これ何て呼びますか

特にピカソやマティスの鉛筆描きでは、たんなる鉛筆の線から光と言うか、ぼんやりとしたオーラを感じ取ることができます。しかし、いったいなぜそのようなことが可能なのでしょうか? 単に「絵が上手」なひとからは、そういったものを感じ取ることはできません。(これはたとえば書画にも通じるのでしょうが)。

深い精神性の所作といえばそれまででしょうし、多くの芸術家はそのレベルに達するまでを一生かけて目指しているのだとは思いますが、「本物性」を獲得する精神と技術のプロセスはいかなるものでしょうか。こういうことを真剣に論じている本なども少ないように思われますが、なにかお薦めのものがありましたらご紹介ください。

(はじめ美術のカテに質問したのですが、美学の領域かと思って再度質問しています。)

A 回答 (41件中31~40件)

補足ありがとうございます


>傑作とされる美術品と、他のものが異なるのか…これについてお考えはございますでしょうか。

とのことでしたがこれも何かしらクオリアが関連していると思います
わからない人というのは興味の無い人ではないでしょうか?
クオリアというのは超越的なものから身近なものまで意識化される
状態をいいますその中でも本物性を感じるというクオリアではないでしょうか
まずゴッホの絵とピカソの絵とダビンチの絵を見ても同じクオリアが
働くということはまず有り得ないと思います
そのさい生じる本物性というクオリアが湧き上がってくるのではないでしょうか
要因としては
・当時を思い起こしてみてそれでその絵を書き出すという凄さを感じる
・名前的に有名なので凄いと感じる
・自分の心の内面を見事に表出しているので凄いと感じる
 例えばユングの普遍的無意識を刺激するとかある種理論的に考え
 られない領域が意識化されるなどある種見た人の精神が投影
 がされる
・その他脳科学では理解できない未知なる領域を刺激している
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この回答へのお礼

再度のご回答ありがとうございます。
ゴッホとピカソとダ・ビンチの絵を見て、同じクオリアが働かない、というのは、少し考えさせられる指摘でした。オーラということばの定義があいまいで恐縮なのですが(と言うより、定義できないからこそ質問もしているのですが)、たしかにそれぞれオーラは違っています。異なるオーラをなぜ感知できるのか? 本物性と一言でくくれないものがある気もします。しかしそこには何かしらの共通点があると言うもの確かです。
僕は長い間、どうしても「掛け軸」「骨董」の真贋の判断ができずにいて、それはなぜなんだろうとずっと考えてきたのですが、そのクオリアが働いていないのかもしれません。
「湧き上がる」要因として、さまざまな仮説を立てることは確かに可能でしょうね。逆に「クオリアが湧き上がらない」要因も考えてみたくなります。
興味深い指摘をありがとうございました。

お礼日時:2007/10/27 12:29

#7です。


比喩的に表現してみると、波動と言うよりは共鳴現象と言った方が的を射ているような気がします。ご存知のように振動数が同じ物の間ではエネルギーのやり取りが異常に特異になり、効率が良くなります。周期に合わせて押してやると、お寺の釣り鐘を子供でも揺らせる事が出来るのは良く知られていますね。これが共鳴現象あるいは共鳴特異性と呼ばれているものです。

ソクラテスの産婆説と言うのをご存知ですか。彼が言うには「私はその若者の心の中に前もって存在していないものを教える事は出来ない。私が出来ることはちょうどお産婆さんのように、お腹の中の赤ちゃんをこの世に引き出す助けをしているだけだ」というものです。私はこれも共鳴現象だと思っております。ソクラテスが善しとした概念なり認識なりを、その若者が自分の経験や思索の中、形にならなくてもすでに出来ている。そしてソクラテスの一言が、その若者の心に出来上がって来た琴線の波長に共鳴して、一気に若者の目から鱗を落としてくれるのではないか。

作品を見てオーラを感じるのは、きっと貴方の心の中に作品の善し悪しを判断する基準が、まだ意識した形になってはいなくても胚芽のようにすでに出来ている。そして、その作品に遭遇した時に、その琴線が視覚や聴覚を経由して心の中で共鳴する。そのとき、貴方の脳はオーラを見るのではないでしょうか。

