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大したことではないと思うのに、自分としてはかなり真剣に悩んでしまって苦しいです。

有名人で、一般的に絶大な人気を誇っている人たちというのはたくさんいらっしゃると思うんですが、私はそのほとんどの人を好きでないのです。嫌いなことも多いです。

人気があるから嫌い、というようなあまのじゃくではなくて、嫌いな人の人気が上昇していく、という感じです。つまり、私の好みとか考え方とかがメジャーな方向ではないということで、それがとても苦しいです。

単に、テレビを見ていたらそういう人がよく出演していて何を見ても楽しくない、というのもありますが、多くの人が自分の嫌いな人を絶賛していて、自分がそれにどうしても共感できないというのがしんどい、という気持ちの方が強いです。

これがまだ芸能界とかのことならいいのですが、政治的なことになってくるともっと苦しいです。世の中が自分の志向とは真逆の方向に流れていくのを、自分の力ではどうも止めようがなく、自分の無力さに絶望してしまうのですが、そんな自分にわけがわかりません。

だって私は別に政治的なことに関わったことがないのはもちろん、関わることもないと思うし、そんなに熱心に政治のことを考えたこともないからです。

もちろん自分と違う好みや意見があるのは当然だとわかっているし、それを認めたくない!というほど強い気持ちを持っているわけでもありません。ただ、自分がなぜ少数派のほうで、多数派じゃないんだろう?というところに絶望してしまいます。

もっと言うと、本当は自分の意見をわかってほしいし、多くの人にそれを容れてほしいというのは本音ですが、少数派にとってそれは無理なことなので、それならなぜ多数派に生まれつかなかったんだろう、という感じです。

どうしようもないことで悩んでいますが、どんなことでもいいのでお感じになったことがあればアドバイスなどいただきたいです。よろしくお願いします。

A 回答 (4件)

世の中には、必ずあなたと同じ考え方の人がいます。

それを、見つけることが出来ないでいるだけです。

芸能人とか歌手とかの例で言えば、私は昔、THE ALFEEが好きでした。今では完全に、谷山浩子に乗り換えてしまっています。なぜかと言うと、THE ALFEEは、商業的成功により堕落してしまったとしか思えない傾向があり、作風もここ10年ほど全く進歩がないからです。私は、同じような意見を持っている人に、このコミュニティで遭遇したことが何度もあります。人間、有名になると堕落してしまうこともあるだろうとしか、言えません。

他方の谷山浩子は、実は中島みゆきに匹敵するキャリアの持ち主なのですが、世間受けしてメジャー化した中島と違い、自分のやりたい放題を貫いて大ブレイクはせず、アルバムを出すたびに、クセの強い妙な歌を必ず何曲か入れてくるという傾向があります。35年におよぶキャリアのうち、純粋に普通のラブソングだけで出来ているアルバムは「銀の記憶」くらいしかありません。恋愛の歌ばかり歌っていると退屈になるらしく、必ず何か一発、かまします。例えば、今年の3月に行われたデビュー35周年記念コンサートでも、「ドッペル玄関」をかましています。これは、ホストが縄に吊り下げられたり、ホステスが裂けて中が見えるという、残酷で意味不明な歌詞を、楽しそうに歌い上げるという作品です。声の美しさという点では既にピークは越えてしまっていますが、歌唱力の進化は今でも続いているほか、新機軸の曲を毎年のように世に送り出し、創作意欲に衰えを感じさせないのは、ものすごいことだと思います。

そして何よりも驚いたのが、谷山のコンサートで、大きなホールが満席になったということです。これまでの経験上、谷山のコンサートで大ホールが埋まったのを見たのは初めてです。メジャーではないとはいえ、こんなにもファンがいたのかと驚きましたし、しかも観客たちがみなディープなファンばかりだったのです。例えば、『ドッペル玄関』が出たら谷山の音楽パートナーである石井AQが踊り、観客はそれにあわせて拍手で応えるというお約束をきっちり分かっていたり、「わたしはたくさんのアルバムを出してきましたが、中には『歪んだ王国』しか聞かないという人もいるでしょう」という発言にファンが爆笑したりと、まあ、『歪んだ王国』はそういうアルバムなんですけど、この観客、谷山のことを詳しく知っている人たちばかりだと感じました。

まずは、メジャーではないけれども好きな歌手のファンクラブに入ってみてはいかがでしょうか?

