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レオ3世によるカール大帝、またヨハネス12世によるオットー1世への
帝冠の授与についての記述を読んでいて気になる箇所がありました。
1.このような帝冠の授与というのはローマ帝国ではいつから行なわれるようになったのでしょうか。
2.教皇(ローマ司教)による授与はいつからなのでしょうか。

あと直接関係はない質問なんですが、王というと冠をかぶるというイメージがありますが、そういう習慣はいつから始まったのでしょうか。

A 回答 (3件)

頭に 何かをかぶる


ということでは、ローマ時代に凱旋将軍が月桂冠をかぶることができるという事があります。ローマ皇帝は「常設の」将軍インペラトルでもあったので、月桂冠をかぶっていたのでしょう。
※ ローマ皇帝という称号があったわけでなく、それまで共和制ローマにあった、いろんな称号・権限をまとめたのが「ローマ皇帝」と後世言われた訳なので、後世 かぶるというのがデファクトになったんでしょうね。
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この回答へのお礼

あぁ、月桂冠ですか。聞いたことはありますね。

お礼日時:2008/04/22 07:45

ローマ帝国と神聖ローマ帝国は違います。


ご質問の内容は神聖ローマ帝国です。
ローマ帝国(Imperium Romanum,紀元前6~紀元5.6世紀)
神聖ローマ帝国(Heiliges Roemisches Reich Deutscher Nation,962~1806年)

1.2.ピピン(Pippin der Aeltere, 580年頃 - 640年)がパープスに寄って戴冠したかも知れませんが、カール大帝が最初にローマ法王から戴冠された(800年)と言っていいと思います。ドイツの王オットーが戴冠されたのは(962年)

神聖ローマ帝国には皇帝の下に王様や領主司教などが40人近く国の数だけいました。

王冠をかぶるのは、アケメネス朝ペルシア帝国(紀元前550年 - 紀元前330年)で、ゾロアスター教の大司教が国王に戴冠したとされています。
シーザー(紀元前100~44)も月桂樹を模った金の王冠をかぶっていましたから、彼が王冠を始めてつけたローマ人ではないかと思われます。(彼の前は共和国)後のアウグストスやネロも同じような王冠をかぶっていました。

フランクフルト アム マインのレーマー広場にある市庁舎の3階には皇帝広間があって歴代の皇帝の絵が壁全体にかかっています。

また、世界遺産の町ゴスラーにはカイザー広場がありそこの城には皇帝が宿泊しました。定住城を持たず、諸国を廻っていた皇帝は他にも60箇所ほどの城に宿泊していました。
http://de.wikipedia.org/wiki/Pfalz_(Palatium)
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

お礼日時:2008/04/22 07:46

基本的には ローマ皇帝は 市民(=軍団)の指示によって成立します。

血統主義になっていった東ローマ帝国も闘技場とかで「会場の支持を受けた」というような形式をとっています。

臭そうなのはアンブロジウス
ミラノ司教で、皇帝を破門しています。390年。これが実績になった。
破門できるなら任命も出来る、ってな論理で、ローマ帝国をよく知らない、フランク人のカール大帝が「ローマ風に宜しく」と頼んだのが ローマ教皇による皇帝戴冠一号じゃないかな。
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この回答へのお礼

なるほど・・ありがとうございます。

お礼日時:2008/04/22 07:47

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