出産前後の痔にはご注意!

タイトルのとおりなんですが、一騎当千(一騎で千人もの敵を相手にできるほで強いこと)って本当
なのでしょうか?
と、言うのも最近「三国志」にハマリまして色んな本を読んでいます。その中で関羽や張飛、趙雲の
強さには目を見張るものがあります。
一騎で10万の敵陣を突破したとか、一騎で1000人の敵兵を倒したとか・・・・。

話的にはとても面白くて私も彼らのファンになってしまったのですが、でもこれって本当なんでしょうか?
現実に戦場で戦闘を行い、一騎で1000人の相手を打ち破る事など可能なのでしょうか?

私が想像するに、いくら強い武将がいたとしても弓矢で攻撃すればよけきれるものではないと思います。
物語の中では彼らはいとも簡単に弓矢をはじいていますが、四方から高速で飛んでくる弓矢をはらうのは
単純に考えれば至難の業だと思います。また、1000人もの相手と戦うとその疲労も相当のものだと
思います。

剣道や長刀(なぎなた)の試合を見ていて感じるのですが、例えばあれが真剣だと仮定した場合、
自分が攻撃を受けずに相手だけを倒すのは、ほぼ不可能のような気がします。まして、戦場で相手が
1000人、周りからは弓矢が飛んでくるとなると「一騎当千」という言葉は本当なのか、それとも話を
面白くするために後世の人たちが彼らの武勇伝を大きくしてしまったのか、それとも実は本当に1人で
1000人に値するほど強かったのか、と言う事が気になってしまいました。

この辺について詳しくご存知の方、もしくはご自分の持論や推論をお持ちの方がおれれましたら
色んな意見をお聞かせいただければと思います。

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A 回答 (5件)

まず、一人が1000人を倒す場合。

飛び道具は現実的ではありません。
刀の場合ですが、日本刀ならせいぜい10人も切れば、
刀身に脂が回ったり、骨や甲冑で刃こぼれがするなどして、
使い物にならなくなるといいます。ですから、戦国時代の武将は、
換えの刀を何本も持ち歩いたそうですが、1000人を切るほどの
刀を持ち歩けるとも思えませんね。普通は毎日戦いの終わった後、
自分でせっせと研いで、次の日に備えたはずです。
ただ、中国の刀は青銅器とか鋳鉄で、
切るというよりは殴るといったほうが適当な代物かもしれませんけど、
この場合はねばさに欠ける(折れやすい)ので、
1000人を殴り殺すというのも至難の業でしょう。

逆に1000人が一人を倒す場合。飛び道具でないと面倒ですね。とはいえ、
鉄砲弓矢の場合、有効な力を持つ距離がそんなに長いわけではありませんし、
狙いがそれてしまえば、甲冑を付けていればあまりたいしたことはないでしょう。
仮に1000人が一人の回りをぐるりと囲んでいっせいに撃ったとして、
その円の半径は100mは超えるでしょう。近代の兵器でもない限り、
このぐらいの距離になってしまうと殺傷能力は期待できません。
密集したとしても、同士討ちの危険もあるので、
同時に攻撃できるのはすぐそばにいる10~20人くらいがいいところではないですかね。
この程度なら槍でもできます。島津豊久が関が原の退却戦で、
同時に十数本の槍に突き上げられて討たれたなどという逸話もあります。

それにしても、騎乗で防具を付けて武器を振り回すというのは
相当なテクニックを要する重労働ですから、
そんなに長い時間戦えるものではありません。
日本の戦国時代の合戦でも、
半日も続いたようなケースは少ないのではないでしょうか。

というわけで、

> 話を面白くするために後世の人たちが彼らの武勇伝を大きくしてしまったのか、

ってところが正解なのかな、と思います。
1対1だって戦って勝つのはたいへんなのですから、
冷静に考えれば1対10ならすごいことだと思うのですが、
そこはそれ、素人相手に面白く語るのが講釈師というものです。
1対10ならそこらの村の力自慢や法螺吹きの守備範囲に見えそうですからね。

なお、1000人を倒すのではなく、1000人の軍を突破するのなら、
それほど難しい話ではありません。上に書いた理由で、
1000人が一度に一人に当たることはまずできないのですから。
それでも備えているところに突っ込んでいけば難しいでしょうけど、
不意をうって、対応する暇を与えずに行けるのなら可能性はあります。
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この回答へのお礼

さっそくの回答ありがとうございます。
そうですよね。確かに刃こぼれなんかで物理的に1000人も攻撃し続けれる
ものではないですよね。現実的な意見にすごく納得しました。

お礼日時:2002/08/13 12:25

一騎当千(一騎で千人もの敵を相手にできるほで強いこと)は自分が考えるにはこう思います。


1振りで10人近く倒す武将がいたら兵は誰も好んでその武将に戦うとは思えません。
集団にいて目の前の自分の仲間(兵)があっさり倒されたら多分逃げるでしょう!
1人逃げて連鎖反応で総崩れになり後ろからバッサリとやられてしまう・・・
これなら一騎当千も可能では?
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
確かにその方法が取れれば一騎当千も可能かも知れませんが
問題は「1振りで10人近く倒す」ことができるかですね。
何にしろ圧倒的な力で1000人の敵を背走させる事ができれば
それが一騎当千という事になるのでしょうね。

