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将棋は玉将と王将の戦いだといいます.
王と玉とはどう違うのでしょうか.
王とは?
王が指揮を執る世界とは...
玉とは?
玉が治める世界とは...
またその駒を持ったときどのような心持ちで勝負に挑もうとするでしょうか.
広く
皆様はどのように考えるか教えてください.

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A 回答 (12件中1~10件)

私と名前が似ていますね。

私も錬金術と縁がないでもないんです。名前はしょぼいけど。

王子と玉子の違いは知っていますか?
片方はコロンブスが乱暴に立てたやつです。

王子と乞食の話は知っていらっしゃるでしょう。
表面が同じなので入れ替わるんです。
王家の血が間違われることなんて、中世にはなかったのに。。。
王家は神の血族だったから。
でも近代はちがう。乞食でも顔が同じなら、見分けなんかつかないって時代になった。

交換可能になった。

王は、交換可能ではない、ということが真正の王たる最大のしるし。
王と玉、一人がホクロをつけているのか、もしくはひとりがホクロを消しているのか、
どちらが真実かはわかりません。
なぜなら、民にとっては、誰が治めても同じ。顔をあげて王の顔をまじまじと見ることもまずない。
正体はわかりません。従うのみ。

交換不可能であることを誰が必要としているのか。
その人は、ただ一度、かつて中国で、玉のホクロを、消した人です。
神の眼を持って、棋盤を眺めた。

この回答への補足

昔の人の知恵というものはすごいと思います.
そういうものの蓄積の中で僕らは今を生きられるのですね.
いつの日にか実ることを願い
さりげなく蒔かれた種が
時空を経て
ある時期に
芽を出し始める.

補足日時:2007/05/03 07:10
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この回答へのお礼

正面から対面するのは初めて
ですよね.
僕の名前はagripapaのaが抜けたのです.半分本当.

何を言わんとしているのかいまいち掴みかねているのですが.
もう少し話を伺ってみたいな
という印象です.

お礼日時:2007/05/01 20:18

微かな兆候を観て先を読む


王は玉子の玉子を観る....

いいですね。命卜相の映るところ。

自分の心を深く探ると、自分の外延が再構築される場所が映ります。
ゆらゆらと揺れていますが、宇宙に映っているものと自分に映っているものは同じだとつくづく思います。

そして、人々も他人のそれをつねに眺めています。物たちのそれも眺めています。
確立したものではなく、危うい反映のようにして、あります。
特別なことではないと思います。
ただ、世界には残念な状況が多すぎて、見ることは半分も認識されていないけれども。。。

お話できてよいご縁でした。以前すれ違ったままでしたから。
ありがとう。ごきげんよう。
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この回答へのお礼

今日は夜中から変です.
変な夢は二つもみるし
さっきからなみだはでてくるし

何時の頃からか何かにつけて
ある人のある表情が浮かんできます.

僕は小さい頃から橋をかけるのが下手でした.
今までに無礼な言い回しがあったかもしれないことを思い
ここに陳謝いたします.

お礼日時:2007/05/06 18:08

玉子の玉子を観て.


王は玉子を見極める....

何ものも、また何びとたりと、見極めの向かいには立たない。
王が王であろうとすることは、王になることは、

王の外延のすべてを、
生を持ったひとたびを超えて、ふたたび
自ら、
周縁の力をかりずに、自分の内に生まれさせること。

玉子は、
玉子の見極めのもとに立たずに、
玉子の外延をおのずから重ね合わせる。
そうでなければ、

存在はない。

存在してから王になり玉子になるのではなくて。
そして見極めでもなくて。
外延は王として、玉子として、はじめから存在する。

この回答への補足

僕が辛かったとき
父は言った.
世の中にはもっと辛い思いをしている人はいる.
そうだな.
足元にも及ばない.

穏やかな顔と
遥か遠くを見つめる目.
自らの心を深く探るように.

補足日時:2007/05/05 18:03
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この回答へのお礼

王が象牙の箸を持つことを
人々は望まない.
微かな兆候を観て先を読む
王は玉子の玉子を観る
それが王としての最大の役目.

お礼日時:2007/05/05 17:52

そう?


