個人事業主の方必見!確定申告のお悩み解決

“本”という言葉が“書物”を意味することになった由来をご存知の方いらっしゃいませんか?
“本”の語源をみると、「木の根っこ」から「本(もと)」を意味するようになったそうなのですが(漢字源)。
そこからどのようにして“本”と“書物”がつながっていったのでしょうか?

このQ&Aに関連する最新のQ&A

A 回答 (4件)

日本語の「ほん」というのは「本物」「本家本元」などの「本」です。



印刷技術が始められるまでは書物を手に入れるためには、元になる本(これは「著者直筆原稿」であったりまた「著者直筆からの写本」であったりするわけですが)を買うか借りるかして、一文字ずつ書き写すという時間も手間も掛かる作業を行なう必要がありました。

この「写し」に対する「原著作物、原稿本」が「ほん」のもともとの意味です。

「写し」の末尾には「...とぞほんに」(以上のように元の書物にありました)というような一行が付け加えられました。

時代の経過と共に。「ほん」は必ずしも著作者直筆の書物ではなく写しの元になる書物もまた何らかの写しであるという状況が生じます。しかし古い写本もまた貴重な資料です。それもまた「ほん」として写されました。

以上のようにして「ほん」ということばには「原典」→「写本」→「書物一般」という意味の拡大がおこりました。
    • good
    • 2
この回答へのお礼

なるほどー!それはすごく分かりやすいストーリーですね。
nakanoさんはこれをどこから学ばれたのでしょうか?
もし出典がありましたら、あわせて教えていただけると嬉しいです。

お礼日時:2008/04/14 19:15

元来、「本」という漢字は、「物事の基本にあたる」という意味から転じて書物を指すようになったという解説もありますが、私個人的には「情報源」の意から来ていると考えています。

多くの国で「本」を表す語が「木」と関わりが深いのは、「紙の原料としての木」として関係しているのでしょうね。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

紙が発明される前は「木の皮」や「木そのもの」に文字を記していたそうなので、“情報源”というご推察は、そのとおりかもしれませんね。
面白いです。ありがとうございます!

お礼日時:2008/04/14 15:00

こういう↓解説があります。


http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%AC#.E8.A8.80 …
    • good
    • 0
この回答へのお礼

ありがとうございます!
実は、wikipediaをパスしてしまっていたので、
皆さんの指摘がとても参考になりました(笑)

お礼日時:2008/04/14 14:57

元来、「本」という漢字は、「物事の基本にあたる」という意味から転じて書物を指すようになった。

古くは文(ふみ)、別に書籍、典籍、図書などの語もある。英語のbook、ドイツ語のbuchは古代ゲルマン民族のブナの木を指す言葉から出ており、フランス語のlivre、スペイン語のlibroはもともとラテン語の木の内皮(liber)という言葉から来ている。
古代インカ帝国のキープ(結縄)、インディアンが使用した彩色した貝や棒の刻み目や組合せ、古代中国の亀甲文字や獣骨文字や金石文字、インドなどの木の葉に記した文字、メソポタミアの粘土上に記した文字など、文明化した世界各地で様々な書写材料が試みられた。 これらのうち、もっとも多くの民族が手軽に利用した、木の皮をはぎ、そこに書き写す行為が本の祖形になったと考えられ、先に挙げたゲルマン系やラテン系の言葉にも伺える。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%AC
    • good
    • 1
この回答へのお礼

ありがとうございます!
本と木のつながりは、世界共通なんですね。

本と書物がつながっていたストーリーもなんとなく分かってきました。

お礼日時:2008/04/14 14:56

このQ&Aに関連する人気のQ&A

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!

