プロが教えるわが家の防犯対策術!

前の職場でのことです。
急な転勤で定員からマイナス1人となってしまったので、仕事をみんなで手分けしてやろうということになり、担当替えがありました。
私は「みんなで」という言葉を「均等に仕事を配分する」と解釈していました。
そもそも、ここが甘かったのですが・・・
現実は、私の所に給与管理と科内庶務という2人分の仕事が。
自分が休めば人様の給料に影響が(例えば、今月からもらえるはずの手当てが1ヶ月遅れるといったような)そして科内の業務に支障が出ます。
なので、「迷惑をかけちゃいかん」という気持ちだけで仕事をしていました。
それが当たり前だと思っていたので。

先日、10年来の親友とひょんなことからその話になりました。
「なんであんなに仕事をしていたのか」
と聞かれたので、その旨を話したのです。
すると「それは偽善」と返ってきました。
「しょうもない仕事のシステムだなーとは思っていたけど・・・」
8年勤めた職場で学んだこと、親友から見れば「しょうもないこと」なんだそうです。

前の職場で倒れるくらいきつい思いをしていたので、今の職場で自分が仕事を手伝っている人が夜中まで仕事をしていると知り、「自分にできることがあれば言ってください」と伝えました。
どうやら、そのことも偽善だと言いたいようなのです。
でしゃばり、かっこつけ、良く思われたい、その程度だと。

しかし、それはたとえ無意識であっても「偽善」なのでしょうか?
当たり前のことだと思っていたのに・・・。
が、自分だけで考えていては「違う」という答えしか出ません。
良く評価してくれなくていいから、悪くとるなよとしか思えないでいます。
そこには、なんの見栄も外聞もないので。

長くなってしまって申し訳ないのですが、みなさんの意見を聞かせてください。

A 回答 (19件中1~10件)

私だったら人のためには働かない・・・口ではそういうけどホントはそんな事しない。

だってやりますなんていったらどこまでおしつけられるかわかんないから大変そうな事をまかされそうになったら「できなーい」っていって逃げるよう心がけてます。
そして自分のためによりよい仕事を求めて活動します。

友達は仲良しの子だからきっとあなたの事考えて、自分を犠牲にするのはよくないっていってるんですよ。一人一人が自分の事を大切に考え、犠牲にならないように物事を作り上げればそれが皆によい結果をもたらす事になる・・・とか
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
根本的に感覚が違うのですが、私は人のために働いてるという気は毛頭ないんですよ。
それをして当たり前の世界なんです。
はたから見れば、犠牲に見えるかもしれません。
でも、私は自分が犠牲になってるとは思っていない。
仲良しだったら、もう少し「言葉」を選んで欲しかったのかもしれません。
今までやってきたことを、否定するような言葉じゃなくてね。
「どこまでおしつけられるかわかんない」
そうなのかもしれませんが、そういう見方をしたことがないんですよ。
何日も家に帰れずに、睡眠もろくにとれない。
前職での私と同じような状況です。
その時きつい思いをしたからこそ、だからこそ自分が手伝うことで少しでも楽になれば、そう思った故の行動なんですよ。

自分で選んでやってるのに、「私は犠牲になった」という感情は、被害妄想ですよね。

お礼日時:2002/06/06 19:37

うちの兄もそういうタイプです。


私もよく身体が心配で、「頑張りすぎだよ~」など言いますが、
本人は、やらずにいられないみたいです。

偽善っていう言葉が出てくるのは、さすがに悲しいですね。
私は、ちょっと言葉使うところが間違ってる気がします。

自分がもっと役に立ちたいとか、迷惑かけないようにしたいとか
手伝いたいとかそういう気持ちは、純粋にあるものだと思っています。
私は、そういう人たちに助けられた事も多いので。
ただ、私はよっぽどじゃなければ、自分の身体を壊してまで働くということは
しないです。会社も大事だけど、自分と家族の方がもっと大事だから。

そういう意味で、兄にはそこまで身を粉にして働いても、身体壊したら
元も子もないんだよ。っていう言い方はよくします。
お友達も言い方は?だけど、そういう意味を含んだ上の言葉だったのかと
思えなくもないです。

私は偽善とは思いませんが、偽善でも何でも会社の為にそこまで働けるとしたら、
それはそれですごいと思います。私は、偽善だけではそこまで出来ないです。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
身を粉にして・・・とか、頑張りすぎとか分からないくらいに仕事に追われてました。
体育会系で、見た目もかなり頑丈に見えるので、誰も気付かなかったし。
ごくごく自然にやってたことだったので、当たり前だと思ってたんですね。
体を壊したら元も子もない、確かにそうなんですけど、あるものは片付けないといけないわけです。
今思えば、私が休めば誰かが変わりにしたのでしょうが、その頃の私には、「みんな同じくらい(能力に合った)量の仕事をしているのだから、自分もできるだけのことはしたい」って考えだったんですね。
いろんな意味を含んでいた「偽善」かもしれませんが、その言葉が出てきたこと自体が傷となったんですね。
自分ももちろん大事でしたけど、自分大事さのために他人様に迷惑はかけたくなかったわけです。
うまく表現できませんが・・・

お礼日時:2002/06/05 01:12

また来ちゃった。

この話、興味深いもので。
お友達は、他人の手伝いを進んでするという行動を
「認めてあげるわけにはいかない」なんらかの個人的理由がありそうですね。
ニュートラルな立場でいられるなら、あなたの話をきいて、
「ねー、それって損じゃない?」とか、「大変だね、よくやるねえ」って
なかば感心、なかば呆れ顔でいうところじゃないですか?