まあ、対話に不協和音は生じさせられていますね。それもいいと思いますが。楽器がおのずと見えてくる。

二つの陣営の玉を区別する手段は。
二つの陣営の玉を区別する目的は。

誰が区別を必要としているのか、の見極めによってこれを措定しないといけないと思う。当然、遊戯者と考える。けれど、

玉が玉であることの意味、は、ほかの駒があるから生じてくる存在理由というものを抜きには考えることができない。
しかも、財産のすべては交換可能な駒なのだから。駒たちと玉の間には因縁的なつながりもない。
遊戯者はそれを承知したうえで、遊戯が成り立っている。
区別する目的は、玉が玉である価値、交換不可能性の1点にだけかかっている。

そして不思議なことに擬人化した側面があって、チェスよりは高度な抽象性があるけれど、玉は王のように戦う。

チェスの場合、王の配下は、王に忠誠と因縁があって、遊戯者だけでなく駒たちも王の交換不可能性を信じているかもしれない。
「これ嫌だからそっちのと換えて」といえば、実は、将棋の駒は玉であろうと換えられる。勾玉の時代から、そう。
チェスは色分けか型分けしてしまい、実際に換えられない。駒たちにとって神聖な王だ。

表層性であり、金融ゲームであるというのは、将棋を高度な遊戯にしている側面です。
玉は王のように振舞うけれども、神聖な王ではない。資本主義経済到来後にマーク・トウェインが描いた王子のような表層性しか持っていない。
西洋と東洋の何千年もの開きというか違いが見えて面白い。

この表層性は、玉の区別の手段にも大いに利用されている。漢字で抽象化した駒からホクロを消すだけだ。
将棋の遊戯者はほんとうに、駒を動かさなくとも遊戯する意味、醍醐味がある。漢字が移動すればいいだけだから。相当の棋士たちでなければ出来ないけれど。
チェスの駒を動かさずに読むのとは事情が少し違う。
二人の王は、遊戯者が位置につく前から王だ。
二つの玉は、遊戯者の目の前で、二人の王になる。王権を授けるのは遊戯者だ。
表層的細工をほどこして区別を与えるところだけは、視覚化された側面ですね。玉の価値の交換不可能性を代替してくれる。おもに美的な価値だったはずの視覚的価値は失われてしまっているけれど、区別がないよりは士気があがりますね。たった点一つで美の違いを表しているのかもしれないし。

この回答への補足

王は玉子を育てる.
社会が育てる.
社会がそれを求めた.

私の処まで登り詰める力量を身に付けよ.
玉子の玉子を観て.
王は玉子を見極める.

勾玉の時代から駒は交換可能...
王のようにあろうとはしても
王は自ら王になることを望んだとは思えない.
逆説的だけれど
それが王の王たる条件.

補足日時:2007/05/05 08:46
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この回答へのお礼

玉は王のように振舞うけど,神聖な王ではない...
王族という血筋
生まれたときから,王になるべく育てられてきた家系...

神霊を迎えておこなわれる談合.
真の民主主義が発現する場.
そのために王はある.

釈迦も王族だった.
長い旅を終え,
王になる道を選べば名君であったろうといわれる.

お礼日時:2007/05/05 06:35

実相は


将棋盤の上に星座をつくることはないですね。

この回答への補足

全体としていまいち
支離滅裂
あまり行間を読まないようにします.

補足日時:2007/05/03 23:27
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この回答へのお礼

はい.

お礼日時:2007/05/03 19:45

5です。



掴みそこね、、、、
価値を生む最初のヴェールがせっかくかかっているところで、

動物が平伏して襲ってこないうえ イバラが道を開け
精霊が導き 村人が布団の下に豆を仕込むと青痣になり
誰も抜けない剣が抜ける。

カエルになっても怪物になっても 
泥にまみれても長旅でぼろを纏っていても
まごうかたなき。
絶対。
神授。
一国に一人。
一人に一国。

移動するときは、民を引きつれ、国を引きつれて、土地を離れる。

隣国の王は、隣国の王。
偽者は、誰でも偽者。
本物は、一人の本物。
民に、国に、神授された唯一無二の神聖なる王は、その王一人。

区別できなくちゃね。

(でも、できるのかな。)
(実は、去年まで門前で乞食してたアノ人が。)
(おれらかんけーねえべさ。銀行に金預けて株買ってデパート行くのさ。)

神の眼には、いつまでも。

民にはもう区別できなくてもいいんだけど。

本来の駒は、ぎょく、です。

この回答への補足

駒はその場でそのまま生き続けるのでしょうね.

補足日時:2007/05/03 07:35
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この回答へのお礼

玉と玉は
遊びとして将棋そのものを楽しむのでしょうね.

もしかしたら駒は盤面に並べられたままで
いつまでたっても何一つ動かないかもしれない.

お礼日時:2007/05/03 07:33

こんばんは、agrippaさん。





●矢は一点に向かって放たれるのです。



うぅ… スゴい指し手!!


