ソシュールの入門書などを読むと、以下のように言っているように思えます。
<< この世界は、言語によって切り取られるまでは、混沌とした一体であって、個々の「もの」は存在しない。>>
もし、それが正しいとすると、「リンゴ」という言葉がないと、「リンゴ」という「もの」は存在しないということになりますが、それは、おかしいと思うのですが。もちろん、「リンゴ」という言葉を知らなければ、目の前にある「リンゴ」を「これはリンゴだ」とは言えないのは確かです。でも、だからと言って、「リンゴ」と名づけられるはずの「もの」そのものが存在しないということはならないと思います。
ソシュールはどういう意味で、上記のようなことを言ったのでしょうか?
No.1
- 回答日時:
直接回答するよりも、質問者が考える手助けになりそうなリストを示してアドバイスとしたいとおもいます。
次のような「もの」は言葉より先に存在するでしょうか?A リンゴ 果物 樹木 植物 生物
B 指先 手先 手 手首 ひじ 二の腕 腕 人体
C 川 川の流れ 川の水 川の水の色 川の水の冷たさ 川の水の味
さて、どうでしょう?
ご回答ありがとうございました。
言葉より前に存在すると思われるのは「具体物」だけですね。上の例で言うと、「リンゴ一般」ではなく、「目の前のリンゴ」は存在する。「果物一般」ではなく、「目の前のリンゴやバナナやミカンやナシなど」は存在する。同様に、「ひじ一般」ではなく、「自分の腕の折れ曲がった部分」は存在する。「川の水の色一般」ではなく、「目の前の川の水の色」は存在する。
ということだと思います。
言葉を知らなければ、その言葉が何を意味しているかはわからないわけですから、それが存在しているかどうかは判断しようがないわけです。でも、だからといって、目の前に厳然と存在する「具体物」が存在していないということにはならないと思います。すなわち、言葉がなければ、この世界は混沌だということはないと思います。
No.2
- 回答日時:
「人の見方こそが事物を事物たらしめている」
私、ソシュールの入門書読んでおりませんので御質問者様が仰る
>以下のように言っているように思えます。
<<この世界は、言語によって切り取られるまでは、混沌とした一体であって、個々の「もの」は存在しない。>>
これのみ信用して申し上げますネ。
>だからと言って、「リンゴ」と名づけられるはずの「もの」そのものが存在しないと
だからと言って?
ソシュールは本当に、だから「もの」そのものが存在しない、と言っているんでしょうか。
「切り取られるまでは」
「個々の「もの」は存在しない」
とソシュールは言っているんですね?
でっちあげということとは違うのなら、そもそもないものを、どうやって「切り取る」のでしょうね。
ご回答ありがとうございました。
>「個々の「もの」は存在しない」とソシュールは言っているんですね?
入門書を読んだレベルなので、私もよくわからなくて質問させていただいております。
No.3
- 回答日時:
こんばんは、kobareroさん。
●この世界は、言語で切り取られるまでは、混沌とした一体であって、個々の「もの」は存在しない。
うーん、と、
◎この世界=混沌とした一体
◎個々の「もの」=言語で切りとられたもの
↑
とが、それぞれ等価とすると何が残ったか?
●「存在しない」
存在しないと等価になりそうなのは何だろう?
