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私は大学三年生のものですが今後の人生に全く希望が持てないんです。
本当です。

就職活動中で、それが上手く行かないと言うのもあるんですがそれだけじゃないんです。
正直ある程度の大学・外見ではあるので選り好みしなければまあ就職は出来ると思います。
でも就職しても絶対に周囲から浮いてしまうのは分かりきっています。

就活するにあたり自分がいかに空っぽな人間かということに気づいたのがきっかけです。

大学時代何もしてきませんでした。
友達も増えなければ、勉強もしていません。
出来る限り授業をサボり、アルバイトをしてお金を稼ぐことだけに精を出していました。アルバイト先でも浮いてしまいます。

相手から定期的に連絡をくれるような友達は一人もいません。

いい感じになる男の人は格好良くて人間できている感じの人が多いのですが、いつも最初は相手が積極的でも、結局何にもなく終わってしまいます。
私に中身のなさに呆れ(実際に言われたことあります)、そのような人たちには私なんかよりずっときれいで人間力のある人がいるのに気づいたからだと思います。

大抵の人(いい感じになる男性や、短気な関係でしかないであろう人、自分以上に可笑しい人以外)に対し、すごく壁を作ってしまう傾向がありつれない印象を与えてしまうようなんですがと思いますが、大抵のひとが本当は怖くてしょうがないから壁を作ってしまうのでどうしようもありません。

結婚は出来ないだろうし、職場でも辛い立場になりそうだし、今後全く幸せになれる気がしません。

現在は若いからまだ良くても、今後年をとったら全く誰も相手にして切れなくなりそうで怖いです。

本当に好きなのはペットの犬だけです。
それしか私にはいません
もうどうすればいいか分かりません。
本当なんです。
お願いします、励ましなど入らないので具体的な
アドバイスを下さい。

A 回答 (230件中21~30件)

例えばそれが痩せているとか太っているというのでしたらたくさん食べて太ったり、ダイエットをして痩せたりと


育つにつれて増える知識と努力することによって心の病は抱えても強迫観念は収まりまだマシなのですが、
整形する以外にどうしようもないことで(整形もしたかったのですが当時は心の病が表の社会に出る時代でもなく
精神科=キチガイの行くところ、整形も偏見、差別される環境、時代でした。)
私は残念ながらあなたのように第一印象が良いということはなく、第一印象が常に偏見、差別からスタートだったので
知らない同級生に声をかけられるということがありませんでした。

小学校6年間、色々と子供なりに試行錯誤で頑張って生き抜きましたがとうとう一人も友達が出来ることなく終わりました。
中学校も2校の小学校が合わさっただけなので相変わらずあだ名は変わることがありませんでした。
中学に入って直ぐに思春期になり異性が気になる年頃になりました。が、異性からも差別は受けていたため
外見が良い人がモテる年齢なので(少なくとも私はそう思って)『好きになってもらえばいじめもなくなる』と
その頃は外見の欠点をどうにかすることだけを考えて色々と髪型やファッションを気にしてばかりで勉強もしなかったため
成績は最後から数えた方が早い位でした。小学校の頃から、内気でいると周りのからかいと追い込みが酷くなり
私の存在を消されるため心を壊しながらも歯を食いしばって平気な顔をして、常に私から働きかけて
一所懸命に環境改善に努めていたこともあり、その頃は異性から良く見られるよう病的に気にして改善しようとしていました。
顔は親が整形させてくれなかったので、その頃始まったまだ走りの縮毛矯正をこっそり受けてくせ毛を真っ直ぐにしたのですが
それ自体を異性にからかわられたことが辛かったです。ストレートパーマをしたその日にシャンプーはしてはいけなかったけれど
帰って直ぐにシャンプーしてくせ毛に戻し、次の日もやっぱりくせ毛に戻ったことをバカにされました。
何をしてもムダ、どんなに良い服を着ても同性からは妬まれて顔の欠点を指摘され、異性からはからかわれる、
繰り返し行われる同性からの集団無視で心の支えは読書だけでした。(インターネットも無かった時代です。)
努力、根性、気合そんな言葉が流行った時代の中で努力、根性、気合で自分を支えた結果静かに心が折れました。
段々と頭痛がはじまり、外に出ると頭が痛くなって立っていられなくなった私を母が病院に連れて行ってくれて
当時の最新のCTスキャンまでとっても原因不明、結果偏頭痛と診断されました。
ある日どうしても頭が割れそうに痛くて学校に行けず休んだそのときから不登校になりました。
学校が始まる時間は頭痛はするのですが、お昼を回ると比較的気分が良くなって読書を楽しめるため
本を読み耽ることに没頭していました。私は現実を生きていなくて空想に逃げることで精一杯だったのです。
90年代初頭に社会的問題になった不登校の走り、それが私です。登校拒否という言葉が無かった時代なので
義務教育を受けない、学校に行かないということで周りの大人からは執拗に攻められ、
自分自身は偏頭痛と言い張っていましたが学校に行かないと頭痛がしない自分はどこかオカシイのか、と物凄く悩みました。

話をいったん今に戻します。
心の病に対して偏見が軽くなった現在、精神科の門をくぐって精神科に行けるようになってからやっと私は病気なのだと
はじめて気づきました。その後、かじった程度ですが、自分を理解するために色々な分野の勉強をはじめて分かったことです。
児童心理学になってしまいますが人格形成が行われるのは一般的に12歳位まで、思春期がはじまる前まで、
環境がその後人格形成の上に成り立つ性格を作ると当時は考えられていました。その12年間を私は前述したように生きました。
認知の歪み、視線恐怖症、対人恐怖症などはなるべくしてなったとも言えます。

中学校3年間の後半2年はほとんど学校に行っていなかったため中学で留年という当時考えられない事態に陥る羽目になりました。
世間から偏見の目で見られ始め、父からはみっともないと攻められ、母は泣いてすがって学校に行って欲しいと懇願されました。
担任の先生、学校に頼まれた同級生は代わる代わる毎日私の部屋のドアまで押しかけるため余計に頭痛が酷くなる状況だったので
心を殺して学校に登校、周りは病気を押しての登校と評価してくれたので校長の判断で留年という事態は避けられました。
学校には行かなければならない日以外は登校しなかった私の周りは何もしなかったのか?と思っていると思います。
明らかに身体の病でなかった私にどこから聞いたのか精神病だと言い始めた母がそれは悪いことではない、
他にも不登校の子が九州にいるとか、関東で不登校児を専門に見ている先生がいる、など独自に情報を集めだして
心理カウンセラーという職業もあるから行って欲しいと騒ぎ始めました。
正直当時の社会状況が精神科=キチガイの場所という偏見をすっかり信じていた私はそこへ行け、という親が信じられなくなり、
「私は見捨てられた。精神病院に送られるんだ。」と思い、精神病院=社会から隔離して閉じ込める場所、に送られる私は
「生まれてきてはいけなかった、この世界にいてはいけない人間なんだ」と感じ、それならば世界に消される前に私が去ろうと
毎日自殺のことばかり考えてベッドに横たわり絶望していました。一方で何も悪いことをしていないのに死ななければいけない、
同い年は恋の悩みに明け暮れる頃、私はどう死ねばいちばん苦しまずに死ねるかを悩む理不尽が悔しくて眠れなくなり、
その頃から不眠がはじまりました。毎晩親が寝てからこっそり下に降りていってテレビをつけて見るでもなくボーっとするのが
日課な毎日を過ごしていたある晩、テレビのニュース速報で「午前5時46分ごろ阪神で地震がありました。各地の震度は
次のとおりです。、、、」と出てマグニチュードを見て仰天しました。直ぐにNHKの緊急放送がはじまり、
とんでもない事態に陥ったとわかったメディアが次々と朝の番組を変更してニュースを流し始め、確認された死亡者数が
時間が経つに連れて増えていくのを目が食い入るように見ていて普通に生活している人が自然のきまぐれで死んでしまった。
どんな人も避けようがない自然の恐怖に因って殺されるという現実を直視した私は騒ぎが落ち着き、その後復興の道のりを
歩み始めた阪神、淡路地方の人の絶望を超えて生きる姿をみて『私のこの顔の理不尽も天災なのだ、私もそれを乗り越えて
生きていかなければならないんだ』と真摯に励まされました。阪神、淡路の方に当時起こったことに対してかける言葉が
ありませんが、生き地獄を味わい、全てを失い、絶望の果てを越えてなお生きていく人たちに、私はまさに生かされたのです。
自殺しようという考えが一転して私も生きて行かなければ、となった時はじめて生きるための努力がはじまったのです。
その後も辛い道のりを越えて今を生きています。が、あの時のことが無ければ私はこのようにあなたと話していなかったでしょう。