くぅ―、見過ごしてた。ANo.4への補足を…
言い訳になりますが、、、
如何せん携帯からのアクセス、画面全体を一望しずらい。
下がりそびれてしまいました。
あぁ…、いま見れば言葉が…
あわわぁ…スマン!m(_ _)m



●悲しいかな
なぜかしら
多くを語られても何も心に響かないものもある


響いてますって!
ほら、ドキドキ




ちょいまち!
(いっきにせめちゃやよ。)



ブレイクタイム!





しばし、読みの時間下さい。
ハンディ、ハンディ、ハンディキャップ





『菊と刀』注解
http://www.sutv.zaq.ne.jp/ckapj600/chukai11/ch11 …




BGM
http://music.goo.ne.jp/lyric/LYRUTND9842/index.h …
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こんばんは、agrippaさん。





静けさや 岩にしみいる 蝉の声



本性って…こりゃまた何とおこたえしましょうか?うかれ陽気なところもlittlekissの構成要素のひとつには間違いないのですが、この面だけか?と、問われれば…いえいえ、そうばかりでもないです。いろんな面あります。agrippaさんがそうであるように、私も人ですから泣きもすれば笑いもしますし、怒りもすれば喜んでみたりと日々賑やかなことです。あらあら、どうしましょう?「お手あせよろしく」と言っときながらお茶も『手布』もまだお出ししていませんでしたはね。ごめんあそばせ。お熱いのを一服。ささ、どうぞ。玉露はお好きかしら?他にもありましてよ。
http://www.otesuji.jp/~e-ocha/seizou.html


(*^^*)>゛゛゛ 本の性



どんな夜にと?





めくるめく……





うふぅ。。。





ページをめくる





読み更ける





何を?





…落語を

http://www.niji.or.jp/home/dingo/rakugo2/edo.html




http://www.geocities.co.jp/Technopolis-Mars/1850 …

http://www.geol.sci.hiroshima-u.ac.jp/~geohist/k …

http://www.natureinterface.com/j/ni08/P074_075/

http://www.riken.jp/r-world/info/release/news/20 …



おうて

この回答への補足

たった一言であっても
深く心に浸透する言葉もあれば
悲しいかな
なぜかしら
多くを語られても何も心に響かないものもある.

補足日時:2007/05/01 23:25
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この回答へのお礼

玉露が出たついでに
一期一会.
という言葉を贈ります.

お礼日時:2007/05/01 22:58

こんにちは、agrippaさん。




お話に入る前に、発声練習ひとついいですか?


ハーバーライトがあさひにかわぁ~るぅ~~♪
そのとき いちわの カモメが と ん だぁ~~♪


(*^^*)>゛゛゛ ども、ご静聴 ありがとうございます。

●どんな人?
時代錯誤のlittlekissとでも覚えおきいただければと。


こんなんで、何か参考になるかな?将棋、手持ちの駒はOPENにと仰せかな?うーん、下手の横好きとくれば受けて立ちましょうか?おやおやおや、またもやタテとヨコっーことは問いは矛盾についてかしら?まあ、まあ、それはそれとして、こちらはこちらでひとつ将棋バージョンからの考察ぶってみます。
お手あせよろしく。m(_ _)m


過去.現在.未来でちょい眺めてみています。前に居並ぶ歩は会社でいえば上司.重役もしくはおれきれきはたまたトップの分身した姿。後ろに控えし玉は新入社員。飛車.角はさしずめ二、三年先に入社した先輩。ヤリにケイマは主任に係長。ぎんにきんは課長に部長。といったところかな。えっ?どうして、飛車と角が新入社員より少し先に入社した先輩になるのかって?ん、それはやね、無鉄砲、ちょっと仕事を覚えかけたところ妙な自信がそうさせる。勢いよく動き回る。役職という縛りが無いことで大胆にも振る舞える。若さ故~♪っていう若さの特権かなぁ。失態犯してもその失態の全責任は会社もしくは上司が負う。個人の責任は個別に問われはしようが、子ども(未成年者)と同じく保護者に監護責任が担わされている。監督義務を怠ったと上司に処罰が課される。ほじゃから、役職が上がる程に動きが大きくはならんやろ。縛りがあるんよ。大胆な動きはとりにくうなる。小さな子もいつかは大きなる。親の背みながら仕事を覚えていくんよ。はじめは、わからんやろだれしも。あっけなく、向かい来る駒に差し込まれ、とられ、盤上から消えていく。リストラやらM&Aで職場から去っていった人。なんでいなくなったんやろね?我が身すてても浮かぶ瀬あれ、と、子どもに行く末託したんちゃうやろか?子は宝いうやん。体験ー失敗糧にして前へ進め時には歩み止め一歩さがれと。いずれは玉が王となり、我ひとり。独りになりしとき、その歩み途方に暮れることのないように囲いし者がいる内に観て感じ触れて考え学びあえ。他者の存在は自己の師である。
ハンメンキョウシ。

この回答への補足

お茶まで持参でお出でいただいたのに
本当は僕のほうが
お茶をたてておもてなしするべきところなのですが...

