この正月にみんなが初詣に行っているテレビを見ていて疑問に思ったんですけど、日本人は仏教なのになぜ神社へ行くんだろうか?と思い始めてから、いろいろな疑問が浮かびました。そもそもの神社の神様って言うのは何なんでしょうか? 誰が? いつ頃から発生して、どのように発展していったのでしょうか? 昔の戦国時代の歴史では、戦の前には神社の神様に祈願したそうですが、戦国の武将は神様を信仰していたんでしょうか? 友達に聞くと、神様を信じるしんとうは葬式をしないと言ってましたが、それでは、織田信長はお父さんが亡くなった時は葬式をしている(たぶん仏教)にもかかわらず、戦の前は確か熱田神宮に必勝祈願をしていますが、そのころの神社と仏教の関係はどうだったんでしょう。今でも、結婚式は神社の神様で、亡くなった時は寺で葬式をしていますが、何か変ですよね。信長の時代にも、現代のような使い分けをしていたんでしょうか? 神様の起源から現在にいたった変遷と仏教が混ざったような状態にどうしてなったのかがしりたいのですが、どなたか、教えてください。
断片的なことでも結構ですし、書籍やホームページの紹介でも結構ですのでよろしくお願いします。

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A 回答 (12件中1~10件)

現代人は無宗教といわれていますが、実際、日本人の多くは、神道とみてもおかしくありません。

と、いうのは、遠い昔から日本は八百万の神がいる多神教の国です。その神の中には、仏教の仏様もキリスト教のイエス様も含まれます。
 家族でありながら、~の茶碗、箸、と区別しているのは、やはりそこにその人の洗っても落ちない何かがこもると思うからです。日本人ならたいてい、そう思うはずです。それは、すでに神道的な考えです。
 何となく日本人が仏教と思ってしまうのは、お葬式を仏式で行うことが多いからでしょう。しかし、神道のお葬式もあります。神道の総元締めでいらっしゃる天皇家もちゃんと、お葬式をなさっていますよね。もちろん神前結婚同様、仏前結婚もあります。
 戦国武将の戦勝祈願ですが、戦上手の武将といえど、戦は時の運なのです。ですから、より強い戦の神(もちろん仏様の場合もあるでしょう)を守護神として、つまり、味方につけて戦うのです。現代の受験も同じです。
 キリスト教のような一神教からすれば、日本はいいかげんに見えるかもしれません。「名も知らぬ遠き島より流れよる椰子のみひとつ・・・」と、歌われるように、島国日本はいろんなもの(者・物・霊など)が海のかなたから流れ着き、それを受け入れる風土が太古からあるのです。言い換えれば、それだけいろんなものを受け入れ、吸収し、日本の風土にあった形にかえ、発展させていくパワーに満ちた国ともいえるでしょう。この精神が世界でトップをいく日本企業に満ち溢れていますよね。
 あと、余談ですが、神社の祭神の系譜を調べるとおもしろいですよ。
 
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この回答へのお礼

ekuboありがとうございます。茶碗と箸の件からすると、日本人の心は基本は神様信仰のような気がします。もともと、日本人は心が弱いのかご都合主義なのか?その時々で自分の都合のいい宗教に寄り添っていってるような気がします。みなさんの回答でなんとなくわかりかけてきましたが、いまだわかんないのが、grypsさんのとこで書き込みした件ですが、もともと、生の人間が、どうやって神になっていったかの経過かがわかりません。私の幼馴染に寺の子がいたんですが、一緒にいたずらしていたころを思うと、
大人になって急に坊さんになって、説教する言葉にどうも重みが感じられなくて、困っています。織田信長も自分を神様と思ってたらしいですが、同時代に生きていた人がその人を神と思うにはどうも納得いきません。没後、神になったとしても、誰がどうやって神になったんでしょうか?
教えてください。