お礼日時:2002/08/14 08:48

 あなたの読んでいらっしゃるのは正確には「三国志」ではなく「三国志演義」です。

「三国志演義」は歴史書「三国志」を元にして、民間に伝えられた、逸話、かたりものをおもしろおかしく、羅貫中が脚色・創作したものです。ですから、創作したものですから、史実とは違います。後代の人は「三国志演義」のことを便宜上、「三国志」と呼んでいるのです。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
なるほど、私が読んでる「三国志」は逸話や脚本・創作が入っている訳ですね。
こうなると「三国志演義」も読んで、どこまでが史実でどこからが創作なのかを
知りたくなりました。
特に諸葛亮孔明の、相手の心を先読みするのはどこまで本当か、10万本の矢を
1晩で得たのは本当か、東風の風をおこしたのはどこまで本当か、などなどまた
興味が出てきました。次は「三国志演義」を読みたいと思います。

お礼日時:2002/08/13 13:13

 おはようさんですっ。

三国志、私も好きです。
一騎当千の事ですが、先の投稿者の言うとおり、替えの刀は、そう何本も持てないでしょうし、三国志の英雄達は現代人の想像のつかない様な過酷な修行をしてると思いますが、剣道有段者の私から見ても、やはり体力にも限界があり、千人の相手をするのは厳しいと考えます。
 そこで以前からの私の考えですが、三国志の名のある武将達は千人を切ったのではなく、各部隊の兵、一部隊につき4・5人を圧倒的な強さで切り倒し、その凄まじさ故にそれを見た残りの部隊兵は逃げだし、(勿論、離れていた弓兵もしっかりと見ているハズ)戦場では、逃げる=負け=死を意味し、打ち倒したと解釈されたと考えております。
 又、「一騎当千=千人の兵に匹敵する」と解釈する文献もあり、こちらの表現の方が正しいと思ってます。
 又、超雲が10万の軍を駆け抜けた事も先に述べた理由に加え、劉禅守護が目的であった事(普通の戦闘よりも気合の入り方が凄かった)もあり可能であったのではないかと思います。
 最後に私の考えを要約しますと、三国志の英雄一人で千人全てをを切り倒したのでは無く、その圧倒的強さで千人の兵を撤退させたのだと思います。
 因みに私は「大声一括すれば千人の敵兵が震え上がった」大酒飲みの豪快な男、張飛のファンです。・・・関係ありませんね(反省)。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
やはり剣道有段者の目から見ても1000人の相手は無理そうなのですね。

>英雄一人で千人全てをを切り倒したのでは無く、その圧倒的強さで千人の兵を撤退させた

これはすごく納得です。軍団としてみんなで敵兵と戦い、その時当然ながら一騎当千と言われる
武将達も奮戦して戦い、ついに敵軍を背走させるにいたった。その時逃げ出した敵兵からは
もちろん、味方からも「我が将は1000人の兵に値するなあ」と感想が出たのが始まりなのかも
ですね。

お礼日時:2002/08/13 13:04

私は中国文学に詳しいわけではありませんが常識の範囲で説明を試みます。



古代の中国人は『白髪千丈』(心配事や悲しみで白くなった髪を伸び放題にしていること、千丈は約3千メートル)式の誇張した表現を好みました。我が国でも、千里の道も一歩から、浪速の八百八橋などのオーバな表現があります。平家物語にも五万騎とか20万騎とか書かれていますが、織田信長が専属の兵士団を設けるまでは農閑期のみ闘える兵士が普通だったので、金で兵士を増やす事は難しく20万騎はオーバな表現ではないかと思われます。

しかし、オーバ表現だけでなく当時の兵制考慮する必要があります。詳しくはありませんが京劇の武将が舞台で戦闘する場合、背につけた旗の種類(色、大きさ等)で従えていた兵力を表すといわれます。一枚の旗が千人を表すとすれば5本の旗でその武将は5千人を代表して舞台で戦っていることになります。当時は一騎の武将は
例えば200人の兵を従えていたとすれば一騎(200人)で戦意のない1,000人を相手に戦うことも可能だったと思われます。現在では当時の兵制など無視して
一騎当千とは一人で千人の兵を相手に出来るほど強いことを表します。習慣が亡くなったにもかかわらず表現(言葉)だけが残って意味が分からなくなっているのは格言にたくさん見られます。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
私も「一騎」で1000人を相手はオーバーな表現だろうなと思いました。
それに仮に本当に戦うにしても、将として部下を率いて戦ったんだろうなと思います。
自分の背後や側面を親衛隊に守らせて、軍団として1000人の軍と戦った・・・。
これが本当のところなのでしょうかね。

お礼日時:2002/08/13 12:54

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Q戦国時代の強い武将は本当にその人が強いの?