矢は一点に向かって放たれるのです.

補足日時:2007/05/02 06:15
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この回答へのお礼

いいですね.
変に陽気で浮いている.
西洋で言えば王に仕える道化
日本で言えば太鼓持ち
ぽっくて.
そういう陽気さがlittlekissサンの本性なのですか?

お礼日時:2007/04/30 20:08

将棋の駒は下半分に注目しましょう。


飛車と角行を除くと、兵が9人、車が2台、馬が2頭、将が5人です。
兵は兵です。将は将校のことで、例えば捕虜になっても兵とは待遇が違います。会社で言うと兵が組合員、将が管理職です。もしくは従業員と役員でもいいです。
馬と車はセットで戦車です。
ベンハーっていう古い映画に出てくるやつです。古代の絵文字にもあります。1頭とか3頭とかの馬に引かせるリアカーのすごくかっこいいやつって感じで御者を含めて2,3人乗りです。この当時馬に直に跨るのは野蛮人です。
飛車と角行は後から付けた物でしょう。あえて言えば宝貝、超兵器でしょうか。
対戦するのは駒じゃなくって、対局者ですね。
将軍は軍の中では(盤上では)一番偉いですが、将軍を任命する天皇の方がもっと偉いのと同じです。戦争も天皇がやろうって決めたから、将軍を任命するんですから、盤を上から見ている対局者同士のゲームになります。
で、玉将ですが、5人の将は3種類ですね。
日本の軍隊式だと大将中将少将でも、いいわけです。それが、玉(王)金銀。オリンピック好きなら、金将銀将銅将ってなるわけで、玉は、金や銀の台座の上にある宝石ですね。
日本式で言うと、勾玉でしょうか。インドや中国でも、金銀よりも宝玉の方が価値が高いです。字を見て気づかれたかと思いますが、玉にウ冠を付けたら、宝って字になりますよね。
でも、庶民は勾玉なんてピンときませんから、点をとって王って言ったほうが判りやすいですから、一番偉い駒ということで、王将なんていったんだと思います。そのとき、将って言う字はなんだろうなんて、庶民は気にしません。
なので、一番偉い将校という、玉将というのがピンとこない庶民が王将ってやっただけで、本来は一番偉い将校ってだけの意味です。
将棋では、いちばんえらい将校を取られるのを防げなくなった時が負けた時ということにしました。
将棋は、チェスと違って駒が色分けされていませんから、商業的なトレーディングゲームと考えることもできます。交易で儲けた金や銀を再投資してさらに儲けるという感じです。ちなみに、馬と車の上についた桂と香は高級木材と香木で、金や銀よりは価値は下がりますが、共に交易品です。そして、だんだんと損をしてついに家宝(玉将)まで手放してしまったら、破産ということで負けってことです。
ということで、残念ながら、玉と王の違いを考えるのは、車のハンドルの語源は50セントなんだろうかって考えるくらいに意味がありません。

この回答への補足

もし棋士としての専門家なら
そういうのが棋風としてでるのでしょうね.
これはある意味怖いことだと思いませんか
棋風を通して全てが透かし見られるとしたら.

補足日時:2007/04/30 14:17
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この回答へのお礼

ウ冠に玉で宝
ウ冠にはどんな意味があると思いますか?
家に玉があると宝になります.
玉をくにがまえで囲うと国になります.
玉とは何だと思いますか?
将棋をさす人は意識しなくても王または玉として駒を動かすのでしょうね.
王将という歌があります.
歩のない将棋は負け将棋.
俺は持ちたい歩の心.
って言うせりふがあります.

歩であり王将であるのが玉将なのではないでしょうか?

玉を何故天皇ととらえるのでしょう?
玉は日本のいたるところにいるのに気が付きませんか?
少なくなってきたとはいえ

また王将と表記された駒であっても王であり玉であるかもしれない.
その場合玉と玉の勝負となるのですが
それはどんな勝負になると思いますか?

心が邪だったり,何かに囚われていたり,ひねくれていたりすると
思考が濁りますから.
もう少し素直に考えましょう.
庶民であろうと将棋は指しますし,魂は飛翔します.


僕自身は碁の方が好きなんです.
これも下手ですが.