う…ん…
時間だ!時間が抜け落ちてる。時制、現在.過去.未来とみていくと変化してる。
等価であったものが時制により等価ではなくなり別の名により等価となる。入れ替わる。
何かを得ることで、何かを失う…等価交換
【ヤドガリの成長】
http://www.chiba-muse.or.jp/UMIHAKU/kikaku/14mar …
No.5
- 回答日時:
ソシュールについてはわかりませんが、、、
・「実在」と「実像」
・「物」と「思考」
それらの組み合わせを考えると、私に実存する「モノ」は、「思考の中の存在」だけということになります。
ここで、実際に存在している「物」と「思考の中の存在」とを比べると、「実像」とは「実在」の『虚像』に他なりません。
「我思う、ゆえにわれあり」
だから、存在しないのではないでしょうか。
ルネ・デカルト - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AB%E3%83%8D% …
上掲サイト中段辺り、「形而上学」以下、方法的懐疑・コギト・エルゴ・スムを参考に。
哲学の諸問題 バートランド・ラッセル
http://www.geocities.jp/mickindex/russell/rsl_PP …
ご回答ありがとうございました。
デカルトが光についての物理的知識をどこまで持っていたのかわかりませんが、少なくとも、現代科学の視点からは、「赤いリンゴはリンゴ自身が赤いわけではない」ことは明らかです。従って、我々が見ている「現象としてのリンゴ」と「リンゴの実在(実体)」が別のものであることは確かだと思います。
ただ、ソシュールが言っているのは、あくまで「現象としてのリンゴ」と「言語:リンゴ」の関係であって、「リンゴの実在(実体)」と「言語:リンゴ」の関係ではないように思います。
というのは、「リンゴの実在(実体)」については、「リンゴ」という言語ができたからと言って、それが明らかになることはないと思うからです。
No.6
- 回答日時:
オッカムの言語哲学
http://www.sal.tohoku.ac.jp/~shimizu/medieval/oc …
3 〈記号1〉から〈記号2〉へ / 規約による記号から自然的記号へ
上項、後段辺り、「アリストテレスとオッカムとの食い違いについて」を参考に。
いずれにしても、実像と心像とを区別しています。
ソシュールの思考は、オッカムに近いものかもしれません。
**訂正**
#5において、「実在」と「実像」と書いていますが、「実像」と「心像」の誤りです。すみません。
ご回答ありがとうございました。
済みません。アリストテレスとオッカムについては、背景を知らないので、教えていただいたURLだけ見た判断に過ぎないのですが、いずれの場合も、既に「もの」ありき、であって、その既にある「もの」と記号の関係を論じているように感じました(間違っているかも知れませんが)。
もし、そうだとすると、ソシュールの立場とは違うように思います。ソシュールの場合は、その「もの」自体が、言語で切り取られるまでは混沌として分明でないと言っているように思います。
No.7
- 回答日時:
参考までに
今、全ての文献を大学に返してしまったので、引用するのは少しむずかしいですが、大雑把にですが僕の説明できる範囲で説明したいと思います。(ソシュールのsemioticsの説明になるので、phenomenology, ontologyに関してはふれません)それと日本語の専門用語が僕は分らないので英単語が混ざりまがご勘弁を。
まず、西洋哲学の流れを少し書きますね。ソクラテス/プラトンの時代から、2項対立(binary opposition/dichotomy) の図式がありました。これはspeech/writingという2項対立の中で、speech有利という考えがあったんです。"Plato defines: thought (of which is supposed to be the pure expression) as kind of "writing inscribed in the soul" (Gutting, 2001, P.293). スピーチは常に現在(present)起こる現象で、文章はその見えない陰(absent)にあるもとして考えられてきました。
ソシュールはこの2項対立を差異として考えて行きます。差異とは互いが互いを必要とするということです。(しかしソシュールもこの2項対立の中でspeech(parole), signifier(sensory impression)有利の姿勢はくずしてはいません)。つまり一つの記号(言葉)は片方をを単に消したりするのではなく、-他の言葉との共存- 他を必要とするということを言っています。(ひょっとしたらこれはデリダよりの意見になってしまっているかもしれません)
そこで質問者さんのリンゴを例に挙げます。リンゴという単語、それ一つの記号としてだけでは僕たちはそれがなんであるのか理解できません。バナナがあって、メロンがあって、そしてリンゴはバナナとは違うし、メロンとも違う、こうした違いによって僕らはリンゴがなんであるか理解します。もっと深く言えば、リンゴは赤色、球体、 バナナは黄色、長形状、メロンは緑色、球体 これら全ては記号の差異としてその関係をお互いに支え合っているのです。こうした違いの中、リンゴという単語が消えれば、かつてリンゴと呼ばれていた物体は言葉の差異から消え、差異の外へその存在を消えてしてしまうのです。
確かに、質問者さんの言う通りリンゴという単語が消えても物体は残ります。でもソシュールは物体の存在が実際に消えるだとか、そういうことを言っているのではありません。そしてここでいう”この世界は、言語によって切り取られるまでは、混沌とした一体であって、個々の「もの」は存在しない”は差異について述べているのだと思います。
僕は実際にソシュールの文献にふれたことはありませんが、特にラカンとデリダ、フーコーを通して今はソシュールを考察しています。また分らないことがあれば、質問にお答えします。でもきっと、僕よりももっと良い回答を貰えると思いますよ。
参考まででした
ていねいなご回答ありがとうございました。
今、リンゴ、バナナ、メロン、ナシという言葉の中から、リンゴという言葉が消えても、かって「リンゴと呼ばれていたもの」と「バナナ」と呼ばれているものの差異が消滅するということはないのではないでしょうか。すなわち、「リンゴ」と呼ばれる「もの1」と「バナナ」と呼ばれる「もの2」の間の差異は、「リンゴ」、「バナナ」という言葉があってもなくても、厳然と存在すると思うのですが。どう思われますか?
