アプリ版:「スタンプのみでお礼する」機能のリリースについて

地方語、共通語、標準語を、説明してください。あと、それぞれについて、あなたは、どのようなものであったらよいとおもいますか?

A 回答 (4件)

長くなりますが、学説の紹介をさせてください。



【地方語】
方言ですね。ネイティブ(土着的)な言語です。
古語とかがたくさん残っていて、それぞれ調べると楽しい。

【(従来の)共通語】
たとえば日本人とインド人が話をしようとして、
おたがいのことばが使えないし分からないとき、
やむを得ず英語を使って話します。
この場合の英語を「共通語」と云いました。
この共通語の実体はその時その時によって違い、
東京のことばに近い場合もあれば、大阪のことばに近い場合もありました。

【標準語】
明治時代になって、日本が独立国として諸外国と交流をもつことになった時に、
日本各地の方言のちがいがあまりに激しすぎ、
外国の人たちに「これが標準の日本語だ」といえるものを作っておく必要に迫られました。
当時の国語学・言語学の最高権威上田万年が、
「教育ある東京人の話すことばを標準語とするにふさわしい」と述べ、
首都・東京のことばが候補に上がりました。
そして明治~大正にかけて「東京のことばが日本で一番正しいことばだ」
という考え方が定着してゆきました。

ところが昭和2年、安藤正次が
「標準語は現実のことばではなく理想的な日本語である。東京語その他をもとにして作り上げたことばが標準語である」と述べ、地方や学会に支持されました。
これを《理想の標準語》と呼びます。
全国には主に書きことばとして広まり、話しことばとして普及はしませんでした。

しかし実際にことばを教える現場である教育界や新聞・出版界などでは、
完成されていない標準語(品位に欠ける語を除いただけの東京語)を使いつづけていました。
これを《現実の標準語》と呼びます。

大正の末にNHKが創設されました。
NHKは《現実の標準語》を放送用語としました。
これで《現実の標準語》がようやく話しことばとして普及することとなります。
地方にもどんどん《現実の標準語》が浸透していきました。

【共通語】
標準語という名前は、それに対する方言はいやしく不正なもの、
やがては統一されて消滅すべきだいう語感を持つとして、
国立国語研究所が全国共通語の意味を持つ「共通語」と名づけたそうです。

共通語は東京起源の語ばかりではないようです。
たとえば敬語表現は、元は関西起源のものだそうです。

○見マセン・行キマセン(「ン」という否定語は関西のもの)
×見マシナイ・行キマシナイ(関東は「ナイ」という否定語を用いる)

○白ウゴザイマス・嬉シュウゴザイマス(音便化するのは関西のみ)
×白クゴザイマス・嬉シクゴザイマス

もう一段丁寧な言い方に、
シテオリマス・見テオリマスなどがありますが、
「オル」は関西の語です。

【おまけ・東京語とは】
女性語や丁寧語、発音、東京の前身であった江戸の町の事情、江戸文学を見ても、
東京語は関東地方の方言とはかけはなれた、
京阪地方のことばや発音にかなり近い語だったようです。
ということで、東京語は全国の方言を代表する一方言という性格をもっています。

本当に長くなってしまった。ごめんなさい。<(_ _;)>
    • good
    • 1

aonekoさんの回答すばらしいですね。



皆さんすばらしい回答を出されているので僕はちょっと違った視点から、かすかな(?)意見を述べたいと思います。

【標準語】これは「国語」と同意義ではないですか?なぜなら、その国ではそこ言葉がおおよその場合通じるのです。ある「国家」がその国の標準言語を決めるのです。日本であったら「日本語」。中国であったら「普通語(北京語)」。フランスであったら「フランス語」。米国であったら「英語」というように。
同一の言語を使用するということは、その集団の結束力を強めます。たしか、「民族」の定義の仮説のひとつであったと思います。これは、他国と戦争をする必要が生じた「国民国家」の生成時に政府が国民に対し強制したものだというようなことを習ったような気がします。
国語があるおかげで、まぁいろいろと問題が生じますよね…。戦争には強くなるけど。
たとえば、有名な例ではスペイン国内の独立運動など。

どのようなものであったらいいかはわかりませんが、理想としては、多くの人がその生まれ持った言語に誇りを持って大切に守っていくような社会が好ましいと思います。

P.S.あるフランス人の映画監督が新聞の小欄に書いていて、ナルホド!と思ったのですが、言語って、記憶ですよね。
まとまらなくてごめんなさい。

では!