お礼日時:2007/04/30 14:09

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リベラルや自由主義は、どう考えたらいいのでしょうか?
よろしくお願いします。

Aベストアンサー

 政治思想は、下記のXY軸に表す事が出来ます。(リベラルを日本語に訳したのが「革新」あるいは左派です。)

 Y軸 Libertarian(自由・市場主義 = 小さな政府) - Statist(統制主義 = 大きな政府)
 X軸 Liberal(革新) - Conservative(保守)
 真中 Centrist(中間主義)

 各派の解説は下のURLの解説部分を参照してください。
   http://meinesache.seesaa.net/category/719933-1.html

 自由主義と言うとリバタリアンの範疇になりますが、アメリカの政治に例えると、レーガン大統領より前の共和党政策が旧保守主義(右派リバタリアン)で、それ以後を新保守主義(ネオコン)といい保守と名乗っていますが、実態は左派リバタリアン(左派が保守に転換し、現状を保守する為に革新的手法(戦争など過激な改革を許容する)を執ると言う主義)です。

 自由主義の反対となる統制主義も左派だと共産主義や社会主義、比べると右派に成るイギリスの「ゆりかごから墓場まで(高福祉政策)」などが有ります。

 簡単に言うと、積極的に変えようとするのが左派で、変わらないように規制するのが右派です。そして変える方向(変えない方向)が自由か統制かで分類できます。

 日本には明確に保守を謳う政党が無いので、イメージがわき難いのかも知れませんが…。
 (自民・民主党は中道で、共産党は左派統制主義ですから…。)

 政治思想は、下記のXY軸に表す事が出来ます。(リベラルを日本語に訳したのが「革新」あるいは左派です。)

 Y軸 Libertarian(自由・市場主義 = 小さな政府) - Statist(統制主義 = 大きな政府)
 X軸 Liberal(革新) - Conservative(保守)
 真中 Centrist(中間主義)

 各派の解説は下のURLの解説部分を参照してください。
   http://meinesache.seesaa.net/category/719933-1.html

 自由主義と言うとリバタリアンの範疇になりますが、アメリカの政治に例えると、レーガン大統領より前の共...続きを読む

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人間の 3大欲といわれるものがありましたよね。
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誰が 言い出したのでしょうか?

Aベストアンサー

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>飛車-龍王、角行-龍馬の間につながりがあるのでしょうか
もともと飛車と龍王、角行と龍馬は別の駒です。ご存知かと思いますが、平安時代には駒の種類が多く取った駒を再使用しない大将棋、中将棋などの将棋がありました(中将棋の駒については別添URLご参照ください)。時代が下りルールが簡素化されるプロセスで駒の統合が行われ、よく似た駒の動きが一体化していったものと思われます。

個別の関係というより、いろいろな駒の動きを考え、それぞれに強そうな名前をつけ、後から動き方を中心に整理したのでこうなった、というわけです。

>どう考えても龍>馬な感じがします。 これは「龍王」を略すときに「王」に出来ないから「龍」で、「龍馬」は「龍」はさっき使っちゃったから「馬」って事なのでしょうか
そのとおりだと思います。
なお、諸説ありますが、「竜馬」は頭部が馬、胴体が龍の動物とするものもあり、当時の人にとっては龍王に匹敵するイメージではなかったかと思います。
(例)  ↓
http://homepage3.nifty.com/butsuzo-jidai/page017.html

以上、ご参考になれば。

参考URL:http://www1.odn.ne.jp/konishi/Hobby/Chushogi/

>飛車-龍王、角行-龍馬の間につながりがあるのでしょうか
もともと飛車と龍王、角行と龍馬は別の駒です。ご存知かと思いますが、平安時代には駒の種類が多く取った駒を再使用しない大将棋、中将棋などの将棋がありました(中将棋の駒については別添URLご参照ください)。時代が下りルールが簡素化されるプロセスで駒の統合が行われ、よく似た駒の動きが一体化していったものと思われます。

個別の関係というより、いろいろな駒の動きを考え、それぞれに強そうな名前をつけ、後から動き方を中心に整理したの...続きを読む

Q将棋

王と玉の違い

Aベストアンサー

元々は「玉将」しかなく、「玉」から点を取ったのが「王将」である。
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正直、打ち歩詰めの局面はそんなに出てくるわけではないので、このルールがなくなったところで大きな影響はないと思います。

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なるほど、もっともなご意見ですね。
手持ちの歩というのは紆余曲折あっても基本的には元は自陣の歩だった可能性が高いですから。

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知っている方がいましたら、教えてください。


よろしくお願いします。

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英語の辞書ではこのように説明しています。
http://www.thefreedictionary.com/legend
>One that inspires legends or achieves legendary fame.
伝説になる予感がする、あるいは伝説になるような名声を成し遂げた人物、といったところですか。

>a person whose fame or notoriety makes him a source of exaggerated or romanticized tales or exploits
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Aベストアンサー

エネルギーというのは、簡単に言うと”潜在能力”といっていいと思います。つまり、「エネルギーが在る」とは、「何かをし得る能力が在る」と翻訳できると思います。でも、直感的には「何かをする」には「何らかの力が働く」と考えるのが普通でしょうね。

で、おたずねの件の「分子を振動させる作用」ですが、このように考えたらどうでしょう?