こんにちわ。ふと、ゲームをやっていて気になったので質問します。
よろしくお願いします。

よく、アニメやゲームなどで、武将が先頭で敵陣に突っ込んでいくシーンを見かけるのですが、実際の戦闘方法というのは本当にあんな感じだったのでしょうか?

日本の戦国時代にしろ、中国の戦国時代にしても強い武将というのは、一人で100人を倒すみたいなイメージがありますが、本当にそのようなことをした場合すぐに死んでしまうと思うのですがどうでしょうか?

大の大人が10人も集まれば一人くらいやっつけられそうなものです。

やはり、ゲーム等にでてくる武力が強い武将というのは本人が強いではなく、その軍団が強いだけなんでしょうか?統率がとれているとかみんなが死ぬ気で戦っているとかそういう意味なのですか?

実際、武将達は一番後方で戦いを指揮して親衛隊に守ってもらっていたからなかなか武将は死なないのではないか?

そう思ったので質問してみました。

誰か戦国時代の戦闘方法を知っている人、ご教授よろしくお願いします。
一騎当千とか絶対嘘だと思うんです。

こんにちわ。ふと、ゲームをやっていて気になったので質問します。
よろしくお願いします。

よく、アニメやゲームなどで、武将が先頭で敵陣に突っ込んでいくシーンを見かけるのですが、実際の戦闘方法というのは本当にあんな感じだったのでしょうか?

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Aベストアンサー

これは時代によります。
日本でも戦国時代後期になれば、銃の普及により前線で武将が指揮を取る危険度が大幅に上がり、前線で華々しく戦うのは無理になっていきます。
しかし飛び道具が発達する前は、武将が前線で戦うのは重要な要素でした。
例えば有名な項羽は前線で激しく戦い、最後の戦いとなった垓下の戦いでは一日で漢の指揮官だけで60人あまりと交戦したという、ちょっと信じがたい記録が残っています。
当時の戦闘では雑兵の殆どは雇われ兵で「命をかけて戦う」理由は殆ど無いため、自分たちの指揮官が打ち負かされると、戦意をなくして逃げ出してしまうのが普通でした。
つまり「一騎当千」には誇張はあっても、決して嘘ではありません。
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ただ上述のように時代が下り、飛び道具が発達するとそのような個人の武勇によって戦場を支配することは困難となり、現代ではそれは遠い昔の話となりました。

これは時代によります。
日本でも戦国時代後期になれば、銃の普及により前線で武将が指揮を取る危険度が大幅に上がり、前線で華々しく戦うのは無理になっていきます。
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例えば有名な項羽は前線で激しく戦い、最後の戦いとなった垓下の戦いでは一日で漢の指揮官だけで60人あまりと交戦したという、ちょっと信じがたい記録が残っています。
当時の戦闘では雑兵の殆どは雇われ兵で「命をかけて戦う」理由は殆ど無いため、自分たちの指揮官...続きを読む

Q三国志はどこまで本当ですか?

こんにちは。

三国志自体はおもしろいし好きなのですが、実際のところ、どこまで本当なのか気になり始めました。

(1)曹操は本人の才能もさることながら、漢の重臣の家柄出なのでその後の活躍ぶりは納得もできます。ただ、田舎で莚を編んで暮らしていた劉備が浮き沈みを経て立身出世していく様は本当かなと思ってしまいますが、どうなんでしょうか?

(2)関羽張飛など鬼のように強い武将がいますが、いくら強くても、遠くから弓矢で集中攻撃したり、槍ぶすまで応酬したりしたら倒せるような気がします。一騎打ちはともかく、乱戦状態で彼らは大活躍できていたのでしょうか?

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曹操や劉備関羽張飛孔明らが存在して、三国時代というものがあったということは確実でしょうが、一体どこまで本当なのか、実際のところはどうだったのか、皆様のお考えをきかせてください。
よろしくお願いします。

Aベストアンサー

>劉備が浮き沈みを経て立身出世していく様は本当かなと思ってしまいますが、どうなんでしょうか?

人生で浮き沈みがあり、出世した!というのは本当です。
が、物語的に色々と脚色しているようです。
日本で言うところの、秀吉と同じです。

>一騎打ちはともかく、乱戦状態で彼らは大活躍できていたのでしょうか?

豪傑だったのは間違いないようです。
ただ、将の下には数百の雑兵・足軽が存在します。
戦闘に勝利しても、将の名前が武勇伝として残るのみで、実際の戦闘員の名前は残りません。
日露戦争でも、乃木大将の武勇伝は伝わっていますが、数十万の名もなき日本戦死者(一般兵)の氏名は伝わっていませんよね。
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孔明の場合は、地理学・天文学を用いた戦略を立てています。
ある程度信用しても大丈夫でしよう。
事実、三国志の頃の気象状況(風向きが変わった・太陽が隠れたなど)が「孔明の行動」と合致しています。

>一体どこまで本当なのか、実際のところはどうだったのか

物語としての三国志と、歴史としての三国志は異なります。
伝わっているのは、物語としての三国志ですね。
よく例としてだされるのが、忠臣蔵です。
忠臣蔵は物語(戯曲)であって、史実ではありません。
「吉良の首を取って泉岳寺まで行進した。江戸市民は歓喜を持って迎えた」事に物語・忠臣蔵ではなっていますが、そんな事実はありません。
(忠臣蔵には、実在しない人物が多く登場しています)

三国志は、史実を元にした歴史小説と考えた方が良いです。
が、三顧の礼など諺の謂れが分かって面白いですよね。

>劉備が浮き沈みを経て立身出世していく様は本当かなと思ってしまいますが、どうなんでしょうか?

