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戦後、幾度となく繰り返され続けている「歴史問題」ですが、それらの論争の明け暮れに、結局歴史認識に「客観性」「普遍性」を望むのはナンセンスなのかという思いに暗澹とした気持になります。
つまり「歴史」というものは、「哲学」と同義であり、
それを認識するものの主観によって全く異なった歴史解釈が成り立つ・・・・

ヒロシマ、ながさきに原爆が投下されたことは紛れもなく事実です。ナチスのホロコーストや、南京の大虐殺についてはすでに「偽りだ」という声があります。

歴史とは所詮「解釈」の歴史であるとすれば、
我々は、結局どういう立場(ポリティカルなスタンス)を選択するかということが限界で、客観的な歴史認識というようなものは永遠に不可能なのでしょうか?

だからこそこのような言葉が生まれるのでしょうか?

『人間が歴史から学ぶこと、それは人は歴史からなにも学ばない。ということだけだ』

A 回答 (5件)

 


最初に、認識はすべて主観的なものであって、主観認識を超える客観認識は、「もの自体」として、想定はできても、認識はできないということを述べたのです。ものごとの存在だけでなく、価値や評価は、もっと主観的なものであるのです。

実在は、客観的事実というコアと、主観的認識・評価・把握のオーラの二つからできているのです。主観的認識や主観的評価を離れた「事実だけのコア」はないのです。

また事実や事件や出来事は、「意味」に関わるもので、「意味」は、客観的事実の領域にあるというよりも、主観的な評価というか、主観の実存のなかで現生するものだとも言えます。

広島やヴェトナムやナチスの大虐殺などは、現在生きて利害関係を持つ人がいるあいだは、客観的・冷静に捉えることは無理で、関係者が死に絶えて、利害に関係しない人が、冷静に起こったことを判断できる、例えば、千年後でないと無理だというのは、一つの考えなのですが、反対に、千年後の人には、事件の渦中にいた人々、その影響のなかで生きてきたる人々の捉えられる「出来事の意味」は、掬えないという事実もあるのです。

事実のコアとオーラで言えば、オーラの強烈な影響は薄らいだが、オーラがあって、その意味の了解において、初めて、事実や出来事が「何であるか」を了解していた、その了解が消えてしまうと、意味不明の記号の羅列が歴史にもなってしまうのです。

人間の感情や価値観がまったく分からない宇宙人が、1万年前から人類を観察していて、詳細極まりないデータを集めていても、彼らには、それは「何を意味するか」が分からないのです。

意味の呪縛から解放されているので、冷静に判断できるのかも知れませんが、それは、歴史を「理解」したことにはならないのです。

歴史学者には、二つの才能が必要だと誰か著名な歴史学者が書いていたと思います。一つは、事実を歪曲することなく、資料・史料に基づいた客観的な研究をする「科学者」としての才能。しかし、それだけでは、歴史学者にはなれず、もう一つ、人々の感情や希望や欲望や絶望や理想を理解し、心で再現し了解できる、小説家の才能が必要だというのです。

史料はそこにあるだけでは、歴史を語ってはくれないのです。史料から「生きた時代」を構想するイマジネーションと感情移入の才能が必要なのです。

つまり、ローマとカルタゴのあいだで何が起こったのか、2千数百年が経過したが故、冷静に眺められるのではなく、実は、本当に何が起こったかを知ろうとすれば、当時の人々の心や感情のなかに入って行く想像力が必要で、その場合、やはり、どちらかに肩を入れた歴史の見方になってくるのです。

実在の構造から、果たしてそう確言できるのか不明なのですが、科学は、その方法前提として、事実や出来事は、客観的に存在するもので、人間の評価で、事実が変化するものではないという大前提を、措定するのです。

これはまた、世界が独我論の宇宙ではなく、間主観的存在であるという事実とも合致するのです。しかし、間主観とは、客観ではないわけで、事実をめぐるコアとオーラの比喩は、どこまでも有効なのです。