それを一歩踏み込んで、「偽善」「しょーもない」まで否定しなきゃいけない
というのは、彼女の都合です。
どういうことが考えられるかな。
・自分もかつて「よかれ」と思って似た行為をしたが、その結果
 ひとに利用されただけだったり、かえって嫌われたりした過去がある。
・彼女は、人から厚意を受けたら返さなきゃと思う性質で、
 自分が手伝ってもらう側だとしたら気が重くて嫌だと思った。
 特に、「見返りは期待してない」という相手には、
 具体的にお返しができず自分の立場が下になるような意識があって、嫌い。
・自分が手伝いをするとしたら当然見返りを期待する。
 そして、誰もがそのように思うべきで、そうやってまわっている
 世の中こそが最善の状態と感じている。
 そうでない行動を取る人を見ると自分の思い通りになっていないことに
 いらいらする。

こんなとこじゃないですかね。
10年来の友達、というのなら、その見解の違いを「違うね」と思うまま、
互いに認識しあって楽しむこともできるかも。
お互いの世界観を客観視できて、きっとおもしろいと思います。
もういちど、話題にしてみたら?
ただ、そのことで感情的になったり、かたくなに片方が主張を曲げず
相手にも同じように思ってもらわないことには納まらない、なんてことになる
恐れもありますね。
付き合い方を見直すいい機会かもしれません。
あなたの気力があるなら、話し合ってみるのが一番。
でも、今はそんな元気ないと思うなら、ほっといて、つきあいも薄めにしておく
のがいいと思います。
長くなっちゃいました。おじゃましました。
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この回答へのお礼

こんにちわ。
2度も来ていただいて、ありがとうございます。

mimosa2001さんの2つ目の意見が親友の心理に近いかもしれません。
親戚も友達もいない土地に一人で飛び出した親友は、メンタルダウンすることがけっこうありました。
昔はお金も時間もあったので、よく飛行機で会いに行ってました。
私としては、親友がダウンしているので、一緒に食事したりカラオケ行ったり、とことん話したりするために行くわけです。
親友に会うことが目的なんですね。
でも、親友は私が行くと言えば、あおそこに連れて行こうかここに連れて行こうかと考えるそうです。
おととしぐらいから、ようやく観光させることを考えなくなったようですが・・・。

「会うことが目的」という私の気持ちが、親友は理解できないと言っていました。
私と親友はカッコ良く言えば「動と静」言い方を変えれば、「あわてんぼうとまったり屋」なんです。(私は後者)
バランスは取れていると思うのですが・・・。
親友も恋人とわかれたばかりなので、話し合うのは今は避けたほうがいいかも。
でも参考になります。
何度でも、意見を聞かせてください。

お礼日時:2002/06/01 14:04

やっぱり、自分を理解してくれていると思った10年来の親友から「偽善者」と言われたのが一番悲しかったんでしょうね。



その悲しませた「偽善者」という言葉が、「言葉の意味」よりもあなたの「心に与えた傷」が深く重たかったのではないですか?それで「偽善者」という言葉にひっかかっている、あなたを感じます。

最近思うのは「人間は知識過剰になりすぎると批判的になりやすい」ということです。

その親友の「言葉」と「行動」を観察して下さい。「言葉」だけで「行動」のない人だったら、つまり批判的なことを言いつつ何も手伝ってくれない人ならば無視していいんです。しかし、批判的でも何か手伝ってくれる人ならば、その人の言葉には一理あるので、耳を傾ける価値があります。私はそう思います。

行動の伴わない「言葉」には心がないんです。
誰かが「善意」というともし火であたりを明るくしようとすると吹き消そうとする人が必ずでてきます。しかし、一所懸命何かをしていれば見ている人は見ているんです。そして心ある誰かが必ず助けてくれます。その心ある誰かがあなただったんでしょうね。
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この回答へのお礼

こんにちわ。
確かに、10年も親友として付き合ってきて、「偽善」という言葉だったのが悲しかったのはあります。
でもそれは、「当然自分を理解してくれている」という私のエゴでしかなかったんだと思います。
親友とは、9年近く離れています。
なので、普段どうしているかということはあまり見えないのです。
ただ、派遣社員として働いているからか、よく上司に直談判しにいってるようです。
それだけ、扱いがひどいみたいなんですよね。
何かをしたら、それだけ何かが返ってくる。
それがなかったり、理不尽だと思ったらものすごく攻撃的になります。
そのへんも何か関係あるかもしれませんね。