人生で浮き沈みがあり、出世した!というのは本当です。
が、物語的に色々と脚色しているようです。
日本で言うところの、秀吉と同じです。

>一騎打ちはともかく、乱戦状態で彼らは大活躍できていたのでしょうか?

豪傑だったのは間違いないようです。
ただ、将の下には数百の雑兵・足軽が存在します。
戦闘に勝利しても、将の名前が武勇伝として残るのみで、実際の戦闘員の名前は残りません。
日...続きを読む

Q夫婦二人の生活費いくらかかる?

近い将来結婚の予定があります。
そこで質問なのですが、夫婦二人で生活していらっしゃる方の生活費の詳細をできるだけ教えてください

★夫と妻の収入

 家賃
 各種保険料
 各種ローン
★携帯(二人分)
 NTT
 新聞代
 インターネット
★水道代
★電気代
★ガス代
★食費
 雑費
 小遣い(夫)
 小遣い(妻)
★貯蓄
★支出合計
★収支合計

ざっとこんなもんでしょうか、面倒な場合は★印だけでもお答え頂けると非常に助かります。ご面倒をおかけしますが、新しい生活をしていく上で非常に貴重な情報です、一人でも多くの方の回答をお待ちしておりますのでよろしくお願いします

Aベストアンサー

#1です。年齢を書くのを忘れました。これでもだいぶ変わってきますよね。
私は35歳の妻です。(子供がいません)

驚かせてごめんなさい。m(__)m食費が4万円というのは
お客さんが多い家だからなのです。私はお酒を飲みませんが
お客様の酒代込みで4万です。
二人で食べてる分だけ、純粋に計算すると食費は2万強です。
主食も込み込みです。
(お昼のお弁当代を含む。お弁当は二人分作ります。おみそ汁と
副菜orデザートは社食で買うときもあります。)

おわびにその他の項目も…参考にならないかも知れませんが…。

保険料 私 月々¥15.000程
私は長女で家を出ているので、万一私が先に死んでしまったとき
両親の老後が心配なので死亡給付金を高めに設定しているので
こうなりました。

ローン ¥0 です。

NTTは¥4.000

県内市外・県外・国外電話料が¥8.000

新聞代¥4.000弱

インターネット約¥3.000

雑費は、慶弔積み立て貯金をしているのでそれ用に2万円
    医療費が私だけで2万円強。夫はほとんど医者いらずです。
    車検積み立て貯金が毎月4万円(車を二台所有しているので)
    衣料費は、消耗品(靴下とか)だけで毎月¥1.000位です。
    10足¥1.000の靴下を私は愛用しています。
    通勤はGパンにTシャツでもOKという職場なので
    服にお金が全然かかっていません。
    ちょっとよそ行きの服とかはボーナスの時に気が向いたら
    買います。
    下着等もボーナス時にどーんとまとめ買いです。
保健衛生費…生理用品が毎月約¥1.000  
      置き薬代が3ヶ月で¥2.000くらい
嗜好品…タバコは吸わないんですけど、コーヒーと紅茶等に年間¥30.000
    使います。お酒も全然飲みません。
お小遣い…夫、妻共に¥50.000だけど、毎月使い切れないので
     余った分は、それぞれの名義で貯金してます。
     (出張手当が現金支給なので、ここで節約して浮かせます)
帰省積み立て…毎月2万×2人分(夫の実家が遠いので) 

ボーナスは丸々二人分貯金してます。

転勤族のため(夫婦共に)まだ家を買う時期ではないので
賃貸マンションに住んでいます。

★食費を切りつめるのなら、この本がオススメです。★
「やりくり10分100円おかず365レシピ」
出版社ヌーベルグー ¥619+消費税 
値段が安い本なのですが、オールカラーでオススメです。
     

#1です。年齢を書くのを忘れました。これでもだいぶ変わってきますよね。
私は35歳の妻です。(子供がいません)

驚かせてごめんなさい。m(__)m食費が4万円というのは
お客さんが多い家だからなのです。私はお酒を飲みませんが
お客様の酒代込みで4万です。
二人で食べてる分だけ、純粋に計算すると食費は2万強です。
主食も込み込みです。
(お昼のお弁当代を含む。お弁当は二人分作ります。おみそ汁と
副菜orデザートは社食で買うときもあります。)

おわびにその他の項目も…参考にならない...続きを読む

Q三国志では誰が一番強い?

こんばんわ!三国志が好きな大学生です!