お礼日時:2001/01/16 21:09

神様はいつ生まれたかは誰も知りません。

なぜなら、初期の天皇がいないから。
日本の神様って言うのは天照とか、天皇関係が多いです。つまり神社を起したのは、天皇なんです(簡単に言えば)。

仏教でも神教でも日本人は神や佛という字がつけば何でもあがめる民族です。
平安後期から鎌倉時代に仏教と神教が合体したり(神社に仁王像)
桃山時代にキリスト教と仏教が合体したり(例、マリア地蔵)、
都合のいいやつは何でも日本のものにしてしまうんです。これが、日本の文化。
だから、葬式をお寺さんでやったり、祈願を八幡さんでやったり。
信長の時代には結婚式は神前とかお寺さんとかではなく自宅で。ある武将はキリスト教式で葬式はもっぱら仏教形式。
戦国時代の武将の宗教はどっちもだと思いますよ。
たとえば、お城の中に、八幡様があったり、多聞天が櫓の中に奉られていたり(多聞櫓)実は 天守閣 っていうのも仏教用語の「天守」だったり キリスト教用語の「天主」だったりします。力の借りられる神仏なら何でも信じるんです。
 今の日本人は肉を食します。たとえ坊さんでも。仏教では考えられないことです
つまり、日本人は都合の良いものを巧みにとり入れる民族なんです。
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失礼!仏教伝来の年号を打ち間違えてました(汗)


589(誤)→538(正)

とんでもないケアレスミスだ(汗)
試験だったら0点だな、こりゃ。
失礼しました。
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589年に仏教は百済から、渡ってきました。


(このへんは歴史の授業で習うことと思います)
その際には百済からの正式の遣いが貢ぎ物として、
釈迦像、経典等々を持ってきたのだそうです。
これは何を意味するかと言うと、仏教は伝来の時点より、
政治取り引きの道具とされていたのではないか?
という可能性を示しています。
このように、宗教を政治の道具としようとした経緯が
伝来の時点からあったかもしれず、その後には、
蘇我氏と物部氏の権力争いの道具として、政争の具とされます。
このあたりのいざこざが大化の改新へと結びつきます。
日本においては政治取り引きの道具とされたことによって、
当時の最高権力者であった天皇を守る為の宗教である、
とかいった強引な拡大解釈をすることで、天皇に取り入ろうなどという
発想を産み、仏教は歪んでいき、ついには、神道でいうところの八百万の神(やおよろずのかみ)を
とりこむためのさらなる拡大解釈「本地垂迹説(ほんじすいじゃくせつ)」を産みます。

●本地垂迹説とは何か?
もともと、以前から日本にあった宗教である神道の神、
八百万の神は、仏教が伝来する以前に日本を守る為に、
仏教の仏たちが遣わしたものであり、そのあとにたまたま、
仏教が伝来したのだ、つまり神道の神々は仏教の遣いであり、
開祖である釈迦に奉仕する、釈迦の弟子であるという考え方。

この本地垂迹説が、日本の神仏を一緒くたに信仰する土壌を作ったというのが、
一般的な宗教研究上の基本的な見解のようです。
ですから、他の国で信仰されている仏教と、日本の仏教は、細かいところで、
いろいろな食い違いがあるらしく、このように激しく他の宗教と区別がつきにくい
状況になっている日本の仏教はかなり特殊な形態を持っているようです。

本地垂迹説以降にも、さまざまな、宗派間の覇権争いで、
時の権力者に気に入られんが為に、各宗派は権力者に有利な方向へと、
教えを歪めていったという部分もあります。
(このへんは興味がありましたら、御自分でお調べになったほうがいいかと思います。
書き始めるととてつもなく長くなりますし、僕もこのあたりのおのおのの事例に、
正確な解釈を持っている自信がないので、書籍等でお調べ下さい。
仏教の入門書としては、「日本の仏教」(現代書館)がわかりやすいかと思います)

その後、江戸時代には宗教は幕府により巧みに操作され、権力の一部として機能するようになり、
その後の明治時代の神道の一大政治的ムーブメント化により、仏教は隅っこに追いやられ、
生き残る為に寺から神社に変身なんていう選択をした僧侶もいたようです。
その後、第二次世界大戦での敗戦による、法改正で、「政教分離」という大前提が
できたことによって、日本の宗教はさらに混迷を深め、現在に到っているわけです。
日本人が比較的宗教意識の低い国民であるとされる由縁は、このような歴史の流れ
から、生じた宗教の混乱によるものではないかといわれているようです。
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私見ながらに……。



仏教の根本は「山川草木悉皆成仏」です。山も川も、草も木も、あなたも私も、すべて仏さんなのですよ、あるいは仏が宿っているのですよ、という考え方です。私はそれを多神教と言い換えたくはないのですが、要するに、みんなが神さまであり、仏さまなのです。