物理学では今まで、相互作用とか力という概念だけで世界を分析しようという傾向がありました。しかし、近年の物理学では、それに加えて共鳴 に基づく「相関」というものを考えることも重要である事が明らかになりつつあります。例えば、海の中で水の分子はせいぜい分子の距離程度(すなわち1億分の1cm程度)しか届かない力で相互作用をして、デタラメに動き回っています。ところがカリフォルニアの沖で南下する海水が日本近海で北上するというように、相互作用の距離と比べてめちゃくちゃに大きい数千キロにも渡る距離で規則的に、各分子が強い相関を感じつつ対流現象を起しています。これは、単に相互作用や力という単純な概念だけでは理解出来ない現象です。力の距離が短いにも拘らず、この長大な距離に渡って相関の距離が存在出来る理由も、今では共鳴現象の一つの現れとして理解出来るようになっています。

将来、目から鱗が落ちたり、オーラを見たりする事が、この共鳴現象の立場から説明が出来るようになる時代が来るのかなと、夢みたいな事を考える事もあります。

人間の心の中を説明する学問はほとんど何も判っていないので、ちょうど現在の宇宙論がほとんど何も判っていない未熟な段階なので「無責任に?」どんな夢のような事を言っても皆さんが面白がってくれるのと同じように、何でも言える段階ではないでしょうか。
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この回答へのお礼

再々度のご回答、ありがとうございます。
「共鳴現象」という考え方、大変興味深く思います。
そしてなかなか興味深い仮説も提示していただき、なるほど、と思いました。ある作品と精神の「周波数」的なるものが共鳴を起こす感覚は、とてもリアルに感じられます。そこに心理的ではなく、「物理的な」共鳴が働いているのか? これも大変興味深いテーマです。
海の相関のお話も、とても興味深かったです。
有史以来、さまざまな学問のおかげで、われわれは、ほとんど何もわかっていない、と言うことがわかり始めました。いわばポストモダンですね。でもそれって、ソクラテスの無知の知、みたいですね。

お礼日時:2007/10/27 12:15

オーラというのは感受性のある人が抱くものだと思います。

絵の場合にはピカソやマチスと同種の感受性を持っている人が感じるのではないでしょうか。ただ感じることと表現することは違うと思います。対象からオーラを感じさせる部分を抽出して的確に表現できるというのは天才だけに可能なことなのかもしれません。ピカソについては高階秀爾「ピカソ剽窃の論理」筑摩学芸文庫はあるいは参考になるかもしれません。ピカソは人間に共通の美的感受性がどういうものかを知っていたのかもしれないと思います。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
そうですね、共通の美的感受性、持っていたと思います。いわばあらゆる偉大な芸術家が持ち合わせている資質だと考えます。その美的感受性はどこから生まれるのか? 天才の一言で済ますのは簡単なのですが。

お礼日時:2007/10/27 11:54

「ガラクタ捨てれば未来がひらける(カレン・キングストン著/小学館文庫)」って本があります。

ちょっと前から流行っている「お掃除したら、幸運がやってきますよ」っていう内容の書籍に見えます。実際、そういうたぐいの本なんです。

ちょっと違うのは、著者が、部屋にある全ての品物のオーラ?を読み取ることができて、その能力を開発・応用されて書かれたという点です。一例として、彼女は、初めて訪れた友人の家の玄関で目隠しをして、友人に案内されて家に入り、感じるオーラだけで、部屋のどこに絵が掛かっていて、そこに何が描かれているか判ったそうです。また、そこは借家だったそうで、アンティーク家具もあったので、その部屋の古いオーラを感じ取ると、「頑固」「骨の痛み」を感じたそうです。で、大家さんに確認すると、前の住民は、頑固な老人で、ひどい関節炎に悩まされていたそうです。

また、他の方が書かれていますが、有名女優さん、スターさん本人に会うと、TV等では判らない、輝くオーラを感じるっていう方も多いようですね。なんだか彼女・彼の周りだけ輝いているように思えるそうです。

その輝きは、その人の触った物にも反映されるようです。ですので、「有名人の直筆サイン色紙」などを欲しがる人が出るわけです。

そして「庭の石ころにも魂があり、気の遠くなるような年月をかけて修行をしている」というような内容が、ブラヴァツキー夫人の有名な「シークレット・ドクトリン」とか「神智学の鍵」あるいは、神智学で有名なルドルフ・シュタイナ氏の書籍にも似たようなことが書かれていたと思います。

