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 11/4の「ビートたけしのTVタックル」で、経済アナリストの森永卓郎氏が「現在、日本の大学偏差値の86%は合格者の家庭の経済力で説明できる、つまり裕福な家庭の子供ほど偏差値の高い大学に入れる」と述べていました。
 確かに、現役・浪人問わず、難関大学に入るために相当な投資をするのが当然になってきている気がします。でもこれって何か不公平じゃあないですか?そう言えば現在の「ゆとり教育」もこういった現状に拍車をかけると言われています。皆さんはどう思いますか?

A 回答 (16件中1~10件)

もともとの質問文とお礼の文に、いくつかの論点となるべきものが散らばっていると思いますので、アトランダムに考えていくことにします。



大学に入学するために学力試験があるのなら、難関とされる大学に入学する基本条件は「どれだけ高校までの勉強をしっかりしてきたか」であり、「学習内容をどれだけ理解してきたか」であると思います。そして、同じ年・同じ大学の同じ学部の入試に合格した人は、ほぼ一定の「学力」をその時に持っていたと推定されます。その限りにおいて合格者はみな平等です。

今、appaloosaさんが問題にしようとしている「親の経済力」がこの入試に相関しているというのは2つの意味と考え方があります。一つは親に経済力があるために塾や予備校、家庭教師などを子供につけて学習させることが出来た、ということです。もう一つの意味は、親が知的に優秀であって高収入を得られる職業についており、子供はその素質を受け継いでいる、ということです。日常生活の中で、学習についての動機付けがなされしかもそのやり方が示されているということは子供が自主的に学習する上で有利さをもたらします(私が現場にいてみている限りでは後者の可能性が高いと感じています)。

つまり、家庭の経済力と難関大学の合格可能性が相関していることは事実でしょうが、すべての高額所得者が「投資」をしているかどうかは疑問の余地があります(教育にお金を使うことは「有利な投資である」という認識はあるかもしれません)。逆に言うと、いくら投資をされても学力がそこまで届かない子供は入学できません。ま、莫大な寄付金を積み上げて裏口入学すれば別かもしれませんけれど。

もう一つ別に考えなければならない問題は、今のお若い方たちが「マニュアル人間」化していることです。「○○をするために一番効率の良い方法は何か」というタイプの質問がこのサイトでもしばしば見受けられます。塾・予備校などでは合格させてナンボですから、この合格させるためのマニュアルを作成し子供たちをそのレールに乗せることで合格しやすくさせています。しかし、例え予備校講師であっても心ある人やしっかりした学力のある人ほどマニュアルにたよっていては限界があるということを理解しています。つまり、結局の所、試行錯誤して失敗しながらも自分の頭で考え自分の頭で納得してこそ必要な力が身に付くし、さらにその後の伸びも期待できるわけです。大学に合格した時点では互角であったはずの学力がその後の展開で伸びたり伸びなかったりする理由はここにあります(実力社会における実態は別の人たちが回答して下さっていますから割愛します)。さて、なぜこのようなことを書いたかと言いますと、appaloosaさんは塾などに行かずに合格したということですから、それはこうしたマニュアル化されたものではなく自分の力で学習してきたことを意味するわけで将来の伸びが期待できるからです。お礼の文では、自分が劣っているのではというような疑問をお持ちのように感じられ、そうではなく勇気を持ってこれからの学習に取り組んで欲しいからです。

さらに付け加えますと、試験というものは試験しようと思ったものだけを調べるものです。単純に分かりやすい例をあげれば、学力試験では受験生の身長は測れませんし、身体検査では学力を測ることはできません。学力というような分野に限っても同じことで、表面的には似通った点数であっても試験では計れない実力を持った優秀な生徒もたくさんおります。従来の考え方では「そのような隠れた実力を持った生徒は表面的な所でもそれなりの点(合格するには充分な点)を取る」とされていました。しかし、今はマニュアル化テクニック化された受験の中でそのような隠れた実力を持つ生徒が合格しにくくなってきているのもまた事実であると思えます。正直に言うと、そのような生徒に対して点数を取るだけの受験テクニックを教えるのは時間と才能の無駄遣いであって勿体ないことだと感じます。そのような場合に「ゆとり教育」というものは非常に意味のあるものであると私は考えております。
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この回答へのお礼

御回答ありがとうございます。

>「親の経済力」がこの入試に相関しているというのは2つの意味と考え方があります。
 これには僕も納得です。おそらくそういう面もあるでしょう。もっとも、高所得者ばかりが「投資」を行っているとは限らないでしょう。質問の中にあった番組では、一般家庭においても激化する「お受験」についての実態を紹介しており、そこではあさましいばかりの「投資」の実態が描かれていました。