過去の話が長くなってすみません。
何も言いたいのか、この経験談からのアドバイスとは?と思っていると思います。

どんなことでさえ起こりえるこの世界でなお生き抜いているあなたは既に凄いのです。
今まで生きてきた道のりが人と同じな筈がありません。背負ってきた荷物が重いのです。
歩きながらどんどんと背中に積み重ねられる荷物に押しつぶされそうになり、
どこをどう来て今、道に迷っているかわからず、迷子になってしまった不安。
この先どうやって歩けば良いのかわからない恐怖。そういう状態に陥っているだけなんです。
他の人はあなたが背負う荷物をみて空っぽだ、と言いますが、その人たちはだから手伝わない
あなた自身も他の人の背負う荷物と見比べて空っぽだと思うから実際にその重みが分からないのです。
(先の返答のフローチャートは過去の自分の経験、体験を客観的にみつめて、自分が背負う荷物の中身を知る、
つまり真実の己を知るというためのひとつの手段だと思ってアドバイスしました。)
あなたの背負う荷物、その重みは他の人にはわかりません。

『世界は広く己の知る由も無し』
という言葉がありますが、世界が広かろうと狭かろうと全て知る必要も無いです。
あなたがどうこの先進めばスキップしながら歩けるのか、だけが全てです。
どんなに私の『荷物の中身』(経験談)を見せようと、他の人の『荷物』が重そうに見えようと関係ありません。
見るだけで結局『他の人』(世界)の『荷物の重み』(絶望)など知るよしも無いし、知る必要も無いのです。
知る必要があるときとは、相手の『荷物の中身』(今まで歩いてきた道のり)を知りたい、分かち合いたい、と願った時だけです。
分かち合うことが大切です。相手から荷物を背負わされてばかりでは自分が参ってしまうし、相手に背負わせてばかりでも同様。
Give and Takeを繰り返しながら一緒に歩いて行く、それが大切です。

結婚は出来ないと思っているあなたがいます。お互いに支えながら生きていきたい、という意志があることがわかります。
あなたはもしかしたら自分の『荷物』(困難)を『手伝って欲しい』(乗り越えるため)と思っているだけ、
かも知れませんし、そうでないかも知れません。ただ、おたがいの荷物を手伝いあう、励ましあう(孤独からの解放)ことを
誓う儀式、それが結婚だと私は思います。
そうやって考えた時にそれでは友人とは?と思います。
友人とはこの先も一緒に歩いていかなければいけないという事も無く、荷物も手伝う必要もありません。
お互いに気の向くまま励ましあい、その一緒に歩く期間だけ手伝うだけです。おのおの好きな方に進んで行くので10年後は
もうお互いに何をしているのか知る由も無いかも知れません。知りたければ便りを送れば良いのです。
大事なことは『その時に一緒に歩いた』ではないでしょうか?

友達がいない、と仰います。でもあなたを好いてくれる犬がいるでしょう?その子は友達でないのですか?
私にもかつて犬の友達がいました。彼は先に歩き終えてしまいましたが、お互いに一緒にいた時間はかけがえないです。
私には大勢の友達がいます。先の返答の通りひとり、私には人間の友達がいます。
友達になる条件が『人間』に限った場合は私も寂しいかも知れませんが、限りが『生きとし生けるものすべて』となれば?
友達が増えて楽しくなりますよね。それで良いのではないですか?人間の友達が多い人が凄くて偉いのですか?
私もかつて太郎という犬だけが友達でした。絶望に打ちひしがれる中、いつも支えてくれたのは太郎です。
孤独で越せない夜、一緒に朝を迎えてくれたのは太郎だけです。太郎だけがいつもワンと励ましてくれました。
彼は常にはしゃいでいました。元気いっぱいだった頃を思い出しながら太郎の最期を看取りました。
サヨナラは辛かったけれど、最期に「ありがとう」と伝えました。

私自身、現在も精神病を抱えて今だけを必死で生きています。
結局今日も長くなってしまって申し訳ないのですが、今日、何を伝えたかったのか、何がアドバイスなのか、というのは
一言で言ってしまうと『全てはあなたの考え方次第』です。
自分を肯定してみてください。励まして下さい。物事を自分の都合の良いように解釈して下さい。
私は人から見れば細く短く生きそうですが、短く生きて最期を迎えても「太くて短い人生だった!」と笑っていたいです。

私自身に言い聞かせていることがあります。
前述に私がくっつけていますが。

''Life suck, that's life. So what!?
I will go stick with it, struggle with it, and breakthrough it, 'till the end!''
『クソッタレな人生だ。それが生きるってことさ。だからなんだって言うんだ。
振り落とされそうになっても死ぬまで生きることを諦めず、困難に立ち向かい、そしてそれをぶち抜いて行くぜ!』

上は言葉のとおりです。
もうひとつ、信奉者には聞かせられませんが、

''I'm gonna kill A God, when I die. That's the moment, what I'm longing to do.''

私は無神論者ですが、神がいるのならこのような運命を与えられたことを恨んでいたことでしょう。
死んで神の御許に行くというのならクソッタレな神を殺します。恨み、怒りが生きるエネルギーを与えるときもあるんです。

''At the end, everything will gonna be La vie en Rose.''

超えない夜、この3つを言い聞かせて'私が'太陽を昇らせる時の魔法の言葉ですよ。

私はネガティブですが天邪鬼なのでこう考えます。
「誰も私を必要としてくれない。」→「だったら必要とされよう。」
「私は生きていてはいけない人間だ。」→「だったら生きてみよう。」

それでもくじけそうになったときは歯を食いしばり言葉に出してこう言います。

『ぜってぇ、まけねぇ』

思い込みで生きれるのならどう思うと人の勝手だとは思いませんか?



長々と今日も失礼しました。
最後まで読んで頂きありがとうございます。
アドバイスというよりも何か私の考え方をだらだらと書いてしまってすみません。
ここから何かヒントになれば幸いです。
それでは失礼します。
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この回答へのお礼

再び回答頂きどうもありがとうございます。

quicklunch様はとても辛い体験をしてこられたのですね。
分かるといったら失礼にあたるのかもしれませんが、敏感な時期に容姿で人から馬鹿にされる辛さはお察しします。
私は中学時代、某犯罪者に似ているといわれ全く知らない学年の男子や他の学年の人に「○○(犯罪者の名前)だよ」とか「裁判頑張ってください」とか言われており、それが現在容姿について異常にこだわるようになってしまったことの一因でもあると考えています。
なので、その辛さはお察しします。

quicklunch様はそれに加え事情のある家庭環境などもあるみたいですが、私は素から変であったこと(幼少期から変だったし、周りからも変だとか学習生涯とも言われていたそうです)や家庭環境(凄く感情的な母親や、母親に同調しかしない父親、優秀な妹)も大きく影響していると思います。

