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以前NHK作成の、北朝鮮帰国事業の実態を紹介する番組を見せられました。それには、

・朝鮮総連も北朝鮮の実態を知らなかった
・朝鮮総連の人達は現地を見て当惑したが、金日成への忠誠を『誓わされた』
・その番組でクローズアップされていた総連幹部の人は疑問を抱いて総連を脱退

こんな感じに描かれていたのですが、いろいろサイトを見ていると、
朝鮮総連は北の実態を知りながら、在日をだまして帰国させたと書いてあります。
その番組を見て『総連にそこまで罪は無い。むしろ、北朝鮮の実態を知りながらも在日朝鮮人を厄介払いした日本政府がひどい』という感じを
受けました(ダイレクトにそう言ってたわけじゃありませんが)
やはり、NHKが作成した番組だからこのような流れなのですか?
日本政府に罪があるのか、北朝鮮と総連に罪があるのか、どちらですか?
両方でしょうか?裁判では総連が訴えられていたようですが・・・
よろしくおねがいします。

A 回答 (3件)

下記サイトがとても参考になります。


当時は日本は貧しい国であったことから考えなければなりません。
その中でも貧しい在日の方々にとって夢の事業だったのです。
また、日本政府もそれで助かる面もあったのですから、誰が悪いということではないと思います。

日本が今も貧しければ、また、北朝鮮が韓国並みに豊かであればこの話は出ません。


http://mirror.jijisama.org/kikokuzigyou_notumi.htm

朝鮮総連と収容所共和国」 李英和 1999年 小学館文庫
終戦当時、日本には二百数十万人以上の在日朝鮮人がいた。そのほとんどは、終戦直後の引き揚げ事業や自力渡航で朝鮮半鳥に続々と帰還して行った。遅い時期に日本に渡って来た者、あるいは強制連行で無理やり連れて来られた者。これらの朝鮮人ほど帰国を急いだ。地縁・血緑など祖国とのつながりが強く残っていたからである。比較的早い時期の渡航朝鮮入は引き揚げようにも、祖国にはすでに住居もなければ、耕す田畑もなかった。頼りにすべき親類縁者とは、長い年月の間にすっかり関係が希薄になっていた。私の祖父母の場合は、後者のケースに該当する。

おまけに大半の朝鮮人の故郷である韓国でコレラが大発生したり、米軍の軍政下で社会混乱が起きた。さらに朝鮮戦争(50~53年)の勃発が、帰るべき祖国を灰燼に帰してしまう。様子眺めをしたり、帰るに帰れなくなった朝鮮人が日本に多数とどまった。この60万人ほどが、現在の在日韓国・朝鮮人の基数となる。

ところが、終戦から14年経った頃に突然、第二の引き揚げブームが起きた。1959年12月14日、在日朝鮮人の北朝鮮への帰還が始まった。日・朝両国の赤十宇社の協定(59年8月13日調印)によるものだった。一般に「帰国事業」と呼ばれるものである。以後、3年問の中断期(68~70年)をはさんで、84年までに果計で約9万3000人余りが北朝鮮に永住帰国した。その中には、日本人配偶者とその子供も含まれる。当時の日本は、いまと違って、父系血統主義を採っていた。その国籍法によれば、厳密な意味での日本人は約6600人だった。その内「日本人妻」と称される人たちが約1800人いる。数は少ないが「日本人夫」もいた。

この「帰国事業」は、いまから考えてみると、奇妙なものだった。在日朝鮮人は、その98パーセントが「南半分」、つまり今の韓国出身である。だから、厳密にいえば、北朝鮮は故郷ではない。守るべき祖先の墓もなければ、頼るべき親類縁者もほとんどいない、「異郷の地」だった。だのに、この人たちは北朝鮮へと「帰った」そのせいもあってか、韓国政府は、「帰国事業」という用語を使わない。「北送事業」と呼んでいる。「帰国者」も「北送者」と称する。ともかく、歴史上でも稀に見る性格の「大量移住」だったことだけはまちがいない。

それだけに、その背景や動機には、複雑なものがある。この点で、帰国事業は大きくふたつの時期に区分できる。
68~70年の中断期をはさんで、ちょうど前期と後期にわかれる。大半は前期の帰国事業で「北」に渡った。その帰国者たちの背景と動機は、次の三点に尽きる。(1)日本での生活難と将来への不安、(2)韓国政府による事実上の「棄民政策」、そしてなにより(3)北朝鮮政府による荒唐無稽な「地上の楽園」宣伝だった。帰国者の動機は単純だった。同時に、その単純さは、重苦しい現実を反映している。

