プロが教えるわが家の防犯対策術!

普通、大人になるとはどういことかと質問すると、
たとえば、自分の行動に責任を持つとか、自立するとかというような答えが返ってくるのですけれども、
そういうことがここで聞きたいのではありません。

<子供>として生まれてきた私たちがそれと異なる<大人>に<なる>とはいかなることでしょうか。

一般に彼は大人になったというとき、彼の人相や振舞い方が社会に適応するように変化したことをいうようですけれど、それによって彼が別の人間に変わったことではないようなのです。

いわば実体として自然に存在する彼と社会の中で認められた彼という存在との対立を窺わせているのです。
<大人>とはいったいどこに存在するのか、という問いでも構いません。

私たちは彼は変わったとみなし得たとき、
懸命にまだ変わっていないところを探し出し、発見すると安心するではありませんか。
絶対に彼が変わることはないと保障されているならば、このようなことはありません。
では、彼は変わったというときに私たちが混乱してしまうところの彼という存在とはいかなるものなのか。
それを踏まえたうえで大人になるとはどいうことか、ということを考察しなければ納得がいかないのです。

A 回答 (13件中11~13件)

著書「幼児化するヒト」をオススメいたします。



面白い仮説が展開してあります。
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私は成人したいわゆる大人ですが、大人と子供の定義。


これは簡単なようで深い問題だと思います。

と言うのも、大人でも善悪の判断が付かず犯罪に走る人間は後を絶ちません。高学歴でも平気で天下ったり、汚職に手を染めたり。

中高年でも駅でキレて駅員に暴行する中高年が後を絶たないと言われる程にマナーが無い中高年も多い。

公共マナーも我々、大人が守れない今の現状では「大人と子供の区別は無い」が私の結論です。

「最近の若者は」と言う大人も大勢いますが、大人の中でも襟を正さないといけない人間は多い筈です。

我々、成人以降の大人よりも有能で礼儀を弁えた若者は沢山居ると思いますよ。逆に全然常識知らずの「ゆとり世代」と揶揄される若者も多いでしょうが。


思うのですが、これは上下関係にも関係すると思いますね。
年齢によって敬い敬語を使ったりしますが、所詮は長く生き経験豊富な人生の先輩を敬う精神なのでしょうが、甚だ可笑しく思えたりもしますね。長く生きて年をとってもマナー知らず、犯罪に手を染める。こんな人間も多いのも事実です。

年齢=精神的発達具合

と比例はしないのですね。日本の現状を見ると。
だから、私は普段は少なくとも自分より下の年齢の人間であろうと、敬語を使われなくても全くムカつきはしませんね。

だって、年齢関係無く善良でよい人間は良い。悪い人間は悪いんですから。最近、学生のボランティアを見てつくづくそう思いました。自分より若い奴の方が逆にしっかりしてるじゃん。みたいなね。
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いついかなる場合でも


自己を客観的に判断処理でき、
かつ、自己主張を促せる
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