時代劇が好きでよく見るのですが、中には素人が考えても 「こんな時代に、それはないだろう」 と感じるシーンも多いです。
まず 「暴れん坊将軍」 のタイトルシーンに江戸城の天守閣が背景として映りますが、吉宗の時代には天守閣は大火で焼失していたはずなので、これは嘘だと思います。
それとか既婚女性のお歯黒ですね。 本当は真っ黒だったはずです。
遠山の金さんなんて、町奉行が桜吹雪の刺青をして遊び人として町に入っていたなんて、実際にはとても思えませんね。 ま、これはフィクションですから大嘘と言うのはかわいそうかも知れませんが ・・
あと、このカテでも西部劇で主人公が馬に乗って荒原を旅するシーンがありますが、実際には馬1頭で旅する事なんてあり得ず、予備の馬を必ず連れて行ったはずと聞きました。
時代や洋の東西を問わないで結構ですので、時代劇の登場する大嘘について教えて頂けないでしょうか?
No.2
- 回答日時:
基本的なことなんだけど、夜の明るさ。
行灯一つではかろうじて何かあるかを見分ける程度の明かりにしかなりません。
月明かりの方がよっぽど明るいくらいです。
実際に、同程度の明るさを確保しようとしたら部屋中が行灯だらけになったなんて実験をどこかで見たような気がします。
有難うございました。
あっ、本当ですね。
町や部屋の中が今と同じくらいの明るさになっているように思います。
昔の町は外灯なんて無い時代ですから、それこそ提灯無しでは真っ暗で歩けなかったでしょうね。
それに部屋の中もうす暗い行灯ひとつ。
トイレに行くにも怖かったでしょうね。
No.3
- 回答日時:
面白い話題ですね。
一番違和感があるのは歩き方でしょうか。江戸時代以前は「ナンバ」という歩き方で手と足とは同時に動かすはずですが、時代劇では交互に動かしていますね。
あと気になるのは「南町奉行所」と看板があることですか。実際は無かったはず。
すごく細かいことですが大阪では一日分の飯は昼に炊き、江戸では朝に一日分の飯を炊きました。一日一回しか飯は炊かないので大阪では夜と次の日の朝が冷や飯、江戸では昼と夜とが冷や飯でした。
あるときに江戸の設定で夜にほかほかのご飯を作っているシーンがありましたが一般的ではないなあと思ってみてました。当時夜に飯を炊くなんてことはほとんど考えられないことです。
有難うございました。
ご飯は1日に1回しか炊かなかったんですか。 これは初耳です。
時代劇で夕飯の支度で、女性が竹筒でフーフーしているシーンがありましたが、江戸でも上方でもこんな事は無かったんですねえ。
考えれば、今と違って、ご飯を炊くというのは大変な重労働だったはずなので、1日分のご飯をまとめて1回で炊き上げるというのは納得です。 合理的ですよね。 ただ、ジャーなんて無いから冬は冷たかったでしょうね。
No.4
- 回答日時:
水戸の黄門様・・・。
テレビドラマでは旅にでて悪態を成敗しておりますが、実は黄門様は旅行などはした事はなかった(正確にいうと、
将軍家に何かあったら水戸藩が対応しないといけないので水戸周辺を
離れられなかった)です。
また、黄門様は今で言うヤンキー上がりみたいな人で
成敗どころか、ご自身が色々悪態をされていたらしいです。
こんな具合でよかったでしょうか?
有難うございました。
水戸のご老公は実際には全国行脚なんてしなかったというのは、以前クイズ番組で聞いた事があります。 たしか駿府まで行った事はあったとか。
ただ、結構暴れん坊だったんですねえ。 初耳です。 テレビでは凄い人格者のように扱われていますが ・・
No.5
- 回答日時:
江戸は夜になると町人の区域は大木戸や木戸を閉められてしまい、
特別な許可が無ければ自由には移動できませんでした(移動する人数に合わせて拍子木を打って次の木戸番に教えていた)、
なので夜中に抜け出して別の町には行くのは難しかった、
江戸御府内では鉄砲の規制は厳しく、
発砲すれば死罪になる可能性が高いので、
たとえ鉄砲(短筒)で相手を倒しても自分の身が危なくなる、
長屋の町人が家に帰って来た後も着物を着ている、
寒い時期を除きほぼ半裸(男は褌一丁か半纏、女は腰巻のみなど)で過ごしていたとか。
有難うございました。
へー、江戸時代は夜の町を散歩するとか、勝手にウロウロするとか、出来なかったんですねえ。 初めてしりました。
勉強になります!
No.7
- 回答日時:
大嘘とまではいきませんですが、細かいところを二、三・・・。
(1)若い娘の爪がやや長いのがヘンです。以前、このカテで「江戸時代も今のOLなみに伸ばしていたのか」と質問しました。図書館で浮世絵を逐一見て調べてくれた人が居まして、「みんな短かった」という回答でした。
(2)ローソクや灯心の火にしては、夜間のシーンが明る過ぎますね。それにローソクを点した部屋で、人が動いたりすると、大きな影も動きます。また、電気ではないですから、炎の揺らめきがあるはずなんですが、感じられません。
(3)建物の外装、内装ともに、古めかしく見せるために黒っぽい塗装を施しているのがヘンです。現在残っている江戸時代の建物はたしかにそんな感じですが、当時は古いのも新しいのも混在していたはずです。
ANO.5さんのふんどしと腰巻の話、昭和20年代までの田舎ではそうでした(ただし真夏)。年寄りの男は褌一丁、年寄りの女は腰巻一枚、若い男は木綿地のパンツ(サルマタ?)、若い女はシュミーズ一枚。
そんな裸でしたが、どういうわけか土地の人は蚊に食われませんでした。ただし都会から来た人はみんな食われました。
詳しいお話、有難うございました。
最後のお話なんですが、男性も女性も家の中では下着姿だったんですか ・・ 何だかエロイ感じもしますね。 でも当時の人は当たり前の事として何にも感じなかったんでしょうね。
蚊に食われるお話、不思議ですね。 蚊に分かったのでしょかね。
No.8
- 回答日時:
>時代劇の登場する大嘘について教えて頂けないでしょうか?