ところがこの考え方は、自国の民を思うがままに操りたい為政者にとっては、極めて都合の悪いものですよね。「オレは神なんだ。従って、おまえたちの支配者であり、絶対者であるんだ。文句を言わず、オレに従え。従わぬ者は、オレという神の名において殺してしまうぞ」というふうにしたほうが、国を治めやすいものですから。同じような意味で、「オレは古来より伝わる神の正当な後継者だ。よって、オレにはこの国を治める正当な権利がある」てなこともあるわけです。拡大解釈を許してもらえれば、錦の御旗っていうものです。ですから神道も、元々は国を治めやすくするためにつくられたもの、と言っても過言ではないでしょう。

しかし本来の神道は、森や川、湖などを神として畏れ敬うという、単なる土着信仰だったのです。現在語り継がれている神道、つまり天皇を中心とした神道は、江戸後期の学者(名前は忘れた)が解釈して作り直したもので、それが明治の為政者たちにとって極めて都合のよい内容だったから正当化され、正しい姿とされてしまったのです。
質問文にある戦国時代の武将の話でも、当時から天皇は日本国の正当な為政者だという考え方はありましたが、戦で必勝祈願を神社で行なう際、天皇が神だから云々という現在の神道は存在しませんよね。神話に登場する神々に力を授けてもらうだけでした、そのほとんどが。
江戸後期に神話と天皇を結び付けたものを神道とし、明治以降、その教育のみを強く行なったために、質問されたような数々の誤解が生まれたのかもしれませんね。

そして、ややこしさを一層加速させているのが仏教なのですが、冒頭で申し上げように、仏教ではすべてが仏さまですから。すべてが神さまなんだ、と考えれば、案外、スッと疑問が解けてきませんか。そしてその考え方が、古来、本来の神道ともマッチしやすかったし、日本人にとってはものすごく受け入れやすいものだったのです。
たとえば、明治、大正を生きたおじいちゃん、おばあちゃんから、お茶碗にご飯粒を残したときなど、「おコメを粗末にしてはなりません。ちゃんと食べなきゃ、バチが当たって目が見えなくなるよ。おコメにも仏さんが宿っているんですから」と怒られたことはありませんか。あなたのお父さん、お母さんなら、ひょっとしたら昔、そう言って怒られたことがあるかもしれません。明治、大正といえば、神道のみの時代。なのに、仏教的なことが厳然として言われ、残っていたわけです。それほど、日本人にとって仏教は親しみやすいものだったのです。日本昔話も、ほとんどが仏教の法話みたいな感じでしょう? 歴史を超え、時代を超えた存在であったわけです。

翻って、現代も同じです。クリスマスだの、神道的なものだの、何でもかんでも日本人は受け入れます。だって、すべてが神さまであり、仏さまなんだから、仏教的考え方が遺伝子にまで染みついた日本人にとっては、何の抵抗もない。よく、それは奇異なことだと言われますが、たとえば一神教のキリスト教からは、そう見えるだけ。

関係ないことを、今思い付きましたけれども、案外、神道(明治期以降)はキリスト教的に使うことも目的だったのかもしれませんね。西欧が覇権を競ったとき、未開地にはまずキリスト教の宣教師を送り込み、それを足がかりとして自国の占領軍を向かわせたという歴史を真似ようと思って。朝鮮半島などは、侵略の後先は別にして、実際そうでしたからね。これも先に述べたように、治めやすくするために。

どんどんと横道にそれそうなのですが、このことを勉強される際に注意してほしいのは、仏教は本来、すべてを仏としている、ということを前提にしてほしいということです。仏教をキリスト教のような一神教だと思うから、すべてがややこしく思ってくるのです。たしかに、日本人の考え方がキリスト教的なものだったとしたら、あなたが言われているように、神道的なものと喧嘩をしてしまいますからね。

ちょっと、支離滅裂になってしまった感が……。
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 話題が深みをおびて、方向性が見えてきたように思います。


