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宮城谷昌光氏が執筆されている「孟嘗君」なのですが、どこからどこまでがノンフィクションなのか、わかりません。本書の中の孟嘗君と義父の白圭は史書においても義父子の関係なのですか。
お詳しい先生方、どうぞ宜しくお願いします。

A 回答 (3件)

詳しい者ではありませんが、知っている範囲内で述べます。


孟嘗君の出自はNo.2さんの答えの通りです。
ただ妾腹で5月5日生まれの為、父の「田嬰」は殺せと命じました。  妾は殺せず隠して育てました。
成人して父と対面し、「5月5日生まれの男子は背丈が戸口の高さになった時、父を殺すと伝えられていますが、ならば戸口を高くすれば良いではありませんか」とやり込めたそうです。
宮城谷氏はこの育ての親に「白圭」なる人物を当てたわけです。
創作かなにか根拠があるのかは、宮城谷氏に聞かねば判りません。
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この回答へのお礼

Pinhole-09様
わかりやすく教えてくださり、ありがとうございます。
その創作の絶妙さが、本当に魅力的に感じます。

やはり自分で史書をしっかり読むことが大切なのですね。
改めて実感しました。

お手数おかけいたしました。

お礼日時:2007/05/30 18:00

孟嘗君は、「史記」によると、本名「田文」と言います。


中国の春秋戦国時代の「斉」の国の「薛」の領主・田嬰の子供として生まれた方です。
斉の国王の一族です。
従って白圭と義父子という関係は、間違いで、むしろ白圭は、出入する商人かあるいは、食格につながる人であったというのが本当のところだと思います。
ご参考まで
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
やっぱり関係なかったのですね。
田嬰には食客がたくさんいたと聞きます。また、「孟嘗君」には田文もその食客を大切にされていたとありました。その中に張儀などがいますが、それも話を面白くするためのものなのですかね。

色々とありがとうございました。

お礼日時:2007/05/29 13:43

 宮城谷さんの小説は私も大好きです。

氏の中国に題材をとった小説は全部持っているんじゃないかな。

 で、白圭ですが、モデルになった大豪商というのですか、商売の神様的な商いの大家はいて、実際に大河の管理などに資財を投じたりしていたようですが、孟嘗君とは直接のつながりはなかったと。それでもつながりをつけることで物語が活き活きと動き始めた・・・ みたいに、ご自身がどこかに書かれていたように思います。なにかの後書きだったかなぁ。

 単なる記憶ですので、他の方から「違うよ」と言われればきっとその方がお書きの通りなのでしょう。その程度の記憶です。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
fujic-1990様も宮城谷さんの小説が好きなんですね。私は太公望が一番好きです。

あのもし知っていればでいいのですが、上記のことを考えると白圭と商(革央)の関係もフィクションなんですね。

太公望のことでお聞きしたいのですが、あの登場人物の中にきょう族の少年たちがいますよね。あの子達は歴史上の人物として史書などに載っているのでしょうか。

色々とありがとうございました。

お礼日時:2007/05/29 13:49

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