ショボ短歌会

特にピカソやマティスの鉛筆描きでは、たんなる鉛筆の線から光と言うか、ぼんやりとしたオーラを感じ取ることができます。しかし、いったいなぜそのようなことが可能なのでしょうか? 単に「絵が上手」なひとからは、そういったものを感じ取ることはできません。(これはたとえば書画にも通じるのでしょうが)。

深い精神性の所作といえばそれまででしょうし、多くの芸術家はそのレベルに達するまでを一生かけて目指しているのだとは思いますが、「本物性」を獲得する精神と技術のプロセスはいかなるものでしょうか。こういうことを真剣に論じている本なども少ないように思われますが、なにかお薦めのものがありましたらご紹介ください。

(はじめ美術のカテに質問したのですが、美学の領域かと思って再度質問しています。)

A 回答 (41件中21~30件)

同じ人間だからです。



私も絵を嗜んでいる以上、こうした経験はあります。
ただ私の場合、以前とは異なり最近では感動というより
どの作品からも同じように、
オーラというかもっと明確な「人」という感覚が伝わってきます。
その人がどういう生き様をしてきたのか、性格や呼吸のタイミングまで、
何となく分かるような気がします。

恐らく、こうした感覚はあなたが知らず知らずに
記憶にピカソやマティスを知っているから、
そういう気持ちが起こるのでしょう。
確かに、美しいものは万人が観ても美しい絶対的な法則を感じます。

ただ感情移入が無ければオーラは見えて来ません。
人が眼でみたり、肌で感じたりするものは、
必ずそれを感知して、その後に認識しなければならない。
認識する過程で過去の記憶などと照らし合わし、
オーラを「感じる」か「感じない」か判断しています。
それは恐らく人間故の共通意識から来るものだと私は考えています。
「絵画のオーラ」そのものが物理的に証明されていない以上、私はそこまでです。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
多く同意しかねる部分もありますが、オーラ=人間であるということばには、なかなか興味深いものを感じます。どのように興味深いかを説明するのは少し難しいです。すみません。ただ、指摘されて気づいたのは、芸術のオーラは、生きていないと思うのです。

お礼日時:2007/10/30 04:48

時空間のエネルギーでもっとも身近なものが太陽ですが、気(オーラ)のエネルギーも同じように圧倒的に輝いています。

人間に投影されるもので大きいのがプラス側からSEXエクスタシーとマイナス側から死の断末魔なのですが、両者は結局同じものの裏と表です。

人間が芸術をするとき、肉体と道具や楽器を使って、経験と技術をフィルターにしていわゆる情熱、創造、魂のような気のエネルギーを単に注ぐだけだけなのです。気のエネルギーはその人間のものではありません。およそコントロール不能な気のエネルギーを流し込むその機会があるから、単にそれをするだけです。努力や根性、論理、知性とは直接関係がありません。楽器があって演奏者がいて、気のエネルギーとの出会いで曲が奏でられるということです。

ピカソは奇跡です。経験と技術のフィルターが気のエネルギーに対して透明に近いと言うことなのかもしれません。でもピカソが描くかあなたが描くかは重要ではありません。
気が入っているかどうかです。
どうしたら本物の気を入れられるか・・・・描いている人がとらわれが無くなって消失した(没入した)とき、最大の気のエネルギーが顔を出します。
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この回答へのお礼

再度のご回答ありがとうございます。
だんだんと回答にニューエイジ的なものが増えてまいりましたが、この道は避けては通れないのでしょうか? いえ、これは自問です。

自我の消失が、ある種の精神状況を生み出し、生命の息吹なり気なりエナジーなりを対象に吹き込むということは、多くの偉大な芸術家が証言していることです。たとえばセザンヌがそうでしょう。問題はそこからです。多くの芸術はそこからすべてが始まるといってよいと思います。

ただ、「何かしらのもの」が対象に入っただけで優れたものができるのならば、誰も困ったりしません。人の心を揺り動かす力は、「何かしらのもの」が欠けてはまったく意味がないとは思いますが、入っていれさえすればよいというのは、正直に申しまして、思考停止に近いものだと思います。

真の芸術に向き合ったとき、そこから何かを我々は得るでしょう。それがオーラの輝きというのも、わからないでもない。しかし、それだけではないとは思いませんか? もっと底が深く、多層的で厚みがあり、知性のきらめきがあり、軽やかな動きと、滑らかな輝きがあります。そこにあなたのおっしゃる「気」も含まれていると言うのであれば、僕はそれを否定する者ではありません。