皆さんは三国志では誰が一番強いと思いますか?やはり武力でいったら呂布、総合力でいったら関羽というのが普通でしょうか?

こんなことを聞くのはある本を読んだからなんです。その本には一番強いのは顔良だと書いてありました。

その理由として、戦いの中の様々な一騎討ちで「何回打ち合って決着がついたか?」または「何回打ち合い、決着がつかなかったか?」を集計していき、総合的に顔良が一番強いのではないかとたどり着いたのです。(詳しいことは忘れてしまったのですが)

ここで疑問に思うのが、顔良は関羽に一太刀で切られているではないか?
と思うのですが、その本ではその理由として、当時エンショウ側にいた劉備が「敵軍に関羽がいるのでもし見つけたら、私はここにいると伝えてほしい」とエンショウ軍にいっていたそうなんです。
だから、顔良は関羽を見つけてそれを伝えようとした時に切られてしまったとのことなんです。

私はこの考えはとてもおもしろいと思い、顔良が一番強いといえるのではないかとも思いました。

三国志好きの方はこの考えはどう思いますか?
顔良よりあいつのほうが強いって思っている武将がほかにいますか?

こんばんわ!三国志が好きな大学生です!

皆さんは三国志では誰が一番強いと思いますか?やはり武力でいったら呂布、総合力でいったら関羽というのが普通でしょうか?

こんなことを聞くのはある本を読んだからなんです。その本には一番強いのは顔良だと書いてありました。

その理由として、戦いの中の様々な一騎討ちで「何回打ち合って決着がついたか?」または「何回打ち合い、決着がつかなかったか?」を集計していき、総合的に顔良が一番強いのではないかとたどり着いたのです。(詳しいことは忘れて...続きを読む

Aベストアンサー

はじめまして。

ご質問の内容を読ませて頂きました。
ここでご質問されている「強い」というのは、武勇についてだけ指すのでしょうか?
三国志については、主に横山光輝のマンガと書籍では吉川英治の三国志しか読んでいませんが…
仮に武勇の部門だとすると、やっぱり呂布が一番強いのではないかと考えております。

ただしもし、精神面などの総合的な部類も混ぜて「強さ」を判断するのであれば、呂布ではなく私は趙雲だと思います。以下、総合的な「強さ」についてと仮定して私の意見を書かせて頂きました。

総合的な「強さ」の判断の理由としては、呂布の末路は、捕らえられたのちにいわゆる命乞いをしたと言われています。
また、金と女におごれ、結果的に部下との信頼感を失ってしまった。
このあたりの「強さ」がしっかり表れていれば、若くして死んでしまうような事はなかったのではないかと思います。

それと比べて、私がこの場で言う「強い」と思う趙雲は、武勇ももちろんそうですが、精神面の強さも非常に優れている事があらわれていたと思います。

例えば、私の好きな場面ですが、趙範は趙雲と義兄弟の契りをしたのち
好意で兄嫁(超美人、名前は忘れてしまいました…汗)を嫁にしてくれと提案したそうです。
その軽率な言葉に腹を立て、趙範を強く退けたとの事です。
後に劉備になぜ嫁にしなかったのかと問われたら、「確かに美人は嫌いではありません。ただ、戦いに勝ったという事で美人を自分の嫁にすれば、世間は主君である劉備をなんとみなすでしょう。そのような事は避けたい。」

のような感動的なセリフがあったといわれています。
本当に真から武士だと思います。

このような、主君に対する忠誠心・たった一人で何十万の大群に突っ込んでいく勇気などが多く表現されていた趙雲は本当に「強い」武士だと思います。

ただ、歴史については人それぞれ違った考え方をお持ちになられているので、あまり強く言えませんが…^^;

はじめまして。

ご質問の内容を読ませて頂きました。
ここでご質問されている「強い」というのは、武勇についてだけ指すのでしょうか?
三国志については、主に横山光輝のマンガと書籍では吉川英治の三国志しか読んでいませんが…
仮に武勇の部門だとすると、やっぱり呂布が一番強いのではないかと考えております。

ただしもし、精神面などの総合的な部類も混ぜて「強さ」を判断するのであれば、呂布ではなく私は趙雲だと思います。以下、総合的な「強さ」についてと仮定して私の意見を書かせて頂きました...続きを読む

Q統計学的に信頼できるサンプル数って?

統計の「と」の字も理解していない者ですが、
よく「統計学的に信頼できるサンプル数」っていいますよね。

あれって「この統計を調べたいときはこれぐらいのサンプル数があれば信頼できる」という決まりがあるものなのでしょうか?
また、その標本数はどのように算定され、どのような評価基準をもって客観的に信頼できると判断できるのでしょうか?
たとえば、99人の専門家が信頼できると言い、1人がまだこの数では信頼できないと言った場合は信頼できるサンプル数と言えるのでしょうか?