このQ&Aを見た人が検索しているワード

このQ&Aと関連する良く見られている質問

Q日本の名前の由来

日本という名前はいつ、どのようにつけられたのか教えてください。

Aベストアンサー

もともと、日本には名前がありませんでした。弥生時代の日本列島には
いくつかの勢力が存在しており、中国はこれらの勢力をひっくるめて倭と
呼んでいました。日本の勢力もこれに対応し、自分たちの国を倭と呼んでいました。

7世紀初頭の遣隋使において、「日出ずる処の天子が書を日没する処の天子に致す」
という書き出しで始まる親書を送っています。「日出ずる処の天子」とは
単純に「東」を意味するものとするのが一般的ですが、倭という呼び名を
嫌がって作った呼び方とも言われています。というのは、倭という漢字には
「従順」「矮小」といった意味が含まれていて、見下された呼び方だからです。
結果として、自分たちを「日出ずる処」、隋を「日没する処」と表現して
しまったために、倭国は「無礼者」と怒られ、その時の使者(小野妹子)は
処罰されそうになったようです。

その後しばらくは倭国と呼ばれ続ける日々が続いていましたが、701年の
大宝律令によって正式に「日本」という国名を名乗る事になりました。
ここで何故「日本」と名乗ったか、という問題が起こるのですが、残念ながら
それを明らかにする文献は存在しないようです。日本の歴史書として有名な
日本書紀も8世紀に成立しており、既に国名が日本に変わった後なので、
そのあたりの記述が存在しません。ただ、「日出ずる処の天子」が
「日本」に変わったのだろう、という見方は一致しているようです。

もともと、日本には名前がありませんでした。弥生時代の日本列島には
いくつかの勢力が存在しており、中国はこれらの勢力をひっくるめて倭と
呼んでいました。日本の勢力もこれに対応し、自分たちの国を倭と呼んでいました。

7世紀初頭の遣隋使において、「日出ずる処の天子が書を日没する処の天子に致す」
という書き出しで始まる親書を送っています。「日出ずる処の天子」とは
単純に「東」を意味するものとするのが一般的ですが、倭という呼び名を
嫌がって作った呼び方とも言われています。というの...続きを読む

Q言葉はなぜ“葉”と書くのですか?

わかりにくいタイトルで申し訳ございません・・・。

“ことば”は漢字で“言葉”と書きますよね?
なぜ“葉”なのでしょうか?

モノを言う葉??
葉がモノを言うの!?
なんてことを考えてしまい、
ふと気になってしまったので質問させてもらいました。

Aベストアンサー

「言葉」「言の葉」ということばは竹取物語の時代からすでに見られるもので、
かなり古い時代からあるみたい。

「葉」にもいろんな意味があるのですが、ここでは普通の「葉っぱ」でいいと思います。
「言」は、「和歌」をさすことばでした。

和歌の全盛だった時代(日本では「言霊の幸う国」といわれているように、美しい和歌には国を安泰にする力があるといわれていました。宮廷歌人なんてのもおりました)
いつまでも青々としている緑の葉を意味する常磐(トキワ・トコイワ)にたとえて、和歌の世界を「言の葉の緑」と呼んだのが始まりといわれています。
和歌が栄えることは、国が栄えることと同じと考えられていたようです。

Q日本という国名の由来

7世紀中国の文献にはじめて現れたと記憶していますが、どうしてこの国名を採用したと考えられるのでしょうか。そもそも「ひのもと」とは相対地名であり「朝の鮮やかなるところ」と同じで当時世界の中心であった中国からみて東方にあったことを示すだけの表現ではないか、とも思えます。
・どうして「日元」ではなく「日本」としたのでしょうか。
・「倭」とは中国から見た周辺民族への蔑称としての表現であるとの説から「和」が採用されたとの話は真実なんでしょうか。
・「ヤマタイ」が「ヤマト」に転じたのでしょうか。
・「ヤマト」はどうして「大和」の字があてられたのでしょうか。
・中国は「日本」を名乗ったことに対して激怒したそうですがそれはなぜなんでしょうか。中国の一部ではないことを表明したことになるのでしょうか。
・歴史的には「ニホン」という発音が正しいと聞いたような気がするのですが本当でしょうか。

 ひょっとしたら国内向けにはあの中国と対等になったのだと説明し、中国に対しては日が昇るような遠い東方のちっぽけな国でございます、とでも説明したのでしょうか。だとすれば外交手腕は7世紀当時と大して進歩していないような気もします。もちろんこの呼び名に何ら不満はありません。他意のない興味本位な質問です。