化学結合している2原子分子、A-Bが真空中に在るとします。イメージ的には、バネでつながった2つの球を考えて下さい。
このままでは、振動は”しない”はずで、A-B 間の距離も変化しないでしょう(原子は大きいので、零点振動は無視しますね)。この時のA-B 間の相対位置を基準位置とします。この分子にとっては、この相対位置が安定なのです。

この分子が振動するには、何らかの力が必要です。叩いてもいいし、どうにかして分子中の電子分布を変化させてもいい。そのような何らかの力によって初速度?をもった分子は、”基準位置に戻ろう”とします。つまり、分子は何らかの力を受けたため安定でなくなり、”安定になろうとする能力”、すなわち”エネルギー”を受けたことになります。あとは振り子の場合と同じで、「運動エネルギー」と「位置エネルギー」の交換が起き続けることになります。これが振動の原理ということになります。まあ、巨視的な振動と基本的には同じですね。

最初の初速度は何によってもたらされたのかは、たぶん宇宙誕生と関わりが在ることなのでしょうね。そちらは専門ではないので、代わりにこのような分子の振動が変化する場合はどういう場合かついて2つ述べましょう。

まず一つは、atsuotaさんと同じく、分子間の衝突が上げられますね。

もう一つは、光(=電磁波;分子の振動に対しては、赤外線)によるものです。これは、分子が荷電粒子(電子・陽子)の集合体であるためで、それらと電磁波における”(振動)電場”とが相互作用します。

エネルギーというのは、簡単に言うと”潜在能力”といっていいと思います。つまり、「エネルギーが在る」とは、「何かをし得る能力が在る」と翻訳できると思います。でも、直感的には「何かをする」には「何らかの力が働く」と考えるのが普通でしょうね。

で、おたずねの件の「分子を振動させる作用」ですが、このように考えたらどうでしょう?

化学結合している2原子分子、A-Bが真空中に在るとします。イメージ的には、バネでつながった2つの球を考えて下さい。
このままでは、振動は”しない”はずで、A...続きを読む

Q目処(めど)と目途(もくと)

目処と目途の使い分けについて教えてください。
送り仮名に違いがありますか。
PC辞書で「めど」の変換を探すと目途が入っているのもありますね。
これは明らかに誤用ですよね。

Aベストアンサー

めどはやまと言葉ではないでしょうか。もしそうなら漢字は当て字であり、どちらが正しいというものでもなく、世間で一般的にどう使い分けされているかということに過ぎないと思います。

広辞苑ではめど(目処)もくと(目途)と分けて記載されているだけで説明がなく
不親切です。朝日新聞社の漢字用語辞典では、めど(目処、目途)とあり、私のPCでも、めどで両方が転換できます。

解決のめどがつくとか、目標達成のめどが立ったなどと使われるので、
ものごとがその完成、実現にちかずいたということを意味し、目標とは若干ニュアンスが異なると思います。目標は高くとは言いますが、目途(目処)は高くとはいいませんね(この部分は蛇足です)

Q朝鮮の李王家はなぜ再興できなかったのか?

朝鮮の歴史についての長年のギモンです
かつての李氏朝鮮(この呼び方はヨロシクないそうですが)は、長年の内紛や日本を中心とする列強の圧力により、最終的に当時の日本の併合され以降「日帝36年」の時代が続きます。朝鮮の皇族方は東京に送られ(招かれ?)以後日本の"準皇族"として赤坂(紀尾井町でしたっけ?)にお住まいになることになったそうです。
日本が連合国に降伏し東アジアが 西欧列強+日本 の支配から開放された後、当のエリアが次々と国家として独立を果たす中で、朝鮮半島も南北に分かれながらも一応の独立政府を持つに至ります。