わかりやすく教えていただけると幸いです。

Aベストアンサー

> この統計を調べたいときはこれぐらいのサンプル数があれば信頼できる・・・
 調べたいどの集団でも、ある一定数以上なら信頼できるというような決まりはありません。
 何かサンプルを集め、それをなんかの傾向があるかどうかという仮説を検証するために統計学的検定を行って、仮設が否定されるかされないかを調べる中で、どの検定方法を使うかで、最低限必要なサンプル数というのはあります。また、集めたサンプルを何か基準とすべき別のサンプルと比べる検定して、基準のサンプルと統計上差を出すに必要なサンプル数は、比べる検定手法により計算できるものもあります。
 最低限必要なサンプル数ということでは、例えば、ある集団から、ある条件で抽出したサンプルと、条件付けをしないで抽出したサンプル(比べるための基準となるサンプル)を比較するときに、そのサンプルの分布が正規分布(正規分布解説:身長を5cmきざみでグループ分けし、低いグループから順に並べたときに、日本人男子の身長なら170cm前後のグループの人数が最も多く、それよりも高い人のグループと低い人のグループの人数は、170cmのグループから離れるほど人数が減ってくるような集団の分布様式)でない分布形態で、しかし分布の形は双方とも同じような場合「Wilcoxon符号順位検定」という検定手法で検定することができますが、この検定手法は、サンプルデータに同じ値を含まずに最低6つのサンプル数が必要になります。それ以下では、いくらデータに差があるように見えても検定で差を検出できません。
 また、統計上差を出すのに必要なサンプル数の例では、A国とB国のそれぞれの成人男子の身長サンプルがともに正規分布、または正規分布と仮定した場合に「t検定」という検定手法で検定することができますが、このときにはその分布を差がないのにあると間違える確率と、差があるのにないと間違える確率の許容値を自分で決めた上で、そのサンプルの分布の値のばらつき具合から、計算して求めることができます。ただし、その計算は、現実に集めたそれぞれのサンプル間で生じた平均値の差や分布のばらつき具合(分散値)、どのくらいの程度で判定を間違える可能性がどこまで許されるかなどの条件から、サンプル間で差があると認められるために必要なサンプル数ですから、まったく同じデータを集めた場合でない限り、計算上算出された(差を出すために)必要なサンプル数だけサンプルデータを集めれば、差があると判定されます(すなわち、サンプルを無制限に集めることができれば、だいたい差が出るという判定となる)。よって、集めるサンプルの種類により、計算上出された(差を出すために)必要なサンプル数が現実的に妥当なものか、そうでないのかを、最終的には人間が判断することになります。

 具体的に例示してみましょう。
 ある集団からランダムに集めたデータが15,12,18,12,22,13,21,12,17,15,19、もう一方のデータが22,21,25,24,24,18,18,26,21,27,25としましょう。一見すると後者のほうが値が大きく、前者と差があるように見えます。そこで、差を検定するために、t検定を行います。結果として計算上差があり、前者と後者は計算上差がないのにあると間違えて判断する可能性の許容値(有意確率)何%の確率で差があるといえます。常識的に考えても、これだけのサンプル数で差があると計算されたのだから、差があると判断しても差し支えないだろうと判断できます。
 ちなみにこの場合の差が出るための必要サンプル数は、有意確率5%、検出力0.8とした場合に5.7299、つまりそれぞれの集団で6つ以上サンプルを集めれば、差を出せるのです。一方、サンプルが、15,12,18,12,21,20,21,25,24,19の集団と、22,21125,24,24,15,12,18,12,22の集団ではどうでしょう。有意確率5%で差があるとはいえない結果になります。この場合に、このサンプルの分布様式で拾い出して差を出すために必要なサンプル数は551.33となり、552個もサンプルを抽出しないと差が出ないことになります。この計算上の必要サンプル数がこのくらい調査しないといけないものならば、必要サンプル数以上のサンプルを集めて調べなければなりませんし、これだけの数を集める必要がない、もしくは集めることが困難な場合は差があるとはいえないという判断をすることになるかと思います。

 一方、支持率調査や視聴率調査などの場合、比べるべき基準の対象がありません。その場合は、サンプル数が少ないレベルで予備調査を行い、さらにもう少しサンプル数を増やして予備調査を行いを何回か繰り返し、それぞれの調査でサンプルの分布形やその他検討するべき指数を計算し、これ以上集計をとってもデータのばらつきや変化が許容範囲(小数点何桁レベルの誤差)に納まるようなサンプル数を算出していると考えます。テレビ視聴率調査は関東では300件のサンプル数程度と聞いていますが、調査会社ではサンプルのとり方がなるべく関東在住の家庭構成と年齢層、性別などの割合が同じになるように、また、サンプルをとる地域の人口分布が同じ割合になるようにサンプル抽出条件を整えた上で、ランダムに抽出しているため、数千万人いる関東の本当の視聴率を割合反映して出しているそうです。これはすでに必要サンプル数の割り出し方がノウハウとして知られていますが、未知の調査項目では必要サンプル数を導き出すためには試行錯誤で適切と判断できる数をひたすら調査するしかないかと思います。

