プロが教えるわが家の防犯対策術!

いつのまにか母によって信者にされてた者です(幼少時)。無理やり信
じ込まされていた部分があり、子供心にどこかひっかかっていたものは
あったのですが、それが大人になるにつれ、次第に???の部分が多く
なってきていました。母は大山祇命がすべてであり、それに対してはご
自由にどうぞって感じなのですが、私に何か悪いことがある度に信心が
ないからだと責め立ててきます。この宗教は何か行動を起こす際に、ご
祈願書というものを書いて神の判断を仰ぐのが習わしなのですが、それ
をせずに自分で決めて行動したことが悪い結果に出ると、母は「それみ
たことか」といった感じです。以前、言われるままに信じ、確かにトン
トン拍子な時期もあったのですが、大山祇命にすがっている自分はすべ
てが正しいと思っている母を見ているうちにだんだん嫌気がさしてしま
い、信心しなくなったのです。今では母に距離感を感じ、関係もギクシ
ャクしていますし、うかつに話も出来ません。この宗教って一体なんな
んですかね?大山祇命にすがってないと地獄に落ちるんですかね?今実
際にうまくいっていないので、信心がなくなったから?と不安になって
いますし、またそう言われており、かなり動揺しています。そして針の
ムシロです。長くてスミマセン。

A 回答 (6件)

菜根譚から。



天、我に薄くするに福を以(もっ)てせば、吾(われ)、吾(わ)が徳を厚くして以てこれをむかえん。天、我を労するに形を以てせば、吾、吾が心を逸(いっ)して以てこれを補(おぎな)わん。天、我を阨(やく)するに遇を以てせば、吾、吾が道を亨(とお)らしめて以ってこれを通ぜん。天且(か)つ我を奈何(いかん)せんや。

(菜根譚 前集90)

天が我にわが福を薄くするなら、我はわが徳を厚くして対抗しよう。天が我にわが肉体を苦しめるようにしむけるなら、我はわが精神を楽にして補うようにしよう。天がわが境遇を行きづまらせるようにしむけるなら、我はわが道をつらぬき通すようにしよう。かくすれば、天といえども、我をどうすることもできないであろう。

(岩波文庫版 110頁 今井宇三郎訳注)


慈悲の瞑想やヴィパッサナー瞑想をオススメします。
サンガ出版「現代人のための瞑想法」に詳しく載ってます。
真剣にやってみてください、きっといい結果が得られると思いますよ。

~生きとし生けるものが幸せでありますように~
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この回答へのお礼

ご回答どうもありがとうございます。なんだか難しそうですね^^;でも瞑想は一時期やっていたことがあります。機会があれば是非また始めたいと思っていました。「現代人のための瞑想法」参考にさせて頂きます。ちなみに私は、それぞれの宗教にケチをつけるわけではありませんが、神が一般人に乗り移るなんてこと自体、低級霊を疑います。神界・仏界とは、もっともっと偉大なるものだと思っています。

お礼日時:2008/02/24 03:37

宗教というより、親離れの問題じゃないですか?

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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2008/02/24 03:04

特にどこの宗教を強く信じているわけでもないですが、


(もちろんその宗教について何も知りませんが)
悪い事も良いことも生きている以上どちらも起きるものなんだろうなと思います。 たまたま災難が起きて、そのときに信仰心が無いといわれるのは、どうなんでしょうね?
自分がいいと思うことは信じて、いらないところは信じない、でいいのではないでしょうか?
個人的には信仰心だけでどんな事をしてもいいことになるなら、誰も苦労しないと思いますが。。
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この回答へのお礼

ご回答どうもありがとうございます。そうですね、気持ちの問題かもしれません。しかし信仰心がないとあたかも地獄に落ちるというようなものは、宗教というより脅しです。しかし頭で分かっていても恐怖心を植えつけられます。洗脳というのは怖い。

お礼日時:2008/02/24 03:09

果たして宗教と呼べるものなのかどうか、ということ自体についても考慮が必要になるかもしれませんね。


宗教の定義云々などという以前の問題です。

宗教と呼べるものは、人類救済の最終目標を持つはずですが、現実的にはそれを名乗ることに何の制限も殆んどありません。
私たちにはある程度の注意深さが必要でしょう。
これが宗教だと言えば皆宗教になってしまうわけですが、必然として迷いを持つ人間の性につけこんで金儲けしようとする詐欺師も多いですから、そのへんの見極めも大事です。

それによって救われている(と思い込んでいる)方がいる以上、引き剥がすのは難しいでしょうが、それはたとえば歯磨き粉を頭痛薬と言って飲ませれば痛みが引くこともある、というような現象に似ています。
その方から歯磨き粉を取り上げる必要はありませんが、歯磨き粉だと認識できる者が真似をして飲む必要はありません。

信じても信じなくても起こることは起こります。
自らの責任を免れるために自我意志を放棄するのか、人生の山谷を自ら切り拓くことによる哀歓を甘受しようとするのか、というベクトルの違いがあるだけです。
 
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この回答へのお礼

ご回答どうもありがとうございます。確かにそうなんですよね、信心があっても起こることは起こるものですが、それを教団側では都合の良いように解釈し、もしも悪いことであれば「○○様のお陰でその程度で済んだ」良いことであれば「○○様のお陰」と。ひょっとするとご先祖様のお陰だったかもしれないのに、そういうところは絶対認めようとしませんからね。ほんと頭が痛いです。

お礼日時:2008/02/24 03:18

 何か未だいい足りないこと、聞けないことがたくさんありそうなご様子です。


 一時、離れたご生活も時には宜しいかもしれませんね。
 このご信仰からも少し距離をおくのも、いっときはよろしいかもしれませんね。
 まぁ傍目に(はために)のめり込んでいる状況は、冷静な傍目からはついていけないでしょうね。

 おおやまずみのみこと、と読むようですね。インターネットからの知識ですけれども。教義も実際もわかりませんが。
 何かを始めるにあたっては、なんとなく始めるのもあまりすすめられないし、その始めることの考えはやはり、便宜や利己、追い立てられられたりしないように、衝動で振り回されないようにすることですよね。
 大山祇命もその一つとしては、悪くはないでしょうが、今嫌気なら、少し下がって、自分の静かさを求めたら如何でしょうか
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この回答へのお礼

ご回答どうもありがとうございます。なんだか紛らわしいのですが、大山祇命自体は実在する神で、日本神話にも出てくる神様なのです。しかし大山祇命神示教会が崇拝しているのは、全く違う別物で(おおやまねずのみこと)といい、のちに教祖となる一般人に、ある日突然人類救済の名目で乗り移ったというのが、この宗教団体の始まりなのです。まぁ結論としては信じる信じないの問題なのですが、干渉・強制・脅しにまで発展するとシャレにならないです。

お礼日時:2008/02/24 03:29

こんにちは。


信仰を強要するような宗教にマトモなものはありません。

お母さんはもう洗脳されているような感じですね。
もう亡くなったものと諦めて早く親元を離れ、自立した生活を目指す事をお勧めします。

洗脳を解くには専門家の協力と長い期間が必要で、個人ではとても無理です。
何か実害が出るような行為があった場合は警察やカルト宗教対策の弁護士などを捜して相談しましょう。
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この回答へのお礼

ご回答有難うございます。母とは何度も議論しましたが、平行線。もう疲れました。しかし今、身体的に母のお世話にならなければいけない状態なので、それだけに辛いです。でもそんな環境の中で危険な宗教であることを痛感しました。もう距離あけた方がお互いのためですね。

お礼日時:2008/02/23 02:25

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