アプリ版:「スタンプのみでお礼する」機能のリリースについて

「自信があってプライドが低い人は他人から好感を持たれます。
自信があってプライドも高い人は他人から恐れられます。」
という文章を読んだのですが、(その通りだろうな)と思いました。

自分は、もしかしたら、後者に当てはまるかもしれません。

「自信」は「自分を信じる力」で、プライドとは違い、生きていく上で必要な力だと思っております。

プライドを低くして生きるには、具体的にどう行動し、どう考えて生活すればいいと思われますか?
性格そのものを急に変えるのは難しいと思うので、すぐに(かどうかは分かりませんが)できる、行動の仕方や考え方をご教授下さいませ。

プライドを低く保つ為に自分がよくしている事は、
(1)なるべく相手を褒める事 (特に、初対面では必ず褒めます。写真を見ただけでも、見せてくれた人に、「キレイな人だね」等と褒める様にしています)
(2)自分が相手よりも劣っていると思う事を口に出して言う事 (それによって自分の気分が悪くなる事はないです)
です。

自分が自分をプライドが高い人間だと思うのは、例えば、仕事の間違いが多い人から自分の仕事の仕方が悪いと言われてムッとする時や、自分よりも人間として未熟なのではないかと自分が思う相手(←こう思う事自体、一番の問題なのかもしれません↓↓)から、自分の人間性を批判されて(あなたに言われたくない)と思ってしまう時です。
これが、自分よりも仕事ができる人や、(この人には敵わないな)と尊敬できる人間が相手なら、言われる事も素直に聞けるのですが・・。

よろしくお願い致します。

A 回答 (11件中1~10件)

質問者様と同じ考えで日々なやんでいる者です。


私は自信こそそれ程ないのですが、人に注意されたり欠点を罵られると必要以上にカッとなってしまう傾向にあります。仕事でも目下の人にせっかく教えてあげてるのに素直に聞いてないな、と感じるとすぐ冷たい態度をとってしまったりします。
考えて考えて突き詰めてでた結論、というわけではないのですが、やはりすべての自分に関わる人、またそうでない人に対しても、はたまた食べ物や生き物すべてにいたるまでに感謝の気持ちを忘れない、というのがいまのところの私のモットーです。
ありがとう、と口に出して言うとか、むかっときたこともすぐ忘れるようにする、とか具体的なものはそれくらいなんですが。。。
小生、という言葉がありますが年老いて死ぬ間際にもこの言葉を使えるような人間になっていたいものです。

質問内容とずれているようでしたらごめんなさい。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

早速のご回答ありがとうございます。

>やはりすべての自分に関わる人、またそうでない人に対しても、はたまた食べ物や生き物すべてにいたるまでに感謝の気持ちを忘れない
なるほどです!
職場に、勤務年数も長くて仕事もよくできるのに謙虚な方がいらっしゃるのですが、その方は「ありがとう」とよく言われます。
自分も見習いたいです。

お礼日時:2008/03/20 21:04

プライド、誇り、優越感、過去の自信、自慢。

これらは、これから生きていくのに、有益な事など、一切ないです。自分の等身大で、生きていく事です。
上記の事は全て、人生の、邪魔者です。他の人が貴方を持ち上げたとしても、それに満足と自信を持つようなら、下り坂の人生を送るようになるとおもいます。自分に忠実に、誰にでもできる事を、人より頑張って、行く事です。人にはどんな人間でも、長所、短所があります。貴方も短所が多くあると思います。自分より劣っていると言うことだけは、避けてください。優越感は、自分を小さな人間にします。貴方は、かなりの、優れた能力があると思いますが、うぬぼれは、自分を死滅させます。弱い人を助ける。その気持ちを持ち続けてください。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

自分の等身大で生きていく事、大切な事だと思っております。

>他の人が貴方を持ち上げたとしても、それに満足と自信を持つようなら、下り坂の人生を送るようになるとおもいます。
いえ、他の人が自分を持ち上げる事は全くありません。人に持ち上げられる様な立場ではありませんし、人に褒められて満足する事もありません。
ただ、向上心は強い方だと思っております。日常の小さな困難をクリアして「成長したな」と思う事で、満足感を感じる事はあります。

>貴方も短所が多くあると思います。自分より劣っていると言うことだけは、避けてください。
身にしみます。ありがとうございます。

お礼日時:2008/03/20 21:17

>自分は、もしかしたら、後者に当てはまるかもしれません。



普通の人だと思いますが。。
特に人から持ち上げられることも、苦労して頭を押さえつけられて
苦労しているということもないだけの人はそんなもんです。

>プライドを低くして生きるには、具体的にどう行動し、どう考えて生活すればいいと思われますか?

