ショボ短歌会

終戦間際で、国体擁護にこだわって時間食って、いろいろ被害を拡大させましたが、なぜこれほど国体に執着しなくてはならなかったのでしょうか?国民のためを思ってのことでしょうか?

A 回答 (11件中1~10件)

当時、政治の中枢部にいた人達の多くが「国体」を利用して権力や財産を形成してきていたから、自己(家系)保身のためにも「国体護持」を建前にせざるをえなかったのです。



天皇制は究極の無責任体制です。

「国民のためを思って」のことだったら、はじめから日米開戦なんてありえませんよ。戦争中に軍関係の資金でボロモウケして高笑いしていた人間が政治と深く結びついていたわけです。

天皇家や天皇制が無くなっても庶民は何にも困らないですが、なくなると困る人達が、今はアメリカの傘の下で、自己の利益を守るために、復古主義的な政治活動を続けています。
これらの人達は、「国体」も「鬼畜米英」も自分の都合で擁護している醜い連中ですね。
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この回答へのお礼

結局、利権の問題なのかもしれませんね。そう考えると実に心さむからしめます。天王星が、究極の無責任体制とおっしゃる事に、まことに同調するものですが、私はさらに、日本の国民も含めた全般的な無責任体制の象徴であるといってもよろしいのではないかと。例えば、ドイツやイタリアは、自分たちの選出した元首が非道を行いましたが、しかし、権力者は自分の意思で持って行っており、それを国民が選んだという明白性がある。責任の所在がはっきりしています。日本は、責任を誰にも負わせないという、とても美徳とは思えない体制を貫くわけです。美徳と考える事もできるでしょうが、私はどうも同調できない。

そして、利権は戦後も生き延びるのですね。

お礼日時:2007/07/30 09:50

国体がなくなれば日本が日本でなくなるからです。

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この回答へのお礼

日本が、幻想を抱いたまま、主体性なくして存在する国だとすればです。

お礼日時:2007/07/30 09:46

あなたの疑問は、臣民と国民の差からくるものです。


戦後生まれは主権在民を当然と思ってますが、
明治憲法では主権が天皇にある主権在君です。
この意味の違いあなたが思っている以上に大きく、
価値観の決定的な相違があります。
現代人の我々は誰かに忠誠を尽くすとか、
誰かの臣下でいるような人生をおくっていませんが、
それが当然と思う世界では、考え方が根本的に違ってくる。
明治以後の日本では極端に単純化された武士道の精神を尊びましたが
国体とはすなわち「お家」であって、お家のために死ぬことが
武士道なわけであって、臣民たるもの天皇のために
文字通り命をささげるのが美徳とされたわけです。
一億玉砕をしてでも守るべき最後の砦が、国体の維持。
逆に言えば、天皇の退位ぐらいまでは考えがあったわけで、
連合軍と日本の価値観の相違から最後の詰めの腹の探りあいは
なかなか一筋縄ではいきませんでした。
また日本は戦争勃発直前も、昭和維新とかいって、騒然たる状態で
軍部の統制がきかなくなっていました。
開戦からして軍部の暴走がしきっていたわけで、
終戦もいかにして軍部を黙らせるか、という一点が最も難事業で、
もし簡単に、降伏でもできればよかったんですが、
軍部の抵抗を抑えるには、軍部にも戦闘継続不可能を納得させる必要が
あったわけです。それには多くの人命のいけにえが必要でした。
実際馬鹿げた話ですが、戦争とはそういう馬鹿げたことが
まじめに事実となる世界なんです。
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この回答へのお礼

ドイツイタリアの例を考えておりまして、例えばヒトラーやムッソリーニは、国民が選出した人たちであり、自分たちの医師で持って崇拝する事を決めた。しかし、日本は、上から強制された教育であり、本当の信念というものは醸造されなかったのではないか?思考停止といってもいいかもしれません。結局一般国民は、主体性というものを経験しないで終戦まできてしまった。戦後もその傾向は続きます。ばかげた事は、国民の無抵抗からも怒ってしまったようです。

お礼日時:2007/07/30 09:45

為政者の意図はおいといて、国体護持(天皇制継続)の結果としての効果に関して。



社会学で言うところのアノミー状態が軽微に終わった。
と、言えるかと。
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この回答へのお礼

それが健康的なものであったかですね。もちろん、無政府状態恐慌状態に陥る事は否定するべきでしょうが、そこから何か新しい本当に納得できる形態が生まれる可能性があったならば(革命?)とも思います。現実的には、長いものに巻かれ続けるにほんじにっぱんには無理だったでしょう。

お礼日時:2007/07/30 09:42

終戦間際になっていきなり国体護持がクローズアップされ、もたついた訳ではなく、もともと


国体護持によってそれまでかろうじて戦争そして国家そのものを維持していたから。
精神論だけで。「欲しがりません、勝つまでは」「ぜいたくは敵だ」

国体ヲ変革スルコトヲ目的トシテ‥に始まる「治安維持法」。
昭和の始めから20年間、国民への国体護持の思想統制に猛威を振るいました。
一般庶民は思想統制や検閲などをそんなに意識していなかったようですが、「羊の毛を刈っても
鳴かない」ようにと、忠良なる帝国臣民として立派に教育されていた訳ですね。今の北朝鮮状態?
政権内の人間は、このままではマズイと分かってはいても、舵の切り方が分からない。吉田茂など、
政権外にいて人脈を持ち判断能力もあるリベラル?な人も皆拘束・監禁され、八方塞りの状態。

