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この正月にみんなが初詣に行っているテレビを見ていて疑問に思ったんですけど、日本人は仏教なのになぜ神社へ行くんだろうか?と思い始めてから、いろいろな疑問が浮かびました。そもそもの神社の神様って言うのは何なんでしょうか? 誰が? いつ頃から発生して、どのように発展していったのでしょうか? 昔の戦国時代の歴史では、戦の前には神社の神様に祈願したそうですが、戦国の武将は神様を信仰していたんでしょうか? 友達に聞くと、神様を信じるしんとうは葬式をしないと言ってましたが、それでは、織田信長はお父さんが亡くなった時は葬式をしている(たぶん仏教)にもかかわらず、戦の前は確か熱田神宮に必勝祈願をしていますが、そのころの神社と仏教の関係はどうだったんでしょう。今でも、結婚式は神社の神様で、亡くなった時は寺で葬式をしていますが、何か変ですよね。信長の時代にも、現代のような使い分けをしていたんでしょうか? 神様の起源から現在にいたった変遷と仏教が混ざったような状態にどうしてなったのかがしりたいのですが、どなたか、教えてください。
断片的なことでも結構ですし、書籍やホームページの紹介でも結構ですのでよろしくお願いします。

A 回答 (12件中1~10件)

私の推測なんですが・・・


神道(神社)の祭神は、力を与えてくれる(貸してくれる)もの、
仏教(寺閣)の御仏は、導いてくれるもの、
という役割分担があったのではないでしょうか?
かかれておられるとおり、信長が必勝を祈願した熱田神宮の祭神はスサノオノミコトだったと思います。スサノオは、日本神話の怪力最強(暴れん坊)の神様です。
上杉謙信も、毘沙門天を祭り、自ら「毘沙門天の化身」といったそうです。
つまり、スサノオや毘沙門天の力を借りるというゲンかつぎの側面もあったのではないでしょうか?もちろん、それは家臣や領民に対するアピールの意味も会ったはず。
仏教は、一向一揆に代表されるように、「念仏を唱えていれば極楽へいける」という現在と未来(死後)へ導いて、死んで以後も苦しまない為のものといえます。
当時はいつ死んでもおかしくない時代でしたから、こういう心の安らぎが必要だったのではないでしょうか。
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この回答へのお礼

早速、ありがとうございます。
確かに、人間って所詮こころが弱いのかもしれませんねぇ。不安定な時代こそ宗教にのめりこむ要素があったのでしょうか? 毘沙門天はよくわかんないですけど、スサノウノミコトは生存したときから神様だったのですか?それとも死んでから? とても生存しているときからとは思えないんですが、もしかしてオウムとかと同じようなもの?

お礼日時:2001/01/16 20:37

全部には答えられませんが…(長いです。



まず
> 日本人は仏教なのになぜ神社へ行くんだろうか?
ですが、日本人が皆仏教徒なわけではありません。むしろ、今の日本人の(特に戦後生まれ以降の世代)大多数は実質的に無宗教といわれています。
ではなぜ神社に行くのか。それは、慣習だからです。(みんなが行くから。)
行事だけみれば、
初詣、安産祈願、合格祈願、神前結婚式など:神道行事
お盆、お寺での葬式など:仏教行事
クリスマス、チャペルウェディングなど:キリスト教行事
と、いろいろな宗教の行事が慣習になっているのがわかります。
複数宗教の行事が慣習になっているため、逆に特定宗教への関心が起こりにくく、結果、慣習だけの行事には見境なく参加するが、精神的な支えとしての実質的な宗教という点では、日本人の多くが無宗教になってしまった。というところでしょう。

> 神社の神様って言うのは何なんでしょうか?
神社によって異なります。天照大神だったり、大国主命だったり、スサノオノミコトだったり…はたまたお稲荷さんだったりもします。
このあたり、詳しくはホームページや書籍を探してみてください。
ちなみに、お寺だって、それぞれで祭ってある仏様は違いますよ。釈尊だったり、観世音菩薩だったり、弥勒菩薩だったり…