お礼日時:2007/10/29 04:16

生き生きしていからだと思います。


生き生きとしていると感じるのも生き生きしている人だからですよね。
生き生きしていると何かを残してくれます。
生き生きしながら何もしないでいることは無理なのです。
それが絵でも詩であっても音楽でも。
芸術にオーラを感じるのは論理になくても身体に関わっている、エネルギーを使うことだからですね。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
恐縮ですが、非常に抽象的で具体性に欠けるので、正直申しましてよく理解ができませんでした。

お礼日時:2007/10/29 03:33

人間は、時空間宇宙と気(オーラ)エネルギーの織りなす界面現象であって、そこから派生した多くのものに気(オーラ)が宿っています。



人間そのもの、芸術、音楽のみならず思想、科学等も例外なく気(オーラ)を発しています。

>単に「絵が上手」なひとからは、そういったものを感じ取ることはできません。

ピカソと同質のものを感じ取ることができませんではありませんか。

人間の気(オーラ)もその人が気を殺しているとほとんど感じることができません。同じように気を入れていない作品なのかもしれません。
気が入っているものは、絵でも音楽でもへたくそだろうがなんだろうが強いオーラを発してます。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
どのように気を入れればオーラが発せられるでしょうか。気を入れれば、我々もピカソと同じような絵が描けるのでしょうか。

お礼日時:2007/10/29 02:10

#10です。


話が作品の評価に対する問題に及んでいるようなので、その事に関して以前に投稿したものを載せておきます。以下のURLです。

http://oshiete1.goo.ne.jp/qa3251534.html

その中の、#3, 6, 12が私が書いた物です。参考にして下さい。
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この回答へのお礼

何度もご回答いただき、ありがとうございます。
指摘を受けて気づいたのですが、作品のオーラにもそれぞれ深さ、鋭さ、強度が存在するように思われます。ある一定のレベルを越えるものが「本物」とナイーブな意見を出せば、その基準が疑わしくなってきます。ファン・ゴッホの放つ異常なまでのオーラと、優しくしかし鋭く放たれるマティスのオーラとの違いは認めなくてはならないでしょう。あまりにも当然のことなのですが。
ちなみに真贋という意味において、東京の某美術館にあるファン・ゴッホの《ひまわり》は、贋作じゃないかといううわさがありますが、僕もあれは贋作だと思います、個人的意見として。

お礼日時:2007/10/28 21:33

たびたび申し訳ありませんno.15です


>作品は芸術家の投影…オーラはその人から作品に移る、と言うことでしょうか。そうするとたとえば、スキルとしての才能はどうなるのでしょうか。スキルをもっている、というそのものがオーラとして現れるのか?

そうだと思われます、もちろんそれ以外もあるとは思いますが
スキル的要因である可能性が極めて高いのではないかと思います

>ちなみにピカソは人格破綻者だと思います。マティスは人格者だと思います。凄みという点では、作品と人格は関係ないような気もします。

いや結構関係があると思いますね
例えば3児の子供の絵をみて凄いと思いますか?
自由とかふにゃふにゃとか感じるのではないでしょうか?
それがダビンチとかの絵とかゴッホの絵で同じものを感じるとは
到底思えないですね
何かしら知性的、創作的、感情的etcなど何かしら投影されているものです
もちろん全てではありませんが要素としては有り得ると考えるべきでは
ないでしょうか?
ピカソの場合ですがこの人の絵にオーラが見えるというのは
絵の構図であったら配置であったりするものがまずメチャクチャな絵とは
違うなという印象を与えているものかと思います
NO.15でした。
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この回答へのお礼

度々のご回答ありがとうございます。
そういう意味での「人格」ですね。僕は「すぐれた人間性。また、人間性がすぐれていること。」(『大辞泉』)という定義に基づいていました。
あなたがおっしゃる意味においては、もちろんその通りでしょうね。

お礼日時:2007/10/28 19:50

その人の人格を読んでいると言う事も在ると思いますね


人格というのが絵に表れるなんてことは心理学ではあたりまえの考え方になっていますからね
またその人の思考や感情・周りの環境などの投影を見る側が読み解くことが
できるということだと思います。
こういってはなんですが僕もその人たちの絵を見ると凄さを感じるタイプです
no.4.11でした
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この回答へのお礼

再々度のご回答、ありがとうございます。
作品は芸術家の投影…オーラはその人から作品に移る、と言うことでしょうか。そうするとたとえば、スキルとしての才能はどうなるのでしょうか。スキルをもっている、というそのものがオーラとして現れるのか?
ちなみにピカソは人格破綻者だと思います。マティスは人格者だと思います。凄みという点では、作品と人格は関係ないような気もします。