このとき..朝鮮半島の人々の中には李王家についてどのような感情をもっていたのでしょうか?
シロート考えでは、儒教の盛んな国とのこと
「独立回復の暁には、何よりもまず苦労された皇族方をお迎えしてダナ...」
なんて動きがあったのかとおもいきや、どうもそういう話は聞きません。
それどころか、当の皇族方は日本に居続けたような話も聞きます。
独立後の当時の半島の人々の李王家に関する扱いや、想いがどのようなものだったのか?
なぜ、李王家は再興できなかったのか?
後存知の方があれば教えてください。

朝鮮の歴史についての長年のギモンです
かつての李氏朝鮮(この呼び方はヨロシクないそうですが)は、長年の内紛や日本を中心とする列強の圧力により、最終的に当時の日本の併合され以降「日帝36年」の時代が続きます。朝鮮の皇族方は東京に送られ(招かれ?)以後日本の"準皇族"として赤坂(紀尾井町でしたっけ?)にお住まいになることになったそうです。
日本が連合国に降伏し東アジアが 西欧列強+日本 の支配から開放された後、当のエリアが次々と国家として独立を果たす中で、朝鮮半島も南北に分かれな...続きを読む

Aベストアンサー

戦中、李王家は日本の皇族と同じ待遇を受けていました。(日本政府からです)
朝鮮本国からはかなり批判の的でした。(なんせ自分の国にいず、いわば敵国(のような存在の日本)でのうのうと暮していたのですから…実際はかなり情報が入らない状況に王家側がされていたのですが
で、戦後のGHQの指導により、皇族解体がなされます。他の臣民降下(ですか?)した元宮家には、天皇側からの下賜金(が何円か出て、高額な税金対策に対応したそうです)が出たのですが、準皇族であったこと・夫の李垠が陸軍に所属していたこと(戦犯者に属します)・他国の王朝の人間だったことによりもらえませんでした。(ただし所有地に高い税金はかかったので家屋敷は手放さねばなりませんでした)

日本では皇族ではなくなったため、朝鮮本国への帰国を希望しましたが、当時(1948年から)韓国では李承晩政権がはじまりました。彼は李王家の分家筋にあたる人でした。李垠・方子夫妻が帰国すれば直系の方に人気が行くことを恐れて、反日教育をし、李王家は日本に朝鮮を売ったのだと言い、彼らの帰国を許しませんでした。ようするに新政権には邪魔な存在だったのです。VISAの発給もしてくれなかったそうで、長い間無国籍状態で日本で生活していました。

また、李王家の直系は韓国併合時代に死んでいますし、李垠の妹の徳恵姫は元対馬藩主と結婚したものの精神病を患い、日本で入院していました。李垠・方子夫妻は日本、夫妻の息子はアメリカに留学してましたので、戦後の李王朝は直系がいなかったため再興されなかったのだと思われます。実際、李垠・方子夫妻・徳恵姫が帰国できたのは李承晩政権が倒れた後で、日韓の国交正常化が結ばれた後で、1960年代に入ってからでした。(既に国が成り立っていることと、帰国当時の李垠は脳血栓により意識が既になかった状態から再興の考えは上がらなかったようです。息子もずっとアメリカに永住していますし、奥さんはアメリカ人だったかな?)

韓国国民のほうはそんなに李王家に対し嫌悪的な感情は持っていなかったそうで、あまりにも冷遇を続ける李承晩元大統領のほうの人気が下がったらしいです。
しかし、李垠・方子夫妻の帰国前・後でも方子妃が日本人だというのはかなり冷たい目でみられたそうです。

北朝鮮の方はソ連指導下に置かれたため、全く音信不通でした。

戦中、李王家は日本の皇族と同じ待遇を受けていました。(日本政府からです)
朝鮮本国からはかなり批判の的でした。(なんせ自分の国にいず、いわば敵国(のような存在の日本)でのうのうと暮していたのですから…実際はかなり情報が入らない状況に王家側がされていたのですが
で、戦後のGHQの指導により、皇族解体がなされます。他の臣民降下(ですか?)した元宮家には、天皇側からの下賜金(が何円か出て、高額な税金対策に対応したそうです)が出たのですが、準皇族であったこと・夫の李垠が陸軍に所属していたこと(戦...続きを読む

Q人間は考える葦である とは?