> 誰が? いつ頃から発生して、どのように発展していったのでしょうか? 
確か大和朝廷が成立した紀元5世紀ころから、存在の確認できる天皇一族が歴史に登場します。で、この天皇家の系図に関して、日本最古の書籍である「古事記」「日本書紀」などに書かれているのですが、そこで初代天皇「神武天皇」は神の子孫として書かれています。有名な大和武尊(やまとたけるのみこと)とヤマタノオロチの話しなど含め、日本神話の誕生です(厳密には書籍に書かれる前から伝承されていたわけですが、それがいつからなのかは、これら書籍がわが国最初の書籍である以上、文献を通しては確認できません)。
この神々を奉ったのが神社になります。
大和朝廷の拡大に伴って神話は全国に広がっていったと考えられます。

戦国時代のことには詳しくないので答えられませんが、恐らくその頃にはすでに、神道と仏教がごっちゃになって信仰されていたと思います。

余談ですが、古代(奈良か平安あたりだったかな?自信なし)に、当時の政府および宗教関係者が「神道の天照大神(神様のトップ)と仏教の大日如来(仏様のトップ)は実は同じ神仏の別の呼び名だったのだ!」と、神道と仏教を強引にくっつけようとする運動をしていました。
思うにこのころから、日本人のなかで少しずつ神道と仏教の区別が無くなっていったのだと思います。

その後、例えば明治維新の際「廃仏毀釈」運動により、仏教の市民権が奪われたりしましたが、すぐに撤回され、以降神仏とも、さらにはキリストも市民権を得、結果宗教行事が慣習として残ることになりました。
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この回答へのお礼

早速のお返事ありがとうございます。
grypsさんが言うように安土桃山時代より前は仏教による百姓一揆が多発していたと聞きます。秀吉時代が終わって家康の時には鎖国してキリスト教を弾圧したと思うんですが、そのため、江戸時代が終わって(多分江戸時代はみな仏教?)戦後までに、なぜ仏教は廃ってしまったのでしょうか?

お礼日時:2001/01/16 20:47

徳川時代末期までは神仏一体といって神道と仏教は切り離せないものでした。

ところが明治になると(1868年)明治政府は天皇制に重きを置いた政策のひとつとして神道国教化、祭政一致を目指して神道と仏教を分離しようとしたのです。
神仏分離については下記URLを参照して下さい。

参考URL:http://web.kyoto-inet.or.jp/people/tsuka/theme/s …
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この回答へのお礼

今の時代になって、神仏一体化という理論はわかりますが、今でも宗教戦争があるように、当時の人は、それぞれの宗派の人は納得できたのでしょうか?

お礼日時:2001/01/16 20:52

現代人は無宗教といわれていますが、実際、日本人の多くは、神道とみてもおかしくありません。

と、いうのは、遠い昔から日本は八百万の神がいる多神教の国です。その神の中には、仏教の仏様もキリスト教のイエス様も含まれます。
 家族でありながら、~の茶碗、箸、と区別しているのは、やはりそこにその人の洗っても落ちない何かがこもると思うからです。日本人ならたいてい、そう思うはずです。それは、すでに神道的な考えです。
 何となく日本人が仏教と思ってしまうのは、お葬式を仏式で行うことが多いからでしょう。しかし、神道のお葬式もあります。神道の総元締めでいらっしゃる天皇家もちゃんと、お葬式をなさっていますよね。もちろん神前結婚同様、仏前結婚もあります。
 戦国武将の戦勝祈願ですが、戦上手の武将といえど、戦は時の運なのです。ですから、より強い戦の神(もちろん仏様の場合もあるでしょう)を守護神として、つまり、味方につけて戦うのです。現代の受験も同じです。
 キリスト教のような一神教からすれば、日本はいいかげんに見えるかもしれません。「名も知らぬ遠き島より流れよる椰子のみひとつ・・・」と、歌われるように、島国日本はいろんなもの(者・物・霊など)が海のかなたから流れ着き、それを受け入れる風土が太古からあるのです。言い換えれば、それだけいろんなものを受け入れ、吸収し、日本の風土にあった形にかえ、発展させていくパワーに満ちた国ともいえるでしょう。この精神が世界でトップをいく日本企業に満ち溢れていますよね。
 あと、余談ですが、神社の祭神の系譜を調べるとおもしろいですよ。
 
