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今さらですが、いまだにどっちだなんてやっている邪馬台国論争のなかの、『邪馬台国はなかった』という説について、「『邪馬台国』は『邪馬壱国』」の間違いだというものがありますが、では『ヤマイチコク』というクニの実態は考古学的に実証されたものなのでしょうか。

ヤマタイであろうとヤマイチであろうと中国の文献にしか出てこないもので、実態がよくわからない条件は変わらないし、どちらの名前が正しかろうと文献に書かれている、倭国の政治機構や国々との相関関係が変わるわけではありません。ヤマタイでなかった場合、「どちらの名前が正しい」という論争は単に畿内のヤマト政権または九州のヤマト郡などの語呂合わせのご都合上の問題だけに思えてしまいます。
初めからヤマイチコクならば、「邪馬壱国○○所在説」などと言う、今と全く同じ論争があるだけだろうし、逆に「邪馬壱国は邪馬台国の間違いで、邪馬台国こそヤマトである!」なんてセンセーショナルな説が話題になってたりして、何ら今と変わらないでしょう。

実際に主張する先生方の著作を読めばいいことかもしれませんが、この論争を紹介する文面を見ても、間違いだという説の紹介だけで、『もし間違いだったらどうなのだ』ということが書かれていません。
『邪馬台国』が『邪馬壱国』だった場合、邪馬台国(という古代日本の政治形態解明や所在地)について考古学あるいは歴史学上どのような影響があるのでしょうか。
単に言葉の遊びならば、確かに「ヤマタイコクはなかった」ことになるので一般人にとってはすごく大変といえば大変ですが‥‥

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A 回答 (5件)

邪馬台国はなかった、は吉田さんの著書ですね。


邪馬台(臺)国と邪馬壱(壹)国、PCで見ても紛らわしいので、台と壱を使用します。

魏志倭人伝は、三国志という歴史書の一部なのですが、この三国志は原本は既に失われており、宋代(だったかな?)に写されたものが残っているものの中で一番古いものになるのですが、これに書かれている国名が邪馬壱国なんですね。しかしそれ以外の歴史書などは邪馬台国と書かれている。

さらに卑弥呼の次の女王の名前は台与と知られていますが、宋代の三国志だけは壱与と書かれています。つまり何らかの理由で宋代の三国志だけ台の字を壱の字で書いた可能性が高いものなのです。

実はこのことは非常に昔(江戸自体とか)から知られていたことであったので、宋代の三国志だけに見える邪馬壱国ではなく、多くの写本に見える邪馬台国として扱っていたわけです。
で、その吉田さんが、(現存する一番古い本に)邪馬壱国と書かれているのだから邪馬台国ではなく邪馬壱国が正しいんだ!という主張をし、自分の主張がいかに正しいかをくどくどと書いたのがその本です。

まぁ国の名前が多少違っても、卑弥呼という当時の女王が居たという国がどこかっていう話には、まぁあまり影響はしませんから、それだけの話ってことでもあります。

さらに同書で、邪馬壱国=邪馬台国が福岡平野にあったって主張しています。簡単にいうと里程が徐々に短くなる、これは目的地に近づくにしたがい行程を詳しく述べるという当たり前のことと合致する、なのでその後の投馬国と邪馬台国までの日数の行程は無く、国と国とが隣接=行程0里だったので省略されたのだ、不弥国と投馬国と邪馬台国はくっつきあって共に福岡平野にあったのだ。という主張です。

まぁここまでは、納得できるのですが、そのあとに1万2000里の数あわせをするために、対馬と壱岐を方○○里をひし形2辺に相当する距離の移動だったと言ったり、韓国内は陸をじぐざぐに移動したなどと言ったりと、どんどん支離滅裂になっていったのを覚えています。


話を(吉田氏から離れて)国の名前に戻しますが、上記のとおり昔から邪馬壱国の記述も邪馬台国の読みもよく知られていました。(大体にして西暦300年くらいからある中国の正史の1つというこの世でも最もよく知られていた書物の1つなので、知らないほうがもぐりなわけです。)