お礼日時:2002/06/01 13:49

正直例え偽善だとしても悪いことしてるんじゃないからいいと思いますけどね~


私は自分を助けてくれるなら偽善でもいいからやってくれ~って感じです(笑)
むしろ偽善者増えてくれ~偽善者万歳ですw
まぁそれはともかく
その友達は気持ちとかじゃなくて人を助ける行為自体を偽善といってる感じがしますね~
要するに自分が損することをした時点で偽善だと。
どの道悪いことしてるんじゃないから気にせずに
自分の思ったとおりにすればいいのではないでしょうか。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
人を助けることを・・・確かにそう思っているかもしれません。
親友はよく、「自分のことでいっぱいいっぱい」と言ってますから。
そうですね、悪いことでは、ないんですよね。

お礼日時:2002/05/31 20:49

人の為にする善と書くと「偽善」になります。

(たぶん誰かが言っていたと思う。)
なんと言われようと、やらないよりいいと思います。
自意識が過剰になると、偽善という考えにとらわれますので気にしないようにしましょう。
何かに気づいて、やったほうがいいと感じたら、やったほうが言いと思います。そのほうがシンプルで気が楽でしょ。
仕事については、周りの人の様子が判るくらいに余裕を持ってやったほうがいいと思います。自分で抱え込むより周りの人にふったほうがいい場合も沢山ありますよ。(これは私にもいえるのですが、自戒)
大変なときは上司に助けを求めましょう。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
私は、「○○のため」という言葉がどうも好きになれません。
使ったこともないです。
だから、他人から「偽善」と思われることも当然のこととしてやってしまうのかもしれませんね。
やったほうがいいと感じたらやる。
ものすごくシンプルですが、こんなに正直なことはないですね。

お礼日時:2002/05/31 20:48

彼女の見解でしょう。


「彼女が、あなたの取った行動をするようなことがある場合、
それは偽善である」
という意味しかないと思います。

彼女から見たら、そんな労働は無駄だと思うのかも。
あなたにしてみたら、その苦労がまわりまわって自分の得になると
思えたからしたのでしょう。考え方の方向や範囲が違うだけだと思います。

あなたの行動はあなたの判断でしたことであって、
それが他人からどう見えようと、そのときのあなたの判断の根拠が
自分で間違っていなかったと思うなら、何も悔やまなくていいと思います。
あなたが当時をふりかえってその判断を間違っていたと思うにしても、
これからの参考にすればいいことで、当時としてのベストをつくしていたのなら
それ以上自分を悪く思うことはないでしょう。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
自分でいいことをしているという意識は本当にないので、まわりまわって・・・というのは考えたことないですね・・・。
でも、その時の自分の判断は間違っていなかったと思います。
悔やむことは、ないんですよね。

お礼日時:2002/05/31 20:44

偽善だろうが善意だろうが、やらない人間よりはいいと思います。



本当に助けを必要とする人にしてみれば、助けてもらえることが大事であって、気持ちは二の次です。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
そうですね、私が逆の立場だったら、偽善でもいいから手伝ってくれ!って思ったでしょう。
やらない人間よりはいい、本当にそうですね。

お礼日時:2002/05/31 20:42

世の中いろんな考えの人がいます。


仕事を生き甲斐とする人は、それこそ残業代がビタ一文出なくても毎日遅くまで残業するでしょうし、そうでない人は周りが忙しくてもさっさと定時で帰るでしょう。
仕事に対する価値観や捉え方は特に違いが現れるような気がします。

あくまでも推測ですが、あなたの友人は価値観(スタンスも含めて)が根本的に違っていた上に、その話の中で”それがあるべき姿でしょ?”と捉えてしまったのでは?

また、仮に友人の職場の上司が残業好きで、そのお付き合いさせられてたとか、残業代なしで深夜まで働かされ、残業そのものに嫌悪感をもっているのであれば、なおさらあなたの行動を否定するのではないかと思いますし。

余談ですが、私の以前勤めていた会社は、繁盛しているから残業するのではなく、無理・無駄が一向に改善されないがための残業でした(当然サービス残業)
当時は必死でしたから何とも思わなかったんですが、今思うとまったく何やってたんだか・・・と自分でも呆れてます。

こういった先入観があると、また他人の残業話も見方も変わってくるかもしれませんね。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
そうですね、そう捉えてしまったのかもしれませんね。
私はそれが当然だということを前提に話してますからね。
そういえば、親友はけっこう他人のミスが原因で残業させられてましたから、先入観があるかもしれませんね。

お礼日時:2002/05/31 20:41

返答ありがとうございます。

 正直、ガンガン反論され、「お前に何がわかるか!?」的な返答を予測してました。私の想像とは違っていたんですね。でも友人ももしかしたら、あなたが言うように私同様の感じ方をしていたのかもしれませんよ。
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この回答へのお礼

わざわざありがとうございます。
反論するなら、k nagiさんの言われるように、いい評価を得たいだけですから。
ガンガン反論されるのを予測されてたのなら、「ひざかっくん」されたような反応だったでしょう?

おそらく、同じように感じているのだと思います。
まぁ、本人に聞いてみないと分からないですけどね。
gongon009さんの意見はとても貴重ですよ。
かなりヒントになりましたから。

お礼日時:2002/05/31 02:47

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