そして、そう考えると絵画などに、画家のオーラが宿るのも当然な気がします。素人画家や偽物や写真にそれが無い、少ないことも当然だと思えます。

この手の話題を追求すると、「この世」だけでなく、「世界の成り立ち、その目的・使命」といった哲学的・宗教的な領域に踏み込むことになると思われます。普通の書店では、こういう領域の書籍は、まず本棚に並んでないでしょう。本屋の店員や店長が意図して、その手の書籍を充実させようとしないと無理ですね。本自体も割りに高価ですし・・・。東京では、書泉グランデが充実していました。(占いグッズ等、けっこう怪しげなものもならんでいた。昔のことで、現在はどうか知りません)

>>なにかお薦めのものがありましたらご紹介ください。

やっぱり、ルドルフ・シュタイナー氏の著書がいいと思います。が・・・

メルヘン論(ゲーテがとりあげられてます)、芸術の贈りもの、神々との出会い、いかにして超感覚的世界の認識を獲得するか 等々、役にたちそうな多くの書籍があります。ただし、ちょっと読んだ感じでは、科学好きの小学生が、いきなり大学で使う量子力学の教科書を手にしたような「なにか素晴らしい、内容の濃いことが書かれているように感じる。でも、・・・わからない・・・」って状態になります。なんというか、仏陀、イエスキリストが、大衆向けじゃあなく、直弟子に秘伝を伝授するのを、横で聞いている一般市民(信者よりまだ下)って感覚みたいです。やっぱり順番としては、まず、弟子レベルにならないといけないんでしょうね。
「この手の書籍がいつか理解できるようになれればいいなあ」って思っていますが、何度か生まれ変わらないと無理かな?
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
ずいぶん前の話ですが、シュタイナーはなかなか読み進められなかった記憶があります。いま、手元にも一冊、積読してあるのですが、そのときのトラウマがついつい頭をよぎってしまいます。
興味深い指摘ですが、たしかに、有名人のサイン、ってオーラが移ってしまう場合がありますよね。しかしこうなると、芸術ではなくなってしまう。いわゆる「お宝」と「芸術」の線引きをしたいのです。卑俗な例で恐縮ですが、テレビ東京系列番組「なんでも鑑定団」がいろんなものを鑑定しているせいか、ごっちゃになってしまっています。予断ですが、この番組、僕は骨董品とおもちゃ、有名人のお宝以外なら、真贋をほとんど当てることができます。
あっちの世界のものを、自我を消し、こっちの世界に持ってくる。乱暴に要約するとそうなるとおもうのですが、そうなると長嶋さんの野球論「来た球を打つ」になってしまいます。そりゃそうだろうけど。
神智学、神秘学などはおっしゃるように、そういう意味では重要になってくるとは思いますが、どうもしっくりこない。カバラの世界やスウェーデンボルグなども興味がなくもないのですが精神世界のカルト的、ニューエイジ的な話に染まると、問題がどんどんややこしくなってしまいます。簡単に言えば、奥が深すぎるのだけど、その前にやらなくちゃいけないことが山ほどある、ということでしょうか。
この手の方面は決して避けては通れない気もします。ただ、染まってしまうと、問題が別になってしまうと思うのです。こういうことをいうと「あなたは何もわかってない」と言う人が出てきてしまって、本当に困ります。あるいは、さらにややこしい話も持ち出されてしまったりして、「マジKY」とか言いたくなるのです。
多くの芸術家は創作活動の自意識について敏感であり、「それ」について語ることをよしとしますが、「それ」が何かについて語ることはまれです。語ったとしても、そこにカルト的な要素はめったに入ってきません。芸術家が、みながみな、カルト的ではないのと同様に、です。

お礼日時:2007/10/27 11:51

#6です。


>さて、ではそのオーラがなぜ作品に投影されるのでしょうか? 物理学的に説明していただければ幸いなのですが…

事のついでに、物理学者とは何かについて説明しておきましょう。そうしないと貴方の質問に答える事が出来ないからです。あらゆる学問にはそれ固有の文化なり言語がありますが、物理学もそれをあらゆる知的営みと分ける個性を持っています。物理学とは決してこの宇宙の森羅万象について合理的に説明なり理解しようということを目的としているような学問ではありません。物理学にはもっと神懸った宗教的な側面があります。物理学者とは、この宇宙には第一原理あるいは物理学の基本法則といものがあり、森羅万象がそれから統一的に説明が出来るのだという事を信じている物理教の信者なのです。あらゆる学問領域で、こんな事を信じているのは物理学者だけです。