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この回答へのお礼

ekuboありがとうございます。茶碗と箸の件からすると、日本人の心は基本は神様信仰のような気がします。もともと、日本人は心が弱いのかご都合主義なのか?その時々で自分の都合のいい宗教に寄り添っていってるような気がします。みなさんの回答でなんとなくわかりかけてきましたが、いまだわかんないのが、grypsさんのとこで書き込みした件ですが、もともと、生の人間が、どうやって神になっていったかの経過かがわかりません。私の幼馴染に寺の子がいたんですが、一緒にいたずらしていたころを思うと、
大人になって急に坊さんになって、説教する言葉にどうも重みが感じられなくて、困っています。織田信長も自分を神様と思ってたらしいですが、同時代に生きていた人がその人を神と思うにはどうも納得いきません。没後、神になったとしても、誰がどうやって神になったんでしょうか?
教えてください。

お礼日時:2001/01/16 21:09

 織田信長は生きながらにして神になろうとしたようですが、一般的には、死んでからでしょう。

人が神になるには、生前、何かしら他の人とは違う能力を持っていたことが必須でしょう。そんな人の魂は、より強い力を持っています。よって、亡くなったあと、丁寧におまつりすれば、幸福をもたらしてくれます。逆に粗末にあつかうと、祟り(日照り、大雨、地震、噴火、雷、病気など)がおこります。
 天神様こと菅原道真は、無実の罪で大宰府に左遷され、悲嘆のうちに、その地で亡くなりました。道真が亡くなったあと、天変地異が続き、彼を落とし入れた一派が次々と変死します。これは道真の祟りだとされ、彼の魂を鎮めるため、神として祀られるにいたりました。(彼の怨念は、落雷となって現れたので天神様とされました。)

 < 友達のお坊さんがありがたく感じない > に、ついて
 一昔前、お坊さんは、籠に乗って行き来し、人前には、めったに姿を見せませんでした。そこには、神秘性があり、ありがたみも感じられたのです。今のように、袈裟をそよがせながらスクーターに乗って、なんてありえなかったのです。
 なぜか。
 それは戦後の農地改革で、大地主だった僧侶も土地を没収され、経済的基盤を奪われたことがあげられます。お坊さんも働かねばならない。小さい寺なら余計に。よって、人前に姿を出す機会が増える。人間臭くなる。神秘性がなくなる。ありがたみがなくなる。jun1072さんもお友達の私生活を見てしまうから、ありがたみを感じないのでしょう。
 農地改革は、日本人から信仰心を奪うJHQの作戦だという説もあります。

 また、何か疑問がありましたら、どうぞ。
 
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この回答へのお礼

私は、もともとは理科系で文科系のことはぜんぜんわかんない理系馬鹿ですが、ekuboさんはじめ、皆さんの奥深い回答をいただいて大変勉強になります。1つの疑問にいただいた回答から、さらに疑問が出てきて、どんどん疑問が膨らんできています。確かにお坊さんなりの私生活を見てしまうから余計そう感じているように思えます。本質問には関係ないですけれど、葬式での読経をテープレコーダーで流し、1口何千円以上の寄付金集めとか、謝礼の額によって戒命の長さが違うとかの(一種の阿弥陀も銭で光る)ことで、宗教ってこれでいいの?と思うのは私だけでしようか?
又、ekuboさんに質問なんですが、神になるには生前他の人とは違った能力を持った人だそうですが、今から500年後の2500年ぐらいに神になる人って、近代のどんな人でしょうか?

お礼日時:2001/01/17 22:26

 まず、日本が仏教になったのは奈良時代に仏教で国を統治したことから始まるのではないでしょうか。

東大寺・国分寺などつくり写経をして仏典を広めました。
 その後は中国で流行の宗派が次々と伝わってきました。平安時代は密教、室町戦国時代は禅宗と真宗、それに別ルートでキリスト教。いづれにしても日本人好みにアレンジして信仰しました。
 江戸時代はキリスト教を禁止して寺に戸籍管理をさせていました。国の統治は儒教を使いました。これも都合のよい解釈で。
 明治になって、西洋文化をとり入れるためキリスト教解禁、転居の自由などの為戸籍は役場管理、というような具合で仏教がすたれるのは当然?