>難関とされる大学に入学する基本条件は「どれだけ高校までの勉強をしっかりしてきたか」であり、「学習内容をどれだけ理解してきたか」であると思います。
 これは僕がこれまで疑問としてきた所です。上記の部分と関連しますが、少なくとも現在高校で学習する基本項目はせいぜい「センター試験」レベルで、そこから先の二次試験(国公立に限定すれば)は、一般進学校の授業ではとてもカバー出来ないというのが僕の印象でした。もし「ゆとり」などと言って学習内容を削減すれば、一層個人の負担が増大し、それこそ「階層化」を生むと思うのですが・・・。

>問題は、今のお若い方たちが「マニュアル人間」化していることです。
 それはありますね。合格するための「マニュアル」に頼れば、合格はできるかもしれませんが、それは個人の真の能力とはとても言えないと思います。

>そのような場合に「ゆとり教育」というものは非常に意味のあるものであると私は考えております。
 自分のような素人が専門家の方に意見するのは失礼かと思いますが、自分は反対です。他の方へのお礼の中でも書きましたが、「ゆとり」によって個性を伸ばすというのはあまりにも性急過ぎる結論であり、学習量を減らすだけでは、何ら効果はないと思います。

※なお、僕はちなみに第一志望には落ちています(^^)

お礼日時:2002/11/14 15:54

>そういう自分にとっては、やはり昨今の「ゆとり教育」


>は、経済格差を学力に反映させるという点でおかしいと
>思うのです。

まだ大学生でしかもなったばかりとのことですので、
「いい大学に入れることが一流のステータス」
という価値観にどっぷり染まっているように感じられます。

社会人をもう10数年、しかも実力第一のIT業界で働
いていますが、学歴なんぞただの紙切れに過ぎません。
入社2年目くらいまでは「私はXX大学卒です」なんて
会話もありましたが、3年目からはそういう会話をほと
んどしなくなりました。むしろ「○○○ができますか」
と個人のスキルを尋ねることがほとんどです。

割と大手の会社なので、有名大学卒の人も大勢います。
しかし大学の名前と本人の実力は必ずしも一致していな
いのが現実です。
むしろ使えない大卒より、優秀な外国人(インド・韓国・中国など)
の方が最近は幅を利かせているように感じます。

ゆとり教育は、経済力のある人を大学に進ませるための
システムではないでしょう。むしろ個人の個性にあった
技能を伸ばし「職人」または「スペシャリスト」を養成
するための仕組みのように私は思います。
使える日本人の若者が増えて欲しいです。現場の人間と
して切実に感じています。
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この回答へのお礼

御回答ありがとうございます。

>「いい大学に入れることが一流のステータス」という価値観にどっぷり染まっているように感じられます。
 ガ~ン!(泣)自分がこんな価値観を持っていたとは・・・。確かに無意識には持っているかもしれませんが、少なくとも「有名大学に入って一流企業に就職」なんてあさましい考えはありません。
 自分は受験を肌で感じて、従来の「受験社会」に対するイメージを大きく変えました。正直、卒業したくないと思える程、僕らの学校では受験勉強が楽しかったんです。その中で「受験も悪くはない」と思えるようになったんです。
 もうひとつ大きな発見だったのが「難関といわれる大学を目指す連中はただのガリ勉じゃなくて、人間的にも優れた連中だった」ということです。少なくとも僕の知る限りではそうでした。だから「難関大学は、単なるネームバリューだではなく、やはりそれなりに優れた人材の集まる所だ」と思ったわけです。
 しかし、当然ながら全員がそうではなく、単なる「××卒」目的の連中もいると思います。僕が問題にしたいのはあくまでそういう連中です。大体、本当に実力がある人間はどんな難関大卒だろうとそれを社会でひけらかす事はない筈ですし。

>むしろ個人の個性にあった技能を伸ばし「職人」または「スペシャリスト」を養成するための仕組み
 自分もそのとおりだと思います。ただ、「ゆとり教育」がその手段として正しい選択とはどうしても思えません。

お礼日時:2002/11/14 15:30

ひとつ追加すると、


「センター入試」を国立も私立も取り入れるようになってきた。
すると、「センター入試」でいい点を取れたら、どこの大学でも狙える。
「センター入試対策」に力を入れることのできる予備校などに行けば、だいぶ楽です。

