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関が原の合戦の際、五奉行の増田長盛や前田玄以が徳川家康に内通したとされていますが、
その話の出典は何なのでしょうか?
資料名や、できればその大まかな内容など教えてくださると嬉しいです。
よろしくお願いします。

A 回答 (1件)

「板坂卜斎覚書」に永井直勝(家康の家臣)宛の増田長盛書状が、のってます。



 一筆申し入れ候。この度樽(垂)井に於いて大刑少(大谷刑部少輔吉継)両日柏煩両日滞留、石治少(石田治部少輔三成)出陣の申し分候て、ここもと雑説申入候。猶追々申すべく候。

 七月十二日                増田右衛門尉長盛

 永井右近太夫殿(永井直勝)

毛利輝元の大坂到着が7月16日ですから、非常に早い段階での情報提供になります。
前田玄以については、「内府ちがひの条々」(家康を糾弾する公文書)を出した責任者になっていたのに、戦後、本領安堵された事実から、内通を憶測されたのでしょう。こちらは状況証拠しかありません。
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この回答へのお礼

お礼が遅くなってしまいすみません。
戦後、増田長盛は改易されてますよね、
なのに何故主に増田長盛が内通したとされているのか、
不思議に思っていたのですが、そんな書状があったんですね...。
おかげですっきりしました。
詳しく教えてくださりありがとうございます。

お礼日時:2007/08/09 20:38

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