うちらの仲間内での標語ですが、
・揚げ足をとらない
・知ったかぶりをしない
・諭さない
ということにしておきましょう。
自信もプライドもありませんが、人間としてはこれ以上
落ちたくない最低限のところにはぶらさがりたいと思っている人間からでした。

苦労して自信のある人ほど、つまらない人から何を言われても気にしないもんです。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

>うちらの仲間内での標語ですが、
・揚げ足をとらない
・知ったかぶりをしない
・諭さない
自分も、これらの事には気を付けております。

>苦労して自信のある人ほど、つまらない人から何を言われても気にしないもんです。
そうですよね。人に何かを言われてムッとする事自体、自分は器の小さい人間です。身にしみます。

お礼日時:2008/03/20 22:04

『あなたに言われたくない』と思うことは誰にでもあることだと思います。


そう思っても,どんなことでも発言してもいいですと気持ちを切り替える
ことができれば,言われたことを受け止めることが出来るかもしれません。
つまり相手に対して発言する自由を認めることができれば、自分は心が
広いと感じられるようになると思います。
相手の発言を認めたくないと思うことが自分の心の狭さを感じさせてしまうのです。
言われたことに対してはすべて対応をしなければいけないわけでもないでしょう。
自分が解決した方がいいと思ったことだけどうにかすればいいと思います。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

>相手の発言を認めたくないと思うことが自分の心の狭さを感じさせてしまうのです。
もっと器の大きな人間にならなければと、思います。

>言われたことに対してはすべて対応をしなければいけないわけでもないでしょう。
それは、自分も思っております。
「貴方はバカだ」と言われたからといって、それをそのまま認めて、自分まで「そうだ、自分はバカだ」と考える必要はないと、思っております。

>自分が解決した方がいいと思ったことだけどうにかすればいいと思います。
自分が確かに悪いと思う時は、言われた事を素直に受け止め、直す様にした方が良いという事ですね。
ありがとうございました。

お礼日時:2008/03/20 22:21

>プライドを低くして生きるには、具体的にどう行動し、どう考えて生活すればいいと思われますか?



プライドと行動・思考は順番が逆でしょう。
第三者から見て謙虚な人であると評価されるためには、どの様に
思考・行動すべきかであるなら解ります。これであっても、良いことだと思いますよ。

でも、どの様に思考し行動すると謙虚に生きられるか・・・・ではなくて、謙虚な心を養うにはどうすればよいか。で、その結果が謙虚な思考であり行動となって現れるのです。

その為には、まずは、自分を正しく知るというか解っておくことでしょう。自分の良いところを十分自分が認めた上で、知らないこと、理解してないことや愚かなことが沢山有ることを解っておくことです。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

>どの様に思考し行動すると謙虚に生きられるか・・・・ではなくて、謙虚な心を養うにはどうすればよいか。で、その結果が謙虚な思考であり行動となって現れるのです。
おっしゃる通りだと思います。
プライドを低く謙虚な心を養うにはどうすれば良いかが、自分でよく分からないのです。謙虚な立ち居振る舞い、行動を続ける事で、「謙虚な心」に近付く事ができるのではないかと思うのです。

>知らないこと、理解してないことや愚かなことが沢山有ることを解っておくことです。
身にしみます。愚かな人間です。ありがとうございます。

お礼日時:2008/03/21 20:16

自分と仕事とを一体化するのをやめてみたらどうでしょう。

    • good
    • 0
この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

>自分と仕事とを一体化するのをやめてみたらどうでしょう。
いえ、自分は仕事は一生懸命しますが、一体化はしておりませんよ。
仕事ができる方を尊敬はしますが。

お礼日時:2008/03/21 20:19

はじめまして。



ご質問1:
<謙虚に、プライドを低くして生きるには?>

プライドを低くして生きる必要はありません。

謙虚な姿勢は人間として大切です。

謙虚に生きるには、あなたが絶対的信頼をおいている人、例えば亡くなった大好きだったおばあちゃんとか、尊敬する恩師、両親、愛する彼・彼女、神様などなど、そういう人にいつも「見られている」と思って行動することです。