7世紀中国の文献にはじめて現れたと記憶していますが、どうしてこの国名を採用したと考えられるのでしょうか。そもそも「ひのもと」とは相対地名であり「朝の鮮やかなるところ」と同じで当時世界の中心であった中国からみて東方にあったことを示すだけの表現ではないか、とも思えます。
・どうして「日元」ではなく「日本」としたのでしょうか。
・「倭」とは中国から見た周辺民族への蔑称としての表現であるとの説から「和」が採用されたとの話は真実なんでしょうか。
・「ヤマタイ」が「ヤマト」に転じたの...続きを読む

Aベストアンサー

こんばんは。
難しい質問ですが、
手元の辞書ではこのようなことが出ています。
もう少しお調べになったらもっとわかるかもしれません。ご参考まで。

1.「ヤマタイ」が「ヤマト」に転じたのでしょうか。
邪馬台国 ヤマタイコク
弥生(ヤヨイ)文化中・後期に確認される倭(ワ)の女王国。『魏志(ギシ)』倭人(ワジン)伝の刊本には邪馬壹国とみえるが、定説どおり邪馬台国とするのが妥当。邪馬台は正式には「やまと」と読むが、大和(ヤマト)王権と区別するために一般には「やまたい」と呼称している。
--以下略--
出典:小学館 日本大百科全書

2.「ヤマト」はどうして「大和」の字があてられたのでしょうか。
大和∥倭 やまと
狭義では奈良県の一地域,ついで奈良県全部,広義では日本全体を指した語。大和政権の領域拡大とともに日本全体を指すにいたったもの。狭義のヤマトは,《古事記》《日本書紀》に,奈良を過ぎヤマトを過ぎ損城(かつらぎ)へ,という歌謡があるように,奈良の南方で損城の東北方の,大和国城下(しきのしも)郡大和(おおやまと)郷,今日の天理市新泉町の大和(おおやまと)神社周辺の地とされる。このヤマトは,損城と並んで土着の勢力の中心地。やがて畿内豪族の連合政権である朝廷が奈良盆地に拠点を置くと,今日のほぼ奈良全県をヤマトと呼ぶようになった。語義は山に囲まれた処(と)の意かという。筑後国の山門(やまと)などとは,同じトでも当時のトの音が異なり,意味も別である。倭という漢字は,回り遠い,従順,矮小などの意だが,中国で古くから日本を指すのに用いられたので,5世紀の倭の五王のころには〈倭国王〉と自称するようになり,意味の上では本来関係のない倭という字とヤマトという訓とが結びつくこととなった。7世紀から8世紀にかけて,国号には倭の字を避け,〈日本〉という表記を用いるようになり,その訓もヒノモト,オホヤマト,オホヤシマなどとしてヤマトとはいちおう区別し,倭国,大倭国といえばふつうは奈良全県を指す行政区域名となった。律令体制下の1国としての大倭国は,737年(天平9)から747年まで〈大養徳国〉と表記を改め,757年(天平宝字1)ころから大和国と表記されるようになる。しかしその後も引き続き,一般には倭,和の字やヤマトという語は,日本的,日本風を意味するときに使われている。⇒倭(わ)
執筆:青木 和夫
出典:平凡社 世界大百科事典 第2版

