プロが教えるわが家の防犯対策術!

近現代戦史にお詳しい方にお聞きします。
太平洋戦争(1941/12~1945/8)で、コアな戦史マニアしか知らないような珍しいエピソードをご存知でしたら教えてください。
例えば、知る人ぞ知る隠れた英雄、珍事件、珍作戦、悲惨な事件などなど。
よろしくお願いいたします。

A 回答 (16件中1~10件)

トリビアというほどのことではありませんが


当時の日本人全員が軍属だったという事実は知ってますよね。
階級とかは関係なく
軍の指揮下で行動していたものはすべて軍属であり
攻撃され殺されても文句を言えない立場であり
戦争加害者そのものだったのです。
軍に反対して特高につかまって監獄にいる人間だけが
戦争被害者といえるのです。
乳児から老人まで隣組に加入して
周囲の危険思想人物を監視して
反戦思想家の密告を日常にしていた
大日本帝国臣民はすべて軍属であり
連合国にとっては殺しても罪にならない対象だったことを
若い人は覚えておいてください。
当時の日本人はすべて戦争加害者だったのです。
お国のため…という言葉を口にした臣民すべからく戦犯です。
戦争を知らない若い人に、覚えておいてほしい「事実」です。
http://siteofaatw.t35.com/gunji.jpg
このような看板を家に掲示していたのです。
戦犯そのものです。
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この回答へのお礼

御回答ありがとうございます。
それは国民義勇戦闘隊のことでしょうか。
であれば確かに陸軍の指揮下にありましたが、老人子供は除外でしたよね。

お礼日時:2008/03/29 03:08

それほどコアでもありませんが。



本家トリビアの泉に出た奴だと
「米軍は富士山をペンキで真っ赤に塗装することで日本人の士気を挫こうとした」。冷静になった誰かがペンキの量を算定して「こりゃ無理」ということで中止しました。
 似たような例では「日本軍は硫黄島戦の前に『取られる位なら爆破して沈めてしまえ』と考えた」(同様の理由で中止)というのがあります。

 豪傑では潜水艦乗りの板倉艦長でしょうか。優秀なサブマリナーでしたが、逸話が多かった。
 新任少尉の時に遅刻してきた艦長(大佐。男爵でもあった)を酒の勢いもあってぶん殴り、「酒は止められんか」「無理です」「減らせんか」「断酒よりも難しいでしょう」。
 開戦後、包囲されていたこの艦長の指揮部隊へ潜水艦を以て救援物資
(と好物の酒)を届け感謝されています。
このほかにも作戦中、酔った勢いでアリューシャンの海に落ちたり、敵爆撃機の襲撃を味方のふりをして回避したり・・・。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%BF%E5%80%89% …

 珍兵器の類では、ダンケルク戦に負けた英国が水道管の先に銃剣を付けた「鎗」で義勇防衛隊を編成したことが知られていますが、日本も本土決戦が近くなると似たようなことをしています。竹やりが有名ですが、このほかにも手当たり次第に引っぱりだしています。村田銃なら良い方で、シャスポー銃とか火縄銃の類もありました。
 そんな中でも白眉は北海道は室蘭の沿岸防衛部隊が装備した
「投 石 機」
でしょうか。新作ですが、参考にしたのは古代ローマの文献。近代戦に紀元前の兵器を使うというのは絶後のことでしょう。敵戦車を撃破するのには相当量の爆薬が必要で、これを投擲するために、考古学者(で予備将校)の部隊長が考案、実作に及んだそうです。

http://www.sinzirarenai.com/japan/
こんなのもありますので、信じようと信じまいと。
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この回答へのお礼