阪神大震災は不幸な災害ではありますが、そのことにより生きていくと言うことをquicklunch様が決意されたと言うことはとても感じることがありました。

荷物の話ありがとうございます。
私は確かに他人を意識しすぎてしまう傾向があるみたいです。
それがなくなれば、自ずと自分の持っている荷物についても理解が深まり、そこで初めて他人に認めてもらうことができるのかもしれませんね。
quicklunch様からのアドバイスを拝見させていただきそのように感じました。

太郎ちゃんとquicklunch様のお話読んでいて涙が出てきました。
私も幼少期から飼っていた犬を昨年亡くしました。
そして友達はその犬だけという思いもかなりありました。
しかし、何かの縁なのかその犬が亡くなる3ヶ月ほど前に成犬の状態で知人の知人に保護されていて行き場のない今の犬に出会ったのです。
きっと前の犬が連れてきてくれたのだと私は信じています。
そうですね、私にはその子達がいます。

本当に私次第、私は悲観的過ぎますね。
どうもありがとうございます。

今は辛いんですが、自分を受け入れながら今を精一杯生きる・・・そういうことが出来るようになりたいです。

本当にどうもありがとうございました。
quicklunch様にアドバイスいただけとても感謝しています。

お礼日時:2008/04/10 23:32

すみません。


先ほどの回答の頭の部分が切れていたので追加しておきます。
失礼しました。

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今晩は。
quicklunchです。お返事ありがとうございました。
今日は時間も無いのですが私も感謝を伝えたかったので、また長くなるかも知れませんが。

私がメンタルヘルスのカテを覗いて質問に回答する時というのは、余計なお世話だろうし失礼と感じながらも、
一人で解決出来ないけれどけなげに命を削って闘っている孤独な人に、仮想空間だけれど、だからこその
エール(言葉自体の意味は生きる力とかそういう意味みたいですね。)を送りたいと感じた時です。

メンタルヘルスのカテでは悩みを抱えている人に直接会える訳でも無く、まだ中学生の方だったり、
私たちよりも年齢的に上の方もいるので例えどんな人だろうと理解出来るようなるべく簡素に、と努めて来ましたが
あらためて私の書いた文章を再び読み返す機会が出来たので反省しました。
もともと文章力の無い中、言おうと思っていることを少ない文章で伝えるのがやはりうまくないなぁと。
今回は大学生の方、ということで書かせて頂きましたが他の方へのお返事等から知識をずいぶんお持ちな方と感じたのと
もう少しあなたがどのような人なのかを知り得たので今回は私の具体的な経験から生きたアドバイスをさせて下さい。

私自身も同様に幼少期、少年期、青年期ととても辛い人間関係の中にいました。
私自身抱える現在の病も結局は私のその過去に起因するものです。
例えばそれが私の悪い行いのためによってそうなった結果なのでしたらまだ反省点もあるのですが
身体的な特徴によっての差別によりそうなった、ということに憤りを感じます。
アドバイスではありませんがどのような経験から病になったのかを書かせて下さい。

私自身が辛い過去を思い出して続けられなくなるので省略させて頂きますが
生まれつき顔や髪に特徴を抱えていて、日本人的な顔をしていないためそのことでいじめられて来ました。
(見かけは’実際はいませんが’肌が黄色の黒人の方を考えて頂ければ結構です。)
生まれ育ったところが閉鎖的な村社会だった、というのもあるのですが、まだ小学校に通う前から私達の家族は
村八分にされていて育った団地では私は仲間はずれにされていました。
ブランコで遊びたいけれどみんなが帰る5時を過ぎるまで私がブランコで遊ぶことは許されませんでした。
夕暮れてから一人で一生懸命にブランコで遊んでいた私を今の私が抱きしめてあげることが出来れば、、、と切に感じます。
愛されたいとは常々思っていましたが私の父親は仕事人間の団塊世代なので家に居る事も無く、また家にいても
お酒を飲んで野球観戦、近くに寄ると鬱陶しがりました。母親は心の問題を抱えていて子供を見る余裕も無かったのと
今は健やかに過ごしている妹と弟が生まれつき身体が弱かったため面倒を見なければいけなかったということで
健康だった私を見る余裕も無かった、と今は謝っている母がいます。そのため愛されていると感じたことがなく
その頃分からなかった言葉ですが、当時から孤独を感じていました。今、振り返ると私はアダルトチルドレンなのだと。

一人ぼっちで過ごしたその土地を小学校に上がる頃に引っ越して現在も住んでいる地域に移りました。
小学校の入学式に身体的な特徴を子供が持っている無邪気な残酷に上げられた時からそれが私のあだ名になりました。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました。

NO21と繋がっていると言うことなのでそちらにまとめてお礼の文章書かせていただきました。

どうもありがとうございます。

お礼日時:2008/04/10 23:35

 私はあなたへのこの回答が終わったら、やはり、ここのサイトから離れようと思います。

こういう事をするのは無責任であると思いますし、自分の未熟を人に被せてしまっている罪悪感を感じますし、このサイトの機能にも疑問があるからです。それを使う人々の心にもね。


No.12のお礼に返答しておきたいと思います。


 私が見込みがある、見所があると書いたのは、あなたのそういう必死の表現力を感じたからです。この形態では、その形の必死さが必須だと思います。過去に話した女性も、ある段階の暗黒からは出ることが出来たように思えます。ですので、たぶん、あなたも半歩か一歩は先に進める力を有していると思います。

 好きになるか否かは、出会った瞬間に決まるというのは、それだけあなたが異性に求める要求が決まっていて、そして、或いは、外面的要求に固定されているからかもしれません。

 それだけ求めるものがクリティカルだと、気持ちが動かないというはあると思いますし、それだけ異性に求めるものが依存的な形を取るとも言えると思います。

 ただ、あなたの内的価値観の未成熟が、本来あなたと合う異性を求めることへの障害となっていることもあると思います。可能性としてあるということですね。

 まぁ、大抵の人とは違うということもありません。普通に生きている人でもこのパターンを持つ人はいます。




 それと食事くらい行ったら良いんじゃない、と言われる人々の根拠はとても単純な足し算引き算的論法から成り立っていると思います。つまり、異性に悩むあなたの可能性として、いつと違う行動パターンを取ってみたら?という論理展開だと思います。

 でも、このいつもと違う行動パターンを取るというのは、有効な時もあります。それは固定化され、限定化された頭の中の価値観回路や論理回路、感情回路に、今までにない要素、今までにない流れをもたらすという面でです。精神病とか、人格障害なども、ある社会不適合的な人格様式の固着化(ループ化)による物と言える面があります。それを崩す方法としてひとつある方法ではあります。
 たとえば、帰り道をいつもと違う道を入れてみるとか、変えてみるとかがあります。これは作品展開に詰まった物語作家などが閃きを得る機会などが、この展開によることがあったりします。人間のシステム的には有効な方法と言えるわけですね。



 
 プラスに評価してくれる人の、その評価の有り方にも、出来れば目を向けられることが出来ると良いのですが、それよりも、そういう人たちであってもどこまで自分が負荷をかけて良いのかを探れることも大事でしょう。相手によっては理解の下にある程度”傷付ける”とあなたが言うものを受け入れてくれる人もいるわけです。その度合いを相手によって図れることも大事だと思います。
 これは、あなた自身が傷付くというラインを、つまり自分自身が傷つくラインをもきちんと持てていない混乱もあるからだと思います。あなたはたぶん、拒否と拒絶と否定、その三者に同様に傷付くこと多いのではないかと思います。
 ですが、前段の2個は否定というものではなく、否定ほどの苦を受けなくても良いものであったりします。このような相手の姿勢、態度、言葉からの傷付くラインの混乱もあると思います。



 引用しますが、
> そして、そのような人たちは急に全てが一方的に嫌になってしまうか(これが大部分です)、
 これはあなたが、ですか?それとも、相手が、ですか?