昔は(昔を懐かしむ世代になってきちゃったなあ)、
国立も各大学ごとに入試問題を作っていた。東大と京大で出題はぜんぜん違っていた。私立はモチロン違う。

国立だと、だいたい、高校でちゃんと授業を理解していれば点がとれたし、科目数も多かったから、高校入試から文系理系わけるようなこともなかった。高校自体も「入試」で考えるようになっちゃったんだけど、それなら「プロ」の予備校のほうが上ですよね。どうしたって。

この回答への補足

どうでしょうか?センターでいい点取れても、二次で引っかかるということも考えられますから厳しいのでは?センター:二次の配分のうち、センター重視の大学ならセンターさえ取れればいいでしょうが、東大・京大クラスとなると、「センターは取れて当然」の世界で、鬼の二次重視ですから、かえってきついですよ。

補足日時:2002/11/13 13:44
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> 個人の努力がなるべく公正に評価されるような


> 次世代の教育システム

努力というのはある意味主観的なもので、客観的に評価するのはまず不可能ですので、その結果の方を評価するシステムになっているのは当然のことだろうと思います
むしろ、結果の絶対評価(これを全国で統一した基準で実施できるかどうかがカギになると思いますが)に応じた奨学金を制限無く(親の所得で差別したり、抽選などをせずに)国が支給する制度などを初等教育の段階から実施すべきではないでしょうか
勿論原資は税金ということになりますが、教育は本来、子供の有無に関らず、国民の義務として憲法にも規定されているわけですから
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この回答へのお礼

お礼の文にまで意見をいただけるとはうれしい限りです。確かに税金の投入ということになるんでしょうね。こういった分野への投資はどんどん行なうべきなんでしょうが、政治家は不景気を理由に教育への投資を減らし、無駄な箱物作りにお金を回しているのだからおかしな話です。

お礼日時:2002/11/13 13:53

私のころ、国立大学の年間授業料は3万6千円でした。

1日あたり100円ですね。ノーベル賞の田中さんが東北大学に入った頃は9万6千円(1日300円ほど)のはず。
高いといわれた私立でも30万40万の世界。いまの国立よりやすい。

いま、学生さんたちの学力は確実にさがっています。
有名大学であるK応義塾でも算数のできない学生がゾロゾロ。
それぐらいのレベルであれば、ちゃんと勉強する時間があれば塾にいかなくても合格できるんじゃないか、と思うんですが、貧乏人にはK応にいかせる金がない。貧乏人が受けられないから学力のないボンボンでも入れる。

土曜休業も、経済界の要請で始まったものですからね。休みが増えたら金を使って経済が活性づく、という発想。
ヨーロッパでは国立大学行くのにほとんど費用がかからないし、私立でも奨学金でまにあうらしい。そういうことに予算を使っても経済効果につながらないからやらないだけ。
不公平は当然、考慮済み。
そういうことを考えた連中の子どもたちは不公平の中でちゃんと大学に入れるんだから。
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この回答へのお礼

御回答ありがとうございます。
皆さんからのご意見を見ていくと、同じような意見を持つ方・反対意見等様々で、改めて問題の難しさを感じました。

自分は現役の学生で、ついこの間受験した身です。その時に、周りの人がいろんな塾のテキストを持っていたのを見て、やっぱり塾やら何やらに投資せんといかんのかなぁ、と感じてしまいました。難関大学ともなれば塾に行って当然という雰囲気に、塾に行ってなかった自分は、何か肩身の狭さも感じてしまいました。

そういう自分にとっては、やはり昨今の「ゆとり教育」は、経済格差を学力に反映させるという点でおかしいと思うのです。個人の努力がなるべく公正に評価されるような次世代の教育システムが早く考案されて欲しいと思います。

お礼日時:2002/11/12 13:23

まず.


発達の研究から.おもちゃの数が多い家庭ほど.学習効果が現れる(発達が早い)。
という結果が.昭和30年代に報告されています。学習心理か教育心理あたりを見てください。

ガード下や航空機騒音や自動車騒音などが存在する悪条件下での子供は.同じ所得でも.発達が早いという結果も有ります。つまり.悪条件な住宅環境よりも.所得が多い良好な環境の方が発達が早いのです。

所得格差のはっきり現れる教科は.英語教育で.かっては.貧乏人を排除する為に.英語教育がつかわれました。

現在の「ゆとりきょういく」は.下層階級(低所得者)の教育水準を低下させ(入学試験の要求水準は.導入前後で変化していない).塾に行けない子供たちを受験戦争の敗者として.位置づける事で.受験戦争の参加資格を奪い.競争の低減を図るものととして.導入されました。つまり.不平等をより促進する為に導入されたものです。