邪馬台国をヤマタイ国と読み始めたのは非常に最近で、確か明治以降、というか近年の邪馬台国論争の白鳥庫吉さんだったかな邪馬台をヤマトと読むと畿内ヤマトと紛らわしいとして、わざとヤマタイと読んだのが始めだったと思います。このあたりは化学をバケ学と読むような感覚で個人的には悪くないのですが、このヤマタイの読み方が意外にも広まってびっくりしたのではないでしょうか。


ということで、邪馬台国の読みはヤマト国と読むのが妥当で、邪馬壱国ではない。でしょう。

なお5世紀ころの日本人も邪馬台国を”正しく”ヤマト国と読み、かの中華帝国では倭(和)の国のその王が居るところをヤマトと呼んでいると知り、自分たちの居るところをヤマトと呼ぶようになったのが畿内ヤマト王権、というのが私の持論ですw
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
やはり名前の違いは所在地選定のみのキーということでしょうか。
何処にあっても魏から見た倭国の政治機構や文化交流は同じですよね。ヤマトって九州にもあるし。
余談ですが、自分は『邪馬台国なるクニ』がどこにあってもおかしくないと思っていますが、纏向遺跡の全容を目の当たりにすると『邪馬台国奈良県説』が逆に疑問です。東夷伝の記述をはるかに越えちゃってます。本居宣長説あたりが実は正しいのかななどと思ってしまいます。

お礼日時:2014/10/13 22:05

お礼ありがとうございます。



>「東北の八幡平はヤマタイと読める」
その小説は、私も別の話が面白かったので読んだ記憶があります。
ちなみにそれら読みのこじつけをまとめてあざ笑ったものに邪馬台国エジプト説というのがありますね。

>後の筑紫大王磐井は邪馬台国(邪馬壱国)の正当な末裔だったりして
いえ、あれは南の狗奴国の末裔でしょう。邪馬台国は魏に窮状を訴えて支援を願っています(かなっていませんが)。魏志倭人伝に書かれているのが3世紀後半ですが、日本書紀などに書かれている九州平定がおおよそ4世紀始め~中なのを考えて、その数十年の間に狗奴国に敗れて邪馬台国は消滅した、と私は考えています。

少し話がそれましたが、『読み』の話でしたら書きのサイトが役に立つと思います。「卑弥呼の謎」のリンクを辿ると、興味深い話が読めると思います。
http://homepage3.nifty.com/rosetta_stone/wissens …


邪馬台国の話などあまりする機会がないので、嬉しくなってつい沢山書き込んでしまっていますが、魏志倭人伝で分からないことがあれば出来るだけ答えようと思いますので、質問してください。まぁ私の自説はあまり一般に広まっているとはいえないですが、面白いネタも少しは持っているつもりです。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。お話は尽きませんが、質問させていただきました趣旨からそれてしまいますので、またの機会に質問させていただきます。
ヤマタイ国(ヤマイチ国)の興味は尽きませんね!

お礼日時:2014/10/15 22:24

お返事ありがとうございます。



>やはり名前の違いは所在地選定のみのキーということでしょうか。

どちらかというと、邪馬台=ヤマト=畿内ヤマト王権、という連想から邪馬台国を畿内とする畿内説に対する反論として、邪馬台の名前から安易に畿内と考えるのはどうかという意見を補強するために、邪馬台ではなく邪馬壱であり故に畿内ヤマトではないという主張を、例の古田氏はしていますね。

多くの人は、国の読みなど関係なくどこか?と考えているのが本当でしょう。

畿内ヤマト王権と邪馬台の関係に対する自論は前回の回答どおりなのですが、簡単に私の比定地を紹介しておきます。
魏志倭人伝に2回ほど魏の使いが来たことが書かれています、1度目は福岡平野経由で、2度目は佐賀平野経由で、久留米あたりの邪馬台国に行った。国名をたどると福岡平野、里程と距離は佐賀平野を指すのは良く知られていますね。里程と距離が途中で(2国分を残して)終わっているのは、佐賀平野の経路だとそこで邪馬台国に着いたからです。

まともな反論を受けたことは無いのですが、あまり賛同されてませんw シンプルな説なのですけどね。
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この回答へのお礼