歴史事実やその史料の作為的隠滅や捏造は、この世俗時間のなかでは、出来事は、「磨耗して行く」定めにありそうな故に、消えてしまった歴史の証言資料は、消えると(磨耗すると),或る意味、もはや回復不能だとも言えます。

楽観的には、消えたと思っていたものも、実は、地中のどこかに埋もれているか、または、従来知らなかった、過去の出来事について知る歴史再現技術が、何かの方法で発見されるかも知れないという期待はあるのです。

日本の歴史にしても、天武・持統の前の歴史は、通説とはかなり違っているのではないかという疑いがあります。聖武は、ふらふらと遷都して、さまよった挙句、大仏を造れと言い出した、気の弱い、少し頭のおかしい人間ではなかったのかという見方が一般だったのですが、発掘調査で、聖武の仮宮というのが、慌てて造ったようなものではなく、十分に計画され準備されて造られたものであることが分かってきて、聖武のイメージを変えなければならなくなっています。

また、史料に基づいた妥当な歴史書の編纂というのも、このこと自体が問題を含んでいるのです。中国の王朝正史は、確かに,後継王朝が先の王朝の正史を編纂しました。しかし、先の王朝の正史をと言う時、先の王朝の開始時点は、正史編纂の時代から五百年前、あるいはそれ以上前ということもあったのです。

そんな古い時代の歴史がどうして分かったのか。これは、中国では、国家事業というより、文化的習慣で、王朝の治世などを、記録して行くという伝統があった為です。五百年間のあいだに、そういう史料が、中央政府において、地方において、蓄積されて行き、いざ編纂となると、利用する史料が多数あったので、編纂が可能になったのです。

しかし、正史を編纂し終わると、正史だけが残り、正史編纂に使った史料は、散逸するというのが通常の事態だったのです。前の王朝について、次の王朝が、正史編纂を慎重にしたのは、実は、前の王朝の後裔勢力がまだ残っている時代に正史を編纂すると、そういう記述は嘘だ、歪曲だという前の王朝について詳しく知っている、後裔や学者がいて、正史に傷がつくためだとも言えます。

前の王朝の滅亡後、十分時間をかけて、編纂史料を抑えてしまい、異論を唱える者がいなくなった頃に正史を編纂すると、誰もおかしいと主張する者もいないので、何が、本当で嘘かわからないことが正史に残るのだとも言えます。しかも正史編纂史料は、大体散逸するので、正史しか残らなくなり、都合の悪いことは、歴史記録に残らないというようなこともあったとも言えます。

「日本書紀」には、「紀一書」というものが出てきます。これはそういう本があるのではなく、日本書紀編纂の時に、参照した歴史史料のなかで、日本書紀本文で述べているのと、違った記述になっている史料があった場合、「一書にいわく」という形で、異説・別の記録があることを記したものです。

編纂に使った史料類は、どこかに消えてしまいました。もし残っていたら、「日本書紀」がどういう編纂を行ったのか、どこまでが史実なのか、どこまでが編集作為なのか、判定材料になったのでしょうが、史料は残っていないはずです。

>しかし、一方でわたしが引っかかっているのは、
>「何人も恣意的に捏造・改変することのない史料」
>というものの存在です。

簡単に言えば、そういう「史料」はないのだということです。客観的記録を残しているつもりで、恣意的に歪曲することが多々あるでしょうし、複数の主張があれば、どれかを選ばないといけないでしょう。複数の主張があると書き残すと、「日本書紀」のように、別の史料は違うことを述べていたと後世に伝えることになります。

>当時の仮にFBIが全ての不都合な証拠をなくしてしまえば
>それこそこの事件は永遠に藪の中ですよね?