 今までの流れだと、相手が、と取れるのですが・・・。

 ここもあなたを知る上で大事なポイントかなと思います。





 まず、自信過剰の構造ですが、幼少よりの安定した評価と愛を得ている人は、たくさんの評価を受けると身の丈に合わないことを知るのです。そこで自分が揺らぐことはないのですね。たくさんの評価を得て、自身が過剰になったりして行く人というのは、幼少からの安定した受容感を得ていない人に見られるものなのです。あなたの自己評価の原初を辿ることも大切かと思います。




 好奇心から関わってしまい傷つけて罪悪感に苛まれる事は、これからの好材料です。自分にある安易を恥じる心があるということであるからです。ですが、あまり傷付くこともないものであるかもしれない、というのは、前述したところと重なるものでもあります。




 感情の流れを論理的に感覚的に知る、心の流れを論理的に感覚的に知る。それは自分と他者に対して必要であります。そうすることで、自分の感情のオーバーロードと向かい合う方法を得れますし、コミュニケーションにおけるポイントを知ることにもなりますし、自分の悲劇と距離を置いて見ることもできるのです。




 自分が普通と外れている、それのどの事項が大きく外れたものであり、どの事項は、実は普通の人も抱えるものであり、許容できるものであるのか、それを知る必要もあります。




 あなたはあなた自身を知らない。ということは、自分の良い部分、素晴らしい部分、愛される部分、希望ある部分、それらをも知らないということになります。ネガティブファクターに引きずられるとそれらも見えなくなるものです。

 自分が愛される人間であることを知る必要があると思います。そういった自分探しの旅をすることは、今後、あなたに大きなものをもたらすと思います。

 積み重ねたものは、あなたを裏切らない。

 自分に有る未だ出会わぬ自分を信じて、今の辛さと向き合っては如何でしょうか。

 私の年齢まで8・9年近く有る。それは、その年数の間だけ、あなたに私に迫れる期間があるという事でしょう。


 自分に眠るものを信じて、生きてみて欲しいと思います。
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この回答へのお礼

回答どうもありがとうございます。

kumosuke32様は是非ここのサイトにとどまって他の様々な方の相談に乗ってあげてください。
それが負担でないのならですが…。
私はkumosuke32様のアドバイスとてもありがたいですし、過去の回答も拝見いたしましたところ、過去にも様々な人を導いていらっしゃると感じました。
無責任なんて事は全くないです。
対面を大事に感じるkumosuke32様が疑問を抱くのも理解は出来ますが、ここの人たちはここでしか表現できないのではないでしょうか。

異性は…確かに顔と雰囲気(話した)しか気にならないので初対面で決まってしまいます。
今後その基準が変わることは想像すら出来ません。

ご指摘の通り、私は傷つきやすく、大抵のときは相手を極力傷つけないように注意して話したりしています。
ご指摘を受けて、それもコミュニケーションの取り辛さを生んでいる一因のような気がしてきました。

一方的に嫌になってしまうのは私のほうです。
面白そうだから話してはみるけれども、始めは面白いんですが、あまり好きにはなれないし、会話の内容やその他全てに関して魅力が低く気持ち悪いと感じ私から距離をとってしまいます。
生理的な嫌悪感に近く急にどうしても近寄らないで欲しくなってしまうんです。
そして、自分が好奇心から近づいて傷つけたことをいつも激しく後悔します。

感情を論理的に知るということは私にとっては非常に難しいです。
びっくりするくらい感情が良く変わるからです。
しかし、それでも根底に在る物とは向き合っていく必要がありますよね。
ありがとうございます。

しかし、自分が普通から外れていることは本当に良くわからないんです。
私から見れば私の行動は普通なんですが、他人から見ると変みたいで。
どこが変で変といわれるのかが全くわからないのですが、他人が見ると変、また人とコミュニケーションが上手く行かないことも相まって自分が変なんだと言うことを確信したのです。

本当に私は自分が良くわからないんです。
どうすればいいのかすらわからないのです。
ご指摘の通り自分を知ることが大事なのはわかります。
でもどうすればそれが可能なのかがわからないんです。

また長くそして困らせるような回答になってしまいすいません。
しかし、今回もとても身にしみるアドバイスでした。
どうもありがとうございました。

お礼日時:2008/04/12 23:52

たとえば、仕事でも自分を成長させることが出来ます。



 特に人と触れること多い仕事、接客の有る仕事なども良いでしょう。

 あなたや、私のような人間は、とかく相手の望む有り方に敏感に受け止められます。しかし、その様に対しただけでは顧客やお客さんは満足を得ません。

 機嫌の悪い人もいますし、ちょっとした事で感情が変わる人もいますし、厳しい姿勢の人もいますし、優しげながらも冷たい人もいます。たくさんの人間の有り方を見れますし、そのたくさんの形に対してどれだけきちんとした形で対せられるかというものを追いかけていくと、自分の意を相手に通す方法や、相手の意を受ける受け方、流し方、喧嘩になってもお互いの了を取れるやり方、問題になっているのに喧嘩にならないで、それよりも気持ち良く了と成らせるやり方、色々学べます。

 仕事ですから、必死も出ますし、成果も出ますし、常に対応に追われるので、その実践の多さが自分に生きます。

 私はかなりの事ができるようになっています。

 余裕のある時にでも、良書を薦めて起きます。
 稲森和夫著、”生き方-人間として一番大切なこと-”サンマーク出版です。


 私が見所がある、見込みがある、魅力があると思い、繋がったあなたなのですから、今後も自信を内に抱いて周りと臨んでは如何でしょうか。
 これがNo.15のお礼への返事です。


 ちなみに、私はほんのほんのちょっとだけハンサムであった事が大きく私を延々と苦しめて来ました。容姿で女性に振り向かれたことはほとんど無いですね。歳離れたおばさん連中にはハンサムよねぇと言われて来ましたが、そんな方々が異性の対象にはなりませんからね・・・・。彼女らの評価されるのも辛かったです。顔は本当に嫌いでした。今でも意中の女性とは縁が出来ません。でも、それも少し可能性が開けてきたかもしれません。


 目に宿る意志力と、衣服の整い、身の処し方、礼、言行の整い、周りの人への気持ちの向け方、そして、体軸、体幹の整い、体捌きなどが噛み合わさってくると、人には魅力と感じるようです。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました。

実は私はアルバイトで接客をやっています。

お客様によってはカチンと来てしまうこともありますが、大抵の人たちに対して丁寧な接客が出来ていてよく誉めていただいています。
私は、接客など相手とその場限りの関係で住みそうなときは上手く対応が出来るんです。
ただ、それがもっと長期的な関係になるであろうと思われる場合(アルバイト先の人たち、学校の人たち)となると、上手くコミュニケーション出来なくなるんです。
お客様でも私の名前を覚えてくださりよくきてくださるお客様だと苦痛です。

稲森和夫さんの「生き方-人間として一番大切なこと-」さっそく調べました。
今度書店に行ったときに本とお金が会ったら買います。

ハンサムで悩みですか…。
私は美しくなれるためならなんでもやりたいし、それが幸せにも通じる(直通ではなくても)と思っています。
ただ当の魅力と言いますと他のことも大事になってくるとは思いますが・・・。
しかし、見た目がダメだと中身までは評価してもらえないように感じています。

今回もありがとうございました。

お礼日時:2008/04/13 00:08

驚かれるかもしれませんが、私はあなたの悪い面もこれからきちんと評価されて行く必要があると思います。



 たとえば、あなたはこれからも付き合って行きたいと思う人や、友達や、異性などに、自分の悪い面を出せないところがあると思います。

 そう思いますが、それが成せない理由としては、自分の悪い面がどれぐらい受け入れられるかという正当な評価が成されて来てないからであり、あなたの中にどれぐらいまでがどのように評価されて受け入れられるのかというのが感覚として整っていないと思うからです。

