チョコミントアイス

メイフラワー号でやってきたピューリタン達は、祖国での弾圧を逃れてアメリカにやってきましたよね。
そして、そのほかにも宗教の弾圧を逃れてやってきた人が多数いますよね。
だから、アメリカの建国の目的の1つとして、信教の自由な国をつくるため、というのがあると思っていたのですが、
彼ら(ピューリタン)がやってきた1620年と、独立宣言が採択された1776年まで、50年ほどあいてますね。。。
この2つの出来事は、直接は関係ないのでしょうか。

ずっと、”新しい(価値観を持った)国”として、アメリカは移民によって作られた国と思っていたのですが、そういえば、アメリカ建国=独立戦争は、イギリスの植民からの独立だったよな。。。と考えると、わけがわからなくなってきました。

しかも、アメリカは複数の国に分割され、植民地となっていましたよね。。。
なぜ、独立戦争の時、対イギリスなのでしょう。。。
他の国の支配権というのは、いつの間になくなってしまったのでしょうか。
スペインやフランスの権利は、すべてイギリスに奪取されていたのでしょうか。

そしてそもそも、独立宣言までは、イギリスの力が大きく及んでいたわけですが、
どうして、そのような国にピューリタンを始めとする移民は行ったのでしょうか。
また、同じように弾圧されそうですが・・・。

今さらなようなのですが、
今までに疑問に思ったことないので、ちょっとあせってます。
わかる方がいらっしゃたら、教えてください。

A 回答 (6件)

詳しい史実については下記リンク、および、そのページから飛べる更なるリンクをご覧ください。

特に「独立戦争」をクリックしてみてください。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%A1% …
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A1%E3%82%A4% …

まず、今は米国となった土地には、既に「先住民」がいました。いわゆるネイティヴ・アメリカン、昔で言うインディアンですね。もともとコロンバスやらイギリス人やらが勝手にやってきて国を作ったのは横暴だった、というのが今の米国の都市部の一般的な考え方ですが、「国」というものは、そう簡単には作れません。50年なんて早いほうなんじゃないでしょうか。

そもそもピューリタンは、迫害を逃れたかったわけで、正式な「国家」など作らなくても、迫害のない地で、先住民に助けられながら、衣食住を享受できれば、それで幸せだったのだと思います。それこそが既に彼らの「国」だったのでしょう。イギリスだって、自分たちのお城や一般市民から遠く離れたところでピューリタンたちが宗教儀式をやってる分には構わなかったのではないでしょうか。

しかし、それも人数が少なかったうち。やがて欧州の農作物の不作などの影響で人がどんどんヨーロッパから来ると、いろんな人が「天下を統一」したくなったのでしょうね。合衆国独立の時点で州の数は13、“敵”はイギリスでした。なぜなら、独立戦争の前にいろんな争いを通じてイギリスが勝ったからです。

そこから合衆国はどんどん領土を広げていき、その過程で、二束三文で土地を買収し、スペインやフランスとやり合い、先住民と殺しあうなり居留地に追いやるなりして、州の数を徐々に増やしていき、現在の50州にまでなりました。星条旗の星の数は常に州の数を表していますので、映画などで星条旗が出てくると、だいたいの時代設定が分かります。

結局、いつの世にも、宗教は先住民を言いくるめるのに使われたり、戦闘の大義名分にされたり、かと思うと力を持ち過ぎた時点で邪険にされ、国を統一することは正しいことだとされてきました。また、「信教の自由」といっても、つい最近までは、「キリスト教の範囲内での自由」に限りなく近かったと思います。余談ですが、「自由」は米国の最大の強みであり弱みでもあると思います。誰もが自由に意見を言い合える。それだけに、意見を強く言うものが買ってしまうのですよね。でも、弱い意見にも挽回の余地はあります。
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この回答へのお礼

回答、ありがとうございます。

世界の歴史は、”宗教”によって動かされている部分が多くありますよね。
人を正しく導く分にはよいのですが、人を操作しだすとかなりやっかいだと思います。

>そもそもピューリタンは・・・
信じるものと、助け合える隣人と、リッチではないかもしれないが、豊かな暮らし。
それが本当の幸せなのかも知れませんね。

お礼日時:2007/07/01 22:54

メイフラワー号伝説


一種のプロパガンタです。
独立戦争当時においても、結構王党派もおり、アメリカが独立してからイギリスに戻ったりカナダに行ったりしています。一枚板ではありません。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%83%8A% …

http://en.wikipedia.org/wiki/Loyalist_%28America …

イギリスに反抗するときに、「イギリスの許認可のもと、一山当てようとして アメリカに来たんですよ 僕たちは」というよりは、「イギリスから、自由を求めてアメリカに来たんですよ 僕たちは」と言った方が、かっこいいでしょ?
そういう意味での 伝説 プロパガンタです。
アメリカ人の主力は、前者の、一山当てよう!派ですから。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

すべてを、教えられるままからしか見ないのは、危険ですよね。

一山当てようというのは、下品なようですが、
でも、力強い原動力になるのかもしれません。

少しの間、NYに滞在していたことがあるのですが、
昼にそこら辺で働きながら生活費を稼ぎ、夢のためにがんばっている人たちを見て、
「生きる」ってこういうことなんだよな~ってしみじみ思いました。
一山というのは、何も金銭に限ったことではなくて、
自分の可能性を広げて、大きな夢を実現することと考えたら、
ステキなことですね。