少なくとも、ケネディは暗殺されたこと、国家が何かを隠蔽して偽装工作をしたこと、それらは分かっている訳です。「真相」というのは、どの程度のレヴェルのことか問題ですが、二百年後か五百年後には、真相がわかるかも知れません。あるいは一週間後にも、極秘ファイルが、どこかで公開されるかも知れません。

完全に消したと思っていて、実は、残っていることがあり、また反対に、無数の庶民大衆の人生などは、消そうと誰も意図していませんが、自然と、時間のなかで磨耗して行き消えて行きます。

>「厳然たる事実」というものが、古今東西、歴史のあらゆる局面において必ず存在している。歴史はその上に成り立つ実証主義だ・・・・

できごと・事象の「コア」の実在を前提にしなければ、歴史学は成立しないです。事実を我々に伝える資料が、磨耗したか消えたか、改竄されたか、分からなくなっても、事実のコアであるできごとは存在したのであり、だからこそ、架空の人物ではないかと言われていた太安万侶の墓などが見つかり、驚くのです。

もしできごとに客観的基盤がなければ、発掘とか遺跡調査などは無意味でしょう。何か消えてしまったように思えるものの痕跡が、地面の下に埋もれていると考えるので、考古学は成立します。何もないのなら、無意味でしょう。

しかし、考古学は、色々なことを明らかにして来たのです。釈迦は、神話上の人物で、実在した人間ではないと、西欧の学者は考えたのですし、東洋でも、釈迦の実在など証明するものは何もありませんでした。しかし、釈迦の遺骨を納めた容器と、ストゥーパの痕跡が見つかって、釈迦は実在の人間だということになりました。

キリスト教なら、イエズスは、歴史的には実在が確認できません。「死海文書」が発見されて、イエズスは、ますます架空の人物ではないかという疑いが出てきました。それに対し、パウロが実在したことは疑いがありません。しかし、奇妙なことに、パウロがどのようにして死んだのか記録に残っていません。作為的に残さなかったのだと思えます。

歴史の事実のコアは、物理的に実在したもので、それは、存在したが故に、その存在の痕跡をどこかに残しているのです。しかし、歴史の「意味」を理解しようとするとき、人間が認識できるのは、事実のコアではなく、オーラと一緒になったコアなのです。

おびただしい事実の記録や記憶が消え去り、わたしたちに残っているのは、そのごくごく一部でしょう。しかし、一部であっても、膨大な量があり、何千人,何万人の人がいても、全部を解釈しようもないのです。

「歴史観」というのは、わたしは、トインビーの文明史観を基本的に枠で考えてしまうので、歴史を、空しい、暴虐と愚行の反復とは考えないのです。テイヤール・ド・シャルダンのヌーススフェアはいささか疑わしいとは思っても、精神の星星の世界への飛翔を期待しているのです。

あるいは,人類もまた滅びるのだとしても、宇宙に精神は永遠でしょう。
 
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この回答へのお礼

重ねて長文のお答えありがとうございました。

もっといろいろ教えていただきたかったのですが、

この度一身上の都合により退会することになりました。

いろいろおせわになりました。

中途半端になってしまい申し訳ありません。

さようなら。

お礼日時:2002/08/06 04:12

まず、「客観」というのは、厳密には人間にとって不可能なものだったりします。

辞書の定義によれば「客観的」とは「特定の個人的主観の考えや評価から独立して、普遍性をもっていること」とあります。歴史問題などの場合には、特定の利権やイデオロギーに傾かない、公平な、万人が認める事実のみを言うような態度、といったところでしょうか。しかし、人が「客観的であろう」とすること自体は、極めて主観的な態度であり、ある種の価値判断に基づくものです。知識至上主義、科学至上主義とでも言いましょうか。