<500年後、神になる人は?>
 いろんな考え方があるでしょう。
 例えば、八百万の神、先祖崇拝(cotikuさん参照)などの立場をとれば、すべて神になれるわけです。
 私が思うところをお話します。これが、すべてではありません。1つの考えとして聞いてくださいね。
 <神になろうとする人>は、オカルト教団が問題になっている今日、とても重大な問いかけです。人が死ぬと、その人に対する思いは、時間の経過とともに急激に変化します。憎しみはいつしか薄れ、忘れ去り、なつかしさ・いとおしさがつのります。これは、テレビなどのマスコミの風潮にも表れていますよね。スキャンダルでたたくだけたたいておいて、亡くなると途端に英雄視する風潮。
 今、塀の中にいる教団の教祖が、死刑となった時のことを考えてください。信者の教祖への思いは、つのり、英雄視どころではありません。生前の彼の俗っぽさは忘れさられ、神秘性が増し、神聖視され、ついには、神とされるのです。人に死を宣告することはそれほどに重大な事件なのです。余談ですが、イエス様やお釈迦様の生前の受難話や奇跡ともいえる偉大なお話は、今にも伝わっていますが、(信者のみなさん、ごめんなさい!!)彼らの排泄話なんて聞いたことないです。
 さて、本題です。
 卑弥呼の時代、人は、未知なることがとても多くありました。卑弥呼が予言した内容も現代では、ごく当たり前のことだったりするでしょう。「明日、太陽をなくす。」と予言しても、現代人は、「あぁ、日蝕か」といった感じですよね。
 オリンピックでものすごい記録を出したとしてもそれは、~m、~秒と測定器で測れる範囲内のことで、その道では評価は受けても、けっして彼は神・アキレスとはなれないのです。
 この先、500年の間に、生前・死後に関わらず、数値では測れないような、予測不可能な衝撃的な奇跡(予言)を起こす人が現れるか。その奇跡がたくさんの人の共感をさそうか。そして、その人の死が悲劇的あるいは神秘的であるか。といったところにあるのかな、と思います。わけのわからないこと、という点では、今も昔も同じです。
 科学技術の進歩、集団の個別化が進む今日、小粒の神は現れても、イエス様やお釈迦様のような大きな存在はむずかしいでしょうね。
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この回答へのお礼

なるほどそうですよねぇ・・
以前聞いてたことを思い出したんですけれど、テルアビル空港での犯人である岡本公三を死刑にしないのも、アラブ人の神とならないようにするためではないか、という話でした。(?)
 今回は大変勉強になりました。
ekuboさんはじめ、cotikuさん方々の貴重な意見ありがとうございました。

お礼日時:2001/01/20 09:37

訂正


うっかり書き間違えました。禅宗と同時くらいに伝わったのは浄土宗です。真宗は浄土宗の一派で国産です。(禅宗は僧を大切にするカウンセリングタイプ。浄土宗は仏像をまつる他力本願。自分の力を頼ることも、仏にすがることも両方必要なのでしょう。)

追加
>その時々で自分の都合のいい宗教に寄り添っていってるような気がします。
 そのとおり。
初詣に行って懺悔したり正しく生きることを誓ったりしませんよね。たいていよい年でありますように・・・呪術的なものではないですか。道徳的なことは輸入思想を使っています。また、神道で政治すると占い師みたいなのが主体になるのではないでしょうか。卑弥呼とか・・・。そこで祭は神道、教と政は輸入。
政教分離なんて言葉もありますが、中心思想のない政治は珍しいのではないでしょうか。宗教戦争は政治権力や経済力と結びついているからおこるので、天皇制や神社があり、輸入した政治学で政治をし、儒教や仏教経典を国民道徳にしていたのでは宗教戦争にならないでしょう。それぞれのテリトリーが違うのですから。日本は宗教を輸入しても都合のよいところだけしか使いませんね。儒教や仏教が流行らなくなって今「教」が手薄ですが、日本語や伝統文化を教えるそうですから、そこに伝わる「道」などが復活するかも。
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この回答へのお礼

溺れる者は藁をもつかむ・・・というように溺れてる人は藁が神様なんでしょうか?皆さんの回答をいただいて考えるに、日本人は基本は神様主義のような気がしてきました。
仏教を信じているのではなく、仏教という名の神様を信じているような感じ?この解釈は変でしょうか?

お礼日時:2001/01/17 22:44

 まず、日本が仏教になったのは奈良時代に仏教で国を統治したことから始まるのではないでしょうか。

東大寺・国分寺などつくり写経をして仏典を広めました。
 その後は中国で流行の宗派が次々と伝わってきました。平安時代は密教、室町戦国時代は禅宗と真宗、それに別ルートでキリスト教。いづれにしても日本人好みにアレンジして信仰しました。
 江戸時代はキリスト教を禁止して寺に戸籍管理をさせていました。国の統治は儒教を使いました。これも都合のよい解釈で。
 明治になって、西洋文化をとり入れるためキリスト教解禁、転居の自由などの為戸籍は役場管理、というような具合で仏教がすたれるのは当然?

