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山川捨松さんの「捨松」という名前に興味を持ちました。

WIKIPEDIAを参照しますと、12歳のときの米国留学のとき、名前が「さき」であったのを「母親が『娘のことは一度捨てたと思って帰国を待つのみ』という思いから『捨松』と改名させた」となっていました。

明治時代の初めの頃は「捨松」という名前は、女の子にとって変わった名前ではなかったのでしょうか?(男性または芸者さんのような感じがします。)
その後改名していないようですから(本人が嫌がっていなかったから?)、普通の名前だったのですか?

WIKIPEDIA参照
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B1%B1%E5%B7%9D% …

A 回答 (2件)

こんにちは



「捨松」が変った名前であったかどうかはよく知りませんが・・・
現在では名前に「捨て」も文字を使うと、なんか変な感じですが、昔(人づに聞いたことなのでいつごろのことか定かではありませんが)は、時々使われていたそうです。

「捨」は文字通り「捨てる」という意味なのですが、真意はそうではありません。
昔、一族や家族に原因不明の災いが続いたりすると、悪霊などのたたりと考え恐れることが多かったと思います。
そんな折、身内に赤ちゃんが生まれたりすると、たたられないように、
「この子は『捨てた』から、もううちの子供ではありませんよ」
「『外』に出したから、うちとは関係ありませんよ」
ということを、悪霊にアピールするため「捨」、「外」などの字を子供の名前につけるようなことがあったそうです。
特に赤ちゃんは、弱く、たたられやすい存在という認識だったのだと思います。
実際に、生まれて何日後かぐらいの赤ちゃんを、ほんのしばらくの間(物の数十秒や数分)ですが、押入れに隠したり、廊下や土間に独りきりで放置しておくというような儀式をする地方もあるようです。

転じて、これらの文字にこめられた真意は「元気に息災なく育ってほしい」という親の願いがこめられているのでしょう。

『捨』という文字を使った方に知り合いは居ませんが、高齢の方に「外子」、「外喜子(ときこ)」さんという方がいらっしゃいました。外子さんは早産で体が丈夫でなかったらしく、やはりそのような想いでご両親に命名されたと聞いたことがあります。

東南アジアなどにも(世界各国あるのかもしれませんがよくは知りません)同じような風習で、「人間の子供ではありません」とアピールするように、『ネズミ』『蛇』といったセカンドネームのようなものをつけるところもあるとか。

>「母親が『娘のことは一度捨てたと思って帰国を待つのみ』という思いから『捨松』と改名させた」

とありますが、捨松さんが改名しなかったのを考えても、文字どうりの意味ではなく
「幕末の混乱期に家や本人には苦しい時代だったが、それを振り払って留学し、元気に帰国するまで待っている」という母親の願いからつけられたものだと解釈したのではないでしょうか。

まあ、推測ですけど・・・
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
時代小説なんかで捨吉なんて名前をよく見ます。
関西の人は「捨てる」を「ほかす」といいます。
「外す=ほかす」なんでしょうか?
赤ん坊を道端へ置いておいて、通る人に拾わせると
丈夫に育つということを聞いたことがあります。
捨松さんのお兄様たちが、普通の名前なので余計に
不思議に思いました。
ご回答とても興味深く聞かせていただきました。

お礼日時:2008/01/30 20:09

木戸孝允の妻は幾松です。


下に松が付く名前の芸者は多かったと思います。
「捨」は豊臣秀吉の第1子・鶴松は捨松と呼ばれていました。
一度捨てると元気な子に育つからと聞いたことがあります。

珍しい名とは思いますが、母親の想いがこもった名前なので、
使い続けたのではないでしょうか。
あくまで推測です。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
>珍しい名とは思いますが、母親の想いがこもった名前なので、
使い続けたのではないでしょうか。
そういわれてみますとそのように思います。
思いがこもっているのでしょうね。

お礼日時:2008/01/30 19:58

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