例えば自然科学者などは、インディアン(アメリカ原住民)の持つ擬人的自然観を荒唐無稽だと却下するでしょう。では、科学者の持つ無機的、機械的な、自称「客観的」な自然観は、インディアンのそれより優れているのか? ハイデガーが指摘したように、自然を単なるモノ・資源と見なし、自然に対する畏敬の念を完全に失った、この西欧近代特有の人間中心主義的自然観は、近年の環境破壊問題の根本的な原因とも言えます。また、自然と共に質素に暮らすインディアン達の暮らしと、文明の利器に溢れた近代社会に暮らす我々とで、どちらがより幸せか? 近代科学者の「解釈」に代表される自然観、世界観が必ずしも「客観的」に優れているのではないわけです。それは個人主義同様、近代特有の産物であり、現代人の多くが信奉しているというだけであって、別に「真実」などではありません。

「歴史問題」を神様でもない人間が扱うからには、その解釈は主観的にならざるをえません。歴史を単なる事実として捉え、厳然たる知識の蓄積のみを目指す、知識欲旺盛な歴史学者の態度もまた、上の自然科学者同様、実は「客観的」たりえません。知識至上主義もまた一つの価値基準だからです。人の持つあらゆる知識は、人にとっての何らかの「必要性」「便利性」から生まれてきています。それはウヨサヨの政治に限りません。その限りで、純粋に客観的な知識は、人間にとって不可能です。

参考URL:http://fugue.port5.com/ph_guide/index.html
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この回答へのお礼

ありがとうございました。

哲学科出身者として、もっといろいろお話しがしたかったです。

さようなら。

退会いたします。

お礼日時:2002/08/06 04:14

 


「客観的認識」というものは、カントの批判哲学からしても、哲学的に不可能なものです。「もの自体は認識できない」ということが、そのことを意味しています。

ア・プリオリとカントがした認識枠あるいは普遍知識以外の部分では(ということは、ほとんどの知識認識は)、主観の後験的な認識によって、その知識の把握や評価が決まります。価値評価もまた、理性的知識判断のなかに入ると考えられます。

「事実認識」について、わたしたちが、現にいま認識していることでさえ、主観の枠規定が入ってきて、同じ情景を見ても、その「意味」が、見る人によって違って来ます。ましてや、過去の資料や記録などでしか伺えないことになると、どういう出来事が起こったのか、それはどういうことであったのか、個人個人の評価主観や把握主観で違った把握になります。

しかし、このことは、「人間は歴史を、後から自由に作ることができる」ということを,必ずしも意味していないと思います。オーウェルの「1984」に、過去の歴史を、時の政権に都合のよいように、基本資料も含め、勝手に改竄して捏造する体制のことが出てきて、これは、米ソ冷戦における、大国の歴史捏造をパロディーで表現しているものです。

しかし、このような「パロディー」が成立するということは、デカルトやベーコンの懐疑に通じている訳で、経験から真理あるいは「事実」をどうやって正しく導出するか、また理性における明晰判明な事実とは何かという問題がなお有効だということを示しているとも言えます。

「事実の帰納法則」や「理性の明晰判明性」も、相対的なものであると言えば、その通りですが、「科学の真理や事実」は、オープンな討議において、事実の検証が許容され、かつこれが実証の基準であるという場面では、似非科学や捏造科学は、排除され、淘汰されます。

「歴史学」も科学であり、それは、政治的宣伝や、何かの意図による、歴史事実の捏造や歪曲とは別の次元の「方法論」と「実証手順」があります。

価値判断については、確かに、研究者の所属する社会や時代の価値観が、どうしても過去のできごとについて、歪曲を与えてしまうものでしょうが、歴史学の過去評価について、それ自身が歴史となり、歴史学の対象となるのであり、どのように、時代の価値観が、過去の評価に対し歪曲として作用したか、そのような、実証研究もまたあるのです。

そこからは、人は、多くの歴史資料や、過去の歴史解釈の歴史を示す資料を検討して、オープンに判断し討議すれば、一面的な、特定の時代や社会や政権にとって都合のよいような歴史解釈は、もっと大きな視野のなかで、相対化され、その視野狭窄や歪曲や欺瞞性が明らかになるということがあります。