毎年冬の風物詩である「忠臣蔵」でしようね。
TV・映画では「吉良の御首を持って泉岳寺に行く途中、江戸庶民が拍手喝采を行った」というのもウソです。
いくら元禄太平の世でも、庶民がそんな事をすればたちまち捕縛されます。
古文書を見ても、庶民は冷めた目で見ていたようです。
御三家の記録にもほとんど出てきません。
当時の多くの記録は、「赤穂浪士は忠義の侍でなく、再仕官が出来なかった侍の暴徒」になっています。
尾張名古屋藩の記録でも「江戸城中で刃傷があった」「吉良が暴漢に襲われた」と記載しています。
赤穂浪士を義士としたのは、明治以降の講談師です。
♪講談師 見てきた様に ウソを云い♪
おそまつ。
有難うございました。
え~、忠臣蔵って、もしかすると今で言うテロリスト集団だったかも知れないんですねえ。 これは驚きです。
たしか、後の仮名手本忠臣蔵とかで、かなりデフォロムされて美談になったと聞いた事がありますが、実際は全然違っていたんですね。
ホント、驚きました。
No.10
- 回答日時:
こんにちは。
宮本武蔵に出てくるお通と又八。
吉川英二の創作ですが完全に定着しちゃいましたね。(笑)
あと各種剣豪が非常に綺麗な陣羽織を着てたりします。
藩お抱えの武者はそういう事もありましたが、そうでない場合はただの貧乏浪人で、非常にみすぼらしいなりをしてました。
武蔵はさらにお風呂は無防備になる時間が出来るので嫌って入らなかったそうなので、更に悲惨だったようです。
お抱えになってからは少しはマシだったろうとは思いますけど。
最初の武田騎馬軍団は「騎馬の軍団」自体は実在ですが、使用法が全く違います。
鉄砲の3段打ちは、そんな事をやっていたら、恐らく織田・徳川軍は敗北していました。
最初の一撃の合図だけを送ったようです。
有効射程距離が短いので早く打ってしまうと騎馬が目の前まで来てしまうからです。
実際3段に作った柵の3段目まで引き抜かれた場所が一箇所だけあります。
その時は、そこを守っていた羽柴秀吉、明智光秀の率いる鉄砲隊が柵の外に飛び出して後ろから撃ち事なきを得ました。
もしそのまま柵の中から打ってれば、柵が無くなった部分は騎馬が押し寄せて総崩れになったでしょう。
敵味方が入り乱れてしまうと鉄砲は撃てませんから。
実際は最初の一撃の合図以後、多数の鉄砲が自分の装填速度で連射していたようです。
遠山金四郎は実在で、刺青の程は知りませんが、一時期、家を病弱な兄に継がせる為に出奔(家出)してた事があり、町民の生活を非常によく知っていました。
その為、奉行になってからも町民の生活を重視した政策を行い、評判は高かったようです。
水野忠邦がむちゃくちゃな緊縮政策を発表したときも「これでは町人の心が離反し反乱になりかねない」と忠告して芝居小屋を残すなど、本当に町民に喝さいを浴びる政策を行いました。
でも盗賊集団の取り締まりに刺青をひけらかしてチャンバラに及んだはずはないです。
密偵はいたけど、奉行本人がそんな事はできないです。
お白州は、今で言えば最高裁の大法廷みたいな物で奉行が直接裁くのはかなり特殊な事例で、通常は与力が裁きます。
銭形平次などの岡引。
全部が全部そうだとは言い切れませんけど、かなりヤクザまがいのが殆どだったようです。
もちろんお金を投げて犯人を倒すのはウソ。
#ただ、中国に実際に貨幣を投げて相手を攻撃する武術があり、日本でも独自にそういうのを使う人はいました。
岡引・同心では捕り縄の使い方が全然違います。
犯人を縛ったり、遠巻きに投げつけてぐるぐる巻きにしたり、などよりは、接近戦で手首に巻いた輪を相手に引っ掛けて縄を足で踏みつけると刀を持った相手でも身動きが出来なくなったといいます。(取り縄術(捕縛術)は実在し、現在も伝承されています)
鬼平犯科帖
長谷川平蔵(旧:笑)は、犯人逮捕よりも犯罪者更正に人生をかけた人です。
彼の手による「人足寄せ場」は、当時世界最先端の犯罪者更正施設で、当時のパリなどでさえ、犯罪者は地下牢に押し込めてそのうち首をちょん切るしか行われてませんでした。
世界に比較できる物すらなかったのです。
有難うございました。
結構、時代劇にも嘘が多いですね。
最後の鬼平に関してですが、映画のイメージとは随分違いますね。 映画などでは、鬼より怖いというか、泣く子も黙るというか、とにかく悪い奴らには徹底した強面ぶりを発揮したような印象があります。 でも実際には結構、悪人にも人情味を示していたんですね。
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