ふと頭をよぎったのですが、、
「人間は考える葦である」とはどういう意味なのでしょう? また誰の言葉なのでしょう? 簡単な質問ですみません。 よろしくお願いします。

Aベストアンサー

 
  「人間は考える葦である」というのは、フランスの17世紀の思想家・数学者であったブレーズ・パスカルの手稿にあった言葉の翻訳です。普通、『パンセー Pensee(思索)』という著作のなかの言葉だとされますが、『パンセー』はパスカルの著作ではありません。パスカルは、もっと系統的に、人間、世界、神の秩序や矛盾などを考察した、体系的な浩瀚な著作を著すことを計画していて、そのメモを多数書いたのですが、構想が難しかったのか、または若くしてなくなった為か、計画した著作を完成させずに死去しました。
  
  残された膨大なメモを元に、パスカルが計画していた著作に似たものを編集することも考えられたのですが、とても、それは無理なので、断片集として、計画のまとまりや、内容の関連性などから、おおまかに断片メモを整理してまとめて、一冊の本に編集したのが、『パンセー』です。当然、パスカルの死後出版されましたし、内容は、緩やかなつながりで、長短の断片文章が並んでいる構成です。従って、本のなかの文章はパスカルのものですが、本は、パスカルの「著作」とはちょっと云えないでしょう。ほとんどできあがっていて、足りない部分などを、他の文章で補ったりして、計画通りかそれに近い本を作ったのならともかく、当初の計画とは違う、「箴言集」か「随想集」のような本になってしまっていますから。
  
  それはとまれ、「葦」が弱いものの代表として人間の比喩に取り上げられているのは事実ですが、何故「葦」だったのか、という疑問が起こります。例えば、「人間は考える蟻である」とか、「人間は考える蝶である」とか、また「人間は考えるクローヴァーである」とか、幾らでも考えられます。
  
  これは、誰かの説明であったのか、わたしが勝手に考えたのか記憶がはっきりしないのですが(おそらく誰かの説明です)、人間が「葦」であるということの比喩は、ナイルの河畔に生える葦は、強い風が吹くと、弱いために、すぐしなって曲がってします。風に抵抗できない。いや抵抗せずに、しなって敗北するのである。しかし、その他方で、偉大な樫の樹などは、風が吹くと、しなることはせず、抵抗するので風に勝利するが、しかし、繰り返し風が襲って来た時、何時か強い風に倒され、根元から折れてしまうのです。しかし、賢明に自らの分を知る「葦」は、風が吹くとそれに身をまかせてしなり、逆境のなかで、一見屈服したように見えるが、しかし、風がやむと、徐々に身を起こして行き、再びもとのなにごともない姿に戻って微風に揺れているということが、人間への「比喩」の意味だったはずです。
  
  少しの風が吹くとしなり、風の前屈して曲がるが、風が去ると、また元のように立ち上がる。人間とはこのように、自然や運命の暴威に対し無力であるが、それに従順に従い、そして暴威をくぐり抜けて、また元のように、みずからの姿で立ち上がる。自然界のなかでたいへん弱く、簡単に風にしなるが、柔軟性があり、運命にも暴威にも屈しない。そして何よりも、「考えることができる」すなわち「精神を持つ」ことで、ただ、自然の力、暴威として、力を無自覚に揮う風に較べて、遙かに賢明で、優れた存在である。……このような意味の比喩ではなかったかと思います。
  
  この葦の比喩は、パスカルという人がどういう人だったかを知ると、パスカル自身のことのようにも思えて来ます。パスカルは、四十に満たないで亡くなっています。彼は、少年の頃から神童と言われたのですが、病弱で、一生、病気や身体の苦痛とたたかいながら、思索し実験し、研究し、晩年は、修道院に入って信仰生活を送ることを決意して、自分自身でも、そのことについて、悩み考えつつ、世を去りました。パスカルは、自分に襲いかかる不条理な病や、身体の不調などと、「たたかう」というより、それを受けて耐え、病の苦しみのなかで思索や研究を続け、「精神」において、自然が与えた病の暴威などを、乗り越えて生涯を送った人だとも云えるのです。
  
  暖めた流動食でないと、喉を通らないというようなこともしばしばあったということは、解説書などには必ず記されているはずです。弱々しい「葦」のように、襲って来る風に身をまかせつつ、思索した精神、それがパスカルなのでしょう。パスカルは「人間とは、運命に従順であるが、しかし、精神で、運命に抵抗し、不屈の意志で、思索することで、運命や自然の暴威を乗り越える自由の存在なのだ」という意味で、この言葉を記したのではないかとも、思えるのです。
  

 
  「人間は考える葦である」というのは、フランスの17世紀の思想家・数学者であったブレーズ・パスカルの手稿にあった言葉の翻訳です。普通、『パンセー Pensee(思索)』という著作のなかの言葉だとされますが、『パンセー』はパスカルの著作ではありません。パスカルは、もっと系統的に、人間、世界、神の秩序や矛盾などを考察した、体系的な浩瀚な著作を著すことを計画していて、そのメモを多数書いたのですが、構想が難しかったのか、または若くしてなくなった為か、計画した著作を完成させずに死去し...続きを読む


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