重ねてご回答ありがとうございます。やはり当該著作を読むのがまず手始めとは思いますが、ひところはやった小説に「東北の八幡平はヤマタイと読める」というのがありました。なるほど漢字をどう発音するかがわかるのはカナの出現以降で、それ以前はどう読むかはどうでもこじつけできるわけですから、国名表記そのものの違いを指摘するのは、一石を投じるものかもしれませんね。
ご持論のご紹介ありがとうございます。もし九州だったら高良山麓あたりだったのかもしれませんね。後の筑紫大王磐井は邪馬台国(邪馬壱国)の正当な末裔だったりして(‥‥苦笑)

お礼日時:2014/10/14 20:53

 まずはじめに「邪馬台国はなかった」という言葉は、古田武彦氏の著作物のタイトルです。


 たんに「邪馬台国」は間違いで「邪馬壱国」が正しいという主張を聞くと、御質問文のような思いになるのは当然と言えますが、この本の主旨はそうではありません。

 現在一般には、「魏志倭人伝」に「邪馬台国」との記述があると思われていますが、現存する「魏志倭人伝」(三国志)の写本全てで「邪馬壹国」(「邪馬壱国」「邪馬一国」)と記述されています。
 しかし、この「邪馬壱国」の記述は「邪馬台国」の間違いであるとされています。
 古田は、この間違いとされている論拠を探したが、江戸時代から間違いとされているのに、ついにその論拠を見つけることができなかったので、次のように推測しました。
 過去の研究者は古代日本の王権は「やまと」にあったという先入観により、「やまと」に近い音の漢字をあてたに違いないという思い込みで、特に根拠もなく「邪馬壱国」は「邪馬台国」の間違いとしたものであろう。
 そうであれば、「やまと」にとらわれず「魏志倭人伝」をその通りに読み「卑弥呼の国」の位置を推定すべきである。
 このような態度で、「魏志倭人伝」を詳細に考察し、出土物との関連も考慮に入れ「卑弥呼の国」は福岡平野のどこかと推定しています。
 「魏志倭人伝」の読み解きは明快で、今までなぜ誰も気づかなかったのかと感嘆した覚えがあります。
 中国の史書には「邪馬台国」と記述されたものもあり、古田はそれも間違いと言っているわけではありません。その時代の中国側の事情により記述が違うのであり、その史書ごとの記述を素直に読むべきと主張しているだけです。念のため。

 「邪馬台国はなかった」を読んだのはずいぶん前で、現在手元にその本がありませんので、記憶にたよって回答しました。
 古田の説の詳細は、著作を読んで頂くのが一番であるのは言うまでもありませんので、ぜひお読みください。
 ミネルヴァ書房から復刊されています。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
古田武彦氏の名前は存じております。ズバリ書くと「邪馬台国はなかった」は著作のタイトルになってしまいますね。吉田氏のみの主張とは知りませんでした。
このような説がかなり多数の研究者に浸透しているのかと思っていました。やはり内容を読んでみることが一番ですね。

お礼日時:2014/10/13 22:14

「邪馬台国」の台の旧書体が「壹」の字に似ていることから、誤記論が生まれました。


「䑓」の文字を魏国の人達がどのように発音していたか、今では不明です。
「ト」とも読めるから邪馬台=大和とする説もあります。
方言分布などから、日本古語の源流は北九州とする説も有り、それによれば邪馬台国の所在地は北九州、が有力になります。
「ヤマタイコクはなかった」ことにすれば、魏国と古代日本との交流もなかったことになります。
所在地確定には到っていませんが、何処かにあったことは否定出来ないでしょう。
研究分野も広がり、学際的検討も深められています。
そんなに慌てて結論を出すと、建国記念日のような「トンデモ」説が、未来の研究発展を妨げます。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
ヤマタイコクがメジャーなので、この名前は間違いといわれれば、違和感ありますが、名前がどうであろうと >魏国と古代日本との交流国 は変わらないし、名前の違いに大きい意味があるのか疑問に思ったのです。

お礼日時:2014/10/13 21:36

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