不平等である事には違い有りません。

なお.一部4流大学(2きこう等戦前大学ではなく.戦後大学になったところ)・5流大学(昭和30年代以降タケノコのように新設された大学)では.経営上の理由から.下層階級の教育を主体としています。このような大学では.もともと優秀な方々が集まりませんので.上記不平等は生じないと思います。
例として.某3流高等学校卒業生が子供のかよっていた4流大学に進学を希望したときに.人々は.次のように声をかけて考えを改めるように薦めたそうです。
「お前.気は確かか」
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この回答へのお礼

御回答ありがとうございます。
皆さんからのご意見を見ていくと、同じような意見を持つ方・反対意見等様々で、改めて問題の難しさを感じました。

自分は現役の学生で、ついこの間受験した身です。その時に、周りの人がいろんな塾のテキストを持っていたのを見て、やっぱり塾やら何やらに投資せんといかんのかなぁ、と感じてしまいました。難関大学ともなれば塾に行って当然という雰囲気に、塾に行ってなかった自分は、何か肩身の狭さも感じてしまいました。

そういう自分にとっては、やはり昨今の「ゆとり教育」は、経済格差を学力に反映させるという点でおかしいと思うのです。個人の努力がなるべく公正に評価されるような次世代の教育システムが早く考案されて欲しいと思います。

お礼日時:2002/11/12 13:21

自分が大学に入った頃(10年くらい前)とは様相が


変わっているのでしょうが、田舎育ちだったため、
周りの友人たちも塾に通っている、などという人は
殆ど皆無でした。
既にそのころから都会では小・中・高校生の
塾通いはTVなどでは取り沙汰されていましたから、
恐らく、同年代の都会育ちの人と比べると、
教育への投資は格段に低い状態だったと思います。

でも、それなりに難関と言われる大学に現役で入った
友人もかなりいます。
もちろん、浪人して予備校に通っても希望の大学に
入れなかった友人もいます。

統計、特に相関を求めるというのはおもしろいもので、
いかにも相関がありそうに見えて、実はたまたま
そうなっただけ、ということもよくあります。

おそらく、偏差値が高い大学に合格した人と
家庭が裕福かどうかという相関係数より、
どれくらい勉強したかという相関係数の方が
高いのではないでしょうか?

あまり真っ正面から捉えなければならない意見の
ようには思えませんがどうでしょう?
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この回答へのお礼

御回答ありがとうございます。
皆さんからのご意見を見ていくと、同じような意見を持つ方・反対意見等様々で、改めて問題の難しさを感じました。

自分は現役の学生で、ついこの間受験した身です。その時に、周りの人がいろんな塾のテキストを持っていたのを見て、やっぱり塾やら何やらに投資せんといかんのかなぁ、と感じてしまいました。難関大学ともなれば塾に行って当然という雰囲気に、塾に行ってなかった自分は、何か肩身の狭さも感じてしまいました。

そういう自分にとっては、やはり昨今の「ゆとり教育」は、経済格差を学力に反映させるという点でおかしいと思うのです。個人の努力がなるべく公正に評価されるような次世代の教育システムが早く考案されて欲しいと思います。

お礼日時:2002/11/12 13:22

 私が社会に出て強く感じたことの1つは、少なくとも


今の日本では収入の少ない人は一部の例外を除いて
非常にいい加減な人たちであるということです。
 ですから、経済力というのは間接的尺度であって、
そもそも経済力のない人たちは子育てもいい加減な
ためいい大学に入れないできの悪い子供が育つと
言えます。

 しかし、たけしさんがそうであるように、
親がちゃんと教育すれば経済力の差は問題
ではありません。

>「ゆとり教育」もこういった現状に拍車をかけると言われています。

 文部科学省の説明に対し、「教育は学校がやるものでしょう!
あたし達貧乏人から教育の機会を奪うんですか?」と恥ずかしくも
なく言っている親を見たりすると、他人事ながらむかつきます。
子供の教育は親がするもの。教育できない人間に親になる
資格はない。

 今すでに学級崩壊と呼ばれる現象が起きている。子供を
まともに育てられない親が増えたため、ちゃんと人の話を
聞いて理解できない子供が増加している。こんな子供たち
は当然成績も悪く、大学になど進学できません。この
まま国が今までどうりの詰め込み教育を続けても意味が
ないのです。

 それより意欲ある子供たちの自らの学習意欲を高め、
多種多様な知識を探求していく手助けに重点をおくべきで、
「ゆとりの教育」はその方向性にあっています。

 