 私がよく人に言うのに、”甘えは許すけども、甘ったれは許さない”というのがあります。そういう微妙な感覚をお持ちになることがこれからの課題かと思います。

 ”むかついたけども、まぁいいや”ぐらいとなるもの。”そここら辺が嫌いなんだよね”とか言いながら付き合い続けるもの。”もう、許せねぇ!絶交だ!”となるようなもの。また、そうでありながらも、時間を置けば復縁できるもの。

 悪い面にも色々な評価の軸があるのです。場所が、状況によって、また、その軸も変わるものなのです。それらを少しづつ出しながら、周りの反応や、対応、受容などを見て、感じて、考えて、学んでいくことも大事だと思います。

 人間には必ず悪い面があります。だから、それが有る事を単純に悪と捉えることもないのです。

 そうやって行くと、いままの感覚で良いもの、どうやらこれは問題であるらしいものなどを、感覚的に分けて、感覚に落として行けるのですね。

 こういう意識の介入による作業が、価値観や感情の混乱を整えるのに有効だと思います。そして、次第にそれら整えて行ったものを無意識化するのです。それが身体化、感覚に落とす、身体に落とす、という言い方をするものです。肉体化とも言いますね。

 

 違う話になりますが、前働いていた会社に、顔はそれなりにハンサムなのですが、心の醜さゆえに酷い相貌に写る人がいました。そういうのは見抜ける人には見抜けます。顔が良いことがすべて良いというわけではないのですよね。


 今は、順調に辛さを感じている感があると思いますよ。悪くない流れにある困難だと思います。

 
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
御礼遅くなってしまいすみません。

そうですね。
自分と同じかそれ以上に変な人たち以外には自分の悪い面というのを見せられないです。
そしてその理由というのはまさにご指摘の通りです。
しかし、私はずっと良いところだけを見せる努力は常にしているのですが、所々で凄く性格の悪いところが顔を出してしまいます。
kumosuke32様のおっしゃるところは本当に理解は出来るのですが、私の世界には全てのことに関して1か0しかなくて、世の中の人は1や0のどちらかに近いと言うことはあってもその間ので生きているのだということは分かってはいるんですが、それを自分にも適応することが出来ないみたいなんです。
なので、悪いところを全く見せられないか逆に全て見せてしまうかのどっちしか出来ないんだと思います。
オールオアナッシングの思想は少なくとも高校生くらいのときには出来上がっていて他者からそれを指摘されたことも自分でも言い聞かせてはみるんですがまだ直らないようです。

順調に辛さを感じているですか。
今は特に辛いですが、慢性的に感じている辛さは消えるのでしょうか。

kumosuke32様のアドバイスを読みながら自分の考えをまとめていくと、自分の考えを整理することが出来ます。
どうもありがとうございました。

お礼日時:2008/04/15 21:17

 No.13のお礼への返事として・・・。



 無理して振るわなくても見捨てられないから、というのがありましたが、それは翻すと、犬は人に、人で有れば付きまとう有り方の形である社会的スタイルや社会的ポジション的な形を要求しないからとも言えるでしょう。

 それは、あまりそういうものを気にしない人であったり、そういうものにこだわりを持たない人とは楽に向き合える可能性が高いという事でもあるでしょう
 幼少期から、ありのままの姿がそのままに受け入れられなかった事実と歴史が、あなたを周りの要求に対して自分を捻じれさせて来たことに繋がっているのだと思います。

 それはあなたと少し形が違いますが、私と同じものです。


 人間は心が摩滅しても死ぬことはないのですよね・・・・。心は死んでも身体は死なずとはよく言ったものです。そして、生ある以上、ある動的均衡状態を求め、欲し、望むのも、人が生物であることゆえの生存本能であり、それもまた、かえって、辛い想いを抱くことに向かわせるものとなりますよね。



 それと、この掲示板の形、毎回のコメントにお礼という形で報いなければならないという形も、実はあなたをその要求に沿わせないとならないという、自分を捻じ曲げる苦しさ、ありのままの自分を表現できない苦しさがあるのではないかと想像するのです。ですから、もっと気楽に自分の気持ちを話せる場所があなたにはこれから必要だと思います。。でも、ある程度の人と対する上での縛りは必要でもあるのです。それが他者と向き合うと言う状況において常に必要とされるものであるからです。


 また、私は相手に礼の形をきちんとすることを求めるタイプですし、また、相身互いの心をもって臨む事を求めるタイプの人間でもありますから、それも、合わせる、沿わせる苦痛があるのではないかと想像します。

 私の語り方は教条的なので、うまく整っていないと、また、うまく返せないと、また、うまく有れないと”申し訳ない”となること多いのですが、そういう自分と私とを見据えつつ、あまり気にされない方が良いと伝えておきます。ですが、それも人の持つ感得力の養いとなりますので、そういうものをポジティブに昇華できると良いのではないかと思ったりもします。


 No.16のお礼への返事です。

 私は少しあなたにある傾向に気付き始めました。たぶん、私の感じている形があるのではないかと思います。ですが、それはまた、”たぶん”の段階であるので控えます。それはやはり、他者性をどれだけ持てているか、養えているか、という部分と結びつくものだと思います。これは説明が長くなるので、今回ははしょります。


 私も幼少の頃から、たぶん、おそらくあなたと同じ頃から、かなり変な子供でした。ただ、親に目がありませんでしたし、過保護(=支配)と言える環境でありましたからあまり目立たなかったのかもしれません。変な形の早熟だったと思います。

 思うのですが、人は無人島に一人で居ればどんな人間でも自分をおかしいとかは思わないと思います。気付かないと思います。そのような気付きは常に周りの人間の反応からもたらされるものだと思います。変な話ですが、全く普通な子であっても、周りが変と言い続ける、また、扱う環境に育てば、その子は変であるという屈折を大きく抱えた人間となると思います。と、これは、自己認識の構造を書いたものとなります。

 ですから、社会形態が違う世界、価値観が大きく異なる世界(この”世界”は前段も含め”身の周り”というミニマムな意味での用い方が強いです。)では、そう苦しまなくても済んでいる可能性もあると思います。
 
 それはつまり、現社会でも、現代でも、あなたが受容される環境がどこかにあると思うのです。高村光太郎の”智恵子抄”はミニマムですが、そのような形ではないでしょうか。決してあなたが智恵子と同じ形だと言っているわけではなく、我々のような人間にもそういう可能性があるのだという提示です。
 

 No.18のお礼への返事です。

 人格障害とは何も問題行動だけを捉えたものではないのです。社会において適応しづらい部分を持つ人の形、構造を系統化したものです。これは人の形の捉え方のひとつで、他の捉え方ももちろんあるわけです。すこしネガティブ要因を引き受けているのかもしれませんね。

 その三つの中のある要因、いくつかの要因が自分と重なるということですね。自分を知る一歩ではないでしょうか。


 No.19のお礼への返事です。

 謝る必要はありませんが、それが今の自分の気持ちの表し方であるのだと解します。

 極端と言うことは中間を持ちづらいという事であると思います。中間を持ちづらい人の傾向は、いい加減に物事を扱うことを了としない、適当を了としないなどの面があります。それか、中間の感情、感覚で受け止める経験が浅いとかでしょうか。ちょっとこれは私もいい表現が浮かばないので保留します。ただ、白か黒かという価値観の人がうつ病になりやすいとはよく言われることですよね。

 質問に関しては、私は前の30年くらい過ごした私でも段階的には行えるようにはなっていました。少しづつですが、それなりに道を開いてはいました。ただ、大きな問題は明けていませんでした。それが突如明けた時には、私は以前とは大きく違う自分に変質していたのです。私はその時のおいて、私は一度死んだんだと感じています。