仏教の特徴は前世・現世・来世がつながっているという発想です。善いことをしても悪いことをしても死んだらお終いというのではありません。

 神社の神様は日本人の先祖崇拝です。仏教伝来以前、日本のはじめからです。自然の中に充ちているエネルギーというか神々しさというか・・・拍手や太鼓の音に静寂とエネルギーを感じたことがありませんか?・・・自然崇拝であり、清潔好きが特徴です。

 死んで神になる人は生きている時生き神様といわれるような人です。死んで仏になるような人は生き仏と言われるような人です。仏教では生前得度ということも行われます。死ななきゃ仏になれない人は死んでも仏になれないかも・・・この辺の解釈が宗派の違い?
 スサノウは生きている時からアラブル神だったわけで死んで神になったのではないはずです。(悪人でも強いという点で称えられます。これが悪人と善人とを区別する諸外国と違うところ。)
 古事記を読んでみてください。目くそ、鼻くそ・・・みな*ノミコトという名になってすべて神です。目に見えるもの肌に感じるものすべて神です。これを八百万の神と称します。
・・・あなたも私も犬も猫もノミもしらみも無生物も・・・現状のままで皆神様です。ありがたいことです。?!
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この回答へのお礼

cotikuさんの回答で仏教と神道の違いが見えてきたような気がします。戸籍管理がなくなったので仏教が衰退したのですか・・・でも、逆にいうと戸籍管理がなかったらそもそも仏教が浸透してなかったのでしょうか?つまり、やはり日本人はもともと神様中心の無宗教?となるのは変です?

お礼日時:2001/01/17 22:36

訂正


うっかり書き間違えました。禅宗と同時くらいに伝わったのは浄土宗です。真宗は浄土宗の一派で国産です。(禅宗は僧を大切にするカウンセリングタイプ。浄土宗は仏像をまつる他力本願。自分の力を頼ることも、仏にすがることも両方必要なのでしょう。)

追加
>その時々で自分の都合のいい宗教に寄り添っていってるような気がします。
 そのとおり。
初詣に行って懺悔したり正しく生きることを誓ったりしませんよね。たいていよい年でありますように・・・呪術的なものではないですか。道徳的なことは輸入思想を使っています。また、神道で政治すると占い師みたいなのが主体になるのではないでしょうか。卑弥呼とか・・・。そこで祭は神道、教と政は輸入。
政教分離なんて言葉もありますが、中心思想のない政治は珍しいのではないでしょうか。宗教戦争は政治権力や経済力と結びついているからおこるので、天皇制や神社があり、輸入した政治学で政治をし、儒教や仏教経典を国民道徳にしていたのでは宗教戦争にならないでしょう。それぞれのテリトリーが違うのですから。日本は宗教を輸入しても都合のよいところだけしか使いませんね。儒教や仏教が流行らなくなって今「教」が手薄ですが、日本語や伝統文化を教えるそうですから、そこに伝わる「道」などが復活するかも。
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この回答へのお礼

溺れる者は藁をもつかむ・・・というように溺れてる人は藁が神様なんでしょうか?皆さんの回答をいただいて考えるに、日本人は基本は神様主義のような気がしてきました。
仏教を信じているのではなく、仏教という名の神様を信じているような感じ?この解釈は変でしょうか?

お礼日時:2001/01/17 22:44

 話題が深みをおびて、方向性が見えてきたように思います。


<500年後、神になる人は?>
 いろんな考え方があるでしょう。
 例えば、八百万の神、先祖崇拝(cotikuさん参照)などの立場をとれば、すべて神になれるわけです。
 私が思うところをお話します。これが、すべてではありません。1つの考えとして聞いてくださいね。
 <神になろうとする人>は、オカルト教団が問題になっている今日、とても重大な問いかけです。人が死ぬと、その人に対する思いは、時間の経過とともに急激に変化します。憎しみはいつしか薄れ、忘れ去り、なつかしさ・いとおしさがつのります。これは、テレビなどのマスコミの風潮にも表れていますよね。スキャンダルでたたくだけたたいておいて、亡くなると途端に英雄視する風潮。
 今、塀の中にいる教団の教祖が、死刑となった時のことを考えてください。信者の教祖への思いは、つのり、英雄視どころではありません。生前の彼の俗っぽさは忘れさられ、神秘性が増し、神聖視され、ついには、神とされるのです。人に死を宣告することはそれほどに重大な事件なのです。余談ですが、イエス様やお釈迦様の生前の受難話や奇跡ともいえる偉大なお話は、今にも伝わっていますが、(信者のみなさん、ごめんなさい!!)彼らの排泄話なんて聞いたことないです。
 さて、本題です。
 卑弥呼の時代、人は、未知なることがとても多くありました。卑弥呼が予言した内容も現代では、ごく当たり前のことだったりするでしょう。「明日、太陽をなくす。」と予言しても、現代人は、「あぁ、日蝕か」といった感じですよね。
 オリンピックでものすごい記録を出したとしてもそれは、~m、~秒と測定器で測れる範囲内のことで、その道では評価は受けても、けっして彼は神・アキレスとはなれないのです。
 この先、500年の間に、生前・死後に関わらず、数値では測れないような、予測不可能な衝撃的な奇跡(予言)を起こす人が現れるか。その奇跡がたくさんの人の共感をさそうか。そして、その人の死が悲劇的あるいは神秘的であるか。といったところにあるのかな、と思います。わけのわからないこと、という点では、今も昔も同じです。
 科学技術の進歩、集団の個別化が進む今日、小粒の神は現れても、イエス様やお釈迦様のような大きな存在はむずかしいでしょうね。
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この回答へのお礼

