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近代自然法のことについて質問があります。文献などを読んでもさっぱり言ってることが分からないのです。多少の人物についての知識はありますが、その内容が哲学的に見えてきて...そもそも「近代自然法思想」を唱えている、主な人物は誰なのか(ホッブズでいいの?)、何を言っているのか、要約をどなたか教えてください。

A 回答 (2件)

自然法思想とは、


「人間が定めた法(実定法)の上に、人間の自然(本性)である理性に基づく法が存在するという考え方」
だそうです。
人間の自然、というのは、少し強引な言い方をすると
「人を殺さない」「人を食べない」という、生物的に言って当たり前である原則のことです。
それがないと、
「法律によって人を殺してもいい」なんてことになりかねません。
実際に絶対君主制ではそういう法律もあったみたいですが、
その当たり前のことを勇気を持って明言したというのは凄いですね。

本当は前の方がおっしゃられているように、歴史上のさまざまなことをふまえて自然法を説明しなければならないのかもしれませんが、簡単に要約するとこんな感じです。
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法哲学の修士です。



自然法とは、人間の本性とは何かをめぐる議論です。英語だと、自然も本性もNatureでしょ?つまり、現実に存在する間違った法律に対して、人間本来の性質に合わせた理想の法とは何かというテーマを扱うのが、自然法の歴史なのです。

無論、人間の本性とは何であるかについては、いろんな人がいろんなことを言っています。つまり、人によって人間の本性をどう考えるかが違うので、自然法理論は、人によってぜんぜん違う結論が出てしまことがあるのです。

ホッブズも悪くはないのですが、近代自然法史の中で一番偉大なのは、ジャン・ジャック・ルソーだと思います。自然法理論の弱点を、的確にとらえていたからです。ルソーは、だいたいこんなことを言っています。「だれそれは、自然とはこのようなものだと言った。だれそれは、人間とはこのようなものだと言った。だれそれは、自然をこのようにとらえた。だが、本当の自然状態にたどり着いた人は、誰もいない」。非常に鋭い指摘です。後に、若きヘーゲルが同じ結論に達し「自然法の経験的扱いへの批判」という言い方でまとめるのですが、どうもルソーに先例があることに気がついていなかったような気がします。

フランス革命は、まさにルソーの影響です。群集がジャン・ジャック万歳と叫びながら町をねり歩くわけですから。しかし、フランス革命がだんだん間違った方向に進みだし、恐怖政治の時代がやってくるにいたって、自然法理論に対する視線が冷たいものに変わっていきます。

他方、ドイツ古典哲学は、ルソーの一般意志の概念の後継者です。カントはルソーを読んで自分の過去の傲慢さを恥じたり、ルソーに夢中になって、毎日同じ時刻に散歩するという習慣を忘れてしまったりするほどです。

そして、いよいよヘーゲルの登場です。この人は、若いころからルソーが好きで、フランス革命のニュースに狂喜して自由の木を植えたとか、晩年になっても7/14(バスティーユ襲撃の日)は世界史で最もめでたい日だと言い続けていたことが知られています。若いころはギリシャの共同体的社会を理想視していた事情があって、近代自然法には否定的な人物であるという誤解があるのですが、成熟期のヘーゲルは完全に自然法や一般意志の理論を使いこなしています。ただ、彼の場合、「精神のほうが自然よりも格が上である」という発想があるので、理想の法は、第2の自然である精神に基づいて作られるというややこしい言い方になり、自然法という言葉がぼやけてしまう傾向があります。ヘーゲルにおいて自然法は完成を見るとともに、その解体が始まるのです。

ヘーゲルの死後、彼の一番弟子であったガンスが自然法思想を代表し、他方、サビニーという法学者が歴史法学という思想を代表して、激しく対立します。しかし、自然法思想はこの時期には、すでにそのピークを終えてしまっていたのです。論戦はサビニーの勝ちに終わります。

また、科学の進歩に伴い、社会科学や哲学の分野においても実証主義的な傾向が強まるにつれて、自然法理論のような架空性の高い理論は忘れられていきます。自然法はもう、歴史的な役割を終えたのです。時折、自然法思想の復活を主張する学者が現代でも現れますが、あまり大きな潮流にはなることはありません。
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