仏教の特徴は前世・現世・来世がつながっているという発想です。善いことをしても悪いことをしても死んだらお終いというのではありません。

 神社の神様は日本人の先祖崇拝です。仏教伝来以前、日本のはじめからです。自然の中に充ちているエネルギーというか神々しさというか・・・拍手や太鼓の音に静寂とエネルギーを感じたことがありませんか?・・・自然崇拝であり、清潔好きが特徴です。

 死んで神になる人は生きている時生き神様といわれるような人です。死んで仏になるような人は生き仏と言われるような人です。仏教では生前得度ということも行われます。死ななきゃ仏になれない人は死んでも仏になれないかも・・・この辺の解釈が宗派の違い?
 スサノウは生きている時からアラブル神だったわけで死んで神になったのではないはずです。(悪人でも強いという点で称えられます。これが悪人と善人とを区別する諸外国と違うところ。)
 古事記を読んでみてください。目くそ、鼻くそ・・・みな*ノミコトという名になってすべて神です。目に見えるもの肌に感じるものすべて神です。これを八百万の神と称します。
・・・あなたも私も犬も猫もノミもしらみも無生物も・・・現状のままで皆神様です。ありがたいことです。?!
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この回答へのお礼

cotikuさんの回答で仏教と神道の違いが見えてきたような気がします。戸籍管理がなくなったので仏教が衰退したのですか・・・でも、逆にいうと戸籍管理がなかったらそもそも仏教が浸透してなかったのでしょうか?つまり、やはり日本人はもともと神様中心の無宗教?となるのは変です?

お礼日時:2001/01/17 22:36

 織田信長は生きながらにして神になろうとしたようですが、一般的には、死んでからでしょう。

人が神になるには、生前、何かしら他の人とは違う能力を持っていたことが必須でしょう。そんな人の魂は、より強い力を持っています。よって、亡くなったあと、丁寧におまつりすれば、幸福をもたらしてくれます。逆に粗末にあつかうと、祟り(日照り、大雨、地震、噴火、雷、病気など)がおこります。
 天神様こと菅原道真は、無実の罪で大宰府に左遷され、悲嘆のうちに、その地で亡くなりました。道真が亡くなったあと、天変地異が続き、彼を落とし入れた一派が次々と変死します。これは道真の祟りだとされ、彼の魂を鎮めるため、神として祀られるにいたりました。(彼の怨念は、落雷となって現れたので天神様とされました。)

 < 友達のお坊さんがありがたく感じない > に、ついて
 一昔前、お坊さんは、籠に乗って行き来し、人前には、めったに姿を見せませんでした。そこには、神秘性があり、ありがたみも感じられたのです。今のように、袈裟をそよがせながらスクーターに乗って、なんてありえなかったのです。
 なぜか。
 それは戦後の農地改革で、大地主だった僧侶も土地を没収され、経済的基盤を奪われたことがあげられます。お坊さんも働かねばならない。小さい寺なら余計に。よって、人前に姿を出す機会が増える。人間臭くなる。神秘性がなくなる。ありがたみがなくなる。jun1072さんもお友達の私生活を見てしまうから、ありがたみを感じないのでしょう。
 農地改革は、日本人から信仰心を奪うJHQの作戦だという説もあります。

 また、何か疑問がありましたら、どうぞ。
 
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この回答へのお礼

私は、もともとは理科系で文科系のことはぜんぜんわかんない理系馬鹿ですが、ekuboさんはじめ、皆さんの奥深い回答をいただいて大変勉強になります。1つの疑問にいただいた回答から、さらに疑問が出てきて、どんどん疑問が膨らんできています。確かにお坊さんなりの私生活を見てしまうから余計そう感じているように思えます。本質問には関係ないですけれど、葬式での読経をテープレコーダーで流し、1口何千円以上の寄付金集めとか、謝礼の額によって戒命の長さが違うとかの(一種の阿弥陀も銭で光る)ことで、宗教ってこれでいいの?と思うのは私だけでしようか?
又、ekuboさんに質問なんですが、神になるには生前他の人とは違った能力を持った人だそうですが、今から500年後の2500年ぐらいに神になる人って、近代のどんな人でしょうか?

お礼日時:2001/01/17 22:26

徳川時代末期までは神仏一体といって神道と仏教は切り離せないものでした。

ところが明治になると(1868年)明治政府は天皇制に重きを置いた政策のひとつとして神道国教化、祭政一致を目指して神道と仏教を分離しようとしたのです。
神仏分離については下記URLを参照して下さい。

参考URL:http://web.kyoto-inet.or.jp/people/tsuka/theme/s …
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この回答へのお礼

今の時代になって、神仏一体化という理論はわかりますが、今でも宗教戦争があるように、当時の人は、それぞれの宗派の人は納得できたのでしょうか?