御回答ありがとうございます。
ペンキの話はアメリカ人ならではの逸話と言う感じで面白かったです
投石機も意外でした!
参考URLも面白かったです。

お礼日時:2008/03/29 03:10

隠れた英雄、います。


占守島の戦いに参加した勇敢な日本軍兵士たちです。
何故、英雄かというと北海道がソ連に占領されて北日本人民共和国となって日本から分断されるのを阻止したからです。
ポツダム宣言を日本政府が受諾した翌日、ソ連が千島列島の最北端を守っていた日本軍を攻撃したのです。
守備隊は果敢に戦いソ連軍に大きな被害を与え、停戦合意するまでかなりの日数を稼ぎました。その結果、ソ連軍は占守島に釘付けにされ北海道そのものに上陸できなかった。このことはなぜか有名でない。マニアでないと知らない。日本が分断されなかったのは本当に良かった。政府はこれを教科書に載せるべきだと思う。
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この回答へのお礼

御回答ありがとうございます
これはすごいです。確かに隠れた英雄だと思いました。

お礼日時:2008/03/29 03:11

なかなか珍な回答をされる方がいるようですが…


後援会=軍属?
じゃあ自衛隊友の会の方々は自衛隊私服組なの?
そうだとしたらトリビアですねえ

軍属とは制服を着ない軍に雇用された公務員や見なし公務員のこと
技師、陸軍大学教官、収容所の看守などです。収容所の看守は兵隊の倍ほど給与が出ています。

さてトリビアとしては!
20世紀に太平洋戦争は起こっていないです。太平洋戦争は1884年にボリビア・ペルー連合軍の敗北で終結しています。

沖縄守備隊であった第32軍の権限は自分の隷下にあった2個師団1個旅団に対する命令権しか持っておらず、大激戦の最中なのに戒厳令もなく4つの命令系統が存在したこと
1・第32軍…隷下の部隊に対してのみ命令ができる
2・西部軍…航空軍やひめゆりなど学徒兵への命令権を所持(司令部は熊本)
3・海軍…海軍守備隊及び特攻隊への指揮権を所持
4・内務省…知事を司令官として警防団・警察・消防を中心に防衛召集した住民で武装した。住民への避難命令その他は彼らしか出せない
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この回答へのお礼

御回答ありがとうございます。

お礼日時:2008/03/29 03:17

ゼロ戦:完成品は愛知県の工場から飛行場まで、牛車で24時間かけて運んでいた。


(日本の道路はでこぼこだらけで、振動により精密機械が狂うのを防ぐため)
生産効率を上げるため、長良川をイカダで輸送する案も出た。
近くに飛行場作れよ・・・

日本人が開発した陽極分割マグネトロンは高性能レーダーの開発に必要で、日本以外の先進国ではレーダーに使われていたが、日本では殺人光線(超強力な電子レンジっぽいもの)の開発にのみ用いられた。

ちなみに
太平洋戦争(Pacific War)といえば、常識的に20世紀の大戦争として、世界中で通じる名称です。19世紀に起こった硝石戦争(Guerra del Pacifico)のほうがよほどトリビアのような。
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この回答へのお礼

ありがとうございます!

お礼日時:2008/04/29 21:31

近現代において、米国本土を攻撃して、米国人を殺傷したのは、911が起こるまでは、太平洋戦争における日本の風船爆弾だけです。

 昭和20年5月5日、オレゴン州で風船爆弾に触れた、ピクニック中の女性1人と子供5人が爆死しました。アメリカ国民は報道管制のため風船爆弾の存在を知らず、危険を察知できなかったために起こった事件です。 米軍は風船爆弾の発射地点は突き止めたものの、当時ジェット気流の存在を知らず、日本がどうやって風船爆弾を米国まで運ぶことができたのか理解できませんでした。 また、風船は和紙で作られましたが、その接着剤としてこんにゃく芋が使用されたため、当時日本ではおでんのネタからこんにゃくが消えてしまったとのことです。
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この回答へのお礼

ありがとうございます!