3.国号や国の位置づけに関して
日本
【国号】
 日本では大和政権による統一以来,自国をヤマトと称していたようであるが,中国や朝鮮では古くから日本を倭(わ)と呼んできた。《前漢書》《三国志》《後漢書》《宋書》《隋書》など中国の歴史書や,石上(いそのかみ)神宮の七支刀の銘,高句麗の広開土王の碑文も,みな倭,倭国,倭人,倭王,倭賊などと記している。そこで大和政権の代表者も,中国と交渉するときには,5世紀の〈倭の五王〉のように,国書に〈倭国王〉と記するようになった。しかし中国との国交が120年ほど中絶したのち,7世紀初めに再開されたときには,《隋書》に〈日出処天子〉,《日本書紀》に〈東天皇〉とあって,倭と自称することを避けるようになっていたらしい。中国側でも《旧唐書(くとうじよ)》の東夷伝に至って初めて〈倭国〉と〈日本国〉とを併記し,〈日本国は倭国の別種なり。其の国,日の辺に在るを以ての故に,日本を以て名と為す〉とか,〈或いは曰く,倭国自ら其の名の雅ならざるを悪(にく)み,改めて日本と為す〉とか,〈或いは曰く,日本は旧(もと)小国,倭国の地を併す〉とか,倭から日本に変わった理由を紹介している。
 この7世紀には,遣隋使に続いて遣唐使がしばしば派遣されているが,いつから倭に代えて日本を国号とすることにしたのかは,〈日出処〉が〈日本〉に転化していったことはまず確かだとしても,実は明らかでない。遣隋使や遣唐使のそのつどの交渉について,かなり詳しく記述している《日本書紀》も,8世紀になって日本という国号が確立したのちの書物であり,その中に使われている原資料にあったかもしれない倭の字は,国号に関するかぎりすべて根気よく日本と改められている。そこで《日本書紀》以外に文献を求めると,《海外国記》の逸文に,664年(天智3),大宰府に来た唐の使人に与えた書には〈日本鎮西筑紫大将軍牒〉とあったとある。だがこの《海外国記》も733年(天平5)に書かれているから,倭を日本と改めている可能性がある。結局確かなのは,702年(大宝2)に32年ぶりで唐を訪れた遣唐使が,唐側では〈大倭国〉の使人として扱ったのに対して,〈日本国使〉と主張したという《続日本紀》の記述であり,《旧唐書》東夷伝の記事も,この当時の日本側の説明に基づくものと思われる。
 この日本が,今日のニホン,あるいはニッポンのどちらに近い発音で読まれたか,または当時の漢音でほぼジッポンと読まれたか否かも,,まだ明らかでない。しかし日本という国号は,中国や朝鮮ではもちろん,はじめは日本の国内でも音読されていたようであり,ヒノモトという日本に対応する訓読も,《万葉集》では〈ヒノモトのヤマト〉というように,古くからの国号であるヤマトにかかる枕詞として用いらるにとどまり,これがヤマトと並ぶ日本語風の国号として独立するのは平安時代以後である。中世に中国を通じて日本をヨーロッパに紹介したマルコ・ポーロの《東方見聞録》では,日本国が Zipangu,Jipangu などを書かれているが,その後ヨーロッパに広まった Japan,Japon,Jap1o などの称については,日本に対する中国の華北音の jih pen に基づくとする説と,華南音の yat pun に基づくとする説とがある。中世末の日本に渡来したヨーロッパ人たちは,ロドリゲスの《日本大文典》や《日葡辞書》に,当時の日本人が日本を Nifon,Nippon の両様に読んでいたことを記録している。近代では日本の読み方を統一しようという動きがあり,1934年の文部省臨時国語調査会では,ニッポンを正式呼称とする案が議決されたが,法律制定には至らなかった。なお正式な国号は,明治憲法では〈大日本帝国〉であったが,現行憲法では〈日本国〉である。⇒大和(倭)(やまと)∥倭(わ)
執筆:青木 和夫
出典:平凡社 世界大百科事典 第2版

こんばんは。
難しい質問ですが、
手元の辞書ではこのようなことが出ています。
もう少しお調べになったらもっとわかるかもしれません。ご参考まで。

1.「ヤマタイ」が「ヤマト」に転じたのでしょうか。
邪馬台国 ヤマタイコク
弥生(ヤヨイ)文化中・後期に確認される倭(ワ)の女王国。『魏志(ギシ)』倭人(ワジン)伝の刊本には邪馬壹国とみえるが、定説どおり邪馬台国とするのが妥当。邪馬台は正式には「やまと」と読むが、大和(ヤマト)王権と区別するために一般には「やまたい」と呼称している。
--以下...続きを読む

Qパーセンテージの出し方

パーセンテージの出し方をおしえてください

Aベストアンサー

主人公÷母体×100


人気Q&Aランキング