> どのような評価基準をもって客観的に信頼できると判断・・・
 例えば、工場で作られるネジの直径などは、まったくばらつきなくぴったり想定した直径のネジを作ることはきわめて困難です。多少の大きさのばらつきが生じてしまいます。1mm違っても規格外品となります。工場では企画外品をなるべく出さないように、統計を取って、ネジの直径のばらつき具合を調べ、製造工程をチェックして、不良品の出る確率を下げようとします。しかし、製品をすべて調べるわけにはいきません。そこで、調べるのに最低限必要なサンプル数を調査と計算を重ねてチェックしていきます。
 一方、農場で生産されたネギの直径は、1mmくらいの差ならほぼ同じロットとして扱われます。また、農産物は年や品種の違いにより生育に差が出やすく、そもそも規格はネジに比べて相当ばらつき具合の許容範囲が広くなっています。ネジに対してネギのような検査を行っていたのでは信頼性が損なわれます。
 そもそも、統計学的検定は客観的判断基準の一指針ではあっても絶対的な評価になりません。あくまでも最終的に判断するのは人間であって、それも、サンプルの質や検証する精度によって、必要サンプルは変わるのです。

 あと、お礼の欄にあった専門家:統計学者とありましたが、統計学者が指摘できるのはあくまでもそのサンプルに対して適切な検定を使って正しい計算を行ったかだけで、たとえ適切な検定手法で導き出された結果であっても、それが妥当か否か判断することは難しいと思います。そのサンプルが、何を示し、何を解き明かし、何に利用されるかで信頼度は変化するからです。
 ただ、経験則上指標的なものはあります。正規分布を示すサンプルなら、20~30のサンプル数があれば検定上差し支えない(それ以下でも問題ない場合もある)とか、正規分布でないサンプルは最低6~8のサンプル数が必要とか、厳密さを要求される調査であれば50くらいのサンプル数が必要であろうとかです。でも、あくまでも指標です。

> この統計を調べたいときはこれぐらいのサンプル数があれば信頼できる・・・
 調べたいどの集団でも、ある一定数以上なら信頼できるというような決まりはありません。
 何かサンプルを集め、それをなんかの傾向があるかどうかという仮説を検証するために統計学的検定を行って、仮設が否定されるかされないかを調べる中で、どの検定方法を使うかで、最低限必要なサンプル数というのはあります。また、集めたサンプルを何か基準とすべき別のサンプルと比べる検定して、基準のサンプルと統計上差を出すに必要な...続きを読む

Q普通自動車の運転免許の正式名称

を教えてください。
履歴書になんてかけばいいかわかりません。

普通自動車第一種免許や第一種普通運転免許とかいわれていますが。

警察などの公式な場所に問い合わせてみた人がいましたら教えてください。

Aベストアンサー

抜粋です.「普通自動車免許」ですね.
「第一種運転免許」はありますが,「普通自動車第一種免許」や「第一種普通運転免許」とは言わないようです.第二種の場合は名称に入り,「普通自動車第二種免許」のように言うようです.

--------------------
道路交通法
第六章 自動車及び原動機付自転車の運転免許
第八十四条  自動車及び原動機付自転車(以下「自動車等」という。)を運転しようとする者は、公安委員会の運転免許(以下「免許」という。)を受けなければならない。
2  免許は、第一種運転免許(以下「第一種免許」という。)、第二種運転免許(以下「第二種免許」という。)及び仮運転免許(以下「仮免許」という。)に区分する。
3  第一種免許を分けて、大型自動車免許(以下「大型免許」という。)、普通自動車免許(以下「普通免許」という。)、大型特殊自動車免許(以下「大型特殊免許」という。)、大型自動二輪車免許(以下「大型二輪免許」という。)、普通自動二輪車免許(以下「普通二輪免許」という。)、小型特殊自動車免許(以下「小型特殊免許」という。)、原動機付自転車免許(以下「原付免許」という。)及び牽引免許の八種類とする。
4  第二種免許を分けて、大型自動車第二種免許(以下「大型第二種免許」という。)、普通自動車第二種免許(以下「普通第二種免許」という。)、大型特殊自動車第二種免許(以下「大型特殊第二種免許」という。)及び牽引第二種免許の四種類とする

参考URL:http://law.e-gov.go.jp/cgi-bin/idxselect.cgi?IDX_OPT=2&H_NAME=&H_NAME_YOMI=%82%c6&H_NO_GENGO=H&H_NO_YEAR=&H_NO_TYPE=2&H_

抜粋です.「普通自動車免許」ですね.
「第一種運転免許」はありますが,「普通自動車第一種免許」や「第一種普通運転免許」とは言わないようです.第二種の場合は名称に入り,「普通自動車第二種免許」のように言うようです.

