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 二度と会わないであろう人間は、生きていても死んでいても
同じ事でしょうか?

A 回答 (16件中11~16件)

こんにちは。


以下、全然詳しくなくて申し訳ない所もあるのですが・・
もし質問の内容が物理学的な意味だとすると、ご自身にとっては、
この先実際に出会って五感で(見たり触ったり話したり)じかに生死を
確認するまでは、生きているとも死んでいるとも言えないのではないでしょうか。
(シュレーディンガーの猫でしたっけ >専門家の方、間違ってたらすみません)

すみません、質問を読み違えてたら全く意味不明な回答ですね。。

この回答への補足

ご回答有難うございます。

私もこの質問が哲学的なものなのか物理学的なものなのか
実はわかりません。どちらの分野も浅学なもので(すいません。無責任で)

ただシュレーディンガーの猫の話が念頭になかったとは言い切れないともいえます。
ただ、シュレーディンガーの猫の話を私は多分正確に理解できていないと思うのでなんともいえないのですが。

>確認するまでは、生きているとも死んでいるとも言えないのではないのでしょうか。

という事は生きていても死んでいても同じという事になる
ということになるんでしょうか。。

補足日時:2007/10/26 14:00
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 ご質問をはぐらかすつもりはないのですが。


 仮に生きておられれば、二度と会うことのないであろう方とえども、いつかどこかで、会うであろう蓋然性は残っていますね。肉体にいながら。死んでいればそういう蓋然性はないですね。現在の地上で、肉体に居る者同士としては。
 そして死んだという情報がなくても、死んだという情報でも、自分の感情は続いていますね、私の場合は。
 死んだという情報がないうちは、どうかそれなりに平安な気持ちで、それなりの喜びをもちながら、日日歩んで欲しい、と願い、祈ります。
 死んだという情報があれば、生きている間のことを勉強の糧にしてください、いい(積極化、前向きの)解釈といろんなことを受け取って置いてください。みんなの仕合せを祈る気持ちを継続してください。
 とお願いし続けます。意識がしっかりしていてくれれば、死んだら多分、都合の合うときにはきていてくれているだろうと、存じます。
 生きているなら、同じ想いが、どこかで出会うと存じます。
 どちらの場合も、通じ合うと存じます。
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この回答へのお礼

ご回答有難うございます。

そうですね。二度と会わない「であろう」人という言い方は
まずかったですよね。
私もちょっとひっかかってはいたのですが。
死ぬまで「二度と会わなかった人」と言い換えた方がいいかもしれません。

あと、
>そして死んだという情報がなくても、死んだという情報でも、自分の感情は続いていますね

これは質問内容とどう関係してくるのでしょうか?
すいません。頭悪いので内容があまり理解できていないかも知れません。

お礼日時:2007/10/26 13:52

今まで何度もあってきた事だととしても、結局それらは二度とないものであったと後になれば知ることになります。

その気持ちを、本人は偽れないと思います。結局、全ての出会いが二度とないものだと、どうしても分かってしまうのは、人(生きている者)は皆死ぬことを知っていながら生きているからです。人はその常にそのように生きて、まごころを忘れるべきではありません。
私達は生死を分かち合って、死ぬはずのもののあるのを知って、死ぬはずのもの(つまり私たち自身の事)をこそ本当は分かち合いたいのだと言うのが、自分の本当の気持ちだろうと気がつくべきだし、きっと気がつきます。むしろ生者死者を偲べば、必ず気がつきます。
そのようにして、生死を越えて生きる(存在する)のだと思います。
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この回答へのお礼

ご回答有難うございます。

私には読解力も理解力も乏しいため回答者さんのおっしゃって
くださった内容があまり理解できていないと思うのですが
とても素晴らしく深いお考えなんだとなのだと想像します。

すいません。
ああ、本当に難しいです。

お礼日時:2007/10/26 13:35

>生きていても死んでいても同じ事でしょうか?



「何」が同じ事なのでしょうか?

この「何」を自覚していますか?
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この回答へのお礼

本当に言葉足らずで申し訳ありませんでした。

「何」についてですが
「二度と会わないであろう人間」の生死が知らされない場合、若しくは
生きているのに死んでいると聞かされたり、又その逆を聞いて信じたまま死ねばに実際「二度と会わないであろう人間」が死んでいても生きていても自分の感情や認識には何ら影響を与えない事になるのではないかという事なのですが…。

すいません。意味不明ですよね。

お礼日時:2007/10/26 01:32

どこかで幸せに生きていることを祈っています、こういう言葉を贈って、別れればいいことです。


相手の生存を、多幸や繁栄を祈ってあげる方が、人間として正しいでしょう。
一期一会の中では、道を最後まで共にすることはなくとも、どこかで縁のあった人です。
その縁を大切にして、いつまでも幸せでいるように、祈ってあげるのが本当です。
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この回答へのお礼

ご回答有難うございます。

全面的にとても素晴らしいお考えだと思います。
ただ私の言いたかった事は、例えば、自分が死ぬまで「二度と会わないであろう人間」の生死の確認がつかない場合、若しくは嘘の情報を聞いてそれを信じたまま自分が死んだ場合、実際相手が生きていてもと死んでいても同じなのではないかという事だったのですが
本当に言葉足らずで申し訳ありませんでした。

お礼日時:2007/10/26 01:19

私は違うと考えます。


生きている人間はこの世に存在し、文明を育んでいます。
死んだ方は多分あの世で何かされているかもしれません、何もせずこの世に
戻るのを待っているかも、但し何の生物でこの世に現れるかは神のみぞ知るところでしょう。
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この回答へのお礼

ご回答有難うございます。

>生きている人間はこの世に存在し、文明を育んでいます。

確かにその通りですね。
「二度と会わないであろう人間」が発明した医療機器で
私の命が救われるかもしれませんからね。

私の求めた回答とは少し違っていましたが(もちろん私の言葉足らずのせいです)参考になりました。

お礼日時:2007/10/26 01:09

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