世界についての事実知識が増えれば増えるほど、その解釈に対しての一面的な間違いが反省されればされるほど、より「客観的な世界把握」へと近寄るのであり、こうして多くの事実資料が蓄積され、多くの議論や解釈を通過すれば、世界の認識は、「ばらばらな無意味なもの」へと発散して行くかと言えば、事実はその逆で、外的世界についての知識の増大は、外的世界の豊かな確定性を、ますます明らかにして行くということが経験的に明らかになっています。

歴史は、一回的個別的な過程で、そこに「法則性」を見出しにくいということと、何が過去に起こったのか、それはどういうことであったのかという、基本的な「事実認識」や、その評価判断は、根拠のないプロバガンダや独断ではなく、事実資料に基づく方法論的な過去の再現という手順では、芥川の「藪の中」と反対に、過去は、資料によって、ますます明らかになって行くことで、それをどう「価値判断し評価するか」は、ある時代、ある社会状況で意見が分かれても、そのような過程そのものが、すでに述べたように、歴史学の対象になっています。

つまり、過去に何が起こったかは、歴史資料に基づいて、科学的手順で再現されるもので、新資料の発見などや、資料の新しいより客観的な豊かな解釈という方向での発展で、過去の出来事の再現について修正が加えられても、資料の無視や捏造による過去の出来事の訂正は、訂正ではなく、捏造であり欺瞞であるということです。

広島や長崎に原爆が落とされたことは、歴史的事実であり、それがいかに悲惨なことであったか、どれだけの被害者が出たかは客観的な歴史的事実として確立されています。これをひっくり返すには、実在する歴史資料を末梢し、資料捏造でも行わないと無理でしょうし、そういう操作を行っても、かつて、広島、長崎に原爆が投下されたという記録そのものが歴史資料になっており、すべてを、末梢すると、逆に、おかしいということが明らかになってくるのでしょう。

原爆投下が正当なものであったか、なかったかの評価は、投下した国家や、日本周縁の国家が、政治的意図で、その意味付けを与えようとしている現在では、彼らの言い分や、日本の国家や、メディアにとって都合のよい言い分が流通し、その内部にある者には、どの主張が妥当であるか、視野が不透明なのは事実です。

しかし、そのことで、原爆投下の事実が消える訳ではなく、その残虐性が、消える訳でもないでしょう。それが歴史的事実でしょう。広島・長崎の被害者は、死者千人ほどで、十万もの即死者ではないなどという主張が出てくれば、それは歴史捏造であり、虚偽宣伝でしょう。

ナチスのホロコーストは「なかった」という主張が、歴史資料や証言を無視した歴史歪曲であることは明白なことです。ホロコーストが存在したという証言、歴史資料はあふれるほど存在し、直接資料も間接資料も無数にあります。

このような事実が「なかった」という主張は、歴史学的に無理があり過ぎるということになります。そういう主張をする人が大勢いるとか、例えば仮にドイツも国家として、ホロコーストの存在はなかったという国家宣言をしてみても、歴史資料は、そういう主張の妥当性を保証しないでしょう。

他方、南京虐殺については、大虐殺を、裏付ける歴史資料がそもそも欠如していると言わざるを得ないでしょう。むしろ、大虐殺などなかったという歴史資料の方が圧倒的に多いのが事実です。中国政府がどう主張しようと、資料に基づかない主張は、政治的意図による捏造だということになるでしょう。

歴史的資料に基づいて、大虐殺が証明されるなら、日本が国家としてそれを認めるか認めないかに関係なく、歴史的事実は事実であるのです。事実か事実ないかが曖昧なものについては、事実認定について論争があって当然でしょうが、南京の事件については、事実認定の論争ではなく、政治的宣伝論争というしかないでしょう。

