人に聞けない痔の悩み、これでスッキリ >>

今年の大河ドラマにもなって注目されている「前田利家」ですが、ファンの方、利家の魅力を語って下さい。アンチファンの方、嫌いな所語って下さい。
ちなみに私の「利家」のイメージですが「信長・秀吉・家康」といった「時の権力者」の傍らにいつもいて、NO.2的立場を得る「世渡り上手」な武将、って感じです。(ファンの方ごめんなさい(^^;

このQ&Aに関連する最新のQ&A

A 回答 (4件)

素人ながら、領国経営の点から語ってみましょうか(^^)



前田利家の配した国は皆様ご存知の様に「加賀」の国です。
(現在の石川県ですね)

その加賀の国は、かっては戦国時代に唯一、百姓が支配した「百姓が持ちたる国」
であり、いわゆる一向一揆勢力が極めて強い国でした。

その勢力はどれほど強かったかと言うと、かって、1回はあの織田信長が支配化
に治めながら、それを一向一揆勢力が再び奪い返すといったくらいに、
戦国武将も支配化に置くのが難しい、一揆の国だったのです。

そんな国の、現代風にいえば経営者となったのが前田利家です。
しかも利家はご存知のように、織田家のかっての家臣であった為に
地元集からは、かなり恨みをもって迎えられたそうです。
織田信長が一揆勢力に相当な弾圧を徹底的に行っていた為です。

そんな国だったのに、加賀の国は加賀百万石といわれる豊かな国になり、
商業も発展させ、金沢の街も「小京都」といわれる芸術性にあふれた街にしました。
加賀百万石は外様大名の中では一番の石高ですよね。

前田利家はたしかに目立たないし、華も少ないと私も思っていましたが、
この話を知ってからは、なるほど、さすがに織田、豊臣仕えて、
大河ドラマ(笑)にもなるだけの事はあるなと感じています。

少なくとも戦国期においても一流の武将であった事は間違いありません!
    • good
    • 1

前田利家といえば、私には地味な印象ですね。

ただし嫌いではありません。
私のイメージとしては、
・若い頃は、かぶき者で衣装、武具にこだわり、戦場では勇猛果敢を好み、実際に活躍した。
・能力者が出世できる織田家に仕えて、多少の紆余曲折はあったが、順調に出世した。
・豊臣政権で、高い地位を持った。(または徳川家康への対抗のため、秀吉が持たせた)
というところで、まとめると戦国大名のなかでは、軍事面、政治面などを含めた総合力で、超一流(天下人の器)ではないが、一流の実力を持っていた人物というところでしょう。秀吉が利家について述べたという「無類の律義者」という評価から考えると、特に優れた部分はないが、様々な面でバランスのとれた人間であったような気がします。(いくら律儀でも能力がないと、役に立たないので)

あと、淀君が送った書簡に答えなかったのは、利家ではなく息子の利長です。大阪の陣の前の関ヶ原の戦いの前に、利家はすでに死んでいます。
秀吉没後に、家康が天下取りに動き出した時に、利家と家康は対立状態だったようです。家康の挑発に利家が乗れば、あるいは前田家は、豊臣家同様滅びていたかも知れません。秀吉の死の1年後に利家は死んだのですが、ある意味運が良かったかもしれません。

最後に、松さんとのエピソードです。新聞で読んだ話で、多少記憶違いはあるかも知れません。(もし大河ドラマで出てきたら、すみません)
利家が病に伏せ臨終が近くなったときに、松さんが利家がかつて戦場で討ち果たした者たちが、あの世で仕返しのために待ち構えているのではと心配すると、病床の利家が、そなたと力を合わせてこうして家を盛り立ててきたのだ、これまでと同様討ち果たしてくれると逆に松さんを励ましたということです。
戦国武将のエピソードとしては、優しい話だと思います。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

ご意見ありがとうございました。
淀君を見捨てたのは息子だったのですね(^^;間違えました。
う~~ん、利家は地味ながら実力は持っていたが、あえてNO.2に徹した人だったのかも知れませんね。

お礼日時:2002/08/27 23:43

金沢の出ですから、「前田利家」は最も大好きな武将です。


なので、こんなにすばらしい武将として描いてくれる大河ドラマは最高です。

なにが優れているのかって言われると「槍の又左」といわれる様に武勇もありますが、加賀100万石を達成した一番は「人の良さ=人にすかれる」だと思うのです。戦に関しては佐々成政の方が優れているし、策略、謀略が優れていると言うこともないし・・・このような武将は他にいないと思いませんか??武将としては今ひとつのようですが、私にとってはそこが一番の魅力です。

