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すみませんが教えてください。
友人のところへ遊びに行ったら
お昼、仏前に白ご飯を供えてました。それは普通ですが、
塩を一つまみ、少量ふってました。
私のとこは塩はかけないのですが
単なる習慣の違いでしょうか。(彼女いわく「味気ないと仏様が
なんか可哀想で」とのことです)
まあ、他人の事ですから口出しもよくないと思い、
その事は軽い世間話で終りました。(彼女はごく普通の人です。
特に変わってるとかはないです)
また、仏前に供えてはならないものも教えて下さい。(故人が好きだったにしても肉料理はダメですよね。魚も卵もだめなんでしょうか。)
無知で申し訳ないですが
どうかよろしくお願い致します。

A 回答 (9件)

亡くなった身内に好きだったものを食べさせたいと思うのは人としてゴク当たり前のことですよね。


大好きだった家族が、死後に、悟りをひらくため難行苦行して苦しんでいるなんて思いながら仏壇に手を合わせますか?
三種浄肉は受取る側の理論ではなく、布施する側の尊い布施行を成り立たせるためなんです。あくまでも布施する側の六波羅蜜行なんです。
肉でも何でも、自分がいただく前に仏壇に少しでも供えることはたいへん尊いことですよ。気にすることはありません。

もっとも、当方が述べていることは一般的在家の仏壇についてであり、敬虔な在家信者や出家教団の中の作法は別です。
敬虔な在家信者は肉を供えないだけではなく、自身も食べません。

参考までに、仏飯を禅定に当てはめるのは大日経系の密教の解釈ですから、顕教の宗派には関係ありません(教相判釈、誤解無きように)。

ああ、サクラが美しい・・・

再 拝
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またまたどーも。


お釈迦様はお酒はダメとは言っていないの間違いでした。
私にとってお仏壇は身近で親しみのあるところで、特別なところではありません。それではダメと言うお坊さんは慈悲の無い冷たい人です。
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またどうも。


仏壇の祀りかたって仏壇屋が決めたことで歴史も浅く標準なんかほんとは無いそうです。仏壇なんか無くっていいもので箪笥の上に位牌とか祀っている家もいっぱいありますよ。とにかく気持ちが大切だから生臭や五辛を供えちゃダメって言うこだわりが一番よくないそうです。そんなことにこだわるよりお供えしようって布施の気持ちの方が大切なんです。家の仏壇なんですからダメってお坊さんは冷たい人ですよ。お坊さんがそんなことにこだわるから仏教離れするんです。お釈迦様が聞いたら笑うって・・・自分は食べてるクセにって。
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私のお寺はお不動様がご本尊なんですが、いつもお酒がいっぱいお供えしてありますよ。

お経には(律部のお経だそうです)お酒を飲んではいけないなんて無いそうです。お釈迦様が豚肉を食べてあたったって話は有名なことなんですね。禅宗のお坊さんって不立文字とかいってるくせに一番理屈っぽいそうです。仏壇はお寺のミニチュアだっていう人がいますが、普通はそんなことは考えませんよね。故人を思う気持ちがおろそかになっては本末転倒じゃないですか。供養ってそういうことのはずです。生臭を供えて怒るようなご本尊は心が小さいですね。
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ご本尊様を祀っていない、位牌安置用のお仏壇ってたくさんあります。

それにご本尊様はお酒をお供えしても五辛をお供えしてもいつもニコニコ笑っています。供えなくても自分が食べたら同じことですよ。一番大切なのは供える側の心のはずです。執着したお坊さんが多いですね。
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曹洞宗の僧侶です。



お仏壇の荘厳(お飾りの形)やお供えの方法は一応、これが標準という形があるものですが、地域の習慣やお家ごとの考え方によって様々に異なっているのが現状です。また、そうした個別の習慣や考え方が、間違っているということではありません。
仏飯に塩を振るという話ははじめて聞きますが、取り立てて問題があるわけではありません。

仏前に供えるものは「精進」(動物性のものを含まない)にするのが基本です。No.2の方が書かれているように「五辛」もお酒も避けた方が良いです。これは仏飯をささげるのは、まず仏壇の中心においでになるご本尊さまに対してであると考えるためです。
ただし、実際上の問題として一般家庭で仏飯や霊供膳を作る時に、厳密に動物性の食材や五辛を除くのは難しいですから、あまり神経質になって、こだわる必要はありません。