そう思うと、人として恥ずかしい行動はできないと思います。


ご質問2:
<「自信」は「自分を信じる力」で、プライドとは違い、生きていく上で必要な力だと思っております。>

おっしゃる通りです。自信を持つことは全ての人に与えられた当然の権利です。

ただ、自信のない人も多々います。そんな人たちにとっては自信ある人の存在自体が、自分の存在を脅かす脅威になります。

あまりに被害妄想の強い人の前では、自信のある人が自信のないそぶりを見せたところで、余計に拍車をかける行為に映ってしまいます。例えば美にコンプレックスのある人の前で、美人が「あなたの方がずっときれい」などといえば「嫌味」にしかなりません。

個人のコンプレックスの問題は個人が治すしかないのですから、自信を持つ人が責められるべきではありません。

ただ、自信をこれ見よがしに見せて、挑発するような行為は成熟した大人として避けるべきです。真に能ある鷹は爪を隠しましょう。


ご質問3:
<プライドを低くして生きるには、具体的にどう行動し、どう考えて生活すればいいと思われますか?>

最初に申し上げましたが、プライドを低くする必要などありません。理由はあなたがあなたでなくなってしまうからです。

他人を気持ちよくするために、自己のアイデンティティをゆがめる必要はありません。そんなことをすれば、identity crisis(自分性の喪失)に陥ってしまいます。プライドの高い自分を愛してやり受け入れることが大切です。

そんなあなたを評価してくれる人もいるはずです。ただ、高いプライドが人を傷つけるものであってはいけません。プライドの高さから、人を奴隷のように扱う、なんてことはあってはならないのです(もちろんnomonomoさんはそんな方ではないと拝察できます)。


ご質問4:
<行動の仕方や考え方をご教授下さいませ。>

真の自信やプライドはしっかり持ちながら、それを隠すことです。大切な場面でジョーカーとして使えばいいのです。

くだらない場面で使う必要はありません。大事なカードは最後までとっておきましょう。


ご質問5:
<(1)なるべく相手を褒める事 (特に、初対面では必ず褒めます。写真を見ただけでも、見せてくれた人に、「キレイな人だね」等と褒める様にしています)>

嘘は言わないようにしましょう。

自分に嘘つくことになるからです。後で、嘘つきな自分を責めることになり、深い自己嫌悪に陥ります。

写真が美人でなければ、自分の意志に反して「美人だね」と言う必要はないのです。どんな人でも褒めるところがありますから、少しでもいいところを見つけて、「かわいい」「チャーミング」「性格がよさそう」「服のセンスがいい」などと言うか、あるいは、何も言及するところがなければ、まったく言わなくていいのです。

初対面なら、「会って嬉しい」という笑顔だけで十分相手を快くさせることができます。


ご質問6:
<(2)自分が相手よりも劣っていると思う事を口に出して言う事 (それによって自分の気分が悪くなる事はないです)>

欧米ではそんなことはまずないのですが、日本社会の特徴ですね。本当は、そんなこと言わなくていいと思います。

まあ、社交辞令的なものであれば、相手も本気でとらないと思いますが、、、。ただ、自分の家族を劣っているように言うのはやめた方がいいでしょう。
例:
うちの子はできが悪くて
うちの主人は安月給ですから


ご質問7:
<自分が自分をプライドが高い人間だと思うのは、例えば~と思ってしまう時です。>

えっ?別に普通の反応だと思いますが。決してプライドが高いとは思いませんから、ご心配なく。

それくらいの反応がある人でないと、いい仕事はできないと思いますよ。言われたことをプラスのバネにして見返してやる、くらいのエネルギーで対処された方が、あなたも楽でしょうし、理不尽な方々への自省の機会を与えることにもなります。

横暴な人や不快な人をそのまま見過ごす必要はありません。上司など反論できない場合は、その怒りのエネルギーを別の方向に転化させるようにすればいいのです。

職場関係での悩みと拝察しますが、自分を変える必要はありません。むしろ、自分をわかってもらえるよう務めた方が楽かもしれません。「この子こういう子だったんだ」というプラスの部分を沢山見せるといいと思いますよ。

職場風景が楽しいものに見えるよう、自分らしく仕事を楽しんで下さい。

以上ご参考までに。
    • good
    • 1
この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

>謙虚に生きるには、あなたが絶対的信頼をおいている人、例えば亡くなった大好きだったおばあちゃんとか、尊敬する恩師、両親、愛する彼・彼女、神様などなど、そういう人にいつも「見られている」と思って行動することです。
人間として、自分が目標にさせてもらっている人は、います。
「誰かに見られている」と思いながら行動した事は今までにないです。
両親を始め、多くの人に支えられながら生きている事は、日々実感しております。

