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江戸時代の町奉行所などの与力や同心について教えてください。

同心よりも与力の方が地位は上ですが、どちらも世襲制ですか?
私が聞いたことがあるのは、どちらか忘れたのですが、どちらかが株で売買できるというもので、
どちらかが世襲制だというのですが、どうなのでしょうか?
また、世襲制であれば、与力は若い人であっても与力として経験豊かな中年以上の同心よりも
高い役職であったということですか?

※支離滅裂な文章で申しわけありません。
ご指摘いただければ、補足いたします。

A 回答 (3件)

参考までに(#^.^#)


http://www.viva-edo.com/yoriki.html

今読んでいる本では、与力株は売買出来るみたいです。
でも基本的には世襲制ではないでしょうか。
(身分制度厳しそうだし。)
同心はどうなんでしょ?スミマセン、分かりません。

役職ですが、今のエリート官僚と巡査官みたいに、年齢は関係ないのではないかと推測します。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
与力(の身分)が株になっているのですね。
確かにキャリア警察官僚とノンキャリアの巡査も年齢関係ないですよね。
リンクもありがとうございました!

お礼日時:2007/05/20 23:52

一応与力の下で働くのが同心になっているようです。

ただし、同心といっても譜代であれば無益でも禄を得られ、世襲も可能だったようです(一般的な同心は一代限り)。
与力というのは元々「寄騎」と書き、お助けの勢力を指したようです。大名に加勢させられる「大名与力」という物もあり、一概に身分を表すものではなかったそうです。

江戸時代に入ってからは最下層の旗本として扱われ、騎乗・世襲などは許されたようです。

当然世襲制なので一般的な与力であれば、年長の同心よりも高い身分でしたでしょう。とはいえ、あまり年長者(多くは経験豊富なベテラン)をないがしろにすれば、好ましからざる結果になった事でしょう。
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この回答へのお礼

与力は御家人ではなく旗本だったのですね。
ご回答、どうもありがとうございました!

お礼日時:2007/05/22 12:18

 江戸の南北両奉行所には、時代にもよりますが、それぞれ与力25騎、同心120人がいたそうです。



 与力は禄200石でかなりの高給ですが、お目見え以下、1代抱えの御家人です。但し、事実上は「世襲」。13歳くらいになると、見習与力として働き出し、父親が引退するころには一人前になっていました。

 同心も当然ですが、1代かぎりのお抱え席。30俵二人扶持の薄給。親の跡目をつぐケースが多かったそうですが、これも「新規採用」の扱い。特に手柄を立てても与力への出世はナシだったそうです。

 ウソか真か、毎年「年番方与力」の所へ暮れ(新年?)の挨拶に行き「永年申しつくる」という返事をもらってはじめて来年も勤めることができると確認できた、とかの話もあります。

 どんなに歳が若くても与力が同心を支配し、与力が実際に奉行所の仕事を執行しました。奉行は、大岡越前や遠山の金さんのように、白州の前に座って罪人の取り調べをしたりはせず、与力がやりました。

 与力、同心の株はどっちも売買できたと記憶しています。ただ、公然としたものではありませんが。

 あまり知られていないのですが、江戸幕府は、あまりそういうことに目くじらはたてず、黙認していました。で、御家人株の売買など、けっこう行われていました。町民を御家人や旗本に採用することも珍しくはありませんでしたし。

 有名な勝海舟も、おじいさん(盲目のあんまさん)が越後でためたお金で御家人「勝」家の株を買って、息子の小吉(海舟の父親)を御家人にしたのが、幕臣としての始まりですから。

 幕府は、目が不自由な人の稼いだお金に対して、非常に優遇保護していたんです。今の政府以上でしょう。
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この回答へのお礼

詳しいご回答ありがとうございます。

与力って意外にお金持ちだったのですね。
同心に毛が生えたくらいかと思っていました。

お礼日時:2007/05/23 22:57

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