 自分と違う自分を生きるのは、新たな何かを引き受けるようなものとなります。周囲を負うとか、人の想いを負うようなものでしょうか。それは失った自分を思うと、かけ離れた今の自分に、苦悩を抱くものです。昔のただ弱くおとなしく愚かにも善良でしかない人間で良かったのにと思うことはとても多いです。それは普通の人が知らない世界を知るものであり、それがある世界であると知ることでもあり、それを知っている者のみが抱える苦悩や苦痛はやはりあります。

 新任の保健師さんが、私が前の会社において精神的な窮地に陥った時、こう言ったものです。”あなたのようにまでしなくても(頑張らなくても)、他の人はやっていけているんですよ。”と。
 それは精神崩壊の危機を向かえていた私を心配するも、何もできることがない己の無力さからの辛さゆえ放たれた言葉ですが、あなたの指摘通り、そのような性質をはらみます。

 そして、私のような形を取らなくても、住み場所を得ることは可能だと思います。でも、それは、解決ではなくて、変質であり、昇華という形を取ると思います。病などは基本的に解決という形を取らないのですが、それを知る人も少ないでしょう。


 揚げ足とも思っていませんし、手数をかけているとも思っていませんので、お気になさらずに。そう気遣うのもあなたの美点でしょう。ただ、そこまで気にするのも自己への評価の低さが幾らかあると思う部分は多少あります。


 と、今日はここまでにしておきます。


 ちなみに、私の心の大きな落とし穴は、人に必要とされることを強く強く欲していることです。それゆえの大きな寂しさが周りににじむほどになっているようです。私はそれを昇華したいと思い、考え、実践したいと願っています。

 
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

そうですね。
犬は私のことをなんの評価もせず私として受け入れてくれるからだと思います。

そういうことを気にしない人というのもいるとは思いますし、つい最近もそのような女性と出会いましたが、あまりにマイペースで仲良くはなれません。
けして、嫌いではないし、本当に良い人だとは思いますが、話も合わなければ、行動も理解できません。
過去にもそのような男性と出会い、彼は外見内面ともに素敵な人でしたが、私は彼に非常に引け目を感じてしまい、作った自分しか見せれなかったし、余りにも中身がないことに呆れられてしまいました。

kumosuke32様のアドバイスを拝見し、お礼という形で自分を見つめなおすことにより、私はかなり色々な事が整理できたのではないかと思い非常に感謝しています。
ありがとうございます。
ご指摘の通り、文章のみでありのままの自分を表現すると言うことは難しいですよね。
実際にあって話すとしてもそれは難しいと思うけれども、文字だけに情報が限定されてしまうのでさらに難しいのではないかと私は考えています。
しかし、kumosuke32様とこのような形で交流させていただき、それ以上に得たものが多いと考えています。

受容される場所に自分が留まれるか、そしてそこで真の自分をさらけ出せるのかが私には疑問ですが、そのような場所を見つけ出して安心して生きていきたいとは思います。

No25のお礼で書かせていただきましたが私は極端ですね。
そして、それが苦しい原因の一つかもしれないとは思いますがどうしてもグレーを受け入れる術がわかりません。

質問に答えていただきありがとうございます。
けしてkumosuke32様がそうであるといいたいわけではないのですが、うつ病などは普通に生活をしていた人が一時的になるものであるのに対し、社会に適応しづらい性質(人格障害等)は治療といっても今までの性格を矯正することになるから、自分を変える必要がありかなり困難且つ苦しいと聞いたことがあり質問させていただきました。

始めのほうの回答でkumosuke32様がやり取りの中で自分がわかってくるというのがよくわかってきました。
今回もありがとうございました。

お礼日時:2008/04/15 23:51

一つ伝えておきたいことがあります。



 私はここ最近の過去に、発達障害の子たちとも徐々に交流を持てるようになっていました。彼らと果たしてネットの掲示板やチャットで心を繋ぐことができるでしょうか。
 そして、ある中学生の兄弟と、小学生の兄弟が、家庭環境ゆえに同じような荒み方を見せた時に、アプローチして、その荒みを見つめ、そして、今見える以外に有る世界や生き方、有り方を提示することで、気持ちを少し止めたことがありました。それもメールやコメント欄でできることでしょうか。

 人が一番に何かを得るのは、やはり対面です。カウンセラーでも何でもいいので、対面で自分のことを話せる場所、機会を持てると、また、これからの展開を持つことが出来ると思い、伝えておきます。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

kumosuke様は色々なチャネルを持っているんですね。本当に疑問なんですが、その道のプロではないんですか?

対面が大切と言うのは分かります。
カウンセラーは今は学生でお金も不安定なので通えませんが、社会人になったら通いたいと思っています。

実は大学の知り合いで一人、私よりも明らかに変な男性がいて、彼も私と同じような悩みを抱えていて、お互いにそのような問題について話し合っていました。
それは私にとってもとても有意義なものでした。
しかし、話を進めていくと、彼は自分がおかしいこと自体には疑問を抱いていないけれども、いつも上手くやっていけないどころか苛められたり気持ち悪がられるから悩んでいてそれさえ解決されればよいと考えているとのことであり、私とは根本が違うと感じました。
また、彼には世間を異常に否定することにより自分を肯定しているのに対し、私は世間にも誤っている所はあるとしても自分達のような人にも問題はあると考えていると言う点や、彼は明らかに人から避けられるような雰囲気であり、彼も人を避けるタイプで今まで私以上に他人と関われなかった人だと思うのですが、そのためか、やけに2ちゃんねるでの話を持ち込んできて「こういう問題は2ちゃんによると・・・」ばかりで話す意味がないと感じてしまいました。
それでも、始めてそのような人を見つけたので話すことは続けていたのですが、お互いに問題を分析して課題を見つけても、彼は自分を正当化し、課題を否定し、しまいには「ずっとそういうこと(自分が社会に適応できないこと)は考えてきたけど、その解決策はないと言う結論に高校時代にたどりついているからやっても無駄だ」と言います。
正直、申し訳ないとは思うのですが、もともとそのような問題を解決するために話していただけで、けして彼の性格は悪くはないのですが、彼から一切の魅力を感じないどころか気持ち悪いと思っていたし、話し合うのも無意味で気持ち悪いし苦痛でしかなくなりそれはやめてしまいました。

しかし、その経験により人と対面し話すことの重要性というのは実感しましたので、またそのような人に出会いたいと思っており、カウンセリングも考えています。

なのでkumosuke32様からのアドバイスとても納得し、つい長文を書いてしまいました。
すいません。
そして、どうもありがとうございました。

お礼日時:2008/04/16 00:39

 私がネーミングにある問題点を語るのは、たとえば、癌であると宣告された人が、実はそれでも治る可能性や長く生きる可能性があるのに、癌という病気の一般的イメージから”私の人生は終わった”となってしまい、気持ちも落ち込みに落ち込み、気力も削げに削げ、絶望に身をやつし、そちらの理由で弱体化し、そして、或いは体力気力が削げた事ゆえのその癌の悪化により、或いはその体力気力の削げた事により、宣告後間もなく亡くなってしまうという現象があることなどゆえなのです。



 私も幼少の頃より様々な医療と関わってきましたから、それらがもたらすネガティブフィーリングの強さ、或いは無意味さも、よく知っているのです。本当にそれらに縛られて長く生きてしまっている人もたくさん見てきたのです。精神医療にまでなると、自分の自主性(主体性)、自分の健康、自分の意思、自分の心、自分のフィーリング、自分の魂などなどまでがそのフレームによる支配下に置かれることも多く見受けられるのです。もちろん、そうでありながらも、病等と向き合う、理解する材料としては有効ではあるのです。

 ですから、自分を知るのに医学と言う枠を用いるのはひとつ有効でしょう。しかし、それによるネガティブフィーリングまでも強く引き受けてしまわないよう、それらとある程度意識的に距離を取れるように心構えて置くことが大切ではないかと思うのです。


 というような点での現在の精神医療などと(医療全般とも)意識的に枠の違いを設けているのが、ケースワーカーの向谷地生良さんを中心として有る、北海道浦河市の”べてるの家”のシステムなのではないかと私は理解するのです。

