夏が終わったと感じる瞬間って、どんな時?

ヨーロッパの三十年戦争に関する質問です。

オーストリア=ハプスブルク王家に対する戦争において、フランスは新教徒に対して、国内では弾圧し国外では支援しますが、こうした矛盾した政策の使い分けのことを何と言うのでしょうか?

分かる方がいましたらお教え下さい。

A 回答 (2件)

「矛盾した政策の使い分け」と言いますか、「(政治)目的の達成のために手段を選ばないこと」を一般に「マキャヴェリズム」と言います。



http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%82%AD% …

なお、上記でも解説されていますが、一般に言われる「マキャヴェリズム」と、政治思想家ニッコロ・マキャヴェリの著書に書かれていることはほとんど無関係です。念のため。

また、マキャヴェリの言う事は古代中国で韓非子が言ったことと共通点があり、東西で独立に発見された「永遠の真理」とも言えるでしょう。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
参考にしてみたいと思います。

お礼日時:2007/08/30 13:34

質問者の方は、30年戦争が宗教戦争だと思われているとしたら、完全に誤解しています。


戦争初期においては、多少宗教戦争に見えますが、実際は利権争いと民族紛争です。

そもそもの原因は、カトリックのバイエルンが併合し領土にカトリックを強制した事にたいし、プロテスタント側が結束を強めている時に、ボヘミアで、ハプスブルク家への反乱が起きますが、その反乱軍には、プロテスタントが多く、プロテスタント諸侯がそれを支援した事から起きています。

ですから、そもそものきっかけは、ボヘミアを支配するドイツ人であるハプスブルク家に、チェコ人が反乱を起こしたのですが、その反乱者にプロテスタントが多かったという事にすぎません。

その反乱を、ハプスブルク家と対立するドイツ諸侯が支援し、戦争へと拡大してゆきます。

ハプスブルク家側が有利になると、デンマーク、スエーデン、フランスなどが次々と介入し、宗教戦争的性格は完全に無くなってしまいます。

フランスの行動は、敵対するハプスブルク家の勢力拡大阻止のために参戦したのであり、宗教的側面は、完全にありませんでした。
その点を理解しておいてください。

この回答への補足

 「宗教戦争」の捕らえ方にもよりますが、ご指摘の通り三十年戦争は政治的・経済的利害が深く絡んでいたことは確かですね。その事は私も重々承知しております。
 ご意見ありがとうございます。

補足日時:2007/08/30 13:24
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