お礼日時:2007/07/02 19:18

英国史と米国史を比べながら見て行きますと理解できると思います。



メイフラワー号当時のイギリスでは、イギリス国教会は、保守派と改革派の対立が起こっていました。
これは、スコットランドから来たスチュアート朝が、イングランドに長老派の考え方を持ち込んだため、イングランド人の多くが従来の国教会の保守性をより改革しようとしたために改革派(ピューリタン)が起こりました。
そのため、ピューリタンと言いましても、色々な考え方があり、ひとつの教派にはまとまっていませんでした。

保守派は、王家と結びつき、ピューリタンを弾圧します。
その過程でメイフラワー号のイングランド到着がありました。
アメリカ大陸に逃れた人達ばかりではなく、逃れた人が最も多かったのはオランダでした。

政権を握った国教会保守派は、その後カトリックや長老派にも弾圧を加え、その結果国民の多数の反発からピューリタン革命を引き起こしてしまいます。
ピューリタン革命で中心となったのは会衆派でした。
政権を握った会衆派は、長老派やカトリック、水平派などを弾圧したため、クロムエェルの死後急速に力を失い、王政復古をゆるしてしまいます。
王位についたチャールズ2世は、カトリックを擁護したため、国民の多くの反発を買い、名誉革命へと流れて行きます。
名誉革命後、国教会保守派が政権を握り、ピューリタン諸派やカトリックを弾圧します。
王政復古以降、弾圧を逃れて多くのピューリタンがアメリカに渡ります。

ピューリタン革命のころから、イギリスとフランスによるアメリカ大陸の植民地争奪戦が活発化します。
植民地では、植民地の勢力増強のために、本国人の殖民を奨励していました。
多少問題のある人物(ピューリタン)であっても、他国(フランス人)に奪われるよりはマシだという考え方も有ったと思われます。

イギリスとフランスにおける植民地間の戦争は、1689年~1897年ウイリアム王戦争、1702年~1713年アン女王戦争、1742年~1748年ジョージ王戦争、1756年~63年フレンチ・インディアン戦争と続きます。
この間にフランス領植民地は、しだいにイギリス領となって行きます。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

遠く離れた土地でも、
歴史がつながっている部分があるということがおもしろいですね。

やっかいな存在のピューリタンでも、敵国と比べたらまだマシという考れえ方は、
なんとも、人間の欲をむき出しにした感情ですね。

お礼日時:2007/07/02 00:19

独立戦争とピューリタンは関係ありません。


独立戦争のきっかけはフランスとの戦争でかかった経費をアメリカ在住民に負担させようと新しい税を導入しようとしたことが原因です。
これに対してヴァージニア州(アメリカ移民の最古地域)などが反発、1777年にパトリック・ヘンリーが「神よ我らに自由か死を与えたまえ!」と演説のち、独立戦争を起こすことが決議され戦争になったのです。

アメリカ移民のほとんどが新天地を求めたのではなく、雇用主に同行してアメリカに来たのです。彼らはプアホワイト(貧しい白人)と呼ばれています。彼らの存在が南北戦争の一因とも言われています。彼らは今も家族を食わすため、勉強したいがために軍隊に入っているのです。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

アメリカの在り方には、いろいろと問題視される部分も多いと思いますが、
国王による統治から民衆を中心とする政治体制への革命は、
歴史的に大きいですよね。

お礼日時:2007/07/02 00:14

貴方は独立後に初めてわんさか人が押し寄せたと考えて


居るのですか? では、独立以前は?  
白人基準で前人未踏の荒野?

そこに人が居なきゃ、「戦争」も出来ませんよ。

独立前に人が居た事を不思議そうに書いて居られるので
一寸、気に成りました。

それから1620年から1776年迄、156年と思い
ますが?

先ず、米国史の骨子位、御質問の前にお調べ下さいね。
多分、調べてないのでは、と推定します。

それから、「自由」とは、WASPの側に立った時だけ
自由の意味ですからね。
他民族には「世界で最も不自由で理不尽な国」である事
もお忘れ無く。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました。

そうですね、156年ですね。失礼いたしました。

質問文でインディアンに触れなかったために、誤解を招いたのかも知れませんが、
それは、アメリカ建国の精神と、メイフラワー号でやってきた人たちに関連性はなかったかどうかが知りたかったからです。

それに、独立以前が前人未踏の荒野と考えている人は、まずいないのではないでしょうか。
こういう、虐げられてきた人々のことは、学校でもくどいくらいに教えられます。
確かに、独立後に移民が多数(わんさか)押し寄せてきたこともありましたが、
たとえば、IVYリーグを取ってみても、すべて独立以前にできていますので、
それなり(以上)に、人間はいたはずです。

あと、アメリカの歴史を語るに、先住民の存在ははずせませんが、
”建国”のこととなると、やはり一番の表舞台に彼らはいないと思います。
残念なことですが。

お礼日時:2007/07/02 00:06

メイフラワー号は 伝説です。


事実としてメイフラワー号はありましたが、アメリカ独立時点では、ジョージア州やヴァージニア州<その時の王や女王に由来する州の名前。
ニューヨークは、オランダから奪取した旧ニューネーデルランドなど、基本的にイギリスの許諾、影響下で植民地は開発されました。

精神としてメイフラワー号が称揚されているだけであり、主力はイギリスおよび王家の勅許状をもらって植民地を作っております。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

伝説?
プロパガンダのようなものということでしょうか。

お礼日時:2007/07/01 22:58

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