お礼日時:2001/01/16 20:52

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Q危ない?って聞かれたのですが。

知り合いが、宗教だとおもうのですが、誘われているようです。その人も、何の宗教なのかそうでないのかは、言わないのでわかりません。
聞いた事
・有名人がいっぱいいる。
・お告げ?何回かその場所に通うと、未来を見てもらえる。
・ものの売り付けはない
・いく行かないは自由だけど、行かないと後悔する
・お告げ(違う言葉で言っているかもしれません)をする人は身分の高い人で、夫婦間の事も見える(透視?と私は思ったのですが違うかも)
時には離婚しなさいと言われる。
・会社に行けば7人に一人くらいはいる。

こんな誘いだったそうです。

私は聞く限り宗教かな?と思うのですが、こんなお話聞いた事がありますか?
宗教だとしたら、何の宗教でしょう。危ないですか?

補足は出来る限りでします。
よろしくお願いします。

Aベストアンサー

 真○苑かなと思いました。観音様のお話はありましたか?本部は東京にもあるようです。(立川市にも何かありました。)山梨にも河口湖のあたりに何かあったはずです。ある病院で看護婦さんに勧められたことがあるのですが、芸能人の名前がたくさん出ました。

参考URL:http://www.juen.ac.jp/shakai/kkasai/religion/NRCS/haga.html

Q神社・神宮・護国神社等神様になる基準について

人を神様にしたり、初めから神様をまつったり、川崎では性器を祭っている<神様は誰の?>ところも在ります。1・縁結びの神社の神様って誰ですか・・2・動物や植物を神様にしているところもあるのですか?3・そもそも何でも神様になれるようですが、神様になる基準って何で、誰が決めるのですか?・・・神社・護国神社・神宮三つの違いって何ですか?神様の違いですか?

Aベストアンサー

神道は日本独自の宗教であり、その宗教観や概念は他の宗教とは違うものがあります。
古来、日本には神道の元となった宗教があり、それと朝廷とが結びつき神道になったといえます。
しかし、仏教が日本に伝来し、神道と融合していきました。
平安時代頃から江戸時代までは、神道と仏教は区別がつかない程度まで融和していました。
明治維新になり、天皇の親政となって国家神道が確立し、神道は半ば国教化されました。
その後、敗戦により政教分離がなされ、現在の形態となったのです。

平安時代に定められた朝廷の法律みたいなものに、延喜式と言うものがあり、その中の第九巻に神名帳という章があり、朝廷が祀る全国の神社が記載されています。それを官社と言います。
官社には格付けがあり、「名神社」「大」「小」に分けられています。
その中で、「神宮」と書かれているのは、「大神宮」=伊勢と「鹿島神宮」「香取神宮」だけです。
また、「大社」と書かれている神社はありませんでした。
大社と言えば「杵築大社」=出雲大社のことと言われますが、それはもう少し時代が下がってからです。
なお、延喜式神名帳に記載された神社を「式内社」と呼び、2800社あまりが載っています。

明治新政府になり、神社は国家や府県が管理するようになり、神職は公務員となりました。
その中で、昔の制度に倣い、社格制をとりました。
国家が管理する「官幣社(大・中・小)」「国幣社(大・中・小)」「別格官幣社」と、府県が管理する「県(府)社」「郷社」「村社」と、格付けからはずれた「格外社」です。

また、歴史的に偉大であった天皇を祭神とした新しい神社を創建しました。
明治神宮(明治天皇)・平安神宮(桓武天皇)・橿原神宮(神武天皇)とかです。
それらの名前を見ても分かるとおり、「神宮」とは、天皇を祀る神社あるいは皇室と深いかかわりのある神社と言えます。

しかし、戦争に負け国家と神道は切り離されたため、戦後に各神社は社号をそれぞれが名乗るようになりました。
その結果、福井の気比神宮や奈良の石上(いそのかみ)神宮のように、今まで「神宮」と名乗っていない所も神宮を名乗るようになりました。
また、全てではありませんが、多くの官幣大社・国幣大社が「大社」と号するようになりました。

よって、誰が「神宮」とかを決めているのかと言う質問に対しては、それぞれの神社が歴史的な背景を元に決めていると言うのが答えになります。
とは言え、多くの神社は「神社本庁」という宗教法人に属していますので(属していない神社もある)、神社本庁の許可(承諾)を得て決めていると言えます。

