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中3の者です。
授業でタイトルの詩歌について調べることになり、
教科書で調べてみたのですが肝心な情報が載っていません。
「多摩川に さらす手作り 
さらさらに なにそこの児の ここだかなしき」
わかっていることは、
1.~さらす手作り・・・体言止め
2.2句切れ
3.さらす手作り・・・水にさらし日にも晒して仕上げた布
4.東国地方の無名の人々の民謡風の歌。
です(間違っているかもしれません。)
上記のとうり、肝心な歌の意味がわかりません。

調べた経験のある方、専門の方、よろしくお願いします。

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A 回答 (3件)

対象は「作者の幼な児」と考えるのが自然です。


「布が次第に仕上がっていくように」は、少し違うと思います。布はすでに織られていて、あとは水にさらすだけですから。単に、水の「さらさら」と「さらにいとおしい」の掛け言葉でしょう。そう捉えたほうが素朴な感じがします。
「仕上げた布」ではありません。「現在仕上げている最中」の描写です。
「なにそ‥‥ここだかなしき」は「どうしてこれほどまでにいとおしいのだろう」です。係り結びにも注目。
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この回答へのお礼

幼な児という説と恋人というせつがあるようですね。
調べ切れなかったら先生に少しだけ教えてもらおうか
頼んでみたいと思います。
ありがとうございます。

お礼日時:2007/11/27 21:15

「多摩川に さらす手作り」は序詞でしたよね。


だから歌の本意は 「さらさらに なにそこの児の ここだかなしき」
にある。
作者と「このこ」との関係は
親子の関係という考え方と恋人同士という考えがあるようです。
民謡のということから考えると「どうしてあの娘はこんなにいとしいのだろう」といったようなところかも。

この回答への補足

確かに民謡というところから考えようとすると、
「あの娘」と考えられますが、
親子愛とも考えたりできませんでしょうか?
本意が後半にあることは間違いないようですね。
愛がどのようなものかが最大の問題になりますね~。
ありがとうございます。

補足日時:2007/11/27 21:16
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多摩川にさらす手織りのこの布のように、


さらさらにどうしてこの子がこんなに
いとしいのだろう。
--
さらさら=「更に」の意味の掛け言葉。

この回答への補足

ありがとうございます。補足なのですが、
作者と「この子」の関係はどのようなものなのでしょうか?、
布が仕上がっていく事と同じようにいとしさが増してゆくという意味なのでしょうか?
補足失礼します。

補足日時:2007/11/25 22:13
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Qさらさらに

東歌の「多摩川にさらす手作りさらさらに何ぞこの児のここだ愛しき」の「さらさらに」は、序詞であるトドの本にもあります。しかし、「サラサラ」という擬音語と、「更に更に」の副詞とを兼ねているならば、掛詞ではないでしょうか。大意を書くときも、そう書くはずです。

Aベストアンサー

次の本では、「同音の序」であり、「同時に…サラサラとした感じ」の擬態語でもあると触れています。

「さらす手作り─サラスは布などを洗い乾かすこと。テヅクリは手織りの布。以上二句、サラの音を起こす同音の序。同時に、テヅクリの触感のサラサラとした感じをも兼ねる。」(岩波版「日本古典文学全集版 万葉集」頭注3373)

この場合には、多摩川に晒して仕上げたこの手織りの布=まっさら(真更)なサマであり、そのすべすべした<感じ>として、様態限定修飾ですからここでは擬態語にあたります。
つまり、ここでの「さら」は、「晒(水洗いと日干しの反復)」と「更(ことさら)」と「新(新品)」の「同音反復の序詞(ジョシ/ジョことば)」と見做せるわけです。

あるいはまた、多摩川という川の流れの擬音語「サラサラと」との連想での「サラ(晒す)」であり、そこから「サラサラ」が「さらさら(更更)」との「掛詞(/懸詞;かけことば)」であり、内容補足修飾としての擬音語としての掛詞の序詞なのではという、ご質問の方向もあり得るものでしょう。
実際「古語大辞典」(小学館)での「さらさら【更更】」の項の「語誌」中には、「「に」を伴った形もあるが、それは歌に限られる。上代からみえるが、その数は少なく、序詞を受け、さらに擬声語「さらさら」と掛け詞になるなど、用法が固定化している。」とあります。
この歌がそうであるように、少なくとも「さらさらに」と遣った歌の例限定では「序詞を受け、さらに擬声語「さらさら」と掛け詞になる」と言及してはいますから。

以上から、現代訳をしてみます。
多摩川さらしで仕立てた、その川の流れのさらさらとばかりに、このさらな手織り布の手触りのさらさら感ではないが、わが心中もさらさらに、今さらながら何とこの人がこんなにひどく愛しいのだろう。

この恋歌の前段には、<「同音反復」と「掛詞」の要素を兼ねた序詞>が遣われている、と。

次の本では、「同音の序」であり、「同時に…サラサラとした感じ」の擬態語でもあると触れています。

「さらす手作り─サラスは布などを洗い乾かすこと。テヅクリは手織りの布。以上二句、サラの音を起こす同音の序。同時に、テヅクリの触感のサラサラとした感じをも兼ねる。」(岩波版「日本古典文学全集版 万葉集」頭注3373)

この場合には、多摩川に晒して仕上げたこの手織りの布=まっさら(真更)なサマであり、そのすべすべした<感じ>として、様態限定修飾ですからここでは擬態語にあたります。
つまり、...続きを読む

Q和歌の句切れ テストと前なので急いでます

a東の野に炎の立つ見えてかへり見すれば月傾きぬ
b反歌:田児の浦ゆうち出出てみれば真白にそ富士の高嶺に雪は降りける
c君待つと吾が恋ひをれば我が宿のすだれ動かし秋の風吹く
d多摩川にさらす手作りさらさらに何そこの児のここだ愛しき
上記の和歌が何句切れか教えてください!

Aベストアンサー

句切れについては以下のURLを参考にしてみてください。

  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%A5%E5%88%87%E3%82%8C

句切れとは、「意味や内容、調子(リズム)の切れ目のこと」ですからそれを考えれば答えは明白だと思います。

a東の野に炎の立つ見えて/かへり見すれば月傾きぬ

b田児の浦ゆうち出出てみれば/真白にそ富士の高嶺に雪は降りける

c君待つと吾が恋ひをれば/我が宿のすだれ動かし秋の風吹く

d多摩川にさらす手作りさらさらに何そこの児のここだ愛しき ⇒句切れなし
  ※「多摩川にさらす手作り」は「さらさらに」を導くための序詞となっている

なお、区切れとは「。」となるところであり、「、」となるところではないと解釈する向きもあり、その場合は上記和歌はすべて句切れなしとなってしまうかと思いますが、出題者がもしそう考えているのであれば試験に出題されることはないでしょう。


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