政治についてですが、今日の衆議院における小選挙区制度と比例代表制度の理念が、もともと、政権交代が日常的に発生する2大政党制を実現するために作られたものである以上、少数意見を政治に反映させるのが難しくなるという副作用を持っています。無論、一党支配よりも2大政党制のほうが望ましいのは確かなのですが、少数意見をどう政治に反映させるのかという問題が生じるわけです。

これについては、少数意見ではあっても、共産党、社民党、国民新党に比例代表部分で投票するという選択肢が残されています。選挙区のほうでは、これら少数派に投票しても、落選確実な候補に票を投じ、いわゆる死に票になるだけの可能性が大きいので、自民党と民主党のどちらかに投票すれば良いのです。他方、共産党は「たしかな野党が必要です」をキャッチフレーズとしており、初めから政権をとる気がない政党に票を投じることは、お奨めできません。しかし、比例代表のほうなら死に票になる可能性も低いですし、批判勢力としてみれば、共産党ほど有能な政党はありません。昨今、大騒ぎになっている年金問題にしても、民主党の長妻議員よりも先に、共産党の小池議員が追及していたテーマだったのです。しかし、共産党の議席数では、この問題についての追求にも限界があり、民主党と社民党が本腰を入れてこの問題に取り組むようになってから、ようやく、事態の深刻さが明らかにされたわけです。

どの政党も支持できないのであれば、あなたと同じような主張をしている良識的な市民団体に加入するという方法もあります。また、昨今はインターネットで自分からの情報発信もできますので、ブログなどを使って積極的な意見表明を行うことも可能なのです。たとえば、安部元総理に反対する人たちのグループは、ABENDをキーワードに充実したブログを作って相互リンクを張っていましたが、インターネット上で大手マスコミもチェックしているとされ、なぜかは分からないが裏情報に異様に詳しい「きっこの日記」で取り上げられたことにより、ABENDは大ブレイク、一気に彼らのブログへの訪問者数が激増したことが、先の参議院の選挙が民主党の勝利に終わったことに、つながっています。現在ではABENDは自ENDになっているようです。

また、行政は重要な議論をする時に審議会で報告書をまとめ、それを一般に公開して意見を求めるというパブリックコメントという制度を使うことが多く、それに対して業界企業だけではなく、個人が匿名で意見表明をすることも可能なのです。せっかくこういう制度があるのですから、利用しましょう。私もただいま、5/4の締め切りにあわせ、コメントの文章を用意している最中です。

諦めるのは早すぎます。同じ信念や趣味の人は、必ず存在します。
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この回答へのお礼

ご回答をありがとうございました。

確かに私は社交的なタイプではないため、なおさら自分と同じ主張の人とは出会いにくくなっていると思います。

ただ、幸いなのかどうなのか音楽の世界だけは、私もメジャーな人の中に好きなアーティストがいます。そしてファンクラブにも入っています。ただ、入っているだけで他の会員の方たちと交わったことは一度もないんですが……たくさんのファンがいると安心感があり、同時に寂しい気もします。

谷山浩子さんのファンを名乗る方は、ネットなどではわりとよくお見かけします。私の兄もファンだと思います(今はわからないですが、昔そうでした)。そういえば、学生時代のイギリス人の先生もファンだとおっしゃってました。

政治の問題でも、少数派意見をどんどん主張している人たちはたくさんいらっしゃるんですね。自分が恥ずかしくなります。

世の中、こんな人がもてはやされるなんてどう考えても間違ってる!とか思って一人で熱くなったりするんですが、やはりそう考えない人というのがいるのも当然で、そういう人の意見にも耳を傾けていると一体何をどういう基準で見ていけばいいのかがだんだんわからなくなってくるんです。