--------------------
道路交通法
第六章 自動車及び原動機付自転車の運転免許
第八十四条  自動車及び原動機付自転車(以下「自動車等」という。)を運転しようとする者は、公安委員会の運転免許(以下「免許」という。)を受けなければならない。
2  免許は、第一種運...続きを読む

Qモンゴル帝国の滅亡について

チンギスハンが興したモンゴル帝国はなぜあんな大きな帝国ができたのですか。その当時の国はどうして対抗できず滅んだのですか。また、これは教科書にもなかったのですが、なぜあんな巨大帝国が後に滅んだのですか。滅んだ過程がわかる方ぜひともお願いしますむ。中学や高校の教科書で断片的な知識しかなく、ぜひともお願いします。

Aベストアンサー

それは、やはりモンゴルが遊牧騎馬民族であることが大きいです。

歴史的に見ていくと、古代~中世世界において遊牧騎馬民族というのは反則的に強いのです。フン族に襲われ大混乱になったヨーロッパしかり、万里の長城を作って必至に防ごうとしたにもかかわらず北方を幾度となく奪われた中国など、敗北例は山ほどあります。

基本的に兵は全部騎馬(普通、農耕民の軍隊でこれはまずありえません)で、しかもほかの民族には難しい騎射(馬の上で弓を撃つ)という戦法をすべての騎馬が可能(他の国はこれができるのは精鋭くらいなもので、精鋭であっても錬度の面で馬上で生まれ馬上で死ぬ遊牧騎馬民族にはとてもかなわない)です。
また、都市という概念がないので食料とかもすべて(生きた状態で)持って移動していますから、「補給」という軍隊において最も重要で最も面倒くさく最も維持しにくいものを維持する必要がないため、桁外れの機動力を持ち合わせていました。
また、その機動力を余すことなく使用する戦術(代表的なものは偽装撤退。城攻めの必勝戦術でもありまして、相手に撤退すると見せかけて追い討ちさせ、それを迎え撃つという戦法です)を保有していました。
そのため、どんな強国でも優秀な指揮のもとで統制された遊牧騎馬民族にはかなわず、ホラズム(この国はモンゴル帝国の侵攻直前まで領土を拡張し続けており、決して弱い国ではないのです)や金も、敗北しています。ちなみに、この強弱関係がひっくり返るのは火器が積極的に導入されてからです。

しかし、滅びたのもまた遊牧騎馬民族である面が大きい、ともいえます。
遊牧騎馬民族というのは、都市の概念がないですから、そもそも「国」という概念が希薄です。
それをかなり変えたのはやはりチンギスなのですが、それでもモンゴルの伝統である末子相続(つまり末っ子が遺産を引き継ぐ)、そして後継はクリルタイという族長会議で決定(ただ、このクリルタイ、モンゴル帝国では2年くらいかかるんです・・・なにせ、あの広い領地から集まってくる上、このクリルタイも半分宴会みたいなものでして・・)というのがありました。
そのため、チンギスは生前に嫡子4人に領地を分配します。長男であるジュチ家(後のキプチャクハン国)、次男であるチャガタイ家、三男であるオゴタイ家、そして四男であり、モンゴル高原を直接的に保有するトゥルイ家です
そして、三男のオゴタイが継ぎました。しかし、その次が問題でして、グユクというのは酒癖も悪く評判が悪かったのですが、母親の根回しもありハーンとなりました。しかし、これを一番嫌ったのが長男家の当主で一族の長老であったバトゥ(また、四男家も、譲歩したとはいえ面白くはなかったようです。逆にグユクの側にいたのが次男家)。グユクは彼に暗殺されたとも言われています。
その後、トゥルイ家のモンケが継ぐのですが、これが面白くなかったのがチャガタイ家とオゴタイ家。このあたりから兄弟家の間での不和が表面化します。
そして、日本でも有名なフビライの代で分裂は決定的になります。彼は、いままでの方針を破って、全族を集めないで(支持者だけを集めて)クリルタイを行った上で即位、また即位を宣言した弟を倒して、ハーンとなりました。これが気に食わなかったのが長男、次男、三男の家。とくに三男の家当主であるハイドゥとは軍事衝突に発展しています。
そうなると、もうあとは各地の地方政権ですから、ほかの歴史上の国と同様、隣国、兄弟家同士でたたきあったり(オゴタイハン国はチャガタイハン国に叩かれて消滅)、支配民族が反乱を起こしたり、ほかの異民族に倒されたりで、消滅していきました。

また、モンゴルの政権といってもほとんどその妻は現地人のため、代を重ねるにつれどんどんモンゴル人から離れていって、しまいにはハーンがイスラム教徒になってハーン位を捨てたり、はてまたキリスト教に染まったり・・
そういう具合に、自然とその地に溶け込んで、消滅していったのです。

それは、やはりモンゴルが遊牧騎馬民族であることが大きいです。

歴史的に見ていくと、古代~中世世界において遊牧騎馬民族というのは反則的に強いのです。フン族に襲われ大混乱になったヨーロッパしかり、万里の長城を作って必至に防ごうとしたにもかかわらず北方を幾度となく奪われた中国など、敗北例は山ほどあります。

基本的に兵は全部騎馬(普通、農耕民の軍隊でこれはまずありえません)で、しかもほかの民族には難しい騎射(馬の上で弓を撃つ)という戦法をすべての騎馬が可能(他の国はこれができ...続きを読む


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