>つまり「歴史」というものは、「哲学」と同義であり、
>それを認識するものの主観によって全く異なった歴史解釈が成り立つ・・・・

「事実の存在」は、解釈の問題ではないのです。歴史的資料に基づいて、歴史学の方法で判断されるもので、資料について、不確実性がある場合、資料認定をめぐる議論があるのですが、それは、目下の資料では、このような可能性までしか判断できないというもので、「解釈次第でどうにでもなる」というようなものではありません。

アメリカ人は偉大であるので、ニュートンもプラトンも、アリストテレスもブッダも、実はアメリカ人だったのだなどと主張して、どこでそんな話が通用しますか。アメリカの閉鎖文化のなかで狂信的な人々が、そういう妄想宣伝をしだすかも知れないし、そういう妄想主張が、あるいは、政治的理由で、歴史を歪曲させる可能性もゼロとは言えません。

しかし、歴史的事実を後から改変するということは、できないはずなのです。時空の構造が違って、そういうことも可能かも知れませんが、それは、物理的宇宙の出来事の改変で、そうでないのなら、歴史的事実は、客観的に存在するとしなければならないでしょう。

歴史的できごとを、どう評価するか、という局面では、確かに、評価するものの属する時代背景、社会背景、価値観が関係するでしょうが、それでも、その評価は、まったく恣意的に選択できる訳ではありません。

何よりも、解釈や評価で、歴史的事実は、変化しないということが重要です。

人類の歴史において、権力者は常に、自己に都合のよいように歴史記述を改竄したりして来ましたが、歴史資料全体の捏造は不可能で、後世になって、歴史の捏造・改竄は事実資料に基づいて修正され、真の事実の探求が行われてきたのです。

このような経験から反省しても、何時の時代にも、都合のよいように歴史事実を捏造しようとした権力者がいたこと、勝手な解釈をして歴史を改竄しようとする者たちがいたこと、しかし、そういう事実が分かっているが故に、余計に、「事実」に拘るのが歴史学であり、資料によって実証されない歴史主張は、認められないというのが、歴史学の自明の理であるのです。

解釈や評価で意見の分かれる歴史事象はあり、事実認定でも意見の分かれるものはあります。しかし、そのことは、歴史的事実を求めて議論しているのであり、妥当な評価を求めて議論しているのであり、歴史は、人間の勝手な都合で、決まる訳ではないということを逆に証明しているのです。

ナチスのユダヤ人虐殺についての数字が、各国や、色々な勢力で違うからと言って、虐殺されたユダヤ人の数字は「不定」であるとかにはならないでしょう。それは決まっているが、人間の認識に限界があるので、正確に分からないということで、「正確に分からない」というのは、「あったかなかったも分からない」とは別なのです。

「正確には分からないが、500万人の犠牲者はいた」というのは、「正確に分からない」以上、それは「5千人かも知れない」または「いなかった」とはならないのです。
 
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この回答へのお礼

長文のご回答ありがとうございます。

『人は、多くの歴史資料や、過去の歴史解釈の歴史を示す資料を検討して、オープンに判断し討議すれば、一面的な、特定の時代や社会や政権にとって都合のよいような歴史解釈は、もっと大きな視野のなかで、相対化され、その視野狭窄や歪曲や欺瞞性が明らかになるということがあります』

・・・・全く同感です。
しかし現実に当事者(国民・民族)にとって、冷静な相対的視点を獲得するということは困難なことだとも思います。


『歴史学の過去評価について、それ自身が歴史となり、歴史学の対象となるのであり、どのように、時代の価値観が、過去の評価に対し歪曲として作用したか、そのような、実証研究もまたあるのです。 』