なるほどそうですよねぇ・・
以前聞いてたことを思い出したんですけれど、テルアビル空港での犯人である岡本公三を死刑にしないのも、アラブ人の神とならないようにするためではないか、という話でした。(?)
 今回は大変勉強になりました。
ekuboさんはじめ、cotikuさん方々の貴重な意見ありがとうございました。

お礼日時:2001/01/20 09:37

私見ながらに……。



仏教の根本は「山川草木悉皆成仏」です。山も川も、草も木も、あなたも私も、すべて仏さんなのですよ、あるいは仏が宿っているのですよ、という考え方です。私はそれを多神教と言い換えたくはないのですが、要するに、みんなが神さまであり、仏さまなのです。

ところがこの考え方は、自国の民を思うがままに操りたい為政者にとっては、極めて都合の悪いものですよね。「オレは神なんだ。従って、おまえたちの支配者であり、絶対者であるんだ。文句を言わず、オレに従え。従わぬ者は、オレという神の名において殺してしまうぞ」というふうにしたほうが、国を治めやすいものですから。同じような意味で、「オレは古来より伝わる神の正当な後継者だ。よって、オレにはこの国を治める正当な権利がある」てなこともあるわけです。拡大解釈を許してもらえれば、錦の御旗っていうものです。ですから神道も、元々は国を治めやすくするためにつくられたもの、と言っても過言ではないでしょう。

しかし本来の神道は、森や川、湖などを神として畏れ敬うという、単なる土着信仰だったのです。現在語り継がれている神道、つまり天皇を中心とした神道は、江戸後期の学者(名前は忘れた)が解釈して作り直したもので、それが明治の為政者たちにとって極めて都合のよい内容だったから正当化され、正しい姿とされてしまったのです。
質問文にある戦国時代の武将の話でも、当時から天皇は日本国の正当な為政者だという考え方はありましたが、戦で必勝祈願を神社で行なう際、天皇が神だから云々という現在の神道は存在しませんよね。神話に登場する神々に力を授けてもらうだけでした、そのほとんどが。
江戸後期に神話と天皇を結び付けたものを神道とし、明治以降、その教育のみを強く行なったために、質問されたような数々の誤解が生まれたのかもしれませんね。

そして、ややこしさを一層加速させているのが仏教なのですが、冒頭で申し上げように、仏教ではすべてが仏さまですから。すべてが神さまなんだ、と考えれば、案外、スッと疑問が解けてきませんか。そしてその考え方が、古来、本来の神道ともマッチしやすかったし、日本人にとってはものすごく受け入れやすいものだったのです。
たとえば、明治、大正を生きたおじいちゃん、おばあちゃんから、お茶碗にご飯粒を残したときなど、「おコメを粗末にしてはなりません。ちゃんと食べなきゃ、バチが当たって目が見えなくなるよ。おコメにも仏さんが宿っているんですから」と怒られたことはありませんか。あなたのお父さん、お母さんなら、ひょっとしたら昔、そう言って怒られたことがあるかもしれません。明治、大正といえば、神道のみの時代。なのに、仏教的なことが厳然として言われ、残っていたわけです。それほど、日本人にとって仏教は親しみやすいものだったのです。日本昔話も、ほとんどが仏教の法話みたいな感じでしょう? 歴史を超え、時代を超えた存在であったわけです。

