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歴史カテかもしれませんが、卑弥呼が実在したかどうかはっきりしないというのは本当ですか?
確かめたわけではなく人から聞いたものなのですけど。
また、その後に「いお」という名前の巫女がいたと、小学生の時くらいに子供向けの本で読んだのですが、
この人はもっと実在が疑わしいとか。これも本当かどうか教えてください。

A 回答 (4件)

卑弥呼はあくまでも当時の中国側からの呼び名であり、本当の名前はわかりません。

実在したかどうかわからないのは証拠が三国志の記述しかないためです(魏志倭人伝)。卑弥呼の死後、男王をたてたが、倭国が混乱し、動乱がおきたそうです。そのために女王「いよ(とよ)」をたてて混乱が終息したそうです。
実在が疑われている人物は聖徳太子です。厩戸皇子がいつのまにかそうだというようになったそうです。
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この回答へのお礼

早速のご回答ありがとうございます。
聖徳太子について、何か歴史番組のようなもので実在うんぬんについて見ましたが、
じっくり見ませんでしたので、よく知りませんでした。

「いお」ではなく「いよ」だったのですね。
日本の歴史は、本当に大文明の前ではまだまだ遅れていたのかもしれませんね。
エジプトでも中国文明でも思いますが、この繁栄期に日本では稲作がどうこう…
というのを聞きますと、本当にびっくりしてしまいます。

ありがとうございました。

お礼日時:2007/01/09 00:03

いたとは思います。



ただ、古代では国というものがあいまいで、中国の各地にそれぞれの集団があり、それぞれが集団単位で認識されていたようなんです。
いわば血族同士の集団が一集団みたいな。

邪馬台国というのも、日本という認識ではなく中国の一部と考えられていたので、外国という認識ではなかったようです。

川を挟んだ向こうの集団みたいな認識。
南の方に最初に文化が起こったのも潮の流れにより、中国大陸から船で来るとここいらに到達するので、中国大陸にいた血族が日本列島に住み着き、人口が増えていき、分裂して家が分かれていったと思えます。

そのうちのひとつの豪族が、統治するがうまくいかなかったので女性をリーダーとして立てたのではないかと思います。

いわばイギリスのエリザベス女王のようなもの。

そして呪術をやっていたとなっていますが、あの勢力が大きくなるとよくないと考え、卑弥呼が呪ったとなったとき、軍が派遣され勢力を衰えさせたのだと思えます。

だから実際は呪だけやって他の勢力の力を削いだのではなく、実際兵を派遣して相手の人数を減らし、自分たちの集団の勢力を維持していたと思えます。


<『三国志』魏書東夷伝、『後漢書』の通称倭伝(『後漢書』東夷傳)、『隋書』の通称倭国伝(『隋書』卷八十一 列傳第四十六 東夷 倭國)、梁書諸夷伝、三国史記新羅本紀では表記は「卑彌呼」、『三国志』魏書 帝紀では「俾彌呼」と表記されている。>

の<卑>とか<俾>って確か万里の長城の外にいるほかの部族をいい表していたとどこかで読んだ記憶があります。
従って、首都というか大きな勢力を持っていた集団からみた、海の向こうの集団に対する呼称だと思います。

本名は・・・わかりません。
日本には姓・苗字・名前というものがあり、真の名は隠されており、通称のみで通していたようなんです。
なぜかというと真の名を敵対する勢力の知られると呪われたとき、その能力が効力を発動し、呪い殺されると考えられていたから。


従って顔も誰も知らなかったと思えます。

一応 その一族の系統が
http://www.max.hi-ho.ne.jp/m-kat/nihon/7-1himiko …
という説があります。
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この回答へのお礼

卑弥呼が本名でないということ自体知りませんでした。
巫女の在り様は、今の感覚とは随分違ったのですね。
世界の大体のエリアで、文明以前は信仰重視の呪術的な政治が行われていたのかもしれませんが、
卑弥呼の時代の中国はもっと進んでいたのではないのでしょうか?
今の日本は中国なくしてはありえなかった国ですが、それにしても大文明の下では小さな田舎の地域だったようですね。
どうもありがとうございました。

お礼日時:2007/01/11 14:15

「ヒミコ」が存在した事は確かです。

魏志倭人伝では「卑弥呼」と中国流の卑語が使われていますが,前回答者の言われている「日巫女」も有力な説です。日本の正史である日本書記には記載がありません。しかし
ヒミコの死は247年と248年に続けて発生した皆既日食に関連するとの説が有力視されいます。ヒミコは太陽を神とするシャーマンでしたから皆既日食が2年続くと権威が失墜して死に至ったとの事です。この件は記紀に天照大神の「天の岩戸」神話として書かれている事と合致する事からヒミコは天照大神であるという説に繋がります。
記紀の編者は邪馬台国・ヒミコの存在を知っていて,これを神話に当てはめた事になります。そうしますと高天原は邪馬台国になります。また神武朝の異常に長い在位期間は明らかに改竄として,当時の天皇の在位期間を統計的に検証してみると平均で10年となり、これを神武天皇に適用すると西暦280~290年の頃に当てはまり,神武東征もあながち嘘とは言い切れません。邪馬台国が東征して大和朝廷を築いたという説に納得しています。
邪馬台国・畿内説は考古学遺跡が多い事を上げていますが,この遺跡は神話にある出雲の国譲りのごとく出雲系文化の遺跡・遺産でないのではないでしょうか。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
日巫女の説は本当に初耳でした。
島根の方に入ったことがないのですが、機会がありましたら、いつか訪れてみたいと思います。

お礼日時:2007/01/11 14:11

卑弥呼と言う名前の人物はいなかったという説もあります。



どういうことかというと
卑弥呼は人名ではなく
役職の名前と言うことです。
もっと具体的に言うと
「太陽を祭る巫女」という意味で「日巫女」ということです。
中国から見て当時の日本は野蛮な国なので
日本人が「ヒミコ」といった音に対して
「卑弥呼」という卑しい字をあてたものとも考えられます。

このような説をとれば
やはり当時の日本は太陽を最高の神とあがめる習慣あった。
それは天照大神につながる可能性もあるということです。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございました。
そういう説にはびっくりしました。太陽神の信仰は世界中にありますが、日本では女神だということが面白いと思います。

お礼日時:2007/01/11 14:10

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