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よく、「人間として平等」とか「自然権としての基本的人権」という言葉を耳にします。
しかし、果たしてそうでしょうか?
個性的な人間は魅力的で、他と異なる事を善しとするし、自然権なるものを未だかつて、誰とも契約した事がない。男女の違い然り、年齢の違い然り、人種の違い然り、国の違い然り、世の中、異なることばかり。
こういう場合の「平等」とは、一体何なのでしょう?
人間と人間社会だけを特殊にするための方便のように思えてしまうのですが、皆さんはどうお考えでしょうか?

A 回答 (5件)

ANo.3のkokoro2006です。



>生物界でのオス、メス平等についてですが、「役割分担」と「平等」についてはどう考えれば良いですか。

私も愚脳ですので、難しいことはわかりませんが。
例えば植物の世界では、草花や木自体は場所の移動は出来ません。
昆虫の力で受粉し、自分で種を飛ばしたり、鳥に種を運んでもらったり、地下茎で増えて行ったり。
とにかく子孫繁栄の為だけに生かされているとしか思えません。
オスもメスも子孫繁栄の為だけに、其々のオスとメスの役割を果たしているだけです。
そして皆平等に自分の与えられた生命を生きています。
動物も其々の習性に則って、オスとメス本来の役割分担の上で生きています。

でも人間は違います。
人間は時代によって、民族によって、個々の個性によって、其々が己の私利私欲の赴くままに、勝手に男と女の役割分担を決めて、時代と共に変えながら生きています。
何事も一人一人が皆自分勝手に、我が侭に決めて生きています。
でも全ての人間が、自分の思うように選択して生きていけるかと言うとそうではなく、
明らかに一握りの人間によって、家庭も国も、地球の存亡すらも決められてしまう危険な現実があります。
生かされていることは平等でも、男女・人種・国の何一つ取っても平等ではありません。
不平等に与えられた力のある物が勝ちです。

>生物については、どうも「平等」という言葉がしっくり来ないんです。「それぞれ立派に生きている」という意味になってしまうような...

その通りです。
本来地球上の生物は皆、平等に空気を吸い水を飲み、与えられた自然を分かち合いながら暮らして行くはずだった。
でも優れた知能を持つ人間だけはそうは行きませんでした。
人間にとってのより良い暮らしの為に、他の生き物はどんなに苦しい思いをしているかと考えると心が痛みます。

人間は優れた知能を与えられたが為に、本来はその日を精一杯生きていけば済むところを、色々と考え鬱を引き起こす事になってしまっていると、私は思うのですが・・・・
そしてこの優れた知能さえも、皆平等には与えられていませんものね。

男と女の平等も同じです。
同じ生物として同じ空気を吸い生きています。
でも役割分担は明らかに違うと思います。
その役割分担さえも人間社会では、国や環境や個々人の持ち味によっても違っています。
私は一概に言えないのが、他の生物とは違う人間社会の面白いところと捉えています。
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他の人の補足を読むにどうも私の回答は質問者さんが望む方向性とは全く異なるようなので、納得も理解も欠片も得られないかと思いますが。



>人間と人間社会だけを特殊にするための方便
というのはその通りで、自然権や自然状態というのは、王権に対するアンチテーゼとして出てきたフィクションの概念です。王様に従うというか統治機構がなぜ存在するのか(あるいはしてもかまわないのか)ということを考えた時、それが無いと皆困ることになるからというのを理屈でもって正当化した方便です。
ただし統治機構の正当性を証明することと同時に、自然権をある程度制限することになるんだから、それなりのことをしなければならない(しないなら革命したってOK)というお墨付きを与えた理論でもあります。
※それまでは、王様=神様だったので反抗するという意思を持つことすら憚れていたわけで。反抗したって良いんだよという理論的バックボーンが成立したため、後々の市民革命に繋がることになるわけです。

つまり「何のために(自然権を)主張」というのは、統治機構に対してしっかりしなさいと言うために、敢えて自然権というフィクションを持ち出したということです。ということで「誰が決めた」というのは、強いていうなら人類です。
「自然権があるなら自然義務」もあるのかというと、そもそも義務も何もない好き勝手に何やってもOKというのが自然権のそもそもの定義ですから、つまり完全なる自然状態、「万人の万人に対する闘争」状態での義務というのは強いていうなら、生き抜くことでしょうか。男女も性別も年齢も人種全く関係なく、ただ生きるべし。これが誰もが平等に持ってうまれた権利というか、こういう使い方をするなら役割とでも言い換えた方がしっくりくるかもしれません。

人間として平等とか、基本的人権というのは、自然状態で備わっている諸権利の大部分を社会に対して契約することで、ある程度放棄してその残った欠片みたいなものです。日本国の憲法で言えば、例えば表現の自由とか、思想・良心の自由とか、そういった権利までは放棄していませんということで、これは老若男女関わらず誰でも平等に持っている権利として皆が皆に対して認めているわけです。

