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例えば、高貴な副葬品のある女性の遺骨が見つかったとしても、それが卑弥呼かどうかわかりませんね。
では、
どんなモノが発掘されたら、九州説、畿内説、そのどちらでも無い説に決着がつくんですか

私としては、どこでも良いんですけど、ただ、生前の卑弥呼が美人だったらエエなぁって思います

「とりあえず、遺跡から何が見つかったら、邪」の質問画像

A 回答 (8件)

何がどこで見つかろうが、遺骨の人物を特定することはできません。


現時点 21世紀で女性の腐爛遺体が発見されてDNA鑑定できても、人物の特定が困難なのですから、100年以上も昔の人物は、遺骨だけで個人を特定するのは無理ですし、300年も前なら生前の名前や身分地位の明記された書き物や持ち物らしきらしきもの、DNA鑑定できる骨がてても、それが入れ替わった人物ではないと見分けることはムリです。 《たぶん、だろう》という推定の確かさが上がるだけです。
卑弥呼に関してだと、分かっていることそれ自体が曖昧ですから、遺骨や副葬品類があっても、その遺骨の主を卑弥呼であると推定するのはムリです。壹與・台与かもしれないし、別の人物かもしれない。

邪馬台国がどこにあったのか、そもそも邪馬台国はあったのか、『三国志』中の「魏書」第30巻烏丸鮮卑東夷伝の中に記述されている邪馬壹國 女王之所都は、所在地名でのようです。 アマゾーンの女王やアーサー王の存在が確実ではないように、女王がいたのかさえも確実ではないです。
とにかく、実在の巫女や地名としての邪馬台国がなかったとしても、当時の中国側にとって伝説はあって、貢献物の往復もあったらしいことだけは間違いないでしょう。 2世紀、3世紀初頭の遺跡であって、大陸からの贈答品っぽいものが出土し、かつ遺跡の規模や威容が当時のものとして第一級と言うのが4箇所からあれば4箇所すべてを(北部九州、中部九州、南部九州、山陰、山陽、近畿などどこにあろうが)邪馬壹國だと見做してもいいでしょう。 一箇所でなければなならない確たる理由はないでしょう。 元々中国側にとっても《伝説の地》なのですから。
決着がつくことなどあり得ないでしょう。
2世紀初頭に日本列島内で確実に他から抜きんでいた威容の地が特定出来て、そこから中国伝来物も出土したとしても、そこを中国側にとっても《伝説の地》と見做すのは、現実とイメージとを分離しない間違いをおかすことになるでしょう。
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金印や銀印(銀印は難升米と都市牛利が貰っています)が出れば有力でしょうね。

ただ金印は個人というより国のものとして引き継がれた可能性が高いようにも思えます。ちなみに何故か『親魏倭王』の印影はあったりしますw(後世のニセ物と考えられています)

あと邪馬台国の場所は、山門郡です。これは間違いないw 山門郡は久留米の南、熊本との間あたりですね。つまり邪馬台は山門の音写です。この邪馬台国は、南の狗奴国と接する最前線の国として倭人から伝えられたものです。なので実はちっとも重要な国ではなかったりしますw
台与が張政と会った国は、今の吉野ヶ里遺跡です。これも間違いない。張政は末盧国から陸行して南東に進んでいます、つまり今の唐津市から佐賀平野に抜けているのです。方位距離ともにぴったり吉野ヶ里に着きます。そしてここから、南にヅマ国(投馬国)、その南に邪馬台国(山門国)があって、その南に敵の狗奴国が居ます!って倭人から聞いた情報を残したのです。
卑弥呼の女王国は別の処です。これが一般的な認識で邪馬台国と言われている所ですが、実は邪馬台国ではいわけです。卑弥呼の女王国の位置がまったく分かりません。梯儁は確実に卑弥呼の女王国に行き、卑弥呼と会っているのですけどね。

金印は卑弥呼に渡されているので、出土すればかなり卑弥呼の女王国である可能性が高くなります。(親魏倭王印かどうかは不明w)
銀印は吉野ヶ里で難升米に渡されているので、出土しても卑弥呼の女王国との関連は微妙な感じですねw
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第2の金印と言われる魏が送ったものですか。


鏡もある。
宮内庁が発掘禁止とかもある。
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金印とか出ても何やかにやとイチャモン付けられます。


卑弥呼の墓から墓誌が出てくればぐうの音も出ずに決定ですね。
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何が1つが見つかったら??という、アプローチでは決着がつかないでしょうね。

なぜなら、邪馬台国があったとされる3世紀から、その後5世紀までの数百年は、日本に文字がなく、記録を参照しようがない。

7世紀にできた日本書紀が、大化の改新以前の歴史を、すべて神話に閉じ込めて、年号をずらして、人物を捏造したり、統合したりして、すべては、藤原と、万世一系の天皇家・・・という虚構にしたててしまったからです。

なので、逆に言えば、一つの事実がどうだと騒ぐ(おもに畿内説)のではなく、歴史の流れ、さまざまな勢力のあらそい、王朝の交代、捏造文書をしたてた最後に勝ち残った勢力の立場などから、神話の背景にある人物や出来事をくらべて、皇紀の嘘は正して、中国史と比較し、各地方の神社などの資料や言い伝えとともに、歴史を総合的に見ることが必要です。

そう考えると、だれがどうみても、九州説(複数あるが)が論理的。この流れを後押しする証拠の積み上げに、エセ保守がまもる万世一系がうそである証拠が開示されれば、最終決着がつきます。
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住民票でしょうね。



中国の偽資料だけの、物語です。
日本は、日本の資料で勝負したらいいんです。
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そもそも論として 邪馬台国が 本当に日本に実在したかどうか解りません


あくまでも 中国の歴史書の中の話です
ロマンの世界です
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純金製の王印(金印)


漢委奴国王印(かんのわのなのこくおういん、漢委奴國王印)
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