お礼日時:2008/04/29 21:32

面白くは無いですが…、


マレー半島侵攻作戦、最終的な目的地はシンガポール攻略ですが、
日本軍の半島上陸地点は3ヶ所ありました。その最北がマレー半島が
最も細くなっているクラ地峡に近い、現在のタイ王国プラチュアップ
キリカン市のアオマナウ(すだち湾)というタイ国軍のベースです。
ここで日本軍とアオマナウのタイ国軍との衝突が発生し、タイ国軍側に
甚大な被害をもたらしました。しかし日本とタイは同盟国で日本軍は
タイ国軍にだけ奇襲作戦を事前に連絡していました。ではなんで勘違いが
起こったかというと何と日本軍から事前通知を受けていた国軍司令部が
OK,OKと返事しておきながら、地方基地に連絡していなかったのです。
タイでならありがちな事件でした。
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この回答へのお礼

ありがとうございます!

お礼日時:2008/04/29 21:32

No.6です。

 米国本土を攻撃して米国人に死者を出したというのは風船爆弾によるものですが、死者は出なかったものの、負傷者を出した米国本土攻撃は以下のような潜水艦によるものがありました。
第一は、乙型大型潜水艦の伊17によるカリフォルニア州サンタバーバラのエルウッド石油製油所への砲撃作戦です。 第二は、伊25潜水艦によるオレゴン州アストリア市にあるスティーブンス海軍基地への砲撃です。 基地の施設に被害を与え、アメリカ海軍兵士に負傷者を出しました。 この攻撃は、1812年にイギリスの軍艦がアメリカ軍基地に砲撃を与えて以来のアメリカ本土にある基地への攻撃でした。 また、その前日には、同じ乙型潜水艦の伊26がカナダのバンクーバー郊外にあるカナダ軍の無線羅針局を14センチ砲で砲撃し被害を与えました。
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この回答へのお礼

ありがとうございます!

お礼日時:2008/04/29 21:32

えっと....


「アメリカより先に宣戦布告したコスタリカ」
とか?
日本はコスタリカには宣戦布告してないんだけどなぁ....
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この回答へのお礼

ありがとうございます!

お礼日時:2008/04/29 21:33

全然コアなマニアでなく詳しくもないのですが、自分が本で読んで、へえーーと思った話。


No.7の方がお書きになっているマレー作戦(タイ上陸~マレー半島南下~シンガポール)のときに、歩兵が自転車でマレー半島を南下したということでした。
銀輪部隊だそうです。私が読んだのは近衛歩兵第五連隊の話。
たしかに歩くよりはずっと速いでしょうが、「兵団が自転車に乗ってマレー半島を南下」というのは、今の時代からするとすごい図だなと思ってしまいました

現地で自転車を徴収し(軍人側は「よろこんで差し出してもらった」と書いていますが、「自転車を持って行かれた」と語る現地の人もいるようです)、自転車にまたがってゴム林などの間の悪路を走行し、途中で自分達で修理しながら行ったんだそうです。
最後のほうには兵隊はみんな、自転車修理が上手くなったそうです。
最終的に自転車でどこまで乗って行ったのか、自転車をどうしたのかは知らないのですが。
シンガポールの手前までか??ジョホールバル。。。。

当時を知る人には珍しくないのでしょうが、これも自分で「そうだったのかー」と思ったのが、シンガポールは昭南島(しょうなんとう)で、グアムは大宮島(おおみやじま)と呼ばれていたこと。
で、すぐ現地に神社を作っちゃうんですよね。今はどちらにも残っていないそうですが。
グアム各地の地名には当て字で漢字をつけていたそうです。
ハガニア(アガニア)が「明石」とか。

>知る人ぞ知る隠れた英雄、珍事件、珍作戦、悲惨な事件

これは、それぞれの土地や作戦について書かれた本を読めばいくらでもあるのだろうと思います。
詳しい人はとても詳しいですが、一般的にはもうあんまり分からんですよね、戦前~終戦直後は。
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この回答へのお礼

ありがとうございます!

お礼日時:2008/04/29 21:33

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