まぁこんだけ書いてあれですが、質問者さんが聞きたいのはそういうことではなく、単に現代社会での男女不平等とか、ジェンダーフリーな思想とか、そういう流れに対しての反発的な話を聞きたいだけかと思いますが。そういう話をしたいのなら、普遍的な平等論なり、自然権だの言葉を持ち出すのはちょっと方向性が違うかと思います。例えて言うなら、私が示しているのは憲法論の話で、質問者さんがやりたいのは法律論(あるいは理想論と現実論)ということで。全く噛み合っていないというのは重々承知しています。
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この回答へのお礼

お見事です。図星です。
ちょっと大上段で言いすぎでしたか。
でも今回の解説はよく分かりました。
一つ引っかかるのが、自然権や平等というのが普遍的概念と言われているところです。人間社会に特殊化した概念は普遍的とは言えないのでは?
平等とか自然権とか、聞いて、しっくりこないなあと、いつも思うのは、下世話に言えば「分け前をよこせ」程度のことを、あたかも普遍的な概念のような言葉「自然権」「平等」で代表させていることです。
あまりものを知らない私のような者が「自然権」と聞けば、生きとし生けるものすべてに在るんじゃないか、なんて思ってしまうわけです。それで、じゃあ、俺とナメクジは平等かなんて、下らない屁理屈を言いたくなってしまうのです。

お礼日時:2007/05/28 19:29

男と女は平等か? と問われると、



私は世界中何処を見ても、男女平等も人間としての平等もあるように思えません。
まさしく人間と人間社会だけを特殊にするための方便。
私もそう思います。
これらは人間独自の考えに基づく物と思います。


>個性的な人間は魅力的で、他と異なる事を善しとするし

これは時代によっても国によっても違うと思います。
現に戦前の日本人は、国の政策に添えない個性的な人間は、皆投獄されていましたし。

でもこの平等は、他の生物や植物の世界では成り立っているように思えます。
オス・メスの平等は確かに確立していて、、
でもオスとメスの役割分担は明らかに違っています。
人間は優れた知恵を与えられたばかりに、この原点を見失ったように思います。
人間だけが違うと言う過信や驕りから、その原点を見失っているのだと思います。

本来は人間皆平等、男女平等と行きたいところですけどね。
中々人間社会そうは行きませんね。
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この回答へのお礼

鋭いお考えですね。時間があったら、もう少し考察をお聞きしたい所です。
生物界でのオス、メス平等についてですが、「役割分担」と「平等」についてはどう考えれば良いですか。生物については、どうも「平等」という言葉がしっくり来ないんです。「それぞれ立派に生きている」という意味になってしまうような...
研究者ではないのでよく分からないのですが、「平等」と聞くと「階級闘争」を連想してしまう愚脳です。全く平等な2人の男女、というのが想像出来ないです。

お礼日時:2007/05/28 00:53

世の中に平等と言うのはなかなか転がっていないように思いますね。


平等と言うより公平ですよね。
平等と言う言い方をするなら、世の中不平等なんてありふれてますよね。
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この回答へのお礼

同感です。
逆に言うと、100%公平な社会って、どんな社会でしょうね。想像つかないです。

お礼日時:2007/05/28 00:26

自然権や基本的人権というのはもっと原始的なレベルでの人が持つ権利のことですよ。

当然自然に生まれもっている権利なので、契約するような性質のものでもありません。質問者さんが具体例に挙げておられるようなことは瑣末的な話です。

原則的なことを言えば、年齢の違いや男女の性別の違いはあっても生存する権利は誰しも認められています。
具体的に示すなら、例えば犯罪を犯しても、それを弁明する権利は誰にでもあります。その権利が平等ということです。お金持ちでも貧乏人で優秀な弁護士を雇えるか雇えないかの違いはあったとしても、裁判の席上で、弁明することは誰でも自由に出来る権利があるということです。
ただし全ての権利が認められているわけではなく、例えば拘束されたり、不愉快な指紋の押捺などについては、これは公共の福祉に反していない限りは認められています。
また基本的人権の範疇は広いもので、最近では新しい権利もどんどん増えていっています。プライバシーの権利、環境権などなど。これらの権利についても同様に、子供だからとか、在日だからとかで、権利に差があることはありません。

ただしこれらはあくまでも日本国内の話ですので、例えば中国などは基本的人権すらない人がたくさんいらっしゃいます。拷問されたり、統治者の気分一つで虐殺されたり。
最低限の基本的人権とはどういうものかという部分については、一応世界人権宣言なんていう世界的な統一見解が出てはいるのですが、強制力はありませんので無視することはできます。
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この回答へのお礼

うーん、どうも納得できないです。「生存する権利」が生まれながらにある、とは、一体、誰に対して、何のために主張しているものなんですか? それに誰が決めたのでしょうか?
自然権があるなら自然義務もあるの?

お礼日時:2007/05/27 16:13

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