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各大名家には米沢興譲館・萩明倫館・水戸弘道館・岡山閑谷黌などの藩校で藩士の子弟が学んでいたようですが、旗本・御家人の師弟はどこで勉学していたのでしょうか?

幕末になると公立の昌平坂学問所が有名ですが、それ以前はどうでしたでしょうか。

A 回答 (2件)

 旗本、御家人は自家教育プラス私塾ですね。


 まず自分の家で読み書きできるようにします。
 武士の勤務時間は短いですから、余暇に当主が直接子弟を教える場合もあれば、家来にやらせることもあったでしょう。
 旗本家に伝わる家訓をしっかりと教え込みます。
 浪人や儒者が開く私塾(漢学、国学)へ子弟を通わせます。大身の旗本であれば、儒者を招くということもあったようです。
 私塾は細井平洲の嚶鳴館 のような有名なもののほかにも、数はかなりあったと思います。
 女子は学問よりも行儀作法が主でしょうから、ほとんど自家教育だと思います。
 
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この回答へのお礼

自宅での教育プラス私塾だったのですね。
貧乏御家人だと塾へやるのも大変だったのでしょうね。

ありがとうございました!

お礼日時:2007/03/07 08:00

林羅山が幕府の学問を仕切っていましたから、林家の孔子廟(先聖殿)を、5代綱吉が上野忍が岡に移して、湯島聖堂となり、寛政9年にそれを幕府が吸収して、昌平坂学問所としています。


分校として、甲府の徽典館と駿府の明新館というものもありますけど。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
大半の旗本・御家人の子弟が孔子廟・湯島聖堂で学んでいたということでしょうか?

お礼日時:2007/03/06 14:03

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