>自信のない人も多々います。そんな人たちにとっては自信ある人の存在自体が、自分の存在を脅かす脅威になります。
そうなんです。
そんな感じを受ける事があるので、今回質問させていただいた次第です。
Parismadam様には見抜かれてしまうのですね。

>嘘は言わないようにしましょう。
相手を褒める時は、少しでも感じた事を褒めております。手紙やメールでも、相手から送られてきた文章の中で、(すごいな)と思う事を、褒めております。

>えっ?別に普通の反応だと思いますが。決してプライドが高いとは思いませんから、ご心配なく。
前向きなお言葉をありがとうございます。

お礼日時:2008/03/21 20:39

プライドとは優越感。


これは、他者を超える、他者より優れているという感覚で、相対的な価値観に基づいていると言えそうです。
つまり、他者あっての自分なので、いくらプライドを持っても決して自信(自分を信じること)にはつながらない。
何事においても、他者と比較し、(無意識的にせよ)他者の評価を気にしてしまう。
他者がいないと自我の存立する基盤が確保できないわけです。
無論、こういった相対的価値観というものは誰しも多少なりとも身につけてしまっているわけですが、バランスの問題ということなのでしょう。

謙虚さということも良く言われますが、本当に謙虚な人というのは、自分に対しては非常に厳しいものではないかという気がします。
とことん追求しているために、自身に対してある程度の納得(諦観なども含めて)が得られている。
それがために、他者を不必要に非難することが少なくなる、ということでしょう。
結論としては、ある事柄に向き合うときに、その事柄の本質に対して真摯に対応する姿勢を保持し、それに関わる他者の評価に必要以上に心を砕かないようにする。
といったあたりでしょうか。

誰に言われたか、ということよりも、何を言ったか、を重視できるようになるように思います。
仕事のできない人の言うことが必ず間違いで、仕事が出来る人がいつも必ず正しいともかぎりません。
とはいえ程度問題で、たとえば机の上に足を乗せながらマナーを注意するような人の言うことを受け入れようとする必要は全くありませんし、あとは表現の仕方でどうにも受け入れられない場合はあります。
その場合は、素直に反発するほうが実際的にも、精神衛生的にも好ましいのではないか、という気はします。
 
    • good
    • 1
この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

>プライドとは優越感。
プライドとは優越感なのでしょうか。
自分は人と自分を比べて喜んだり悲しんだりする事は、少ない方だと思います。人に嫉妬する事も少ないです。

>謙虚さということも良く言われますが、本当に謙虚な人というのは、自分に対しては非常に厳しいものではないかという気がします。
はい、それは私も思います。
そういう方は少し話しただけでも分かる、威厳の様なものを感じます。
私は、尊敬できる方から言われた事なら素直に聞けるのに、人によっては(あなたに言われたくない)と反発してしまう事もあります。そうではなく、
>誰に言われたか、ということよりも、何を言ったか、を重視できるようになる
事が大切なのですね。
ありがとうございました。

お礼日時:2008/03/21 20:56

まあ、いろいろと意見はあるかと思いますが、私からのアドバイスとしては『論語』を読むことをオススメします。



最初はマンガから入ってもかまいません。
ただし、一読して終わるのではなく、繰り返して何度も読むこと。
興味が向いたら、他の漢籍も読んでみたらいいでしょう。
私としては、『菜根譚』あたりを推奨します。

読書百遍、意自ずから通ず。
論語の意味がわかってくれば、謙虚な生き方が自然と身につくことでしょう。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

「論語」とは、孔子の言葉がまとめてあるものですよね。あまり詳しくはありませんが、ゆっくりと読んでみようと思います。

お礼日時:2008/03/21 21:06

私の車は私じゃない。


私の家も私じゃない。
同じように
私の仕事も私じゃないですよね。

もし、所有物と私との一体化が起きていなければ仕事に対するそれは何ら私に影響を与えないはずじゃないでしょうか。
手足が体の一部であるように、仕事が私という存在の一部分になっているんじゃないでしょうか。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

車も家も「もの」ですが、仕事は「もの」ではありませんよね。

存在の一部分ではありませんが、1日(24時間)の内の8時間を働いているとすれば、生活の一部と言えるかもしれません。

お礼日時:2008/03/22 00:14

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!