でも、それで諦めてしまわずに、もっと自分の考えを精査して、正しいと信じられるなら主張していくべきなんですね。ブツブツ言うくらいなら同志(?)を探す努力も惜しまないようでなければ、と思いました。

お礼日時:2008/04/29 18:31

人間として自然な感情だと思います。


多数派に属する事は、大勢の自分のコピーに囲まれている事であり、安心感があり、又その安心を求めてより人が集まって来るという現実があります。
しかし、その多数派が本当に確固たる信念の集団かどうかは疑問です。
貴方が少数派に属するということは、つまらない付和雷同型の人間ではないという事ですし、いい加減な日和見主義者ではないという事です。
また少なくとも、安心感のために迎合したり、体制にすり寄ったりする人間ではないという証拠でもあります。
少数派に属する事が悩ましいと感じるのであれば、ご自身の信念、主義主張をもう一度分析し、本当に自信を持って主張出来るかどうか考えてみては如何でしょう?
少数派でいる、という事は時には孤独であり勇気を必要とする事でありますが、自分の主張に自信ががあれば、烏合の衆がつまらなく見えて来る事に気づくと思います。
多数派とか少数派にこだわらず、自分自身の考えを持ち、自分の頭で考え、自分の言葉で話せる人間になるように努力しましょうよ。
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この回答へのお礼

ご回答をありがとうございました。

>ご自身の信念、主義主張をもう一度分析し、本当に自信を持って主張出来るかどうか考えてみては如何でしょう?
これをこのまま実行します。少数派である自分の意見を頼りなく感じるのは、結局自分が「多数決」的な見方をしてしまっているからなのかもしれないと思いました。

本当に、いつも孤独を感じます。それが辛かったんです。こんなちっぽけな自分が何かを主張したとして、たとえそれがいつか認められる時が来てもどうせ私なんて石ころのように真ん中から蹴りだされてるに違いない……と卑屈になっていました。

でも本当に自分の主張を自分が信じられたら、孤独も感じなくなるものなのかもしれません。そうなれるように努力します。

お礼日時:2008/04/29 18:16

誰も、周りを変えられないと思います。


変えているのではなくて、自ら率先して動いているから、
周りがついて行っているのではないでしょうか?

まずは、少数派・多数派と気にするところからではなく、
自分の考えが、自分のため・人のためになるのであれば、
周りを気にせず、実践していけば良いと思います。

>もっと言うと、本当は自分の意見をわかってほしいし、多くの人にそれを容れてほしい

そのためには、自分自身が、自分を受け入れてあげれば良いと感じます。
だって、自分自身が、受け入れていないのだから、
周りは、どうやって受け入れてあげればいいか、
わからないのではないでしょうか?

そのためにも、少数派だということを気にしないことから
始めればいいかもしれませんね。
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この回答へのお礼

ご回答をどうもありがとうございました。

少数派であるということを気にしないように……というのは、まったくそのとおりだと思いました。自分自身で否定しているつもりはないんですが、主張できなければ否定しているも同じかもしれません。

でも、主張すればするほど異質な人扱いされたり(反社会的とかいうようなことではなく、たとえば好きなタレントみたいな他愛ないことで)し続けていると、だんだん自分までもがイヤになってくるんです。

自分のためや人のためになることについては堂々と実践していけるように、自分の考えに自信を持ちたいと思います。

お礼日時:2008/04/29 18:09

多数派の人って、結構空気読んで意見を変えていますよ。


所詮世の中の大半はそういうもんです。

多数派好きになれないのも、共感できないのもしょうがないと思いますよ。
問題はそれがなぜ苦しさにつながるのか、というところでしょうかね。

自分に実害がなければいい、と考えるわけにはいかないのでしょうか。
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この回答へのお礼

ご回答をどうもありがとうございました。

空気を読んで意見を変える人もいるんですね。私は依怙地なのか、うわべでは何とか合わせられても(顔に出てるかもしれませんが)内心ではどうしても迎合できません。

迎合する必要がないのは頭ではわかるんですが……実害はホントにまったくないので、確かにそれはいいことですよね。たとえば戦時中だったらエライことだと思います。

お礼日時:2008/04/29 18:00

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