つまり「歴史の解釈史」・・・・ということですね。
これは相対的視点を養い、批判精神を育てる上で非常に重要な教育であると思います。

歴史教育についてはこの「解釈史」はもっとも必要な部分だと思います。

しかし、一方でわたしが引っかかっているのは、
「何人も恣意的に捏造・改変することのない史料」
というものの存在です。

無論ヒロシマ、ナガサキのような動かしようのない事実は存在します。

しかし「国家ぐるみの証拠隠滅」ということも充分考えられると思うのですが。

つまり焚書坑儒してしまえば、
ある為政者にとって後々自分に都合の悪い史実は出て来ようがありませんよね。

『後世になって、歴史の捏造・改竄は事実資料に基づいて修正され、真の事実の探求が行われてきたのです。 』

つまりその「証拠」の隠滅です・・・・

身近な例では今でもケネディー暗殺については諸説ありますね。

当時の仮にFBIが全ての不都合な証拠をなくしてしまえば
それこそこの事件は永遠に藪の中ですよね?

「厳然たる事実」というものが、古今東西、歴史のあらゆる局面において必ず存在している。歴史はその上に成り立つ実証主義だ・・・・

(これは全くのわたしの浅学による誤読であろうかとおもいますが・・・・)

そこにわたしは一抹の懐疑を覚えるのです。

浅学菲才の未熟者ゆえ、
ご無礼がありましたらお許し下さい。

また、わたしの浅墓な誤読について、ご指摘があればまたの投稿をお待ちしております

改めてありがとうございましたm(__)m

お礼日時:2002/08/01 15:33

中国には司馬遷の「史記」を始め、多くの歴史書があります


が、司馬遷のように個人の事業で編纂した一部の史書を除け
ば、たいていは国家事業として史書が作成されていました。

中国の歴史書には、以下の原則があります。
 ・自分の王朝の歴史書は作らない。前王朝より前の歴史を扱う。
 ・前の王朝が滅んでから、しばらく冷却期間(数十年程度)
  を置いてから編纂を開始する。

「元史」のように、元王朝が滅んで時代の明王朝がすぐに
作成を開始した歴史書もありますが、このような史書は価値
が低いというのが一般的な見解です。
資料に人間の感情が混ざりやすく、客観的な記述が難しく
なるからです。

#そう言えば、日本の歴史書である「日本書紀」は壬申の乱
#の勝利者である天武天皇が編纂を開始したのですが、
#やはり時代的に近い年代の箇所については、資料の信憑性
#について、疑問の意見もあります。

第二次世界大戦(太平洋戦争を含む)については、50年
くらいしかたっていませんし、東アジアだけみても中国・
韓国・日本とも、全然頭が冷めていないのが現状ではない
かと思われます。

たぶん日本人が過去の歴史を冷静に考えることができるの
は、明治時代以前でしょう。

|個人的には日露戦争を題材にした「坂の上の雲」や幕末
|の歴史小説を多く手がけた故 司馬遼太郎氏の功績が大きい
|と考えています
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この回答へのお礼

お返事ありがとうございます。

なるほど。中国の史書というのはそういう形をとられていたのですね。

中国哲学を専攻していた身にとって、
全く汗顔のいたりです(^^;)

司馬遼太郎の司馬史観には大いに共鳴するところがあります。

まだ我々は「渦中にいる」ということですね・・・・
シビアな現実です・・・・

ありがとうございました。

お礼日時:2002/08/01 14:53

「XXX史観」にとらわれない客観的な歴史認識ができるのは、


自分(自分の所属している国家、民族、宗教)にまったく関係の無い(利害関係)過去の事実だけだと思いますよ、

自分たちに少しでも良い歴史(都合の良い歴史、耳目に入りやすい、利用のしやすい)にしたい場合には、
客観的な歴史認識は無理だと思いますよ。
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この回答へのお礼

お返事ありがとうございました。

分り易いご説明です。
つまり言い方を変えれば「現代史」という概念はご指摘の理由からほとんど客観的な解釈は困難ということになるのですね。

つまり先の戦争は、現在進行中の政治的事象であって、
「歴史」という枠内で語ることは難しい。

わたしはそんな風に解釈しましたが・・・・

ありがとうございました。

お礼日時:2002/08/01 14:47

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