また、現状ではどのお家も仏壇の中にご先祖さまのご位牌などを一緒にお祀りしているのが普通です。そういう場合には、故人の好きだったものや、特にお供えしたい理由がある時には、故人のご位牌にささげられてもかまいません。
もっとも、仏壇の中心はご先祖さまのご位牌ではなくご本尊さまですから、ご本尊さまの前にドンと置いてふさわしくないものは、それなりの配慮が必要かもしれません。仏壇の中に直接供えるのではなく、経机の上や仏壇の外脇に供えて、できるだけ早めに下げるというような対応が良いかも知れません。

蛇足ながら、仏壇の中にお供え物をいつまでも置きっぱなしになっているお家が少なくありません。果物がしなびて変色していたり、容器にうっすら埃が積もっていたりしますが、大変見苦しいものです。そういうことのないように心がけるということも必要ではないでしょうか。
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“お仏飯に塩をひとふり”ですか!・・・イイお話ですね!!!



これは、そのご友人が仏様にやらされているんですよ。
やらされていると言っても強要されているのではありません。
仏様を思う気持ちに仏様が感応して、そのような気持ちにさせられたということです。仏様の導きなんですね。
・・・優しい心をお持ちのご友人なのでしょう。

仏前のお供えですが、仏様は悟りをひらいているので肉料理でも魚も卵もお酒でも、何をお供えしてもこだわりません。故人の好きだったものをお供えしましょう。
お仏壇は、故人は成仏していることを確認する場所ですから。
“見聞疑”ともいいますし(詳しくはネットで検索してみてください)。
お釈迦様だって肉食したんですよ。豚肉にあたって亡くなったって話があるくらいですから(詳しくは省略しますが)。布施されたものは受けなければなりません。



いやー、イイお話を教えてもらった!
ご友人にもよろしくお伝えください。
サクラの花がいっそうきれいに見えます・・・

合 掌
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お釈迦様が悟りを開かれる前の修業時代の話しです。


 当時のインドの修行方法にならって釈尊は何年間も断食などの、肉体を痛めつける苦行をしていました。しかし、快楽におぼれるのはいけないが、ただ苦痛を味わうだけでもいけないと気付かれ、断食をやめました。
 そのとき、スジャータという村娘が釈尊に牛乳粥を布施しました。このお粥を食べて体力を復活され、その後菩提樹の下で瞑想を続けられ、ついに悟りを開かれました。
(コーヒーフレッシュの「スジャータ」はここに由来します)
 この教えに基づき、仏教では食事はただ空腹を満たすものでも、美食を求めるものでもなく、正しい生き方をするための手助けとなる良薬として食べるという考えがあります。ですから、仏前へお供えする仏飯も単なる貢ぎ物ではなく、「禅定」つまり瞑想の修行を象徴しています。

>>故人が好きだったにしても肉料理はダメですよね。魚も卵もだめなんでしょうか
 もとより仏飯は禅定を表すものですから、故人への仏道修行の手助けとしてもお供えするという意義も含まれます。鳥・獣・魚の三厭(さんえん)とニンニク・ニラ・ネギ・ラッキョウ・ショウガなどの臭いや刺激の強い野菜である五辛(ごしん)は、そのためにふさわしくありませんね(ちなみに『西遊記』の八戒は、上記8種類の食べ物を口にしないのことを観音菩薩に誓ったから“八の戒め”という名前です)。
 なおバターやチーズなどの乳製品に関してはこの限りではありません。特にバターは「醍醐(だいご)」と呼ばれ、その味の良さから最上のものの象徴、転じて仏の悟りを意味する言葉となります。

 私の知っている老僧は、「いくら好きだからといって糖尿病の人に肉や酒を進めることが優しさではないだろう。それと同じで故人が好きだからと言って生臭物を供えるのは、せっかくの修行を妨げることになるんだよ」と言っていました。
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我が家、実家とも、塩は振りません。

聞いたこともありません。彼女のやさしさではないでしょうか?
また、肉料理はだめなのですか?実家ではなくなった母が、よく自分の分を仏壇に数分供えてから食べていましたが、肉か魚とかは知りませんでした。参考になりませんね。あまり、気にしなくとも食べさせてあげたいなという気持ちでよろしいのでは?
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