まっさきに挙げられるべき理由は「貧困」である。高度経済成長の恩恵にあずかるまで、在日朝鮮人の生活は困窮をきわめた。たしかに、1950年代は、日本人もそれはど豊かでなかった。だが、在日朝鮮人の場合、差別が貧困にいっそう拍車をかけていた。なかでも、在日朝鮮人をひどく苦しめたのが雇用差別だった。大手企業への就職などは夢のまた夢。中小零細企業でも、正規採用ははとんど望めなかった。パチンコ屋や飲食業の店員、臨時雇いの工員、そして日雇い労働者といったところだった。おかげで、貧困にあえぐ世帯が多かった。このあたりの事情は、被差別の場合と似通っている。だが、在日朝鮮人は外国人だという点が決定的に違った。法制度による差別を受けることになるからだ。
(中略)
これで「貧乏をするな」と言うほうが無理というものだろう。おかげで、在日朝鮮人の生活保護率も高かった。私が生まれた54年末の数字を見てみよう。当時、生活保護を受ける在日朝鮮人は約13万人だった。実に、朝鮮人全体の約23パーセントにのぼる。日本人の場合は2パーセントだった。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。とても参考になりました。

お礼日時:2007/10/19 22:40

日本政府が南米に移住を勧めたことを朝鮮総連の帰還事業に関連づけて説明している回答者がいますが、日本の南米への移住政策と朝鮮総連の帰還事業とは意味が違います。



日本の南米への移住政策はある意味棄民です。海外からの引き揚げ者が多くなったため、日本国内で労働力過剰を緩和するため国外へ棄民をしたという見方が強いです。
北朝鮮への帰還事業が積極的に勧められたのは、過剰な労働力や不穏分子となりうる勢力を少しでも減らしたい日本国の思惑と、北朝鮮を理想国家として奉るための奴隷が必要だった朝鮮総連幹部たちの思惑が一致したことが大きな理由でしょう。
地方の幹部はまだしも、中央の総連幹部が北朝鮮の実態を知らなかったはずはありません。

答えとしては日本国にも朝鮮総連幹部にも悪意があったと言うことでしょう。

こうしたことを理解するにはその時点の時代背景をしっかりと勉強することが大事です。


一番の被害者は
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
やはり総連幹部が知らなかったはずは無いということですね。
それと、両者に悪意がある、ということですね。参考になりました。

お礼日時:2007/10/19 22:42

こんにちは


sepia712さんはこの問題をどうしてもどちらが悪いか決めなければ気が済みませんか?
あの総連幹部の人は疑問を抱いてというより、実際に北朝鮮に視察に行き実情に驚き、自分が地上の楽園と信じて送り出した人々に申し訳ないと総連を辞めたということでしたが。
その方のような上層部でも北朝鮮の実態は知らなかったということですが、だからといって最高幹部全員が知らなかったかどうかは疑問です。
総連は北朝鮮とは強い絆で繋がっていることは事実でしょうから。

又日本政府は北朝鮮に限らず、アメリカ本土、ハワイ、ブラジル、アルゼンチンなどの不毛の地へ移民を送り出した歴史があります。
日本人が血のにじむような思いでその地を開拓したこといろいろな文献、小説にも書かれています。
その中には、現在訴訟中の人もいると聞いています。

これらのことを考えても分るように、国家というものは北朝鮮とか日本に限らず、悪いことをするものです。
そろそろ私たちは北朝鮮が悪いとか日本が悪いとかという議論から卒業した方が良いとは思いませんか?
 
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます、
別に、どっちが悪いかを決めたいということではありません。
ただ、私は当時を知らないし、帰還事業についての知識がほとんど無いので・・・
あの番組では総連幹部も知らない実態があったとされていましたが、
別のサイトでは総連は在日の人をだまして北朝鮮への帰国を促したと
書いてありました。
だから、疑問に思い質問したのですが・・・
あの悔やんでいた先生のように、幹部でさえも知らない人がいたが、
中には知ってる人もいて、それでもなお地上の楽園だと言ってたということでよろしいですか?

お礼日時:2007/10/18 22:20

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