 もちろん、その他にもそういうものは有りますが。

 という点に留意して臨まれてはどうでしょうか。


 もちろん、私自身から発せられるものにも、私の言葉にも、その手のネガティブな縛りをもたらすものが含まれており、そういうものとも距離をいて向き合えるということが、”自己承認力”なのではないかと思うのです。

 それがつまり、”人の生き方には色々な形がある”という事を受け入れられているという事なのだと思うのです。

 つまり、私が”ご自愛ください”という言葉をを発する時には、それらまでの意味も含めて言っているということになるのです。

 どうか、ご自愛ください。
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この回答へのお礼

回答どうもありがとうございます。

ネーミングの問題点の一つであるネガティブフィーリングの作用ですか・・・。
たしかにkumosuke32様のご指摘するような問題はあると思います。
しかし、私に限って言えば、ネーミングを知ることにより少し安心しました。
また、私はその道のプロではないので深層心理などの段階まで行くとどう作用しているのか分かりませんが、私の意識できる範囲では名前がつきその症状を知ったことにより暗い気持ちになるということはあまりありませんでした。
名前がつくくらいなんだから治療方法があっるのではないかと希望すらもちました。
よく調べていき人格障害等はそのひとの性格そのものの問題だから直すのはきついし、人格の強制だから今までの自分を殺す…というかそのような必要があると言うことを知り、自分について悩みつつも自分が好き…というかお気に入りみたいな感じなのでそれはさすがに悩みましたが。
なので、確かにネガティブフィーリングには掛かってはしまいますがそこまで心配して頂かなくても大丈夫です。
しかし、このようなことを認識することにより、今後何かと向き合うときに注意をすることが出来そうです。
ありがとうございます。
そして、自分に何らかの形でネガティブなものを与えうるその対象として他者の言動(相手の善意悪意には無関係に)も認識しなければいけないと言うことですよね。
むずかしいですよね。
私には取り立ててそれが難しく感じます。
しかし、今後それはもっと必要になることなんですよね。

今回もどうもありがとうございました。

お礼日時:2008/04/16 01:16

 まずはNo.23のお礼への返事として。



 実は、その”この人たちはここでしか表現できない”という部分が、私には大きな問題だと思っているのです。今回、あなたは私の過去の回答を追われたと思いますが、このカテゴリーの他の方たちの回答群と、それと質問者たちのお礼や補足群を見られたでしょうか。私の目に映るのは、それはそれは酷いものとなります。

 また、この形式である以上、窮地を救えぬこともままあります。それにより非常に辛いものがこちら側にも残るのです。自分の発した言葉が誤解や曲解、勘違いのままに相手が締めてしまう事もあります。それは発言した側にとっては、その後を思うと、やり切れないものがあります。

 と、これだけに限らず、多様な問題を抱えているのですが、”ここでしか表現できない”となっている人たちにとっては、ここ以外へ足を向ける機会が生まれることもないのであります。それは、その人のこれからの可能性を小さく小さく限定してしまうことになります。それがこのメンタルヘルス欄の功罪の罪の部分でしょう。このサイトに限らず、ネットにおいても、その罪の部分は適応されるのです。私は他も見て来たからね。



 基本的な要求として、顔などに要求パターンが有る、というのは、これからも残り続けるでしょう。しかし、あなたにおいてはまだ、人間も、男も、多様にある姿を知らないと感じます。今において想像出来ないのは、それは当たり前であると思うのです。なぜなら、あなたの内に今あるものからアウトプットされてくる男性理想像は、常にあなたの内にあるものによって構成されるからであり、そのあなたの内にあるものは増やさぬ以上変わらないのです。と言うことは、つまり、アウトプットされる男性理想像も変わるように思えぬものなのです。
 そういうものに変化をもたらすのが、大きな意味での経験であり、人間的成熟であり、成長であるわけです。



 傷つき易く、傷付けたくない、それは後段において、自分のフィーリングを相手に写せるという部分において美点であると思います。それは言い換えれば大きな可能性となります。そして、傷つき易いという部分が、常に、あなたの歴史において、あなたを思うようにならないと感じさせるものとする誘引要素であったのは、まず、間違いがないと思われます。



 一方的に嫌になってしまうのは、想像ですが、あなたが人に対して様々な距離感を取ることが出来ていないからだとも思え、また、あなたが嫌いという意思を体得されていないからでもあると思われます。
 どうも興味が薄いな、とか、ここら辺までは興味が募るが、そこまでだな、などの、相手によっての距離のとり方の違いは、人と付き合う上で持つべきものなのであるのですが、そこをあなたはまた自得されていないのでしょう。それゆえに一方的に嫌とか、生理的な嫌悪感とまでに至る面があると想像されるのです。
 あと、もうひとつをあげれば、相手も取るに足らない場合が往々にしてあるからでもあると思います。今、私から見ても、世の中に付き合うほどの人はなかなかいないという状況はあります。本当に皆、幼く、疲れるばかりとなることは多いです。そういう私と同じような体質があるのやも知れません。
 すべてを責め苦とする必要もないと思われます。ただ、見つめ続ける必要は変わりませんが。私であっても、今も、そして、今後もずっと、その視点を持ち続けるでしょう。激しく後悔する必要も実はないものである可能性は、あなたの場合あると思います。幾つかは人である以上そういう事はありますし、まぁ、ちょっとそれよりも多いぐらいかもしれないと想像します。そこもよく見てみる必要はありますが。



 感情を論理的に知るのが難しいのは、あなた一人でそれを行っているからでしょう。自分と言うものは自分からはなかなか見えないものであります。ですから、それをサポートするような人は求めるべきかと思われます。ただ、その点に関しては、この間保留した、”あなたの内に他者がいるか”という他者性の認識の問題もあると思います。ただ、言っておきますが、この問題はあなたのようないろいろと苦難を抱えている人に限らず、普通に生活している人にも多く見られるものではあるのです。
 ”無人島に一人でいれば、誰しも自分が異常であると思うことはない”、それと同じです。自分の感情を論理的に配置するには、他人の力を借りる必要は初期段階においてとても必要なものであるのです。
 ただ、私は幼少より行っていたので、一人で行っていたのですが。例外のようです。



 自分を知るには、安心して語れることをある程度保障してくれる人と、あなたの抱えているものを話して行くことです。あなたはこのやり取りから”書くというものの良さに気づいた”のようなことを言われてましたが、この形式は、擬似的なものではありますが、対話形式なのです。書くという要素もありますが、さらに多く語ると言う要素があるのです。ただ、どちらにおいてもこの形式は拙いものでありますが。ですから、安心をある程度保障してくれるような人と対話していくことが大事と思います。ですから、相性の合うカウンセラーを探すことは大きな一歩となるかもしれません。



 まったく長いとも感じてませんし、困らせてもおりません。私の苦しみは、人に自分の持つものを伝えられている時に癒される部分が多少あるのです。お気になさらずに。



 では、No.24のお礼への返事として。

 接客ということと、その内容を聞いて、本当に私の過去と似ていると感じます。ただ、私の場合は苦痛でありながらも、どこかで、小さくではありますが、愉しんでおり、また、喜んでいた部分がありました。私の孤独が強過ぎたせいでしょうか。そして、きちんとした評価を得られて来なかったゆえでもあるのでしょうが。

 接客が丁寧で褒められるのは、私と同じで、相手の要求を、後天的資質として、瞬間的に受け止めてしまうからですよね。それは親などの顔色を恐怖を持って伺い続けてきたことにより形成されたものと思われます。

