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ヨーロッパの三十年戦争はフランスを絶対主義国にしたのでしょうか。それと、どうかかわっていたのでしょうか。教えてください!

A 回答 (3件)

三十年戦争をもってフランスの絶対王政が成立・完成したというのは、行き過ぎです。


しかし大きく関わっていることは確かです。
ブルボン家の国王ルイ13世は、宰相リシュリューによる政策を通じて絶対王政への道を歩み始めました。
ひとつは三部会の廃止で、もうひとつが三十年戦争への介入です。
三部会廃止は当然独裁体制の確立を目指すものであり、三十年戦争への介入は、当時この戦争に介入してきたスペイン・ハプスブルク家への対抗です。
新教と旧教という対立構造で始まった三十年戦争において、旧教国フランスはあえて新教側にたって参戦しました。
これは、ヨーロッパにおける覇権をハプスブルク家から奪うことを目的としたためです。
そして、幼少のルイ14世のもと宰相を務めたマザランの時代に、フランスはこの戦争に勝利しました。
これでヨーロッパにおけるフランス・ブルボン家の国際的地位が向上したわけです。
対外的にフランス王権が強化されたことを意味するのです。
しかしながら戦勝直後、パリ高等法院に拠点を持つフランス上流貴族が王権強化に対して最後の反乱を企てました。
これがフロンドの乱です。
これを鎮圧してはじめて、国内的にもフランス絶対王政は完成へと向かうことが出来たのです。
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三十年戦争前に既にフランスは絶対王政に移行していました。


それは、ユグノー戦争(1562~98年)により、有力諸侯が没落してゆくのがきっかけになります。
その後リシュリューの経済改革が成功し、一挙に中央集権化(絶対王政)が確立します。
三十年戦争(1618~48年)が行われている時、ライバルのスペインは、皇帝側にたって参戦しており、経済的に疲弊して行く一方、フランスは、リシュリューの改革により国力を益々高めてゆきます。
1635年にフランスが参戦した時には、フランスはヨーロッパ最強の国家となっていました。

つまりフランスは、三十年戦争前に絶対化が行われ、三十年戦争の初期に参戦しない事により、ヨーロッパ最強国家となったのです。
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一般的には、三十年戦争に参加する前に、


フランスは中央集権制を確立しており、
絶対主義国家になってます。
そして宰相から親政に移行したことで
絶対王政が完成という見解です。
だからこそフランスは新旧といった宗派に
関係なく、国益のために戦争ができたというわけです。
(フランスはカトリック教国だったが、新教側を支持して、
神聖ローマ帝国の帝位をも狙っていた)
フランスにとっては、ユグノーの反乱とその鎮圧が
絶対主義国家への成長の主な要因であり、
三十年戦争は、そもそも大半に参加してないので
あまり関係ないというのが実際のところです。
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