おなじ物理現象をたまたま研究している工学者達が居たとしても、その方達は、その現象の理解について物理学者が第一原理との関係を説明出来ていなかったとしても、実験事実の分析によってそれが間違いないとされている事実と結びつけてその現象を合理的に説明出来れば善しとします。したがって工学者達は、その現象をどう第一原理と結びつけるかにはまず興味を持っておりません。

ですから、貴方の言うオーラについての物理学的な説明とは、物理学者にとっては、それが第一原理あるいは物理学の基本法則とどう結び付くのかを論じなくてはならなくなります。現在の物理学では、まだ人間の脳みその中で起こる現象を第一原理と関係づけるには絶望的に未熟な段階です。ですから、拍子抜けされるかも知れませんが、オーラに関しての物理学的な説明はまだ無理だ、が正確な答えです。貴方も多分当たり前だと思っていたと思いますが、その通りです。学者とは当たり前の事をくどくど言うものだとお笑い下さい。

柳田國男が「幽霊が存在するかどうかに疑問を挟む人は幾らでもいるだろうが、幽霊を見たと信じている人が何人もいたと言う事実に疑問を挟む人はいないだろう。興味ある問題は、その人達がなぜ幽霊を見たと言うのかという問題、その文化的あるいは歴史的な背景は何なのかと言う問題である」との趣旨のことを言っておりました。

貴方の質問の答えになっておりませんので、ごめんなさい。
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この回答へのお礼

再度のご回答ありがとうございます。
とても真摯なお答え、うれしく思います。ここまで明確に物理学の限界をご丁寧に説明してくださったのはあなたがおそらく初めてです。ある領域の学者たちが別の領域の分野を無意識に、あるいは心底馬鹿にしているのがアカデミーの世界であることを考えると、あるひとつの学問にそれぞれの限界が歴然とあることを承知、自覚している学者が、いったいどれだけいるでしょう? 勉強になりました。
さて、人が発するオーラについてはいったん横においておいて、オーラが波動、波の一種であると仮定し、ある一定の力(恐ろしく微細なまでの力をご想像ください)をこめて書いた一本の線が、ある種の特定の波動を生み出すと考えることは可能でしょうか? 芸術家の天才たちは、どの力でそれを行えば、その波動を生み出すかを知っている者たち、となります。ピカソやマティスの一本一本の線は、本当にすばらしいです。
ちなみにホンダの創設者である本田宗一郎は、手で触れるとミクロの単位で凹凸がわかると自負しておりました。マティスやピカソがそれを聞いても、特に驚かなかったかもしれません。

お礼日時:2007/10/27 07:04

今からウン十年昔に、コンピューターのプログラミングの講習会に出たことがあります。

その時、講師の方の話は早々と終わって、ビデオで説明が始まりました。驚いたことに、面白いし、良く判ったのです。その頃NHKの教育番組で国語や歴史や物理等を聞いていたのですが、ちっとも面白くない。私は上の講習会に出てその理由が判ったのです。

コンピューターの言語はどうせ人が作ったものですので、底が浅い。すなわち、全てに曖昧さがないくらい軽いものなのです。ですからビデオの中の先生は、自分が何を言っているか判りながら話している。ところが、国語も歴史も物理も、先生は自分で何を話しているか判らない。しかし、何か自分を魅了する大事なことを話しているという自信はある。そのような場合、その先生の持っている情熱を伝えるには、口角泡を吹きながら唾をまき散らし、情熱のオーラをムンムンと発散させなくてはならない。ところが、その唾もオーラも先生との間の緊張感も全てテレビのスクリーンが遮ってしまう。だからビデオになると、そのオーラを感じることが出来ず、つまらなくなってしまうのです。

すなわちオーラとは、まだ言葉にはなっていないが、自分の言っていることや行いを善しとする直感や情熱に自信を持っている方が自然に発露する迫力を、受け手が感じるときに見えるものなのです。

プログラミングの例のように、それがきちっとした言葉になり、誰でも納得のできるものになってしまったら、もはやオーラなど必要がありません。そんなものに口角泡を吹き唾をまき散らす必要はないからです。