なお、靖国神社・護国神社に関しては、別のところで回答が出ているので省略します。

神道は日本独自の宗教であり、その宗教観や概念は他の宗教とは違うものがあります。
古来、日本には神道の元となった宗教があり、それと朝廷とが結びつき神道になったといえます。
しかし、仏教が日本に伝来し、神道と融合していきました。
平安時代頃から江戸時代までは、神道と仏教は区別がつかない程度まで融和していました。
明治維新になり、天皇の親政となって国家神道が確立し、神道は半ば国教化されました。
その後、敗戦により政教分離がなされ、現在の形態となったのです。

平安時代に定められ...続きを読む

Q東北地方太平洋沿岸で獲れた魚は危ない?

「東北地方太平洋沿岸で獲れた魚は危ない」と言う人がいます。
しかし、魚はアチコチ泳ぎまわるから、危ないというのなら世界中の魚が危ないのではないですか?

Aベストアンサー

間違いなく危ない。
絶対食べてはだめ。
安全と言ってるのは関係者か火消しの工作員だけ。

Q日本には八百万の神がいるそうですが葬式の神様は

日本には八百万の神がいるそうですね。


かまどの神様→カグツチ・オキツヒコ・オキツヒメ(神道) 三方荒神(仏教)
トイレの神様→ ハニヤスビコ・ハニヤスビメ(神道) 烏枢沙摩明王(仏教)

葬式の神様っているんでしょうか?

記紀にはアメノワカヒコの葬儀が行われるという記述があったようにおもいますが
他にもいますか?

Aベストアンサー

氏神の担当では?
http://www.e-osoushiki.jp/osoushiki3-4.html

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A5%9E%E8%91%AC%E7%A5%AD

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A9%A2%E3%82%8C

Qこんな本があるのですが、パンは危ないのでしょうか?どうして危ないのか、大丈夫なのか教えて致けないでし

こんな本があるのですが、パンは危ないのでしょうか?どうして危ないのか、大丈夫なのか教えて致けないでしょうか?

Aベストアンサー

ある食べ物が身体にいいという話はよく聞きますが、アメリカの調査結果によれば、
パンは危険な食べ物だということがわかりました。
パン食が増えている日本も他人事ではありません!

その驚愕の事実をご紹介します。

1)犯罪者の98%はパンを食べている

2)パンを日常的に食べて育った子供の約半数は、テストが平均点以下である

3)暴力的犯罪の90%は、パンを食べてから24時間以内に起きている

4)パンは中毒症状を引き起こす。被験者に最初はパンと水を与え、後に水だけを与える実験をすると、
 2日もしないうちにパンを異常にほしがる

5)新生児にパンを与えると、のどをつまらせて苦しがる

6)18世紀、どの家も各自でパンを焼いていた頃、平均寿命は50歳だった

7)パンを食べるアメリカ人のほとんどは、重大な科学的事実と無意味な統計の区別がつかない

Q【歴史・日本史】大阪城を豊臣秀吉が建立を命じた時に城を建てる前にその土地の神様、仏様を祀る神社仏閣を

【歴史・日本史】大阪城を豊臣秀吉が建立を命じた時に城を建てる前にその土地の神様、仏様を祀る神社仏閣を城を建てる前に建てたと思いますがその神社仏閣は現在も残っていますか?

それはどこの神社仏閣ですか?

Aベストアンサー

神社は、生國魂神社です。(大阪府大阪市天王寺区生玉町)
仏閣は、石山本願寺ですが、こちらは再建されていません。
石山本願寺攻めの時に同時に焼失した四天王寺が豊臣秀吉によって再建されています。(四天王寺は大阪府大阪市天王寺区四天王寺)

Q原付と自動二輪はどっちが危ない

世間では自動二輪は危ないって言いますよね。
原付も危ないけど自動二輪ほど言われないと思います。

でも自分が実際、原付で走ってみて危険を感じることが一杯です。
自分の右横すぐを車やトラックが通るしねキープレフトしたら道路に段差や砂利、ゴミはあるし、スピード出したらこけそうだし。

法令を守っての走行として原付と自動二輪はどっちが危ないと思いますか?