この「人の良さ」が、村井又兵衛の様な優秀な家臣が離反することはほとんどなく、おかげで領国の経営もスムーズにいってます。

また、「人の良さ」が信長、秀吉、家康に好かれもしくは敵に回したくはないと思わせたのではないかと思ってます。信長は別として、秀吉、家康にとって利家は絶対に必要な人材ではなかったと思います。しかし、多くの武将から「好感」をもたれている利家をあえて敵にまわすまでもなかったし、利家(というより村井だと私は思うのですが)も「次の権力者」が誰であるかをきちんと見る目があった。従って、最後まで生き残ることができたのだと思います。また、No2でいられたのも「野心」があまりないと思われていたから出はないでしょうか。逆に言うと、利家自身が自分の能力を良く知っていたのではないかと思います。

ただ、「人の良さ」が時には賤ヶ岳合戦や、秀吉の死後家康と対決するかどうかのときなど優柔不断さがあって利家のことを嫌いな人がいるのが残念です。しかし、そのようなスーパーマンでない人間的なところがまた魅力的なんですねぇ~(笑)

私の先祖は戦国の時代佐々成政の家来で、佐々滅亡後前田利家に雇われました。「利家」好きは、そんな理由も有ります。

ちなみに、前田家繁栄には息子の利長の功績も利家に匹敵するぐらいだと思います。これは、多くの人に知ってもらいたいです(^^)

ついつい長々書いて失礼しました。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

お礼送れましたがご意見ありがとうございます。
なるほど、あえてNO2に徹した所が他の武将と違うのかも知れませんね~。
しかし私は「利家」は大坂冬だったか夏の陣だったか忘れましたが、淀君が「助けを貸してほしい」と書状を送ったのに無視し豊臣家滅亡を見殺しにした「利家」が何とも許せない気がします(秀吉ファンなもんで(^^;

お礼日時:2002/08/25 23:42

ある本で性格は「気が短い」と書いてありました。

NHKドラマの最初の方でも、自分を侮辱した僧を切るシーンがありましたね。
殺した理由は、確かまつにもらったくしを大切に懐にいれているのを馬鹿にされたからだったと思います。
「こんなことで切るのー??」とびっくりしました。
あと、まつとの間に子供が10人もいてとても仲が良かったそうなので心優しい方だと思います。
今では男尊女卑の考えは薄くなってきましたが、当時は本当「男が偉い!!」武士は妻のことより天下をとる事の方が大事!!というイメージがある中で、女性を大切にしていると思います。
着色されたドラマを見ているので、その影響は大きいですが・・・。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

送れましたがご意見ありがとうございます。
ほうほう~
それじゃ側室は居なかったんでしょうかね?(^^;

お礼日時:2002/08/25 23:47

このQ&Aに関連する人気のQ&A

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!

このQ&Aを見た人が検索しているワード

このQ&Aと関連する良く見られている質問

Q戦国武将 加賀00万石 前田利家のすごさを教えてください。

戦国武将 加賀00万石 前田利家のすごさを教えてください。

Aベストアンサー

前田利家が参戦した戦は37です。
その中でも、近江箕作城の戦い及び越前金ヶ崎城の戦いでは槍をふるって敵の首を取っている。また、摂津・春日井堤の戦いは「堤の上の槍で」と信長に讃えられている。武勇に優れていた事は間違いありません。

慶長4年(1599年)2月、病躯をおして、利家は和解の実を示す為に伏見に家康を訪ねている。
また、同年3月、家康は病気見舞いと答礼をかねて、大阪城に利家を訪ねている。その際、利家は病状が悪化し、やっと床を這い出て中の間で家康と対面している。この二つの状況からも利家の「律儀さ」が窺えると同時に、家康が一目置いてた大大名利家の存在感を現しています。

石田三成は病中の利家を訪ね、看病と称して前田邸に詰めた。加藤清正、黒田長政、浅野幸長、池田輝政、福島正則、細川忠興、加藤嘉昭の七大名から逃れるためであった。七大名も利家の顔を立てて、三成に手だしをしなかった。ここでも、利家のすごさが窺えます。

意見の分かれるところですが、もし利家があと10数年生きていたならば、徳川幕府は生まれていなかったかもしれません。


人気Q&Aランキング