翻って、現代も同じです。クリスマスだの、神道的なものだの、何でもかんでも日本人は受け入れます。だって、すべてが神さまであり、仏さまなんだから、仏教的考え方が遺伝子にまで染みついた日本人にとっては、何の抵抗もない。よく、それは奇異なことだと言われますが、たとえば一神教のキリスト教からは、そう見えるだけ。

関係ないことを、今思い付きましたけれども、案外、神道(明治期以降)はキリスト教的に使うことも目的だったのかもしれませんね。西欧が覇権を競ったとき、未開地にはまずキリスト教の宣教師を送り込み、それを足がかりとして自国の占領軍を向かわせたという歴史を真似ようと思って。朝鮮半島などは、侵略の後先は別にして、実際そうでしたからね。これも先に述べたように、治めやすくするために。

どんどんと横道にそれそうなのですが、このことを勉強される際に注意してほしいのは、仏教は本来、すべてを仏としている、ということを前提にしてほしいということです。仏教をキリスト教のような一神教だと思うから、すべてがややこしく思ってくるのです。たしかに、日本人の考え方がキリスト教的なものだったとしたら、あなたが言われているように、神道的なものと喧嘩をしてしまいますからね。

ちょっと、支離滅裂になってしまった感が……。
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589年に仏教は百済から、渡ってきました。


(このへんは歴史の授業で習うことと思います)
その際には百済からの正式の遣いが貢ぎ物として、
釈迦像、経典等々を持ってきたのだそうです。
これは何を意味するかと言うと、仏教は伝来の時点より、
政治取り引きの道具とされていたのではないか?
という可能性を示しています。
このように、宗教を政治の道具としようとした経緯が
伝来の時点からあったかもしれず、その後には、
蘇我氏と物部氏の権力争いの道具として、政争の具とされます。
このあたりのいざこざが大化の改新へと結びつきます。
日本においては政治取り引きの道具とされたことによって、
当時の最高権力者であった天皇を守る為の宗教である、
とかいった強引な拡大解釈をすることで、天皇に取り入ろうなどという
発想を産み、仏教は歪んでいき、ついには、神道でいうところの八百万の神(やおよろずのかみ)を
とりこむためのさらなる拡大解釈「本地垂迹説(ほんじすいじゃくせつ)」を産みます。

●本地垂迹説とは何か?
もともと、以前から日本にあった宗教である神道の神、
八百万の神は、仏教が伝来する以前に日本を守る為に、
仏教の仏たちが遣わしたものであり、そのあとにたまたま、
仏教が伝来したのだ、つまり神道の神々は仏教の遣いであり、
開祖である釈迦に奉仕する、釈迦の弟子であるという考え方。

この本地垂迹説が、日本の神仏を一緒くたに信仰する土壌を作ったというのが、
一般的な宗教研究上の基本的な見解のようです。
ですから、他の国で信仰されている仏教と、日本の仏教は、細かいところで、
いろいろな食い違いがあるらしく、このように激しく他の宗教と区別がつきにくい
状況になっている日本の仏教はかなり特殊な形態を持っているようです。

本地垂迹説以降にも、さまざまな、宗派間の覇権争いで、
時の権力者に気に入られんが為に、各宗派は権力者に有利な方向へと、
教えを歪めていったという部分もあります。
(このへんは興味がありましたら、御自分でお調べになったほうがいいかと思います。
書き始めるととてつもなく長くなりますし、僕もこのあたりのおのおのの事例に、
正確な解釈を持っている自信がないので、書籍等でお調べ下さい。
仏教の入門書としては、「日本の仏教」(現代書館)がわかりやすいかと思います)

その後、江戸時代には宗教は幕府により巧みに操作され、権力の一部として機能するようになり、
その後の明治時代の神道の一大政治的ムーブメント化により、仏教は隅っこに追いやられ、
生き残る為に寺から神社に変身なんていう選択をした僧侶もいたようです。
その後、第二次世界大戦での敗戦による、法改正で、「政教分離」という大前提が
できたことによって、日本の宗教はさらに混迷を深め、現在に到っているわけです。
日本人が比較的宗教意識の低い国民であるとされる由縁は、このような歴史の流れ
から、生じた宗教の混乱によるものではないかといわれているようです。
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