私は物理学者ですが、物理学者はみな自分が何を言っているかが判らずに喋っているのです。ですから、この連中はいつも喧嘩腰で、綺麗なオーラ、ショッキング・カラーのオーラ、ギラギラした気持ち悪いオーラなど、いろいろな色のオーラをを出し合っています。

その点わたしの経験によると、数学者はほとんどの場合、自分で何を言っているのか判りながら喋っているらしいので、物理学者と比べるとみな紳士淑女のように見えます。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
何らかのものが自然に外に出てくると言うことは、理解できます。物理学者と数学者とはそのように違うのですね。ちょっといい話を聞きました。
さて、ではそのオーラがなぜ作品に投影されるのでしょうか? 物理学的に説明していただければ幸いなのですが…

お礼日時:2007/10/27 01:42

私は逆に、近未来通信事件、円点事件等を見ていると、詐欺師って独特のオーラがあるのかな、と感じます。

常人が見れば、見るからにいかがわしい人物に、多くの人が付き従っていってしまう群集心理は不思議なものがあります。

オーラとは本人が発しているものではなく、みこしに担がれることで発生するものにすぎないと、私は考えます。それは芸術のような良い方向に働くこともあるし、議会制民主主義を通じてナチ政権が誕生したように悪い方向に働くこともあると思います。

ベンヤミンの本は、感傷にはなってますが、科学にはなってません。本物のオーラなど、はしごを外されればすぐになくなってしまうものではないでしょうか。

徳島に面白い美術館があるので行ってみてください。大塚製薬がやっている美術館で、世界中の名画のそっくりコピーを大量に集めた場所があります。それを見て、オーラを感じるかどうか、微妙なところだと思います。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
むかし、僕の歩く道さきに、やけにオーラ(らしきもの)を発している人がいたのですが、よく見たらそのひとは某有名女優さんでした。
僕は本物とレプリカの区別をつけることが、ちょっとだけできます。絶対ではないのですが、質問のような何かを感じるからです。

お礼日時:2007/10/27 01:40

オーラというのは基本的に意識ですから逆に見えるほうが当たり前ではないでしょうか?


仕組みは下記HPに載っています
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AF%E3%82%AA% …
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
なるほど、「クオリア」と言う考え方は知りませんでした。大変参考になりました。
それとは別に、どうして傑作とされる美術品と、他のものが異なるのか…これについてお考えはございますでしょうか。

お礼日時:2007/10/27 01:36

私は特別な力を持ってはいませんが、カタログで見かけた絵画の現物をみると、なにか違う力を感じます。


(オーラはみえませんけど)
技術的に稚拙な絵画でも、必ずしも力を感じないわけではないですし。

オーラ(アウラ)について先駆的な理論を展開したといわれているのが、ベンヤミンの「複製芸術時代の芸術」という書籍です。
ここでは、いわゆる現物とそれを複製したものが中心なので、お尋ねの、絵画の技術や習熟度による、本物と偽者というのとは少し異なりますが、ヒントを与えてくれるのではないかと思います。

参考URL:http://www.excite.co.jp/book/product/ASIN_479491 …
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
その通りでして、本物を見ると、何かが違います。確かに、何にでも何らかの力は感じるとは思いますが、傑作とされるものは強烈ですよね?
ベンヤミンの一回性云々については、ちょっと僕の考えとは変わってきます。

お礼日時:2007/10/27 01:32

[本物からはどうしてオーラが出る?]


これはこのカテでも回答は難しいですよね。仏教では如来界の精神をもつお方からは頭の後ろからお盆のような後光(オーラ)が出て、その方が話したり書いたりしたものからオーラが出るという事を聞いたことはありますが、その理由までは知りようがありませんね。
推測するに、如来というお方は重々無尽にその光の体を分けることができるそうなので地上に残した仕事にもその光が反映しているのかもしれませんね。ピカソは4次元的に具象を捉えることができたようなので如来界の精神を持っていたことは推測できますね。芸術の世界も含めてあらゆる世界が「悟り」というものの投影なのでしょうね。
このぐらいしか答えようがないですね。参考になるかどうか?
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
仏教をはじめ、宗教的なある種の境地から作り出したものに、たしかにそのような力は宿るような気はします。その精神の投影としたら、ではなぜ投影が行われるのでしょうか。

お礼日時:2007/10/27 01:29

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