No.8
- 回答日時:
リンゴを食べる虫の事を考えると、この虫はわれわれから見ると確かにリンゴを認識しているように見えます。
しかし虫はリンゴと一体となっていて時々刻々虫自体も変化していきます。つまりわれわれが虫に成り代わってリンゴを認識しているに過ぎません。つまり虫はりんごあっての虫であって主体的に存在しているのではないということです。人間は脳が発達した為にリンゴと一体化して時々刻々変わらない言語を作り出したということではないでしょうか。人間がリンゴをかじっても虫が食べるときと同じようにリンゴは時々刻々変わっていきます。体から考えると人間も虫と同じです。こういう状態を混沌といえると思います。言葉はこのような混沌という液体を保存する容器のようなものと考えると言葉のほうが後でよいのではないかと思います。ご回答ありがとうございました。
済みません。虫とリンゴの関係についてのお考えは、何をおっしゃろうとしているのかよく理解できませんでした。多分、私にとって、虫の心は理解の範囲を超えているためだと思います。
もう少し身近な例で、例えば、サルの場合はどうでしょうか。
サルは、リンゴもバナナも食べます。ある種のサルは、芋を水で洗って食べます。これは、サルとって、リンゴ、バナナ、芋、水は、言葉で区別はできなくても、心で区別しているということではないかと思います。ということは、この世界を言葉で切り取るまでは、世界は混沌としているとは言えないと思うのですが。
No.9
- 回答日時:
「実在」と「実存」
「実在」と「実像」
「実像」と「心像」
「姿」(figure)と「形」(shape)
を考察した上で、
真理と虚偽の本性について B・ラッセル
http://www.geocities.jp/mickindex/russell/rsl_oN …
バートランド・ラッセル
http://www.geocities.jp/mickindex/russell/idx_ru …
を読んでみてください。(1900年代に記したものなので、非常にまとまっていると思います。)
私の質問との関連からは、少し離れてしまっているように思いますが、参考にさせていただきたいと思います。ご回答ありがとうございました。
No.10
- 回答日時:
ソシュールさんという方は知らないのであて推量で考えてみます。
自我に目覚める前の赤ん坊にとっての世界は「混沌とした一体」であるだけで十分、ということにもなるのでしょうか。
快をもたらすものか不快なものかだけで十分納得していると思います。
「言葉によって切り取る」という行為は「個々のもの」を認識する欲求に駆られるからで、また、それが言葉が必要とされる理由でもある。
りんごという言葉が無くてもりんごは存在するが、たとえば食べられるものかそうでないものか、だけの区別より必要とされない場合、言語としての「りんご」は不要である、といったような意味かと感じました。
>「リンゴ」と名づけられるはずの「もの」そのものが存在しないということにはならない
:というより、その実がりんごと名づけられていなければ、バナナと名づけられるものもないはずで、さらに果物という言語もないでしょうし、「植物」もなく、「当初の位置を動かないもの」「食べられるもの」といったような感覚でしか捉えられないでしょう。
ですから動物にとっての「この世界」は無いということになるように思います。
人間が「この世界」という認識を持つのは、すでに言語による「個々のもの」の切り取り作業がある程度進んだからこそ、といったようなことになるのか、とも思いました。
ご回答ありがとうございました。
>ですから動物にとっての「この世界」は無いということになるように思います。
確かに動物にとっては、「この世界」と言われても、それが何を意味するかはわからないわけですから、我々が言っている「この世界」はないと言えないこともないですが、だからと言って、動物にとって、目の前の森や、自分を襲ってくる敵や、雷の音や、風や、川の水がないと言うことにはならないと思います。動物は、それらを総称して「この世界」と呼んだりはしないというだけのこではないでしょうか。
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