Aベストアンサー

原付の方が危ないです。
原付は加速力も無く、スピードも出ないので回りの車と速度差があり危険。

二輪車は他の車と一緒のスピードで走れるので安全です。

二輪車の方が確かにスピードは出ますが、ブレーキも原付よりもいいものが付いていますし
何より二輪車を動かすのは人間。
その気になれば原付のペースで走ることも出来ます。
車体も大きいので原付よりは目立ちますからね。

後はライダーの問題・・・。
原付に乗っている大半の人が二輪車の免許を取らずに
原付免許or普通自動車免許で乗っています。
二輪車の免許を取る場合は、教習所でそれなりの練習はさせられるので
危険予測、緊急回避等、二輪持ちで無い原付乗りより有利です。

Q 学問の神様として祀られている菅原道真は、いつ頃から学問の神様として祀

 学問の神様として祀られている菅原道真は、いつ頃から学問の神様として祀られ受験生の参拝の対象となったのでしょうか。

 かつては、京の重職を左遷されたことで怨霊となり、事ある毎に災害や異変が起きると京都の人々は、菅原道真の怨霊だと恐れていましたが、怨霊封じで神社を建立し、英霊とすることで怨霊封じから学問の神様という流れになってきたとも思いますがどうでしょうか。

 分かる方おりましたらご回答ください。

Aベストアンサー

学問の神様と広く言われるようになったのは江戸時代からです。
徳川綱吉が湯島に学問所を作って以来、学問所の近くに元々からあった湯島天神が、学者さんや学生さんに信仰されるようになりました。その後、寺子屋でも祀られて庶民にまで浸透しました。

ちなみに湯島の学問所では、公式には孔子を祀っていました。

Q一人カラオケは危ない?

一人カラオケは危ない!と親が言うのですが、やはり危ないでしょうか。危険な目にあった方っていらっしゃいますか?
時間帯は昼間。真っ昼間です。あ、やっぱり平日の昼より休日の昼の方が安全ですか?

友達と行くより不安なのは分かるんですがヒトカラしてみたくなったので、、、
皆様のご回答お待ちしております。

Aベストアンサー

最近まで某カラオケ店でバイトしてましたが1人で来る人結構いましたよ!危ない目にあったと言う話も聞いた事ありません。思いっきりヒトカラ楽しんできてください!

Q中学の歴史について質問です。 戦国時代に織田信長が、1568年にほかの戦国大名よりも早く京都を抑え、

中学の歴史について質問です。
戦国時代に織田信長が、1568年にほかの戦国大名よりも早く京都を抑え、足利義昭を将軍としたのに、1573年に足利義昭を追放して、室町幕府を滅ぼしたのですか?

Aベストアンサー

元々、室町幕府はあまり他の大名を統制できるような力を持っていませんでした。
そして、応仁の乱を抑えられなかったことにより、完全に幕府、将軍の権力はなくなり、その時々の実力者が、自分の意向を世に広めるために、将軍の名前を使って命令をする、というような状態でした。
そのため、都合が悪くなると、将軍を退位させ、別の将軍を立てる、なんていうことも珍しくない状態でした。実際、足利義昭が将軍になる3年前には、義昭の兄である13代将軍・足利義輝が、近畿地方で一大勢力を持っていた三好氏によって殺害され、替わりに義栄が14代将軍として擁立される、ということまで起きています。

信長が義昭を将軍に添えたのも、理由としては同じです。
世の中に色々と命令などを出したいが、自分の名前で出すと周囲の大名たちの反発を生んでしまう。義輝を殺害して、義栄を擁立した三好氏と同じように信長も、義栄を追放して、義昭を擁立することで、義昭の名前を利用しようとしたわけです。
実際、足利義昭を将軍に添えてから数年で近畿地方における勢力を確立しました。
しかし、信長の力が伸びることに反発した義昭は、周囲の大名に対して信長を討って自分を助けよ、というような書状を出すなどしました。
信長としては、近畿地方をほぼ制した上に、自分の敵ばかりを作る義昭、室町幕府はもはや用無し。なので、追放し、幕府を滅ぼした、ということになると思います。

元々、室町幕府はあまり他の大名を統制できるような力を持っていませんでした。
そして、応仁の乱を抑えられなかったことにより、完全に幕府、将軍の権力はなくなり、その時々の実力者が、自分の意向を世に広めるために、将軍の名前を使って命令をする、というような状態でした。
そのため、都合が悪くなると、将軍を退位させ、別の将軍を立てる、なんていうことも珍しくない状態でした。実際、足利義昭が将軍になる3年前には、義昭の兄である13代将軍・足利義輝が、近畿地方で一大勢力を持っていた三好氏によ...続きを読む


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