいです。
暗い顔をしていると、さらに落ち込んでしまいそうですよね。

心理学には興味があるので、卒論が終わったら、少し勉強してみるのもいいかもしれないです。
色々なことに興味を持って、もっと多くの人と関わることも必要なのかもしれません。

本当にありがとうございました。

お礼日時:2007/01/12 13:10

 なんとなく、あなたの気持ちが解ります。

僕は今34になります。仕事を辞めて5年ぐらいになります。経済的にも自立しておらず親に食わせて貰っている情けない人間です。
 僕は高3の時に父親を亡くしました。一応、地方ですが進学校に通っていて大学へ行こう思っていた矢先のことでした。当時、部活ばっかりやっていて予備校に行ってから大学に行くと父親にも言っておりそれを了承してくれてました。しかしそういう事情もあって已む無く3流の私立の夜間に通いました。
 運良く3年次に編入試験に合格したことが幸いしたのか銀行に就職できました。でも結局支店長に叱責される毎日で1っヶ月半ぐらいで退職しました。その後コネで市役所の臨時職員を2年ぐらいやってから、これまたコネで病院の事務職員に正社員として就職しました。でも結局、それも事務長とそりが合わず退職しました。その後は前述した通りです。
 今、とても後悔しています。質問者さんの文章を読んで羨ましいというのが本音です。だって22歳なんですよね?若さが羨ましいです。僕は高校の頃、教師になりたかったけど仕方なく夜間の大学という事で経済学部に通い教員免許も取ろうと思えば取れたのに遊びまくり、それでも就職氷河期と言われたあの頃それなりのところに就職できたのにそれもやめ今の冴えない状態です。
 親に迷惑を掛けないようにと夜間の大学に進学したのに結局、母親に迷惑を掛けている現在です。
 とりあえず、大学院へ通ったらどうですか?あなたがもし死ぬかもしれないと本当に思っているならその時はその時じゃないですか!自殺願望があるならば大学院へ通って挫折や失望、絶望を本当に感じてからでいいじゃないですか!
 僕も2003年の9月に自殺未遂しました。でも失敗しました。精神科に通院はしてたんですけど・・・・
 あなたは若い おそらく誰にも迷惑かけてない そんなあなたが羨ましい・・・・できればあなたと変われるもんなら変わりたいぐらいです。気に障ったこと言ってしまっている様なら本当にごめんなさい。
 でも縁もゆかりも無いあなたの文章を読んで頑張って欲しいと思いご意見させて頂きました。失礼します。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

アドバイスを読んでいまして、例え数ヶ月先を考えられなくても「今」を大切にして生きていけばいいのかなと思うようになってきました。
私はいつも、いつ死ぬか分からないからこそ「後悔しないように」と思って生きてきました。
もちろん、それで失敗もしましたが……。
そのときできる限りのことをしてきたつもりです。
だから、これから先も今までと同じように生きて、その中で少しずつもっと先の未来を考えられるようになればいいのかな、と。

最初の期限から考えれば私はもうずいぶんと長く生きてしまいましたし、大学4年生と言うこともあり、周りに年下が多いので「若い」という気がしていませんでしたが、長い人生から見れば確かにまだ若いのかもしれません。
でも、人に迷惑はかけていると思いますが……。
私が言うのもなんですが、お互いに頑張りましょう。

お礼日時:2007/01/12 12:52

13歳になったら死んでやるってあなたの状況と立場も全然ちがうのに


比べられない条件での自分だけで覚えている約束を本当にしようとしているのがなんかナンセンスの様な気がしました。

死ぬってのは自殺と言う意味だったのですか?
運命として、短く単位を区切って前向きに物事をしようという意味かと思って見てみました。が違ったので、私なりに意見を、、

なぜそんなに死ななくてはいけないのか理解できません。
おばあさんへの当てつけの様に感じるのですが、
おそらくおばあさんは今頃あの世で謝っていらっしゃると思いますよ。

それにそんなに小さい頃からの思いから死にたくなるのなら、
一人暮らしをして、自分を大事に生きていけばいい。
特定の子供だけを可愛がるような家庭は今までも多くあったはずです。
長男だから跡継ぎだから、と言った昔の感覚の名残りもまだあるはずですよ。

自分の死にたい軟弱な気持ちを家族やおばあさんのせいにしているだけですね。

長期の予定が立てられなければ、数年単位で予定をたてれば、目標も達成しやすいと思います。

全力で出来て逆に良いと思いのでは?

でも不自由なく生活できているのに死んでしまうのは、贅沢です。
彼氏が居なくなって自殺してしまうのも、失恋の悲しみからですか?
それとも良い機会だったから?
理由がよくわかりませんが、はっきりした理由が無いのに何かにかこつけて死のうとしている。

死んだらどうなのですか、誰かが悲しむ?
自分が楽になる?何から楽になるのかも分かりません。
死のうと考えている以上は自殺した霊達が群がってあなたを
マイナスに引っ張っていっているはずです。
要するに憑依現象でしょう。
自分が変らなければ、憑依は取れませんよ。

お迎えが来るまで、一生懸命に生きる事をまず考えましょう。
そしたら自然と楽になれます。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

何から書けばいいのか分かりませんが、「死ななくてはいけない」と思っているわけではありません。
家庭での経験により、期限付きでしか生を考えられなくなったのは確かですが、現在の死にたい気持ちを家族のせいにしているつもりはありません。
しかし、そう見えるのであれば、そういった面もあるのかもしれない、と思います。

数年単位では、今の私には長いのです。
今までは大きな区切りを期限にしてきましたが、今は、数ヶ月先を単位にしてしまいます。
ふとした瞬間に一度思ってしまうと、否定してもそこから先は考えられなくなってしまいます。
大学生なので、前期試験が終わったら、とか、卒論を書き終えたら、とか、そんな感じです。
数年単位で計画が立てられたらいいのですけれども。

比較的精神が健康な今、思うのは、4月以降も生きていたいということなのです。
とても矛盾していますが、生きていたいと思っているのにその未来を思い描くことができないから苦しいんです。
そして、そうやって考えているうちに、本当に自分が死んでしまう気がするんです。
本当に変な話なのですが。

こうやって死のことを考えていますが、私は毎日を一生懸命に生きています。
働いて、勉強して、時には怠けますが、それなりに一生懸命にやっています。
お迎えが来るまで生きることを考えることができないから悩んでいるので……。
とりあえず、もう少し考えて見ます。

お礼日時:2007/01/11 14:03

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