国体護持の思想統制が国民のためを思って始められたのではないのは明白ですが、結果として、
敗戦後の国内の混乱を最小限に抑えたという効果を生んだとは、歴史の皮肉ですね。
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この回答へのお礼

お答えいただいたのは、大きな問題を示唆している気がします。そもそも、日本人はこれでよかったのかという事。軍部の威嚇に対して、理不尽な思想教育をされ実践させられ、しかも、行き着いた先がその犠牲になることだったのに、なおも、おとなしく方針に従い続けるだけ。おまけにUS GO HOME!
とも言わない。

お礼日時:2007/07/30 09:40

1945年7月26日のポツダム宣言から受諾するまで、約3週間かかりましたね。

その間原爆投下が行われたのは周知のとおりです。

それほど時間がかかったのは国体擁護の問題だけでななく、軍部がその他にいろいろ条件を付けさせろ。と言ってた事もあるとは思います。
軍隊の自主的解散や戦争犯罪人の国内処理などです。

私は国民のためを思い、いろいろ議論がかわされて終戦が遅くなったと信じたいのですが、軍隊の自主的解散や戦争犯罪人の国内処理などは国民にはそれほど関係のない話であり、諸事情があるにしろ、国民のためを思うのであれば一刻も早く終結を迎えたほうがよかったと思います。
ソ連参戦後の日本における共産革命が怖いのならなおさらです。

歴史に対しての意見のため、結果論的なことも入っていますが、国民のためを思ってかどうかは疑わしいところもあるということです。
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この回答へのお礼

軍部は本当に覚悟が決まらないというか、引き際が悪いです。結局負けたとは思っていないし、大元帥閣下の配慮も不満なんですね。もはや狂気の状態です。しかし、軍隊というのは所詮狂気状態が常態でなければ、やっていられないものなのかもしれません。その是非はあるのですが、国家に軍隊が必要ないとはまた言い切れない問題です。しかし、大元帥閣下に絶対忠誠を誓ってたわけでもないという2枚舌がここで暴露されている。

お礼日時:2007/07/30 09:37

別の観点から回答を。



サイパン島が陥落し、いわゆる本土絶対防衛権が突破されました。
具体的には日本全土がB-29の爆撃範囲に入り、その後の戦火が示すように日本中が焦土となったわけです。

政治家や海軍の高級軍人の一部は、もはや抗戦不可能と悟りますが、軍首脳は徹底抗戦を主張し続けます。
その彼らをなだめ、何とか日本を講和(実質は降伏)に持ち込むための文句が「国体護持」であったわけです。

もし「国体護持」を持ち出さなかったら、軍部はクーデターを起こしてでも戦争を継続したでしょうね。
実際、軍隊の一部はクーデター未遂事件を起こしています。

参考:ウィキペディア『宮城事件』
 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%AE%E5%9F%8E% …

もし、国体護持を主張しなければ軍部の大半がそちらに流れてクーデターは成功し、軍の言うことを聞かない昭和天皇は退位して、軍の操り人形になる皇族が代わって即位することになったと思われます。
そして本土決戦が実行に移され、日本国民の血が流れきるまで戦っていたことでしょう。
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この回答へのお礼

軍部というのはいつの時代も、祭り上げる存在のために動くという命題を持っているようで、その対象を奪うという取り決めに対しては、断固反対するしかないのでしょう。宮城事件は知っています。これはまったく機能しませんでしたね。

お礼日時:2007/07/30 09:34

>国民のためを思ってのことでしょうか?


思っていませんでした。
天皇のためあるいは、貴族が自分の権利維持のため、軍隊が自分らの維持のため、天皇を必要としていました。
「国民のため」ではありませんでした。
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この回答へのお礼

そうでしょうね。ただ、どこの国が「国民のため」の戦争をした事があるのかというと疑問です。しかし、結局国民は兵隊供出要員でしかないわけです。

お礼日時:2007/07/30 09:30

終戦の反動で、民主化しすぎると社会主義国家になる危険性があったから。



CIAが、対イラン用にイラクのサダム・フセインを支援したのと同じ。
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この回答へのお礼

そういう恐れも考慮した事でしょうね。

お礼日時:2007/07/30 09:28

それは、当時の政治家に限らず、いま現在の安倍首相などもそうですが、「日本の国の根本は天皇制にある」という考えがあるからです。


「国体」とはすなわち天皇制による日本の統治、ということです。
そのような思想の当否はここでは言及しませんが、この思想を現在よりはるかに強く当時の政治家たちが持っていたことは想像に難くありません。
日本が無条件降伏を受け入れたのも結局連合国側から天皇制の維持が保証されたからに他ならないのです。
「国民のため」ではありませんでした。
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この回答へのお礼

その思想が、どういう強迫観念によっているかですね。明治維新では必要な概念だったでしょう。それが大正デモクラシーから天皇機関説が台頭しそれが妥当な考えだったのに、無理やり異端とされという、そんな歴史の流れの中での、民主的な健常な精神になりつつあった終戦時に、なぜ存続させる必要があると考えたのか。いかなる黒幕的背景があるのか、よくわかりません。

お礼日時:2007/07/26 12:08

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