注)補足を強く求めます!
    • good
    • 1

一般的な定義を簡単に説明します。



地方語:
地域固有の言語形態、いわゆる方言に近いものです。
あるいは独立した言語でも極めて狭い地域で、限られた人口の間でのみ使用されているときにも使います。

共通語:
異なった母語をもつ人間がコミュニケーションをとるときに互いに用いる言語です。
例えば、日本人と韓国人が会話をするときに共通して操れるのが英語しかなく、
英語で会話をすれば、英語が共通語ということになります。
インドなどでは多くの言語が使われていますが、
ある程度は英語が共通語として機能していますよね。

標準語:
一つの言語にはいくつもの変種があります。
例えば日本語でなら関西弁、東北弁など。
数ある変種の中で、その言語の標準型とされているものが標準語です。
学問的な手法で文法の体系化がなされ、正書法が確立されており、
学校などで教育されている変種です。

標準語は一つの言語の中での問題です。
共通語は複数の言語が混在しているときの問題です。

以上、お役に立てたでしょうか。
意見については他の方々に譲りたいと思います。
    • good
    • 0

地方語というのは、方言と解釈してよろしいでしょうか?



地方語…ある地域、地方限定で話されている言語
共通語…(日本国内で)だれとでも話がわかる、地域限定ではない言語。
しかし誰にでも通じているわけでも使えているわけでもない、欠点の多い
部分多し。
標準語…共通語の欠点を補った言語、つまり完璧な共通語。しかし
全国民投票とかできるわけでもないし、学者がいくら決定しても
しらない人がいる=使えない人がいる為に、生活、文化に馴染まない机上の空論。

…と、習いました、方言概論で(笑)

どのようなもの?う~ん…理想としては、そりゃ国語の授業で
どちらも勉強させて欲しいですよね。
英語も大事だけど日本語も勉強させてほしかったなあと思います。
これが私達の土地に馴染む昔からある言葉で、共通語との違いはこうで、
とか。
高校生だったら自分の地方の方言を品詞分解もできるでしょう。
関西地方だったら、自分たちの方言に古典の面影を見つけることが
できると思いますし。
また、言語は絶えず変わっていますので(共通語でも年輩の方と若い子は
違いますよね)、そういった日本語自体の流れを掴めたらもっと面白い。
今の国語の教育だと、共通語は素晴らしい、方言はあか抜けず今どきでは
ない、という色があるのは否めないと思います。
それは色んな人から育てられている子どものことばを強制させていることに
なるわけで、大袈裟に言うと言論統制です(やっぱりオーバーかな)。
逆に田舎にありがちですが、違う地方のことばをバカにすることがあると
思うんですけれども、そういう違いをどう受け止めるか教えるのも
足りないよな今の国語教育。
なんか教育論が強くなって、欲しかった御回答と違うかもしれませんが…。

ただ、私はここがしっかりしてさえいれば、
日本語がどのようなものであっても良いと思うんですよ。

言語は流動的なもので、一時的に間違った日本語であるとされて
いました「全然大丈夫」という日本語も定着しつつあります。
(でも間違った日本語と言われていました「全然~(肯定文)」ですけれど
も、明治時代あたりでは「全然~」の下に必ずしも否定文が来る必要は
なかったそうですね。で、その後に「全然~(否定文)」の時代が来て、
また肯定文の時代が来た、と。何かに書いてありました(爆))
言語は変わるものですし、地方色もあるものですし、一概に「これ」と
言えない部分がたくさんありすぎると思うのです。
(ある特色や特徴はあっても)
なので、そういった違いをどうとらえるか、それをしっかりさせていれば
どんなんでも良いと思います。

これが「○○語だ!間違いだ!」というの自体が私的には言論の自由
剥奪。しつこい?(笑)
強いて言うんだったら、ある土地から引っ越した際に、引っ越した先の土地
の言語を勉強して使ってみようとするのは、少しした方がいいように思い
ますが。新しい土地に馴染むために。そのくらいでしょうか?
    • good
    • 0

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!