 私の場合はそうです。ヒステリー母と、暴君のような父親に挟まれていましたから、常に精神と身の危険を感じていたわけです。それゆえに、母のヒステリーを回避するために、そして、父の暴君に触らぬように、両親の意思や感情、心などの流れを即座に読むという形が幼少のころより形成されていたのです。
 そして、その両親は、一歩外に出ると、世間体を気にして、善良な人たちとして振舞いますので、その両親のギャップと、世間の両親の扱い方と私のフィーリングのギャップで、精神も心も千切れそうになる日々であったわけです。感情も、価値観も、大きな混乱があったわけです。
 しかし、私には、まぁ、周囲に酷い人間性の人があふれていたので、このような人たちにはなりたくない、死んでもなりたくない、という思いが強くあり、それゆえに心的成長、精神的成長、人間的成長を高く志向する面があったのです。ただ、それも3年前の抜けるまでは周りも評価するものとはなりませんでしたし、私の意がなかなか伝わることもありませんでした。
 そして、自分が嫌いでしたから、ずっと、その自分を変えたいと思って、自分の心を幼少のころより見て来ましたし、それは、周りの人に対しても同じにしてました。その中で哲学的な思考を延々と繰り返して来たのです。
 で、それが結実したのが3年前ほどの一気に抜けた日になります。この中にいくらかのヒントがあるかもしれませんので、書いておきました。

 あと、言えば、接客においても、もっとお客さんに気持ち良く帰ってもらうにはどうしたら良いかということに心を砕きました。私の場合、以前は仕事が出来ない人であったので、そして、中学の頃には家を出て自活しないと、自分はどんどんと犯される以外にないと感じてましたので、その普通並にも出来ない仕事に生死をかけて臨み続けていたのです。そしたら、そのうちに、仕事がまだそれほど出来ないのに、すごい成績を上げたり、すごい評価を頂くようになったのです。でも、その時でもまだ闇は明けてませんでしたが。ですから、闇が明けた今においては、大人と子供ほどの違いの出る仕事が出来ます。それ以上かもしれません。

 何事も必死で臨むことの大事さを学んだ思いです。


 私は、ですから、必死のある人が好きです。あなたには必死がある。そういうところが好感を持てますし、力になろうと思わせる部分であります。そこが見所があるというところなのですね。私はその人の書くもので、相手の意思をある程度読み取れますから、あなたに必死があることを感じて、また、ここで回答をし始めたのかもしれませんね。



 容姿の美にこだわるのは良いのですが、あなたのは執着の形を取っていると思います。男性からも、女性からも、よく聞かれるのですが、容姿の綺麗な人など3日で飽きると言います。付き合うという上で大事となるのは、一緒に居て気持ちが良いとか、楽とか、そういう部分ですよね。
 綺麗とかはファーストインプレッション、第一印象であるわけです。第一印象での長所となりますが、その先の無数にある段階には影響を及ぼしません。

 容姿の綺麗で相手を選ぶ類の人に見られるのは、そういう人を彼女なり、伴侶とすることのステイタスに眼目が行っている人が多いのです。

 そのことをよく踏まえて、女性としての美しさの有り方を考えて、感じて行ければと思います。たとえば、姿勢が綺麗とか、所作が綺麗とか、言行が綺麗とか、美しさを成すものにも色々があるんですよ。

 私は今、身体感覚の世界も開いたので、そこら辺はよくわかるつもりです。



 あなたには良い導き手が必要と思われます。カウンセラーも良いし、社会資源も色々用いても良いし、良き理解者を身近に得られることも、今後大事なポイントとなると思います。


 あなたにはまだやれることがあるということは、あなたにはあなたの知らない可能性がまだあるんだということだと思って、今の辛さに耐えてもらえればと思います。また、人生には辛いことは付き物ですから、これが今後の良い経験ともなると思いますよ。

 どうか、ご自愛ください。
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この回答へのお礼

大変お返事遅くなってしまいごめんなさい。
言い訳すが、最近就職活動が忙しく毎日複数の説明会やら面接に望んでいた状態でした。
某大手証券会社がとんとん拍子で進み、先日実質最終だったので落ち着いてから御礼を書こうと思っていたら、落ちたらしく連絡がなく落ち込んで返信遅れてしまいました。
人事の人までは騙せたみたいなんですが、役員さんたちは無理だったみたいです。

お名前変えたんですね。
驚きました。

noname#57613様のおっしゃることもご最もだとは思いますが、このような場がなくなってしまうとここでしか表現が出来ない人は本当に外部に向かうかということが私は疑問だと思います。
ただこのような場があるとここに依存しすぎてしまうというのは良くわかります。
事実、私もそのような傾向があると思います。

確かに私は人との距離のとり方が全く分かりません。
他者に対して距離を置きすぎてしまうかもしくはしつこくしてしまいます。
相手が取るに足らないというのもありますが、自分から近づいていき傷つけたことは申し訳ないと感じます。
また、相手同様、私も取るに足らない人間だと思います。

直接関わりをもって尚安心できる人間がいるということが私には想像できません。
探していきたいとは思っていますが、一時的ではなく長期的に信頼できる人で尚且つ私を見捨てないでいてくれる人がいるとは想像しがたいです。

今までは何となく分かってはいたのですが、考えたくなかったことを最近しっかり意識したのですが、私は本当にきれいではなく(造形的に)、身長が高いことやきれいに見える服を着ていること、人を惹きつけるような表情や行動が上手だからきれいに見えるのだと思います。
だからこそ、外見に執着してしまうのだと思います。
そして、そのようなことばかりに気を取られてきた結果が現在の私であるような気がします。
そして、それがわかりつつも年をとり醜くなる(年をとることにより内面が…とかも良く聞きますが他者に対してはともかく自分に関してはそれが信じられません)が怖いし、内面をどう磨けばいいのか、そしてそれが有効なのかが分かりません。
有効というのは自分で納得できるかつ他人から受け入れてもらえるという意で使いました。

遅れてしまいすみませんでした。
今回もとても自分について考える良いきっかけになりました。
どうもありがとうございました。

お礼日時:2008/04/22 20:29

 これは追記なので、お礼を付けなくていいですからね。



 仕事の話ですが、先ほど、私はお客様に気持ち良く帰ってもらうにはどうしたら良いかに心を砕いたと書きましたが、もう一点やらねばならぬことがあったのです。それは、店としてお客さんに伝えないといけないことは伝えないといけないし、ノーを言わねばならぬ部分では言わないとならないし、訂正もしないとならぬ部分ではしないとならない、そうでありながらもお客さんの機嫌を悪いところまで持って行かない、或いは、持って行かれてもお互いの了を持てるところで次に繋がるようにする、などの割と困難なところも含めて、気持ち良く帰ってもらおうとしたのです。

 それは有る意味、私や貴方には不得手であり、超苦手な意を通すという分野でしょう。でも、我々にはもうそれはしないことには自己肯定も選れない部分でしょう。結果的にそこで意を通した上で気持ち良く帰ってもらうという高度な技術の追求のおかげで、私は私の意志を伝える、意思を通す、意思を表現するという形を覚えて行ったのだと思います。

 一種の治療のためのロールプレイですよね。

 ですから、私の接客術は今ではちょっと人の真似できない高いレベルに到達しているのです。

 仕事で自分を磨く、というのも治療の経過として良いのですよね。
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この回答へのお礼

回答どうもありがとうございました。

追記でお礼はいいということなので割愛させていただきたいと思ったのですが、一言書かせてください。

私も接客はロールプレイのようなものだと理解し行っています。
しかし、対人関係も始めは(長期的な関わりが予想されない場合や、どうして近づきたい相手で相手に対し引け目を感じない場合)ロールプレイ感覚で(自分が見られたいようにや相手が私に求めるように)上手く振舞えるのですが、それをすぎて長期的な関係に移行しようとするところで私は身動き取れなくなってしまいます。

お礼は書かなくていいということなのにごめんなさい。
しかし、どうしても伝えたくて書いてしまいました。
回答どうもありがとうございました。

お礼日時:2008/04/22 20:45
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