お礼日時:2007/10/28 14:38

はっきり言って思い込みや先入観もあると思います。



例えばピカソの絵。
ピカソの名を知らないで見た人の何人があの絵を評価できるでしょうか。
多くの人がへんてこりんな絵としか思わないのでは。
僕もそのうちの一人です。
ピカソは天才画家だって知ってるからすごいと思うんです。
後から付いてくるんですね。

これはすごい人のだから・・・とういう先入観がすごくさせるのです。


もし画家の名前を知らないで先に何かを感じたとしても、
それは今まで培ってきた形式的な目利きがそうさせるのだと思います。



すいません。質問の答えになってませんでしたね。

僕は決して美術に関して造詣が深くないし全くの素人ですので、
みなさんとは違った素人意見として参考にして頂けるとば幸いです。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
僕の経験上ですが、先入観でオーラが見えたことはありません。あるいは僕が特殊なのかもしれません。ただ、絵をずっと見ていて、だんだんとオーラが出ているのがわかりだした、と言うことは・・・ある意味で当然なのですが・・・あります。

お礼日時:2007/10/28 00:47

>では芸術の真贋はどうやって見出すのでしょうか?



主観は論争の対象ではないです。
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No.8です



>>奥が深すぎるのだけど、その前にやらなくちゃいけないことが山ほどある、ということでしょうか。
>>ただ、染まってしまうと、問題が別になってしまうと思うのです。

確かにそういう部分はあると思います。私もいろいろと、「精神世界のカルト的、ニューエイジ的」な本を読みましたが、芸術系統の方からの霊界通信的な本を読んでも、あまり理解できません。女性の方が、「デジタル系オタク男性の判らないウンチク話を聞きたくもない」というのがあるようですが、芸術作品のオーラに興味ある方からすれば、逆の意味で、興味がわかないと思います。

写真の撮影技術について語りたいのに、各メーカの一眼デジカメの性能差とかソフトウエアの性能差、同じメーカの各製品間についてのウンチクを聞かされるようなものかもしれません。

ところで、私の友人に、過去世が巫女さんって方がいるので、いろいろと霊界の話を聞くのですけど、科学・技術系の霊界の人ってレベルに差はあれど、「やっぱり科学者って同じだなあ。芸術的センスが無いし、色彩のセンス無いし、技術的な問題を解決しているように見えて、発明品を使うユーザからみたら、ピントはずしたような製品だったり・・ドジ!」と思う話も多いんですね。

言葉は通じなくとも、数学者どうし、プログラマ同士だと、話は通じるっていいます。私はできないのですが、霊界通信ができたら、オーラとか、霊界の話じゃあなく、重力とは?エネルギーとは?、とかFA-22について語り合っちゃうような気がしますねえ。

同様に質問者さんも、ニューエイジ運動などではなく、芸術論で話がはずむのではないでしょうか?(ニューエイジ運動は、アンチ共産主義の目的もあって、政治系・坊さん系と縁遠い方には、あまり興味が出ないのも当然でしょうね)

残念ながら、私は、音楽・芸術方面には疎いので、質問者さんにぴったりな回答ができませんね。(戦闘機や戦車の絵は子供のころ、同級生や上級生に「うまいなあ」って言われたもんですが、一般の芸術とはちょっと違いますね)

でも、いい芸術品に、オーラを感じるのは、すばらしいと思います。片付けの本を書かれた方は、修行してパワーアップしていったそうですので、質問者さんも、この先、すごいことができるようになられるかもしれませんね。
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この回答へのお礼

僕の過去世は、宮中の位の高い女性だったらしいです。源氏物語のなかのように、詩でも詠っていたのでしょうか。でも、現世とほとんど関係ないと思っています。それを信じるかどうかは別問題ですが。

そのような霊界、精神世界との交信によって、芸術が可能か? 横尾忠則がそういう傾向があって興味深いですね。ちょっと彼にはついていけませんが、その作品はすばらしいと思います。

ちなみに技術系でも、すばらしいものはあると思います。先日、ランボルギーニを見かけたのですが、圧倒されました。ポルシェ、フェラーリももちろんすばらしいのですが、ちょっと違いましたね。

ちなみにオーラをガンガン感じるようになるためにはアンテナを立てておかなくてはならないと思います。偉大な魂と精神の作品に数多く触れることで、自らの内面が磨かれていくのでしょうね。

お礼日時:2007/10/28 00:59

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