>難関大学に入るために相当な投資をするのが当然になっ
てきている気がします。

 どんな親でも小学校や中学程度の勉強は教えられる
でしょう。子供が小さいうちに学習の基本を身に付けさせる
ことができれば、子供の成績も上がる。成績がよければ
いろいろな奨学金を受ける機会が増える。大手学習塾は
成績のいい学生からは授業料をとらない。トップクラス
には奨学金を出す。
 ここでも経済力の差は絶対的なものではなく、やはり
親の子供に対する教育姿勢が重要な要素です。
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この回答へのお礼

御回答ありがとうございます。
皆さんからのご意見を見ていくと、同じような意見を持つ方・反対意見等様々で、改めて問題の難しさを感じました。

自分は現役の学生で、ついこの間受験した身です。その時に、周りの人がいろんな塾のテキストを持っていたのを見て、やっぱり塾やら何やらに投資せんといかんのかなぁ、と感じてしまいました。難関大学ともなれば塾に行って当然という雰囲気に、塾に行ってなかった自分は、何か肩身の狭さも感じてしまいました。

そういう自分にとっては、やはり昨今の「ゆとり教育」は、経済格差を学力に反映させるという点でおかしいと思うのです。個人の努力がなるべく公正に評価されるような次世代の教育システムが早く考案されて欲しいと思います。

お礼日時:2002/11/12 13:20

こんばんわ。

この森永氏がおっしゃることは、ある面、真実だと思います。しかし、家庭の経済力だけという指標で説明しきれるものなんだろうか?
 たしかに、家庭の経済力があれば、衣食住に困りませんし、可処分所得が多いほど、子供に投資する余裕があると思います。でも、都市に住む家庭を調査したんではないのかな?地方やド田舎だと、いくら経済力があっても都市ほど教育環境は恵まれていないはずなんですが…。何か、納得しにくいな。
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この回答へのお礼

御回答ありがとうございます。
皆さんからのご意見を見ていくと、同じような意見を持つ方・反対意見等様々で、改めて問題の難しさを感じました。

自分は現役の学生で、ついこの間受験した身です。その時に、周りの人がいろんな塾のテキストを持っていたのを見て、やっぱり塾やら何やらに投資せんといかんのかなぁ、と感じてしまいました。難関大学ともなれば塾に行って当然という雰囲気に、塾に行ってなかった自分は、何か肩身の狭さも感じてしまいました。

そういう自分にとっては、やはり昨今の「ゆとり教育」は、経済格差を学力に反映させるという点でおかしいと思うのです。個人の努力がなるべく公正に評価されるような次世代の教育システムが早く考案されて欲しいと思います。

お礼日時:2002/11/12 13:20

うーーん、確かに現在のデータを分析すると、そういう


結果になると思います。


けれども、こういう疑問はありませんか。
A.じゃ、裕福でない家庭の子供は偏差値の高い大学に入れないのか
B.難関大学に入ったとして、それで将来の成功が約束されているのか


Aについては、たぶん世の中の人と同じやり方をしていれば
教育にお金をかけられる人ほど有利でしょうね。
しかし、工夫しだいで何とかなると私は思いますよ。
例えば又聞きの話で恐縮ですが、中国地方の田舎の学校で
読み・書き・計算を徹底して行うことで基礎学力を身につ
けさせ、予備校などない田舎にも関わらず、大学進学率が
グンとアップしたという話を聞いたことがあります。

ビジネスでもそうですが、カネが無いときは知恵の使い方が
が大事なのです。


Bについてですが、これもみなさん錯覚していますね。
今時、いい大学を出て有名企業に入ったとしても、何年か
たったらリストラに合わないという保証がありますか。
ソニーじゃありませんが、学卒の資格はさすがにあった方
がよいかと思いますが、大学名よりも本人の実力が問われる
時代でしょう。これからは。


ゆとり教育、いいじゃないですか。
教育に自由裁量が増えたいまこそ、親と本人の工夫と努力
が問われるのではないでしょうか。
  
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この回答へのお礼

御回答ありがとうございます。
皆さんからのご意見を見ていくと、同じような意見を持つ方・反対意見等様々で、改めて問題の難しさを感じました。

自分は現役の学生で、ついこの間受験した身です。その時に、周りの人がいろんな塾のテキストを持っていたのを見て、やっぱり塾やら何やらに投資せんといかんのかなぁ、と感じてしまいました。難関大学ともなれば塾に行って当然という雰囲気に、塾に行ってなかった自分は、何か肩身の狭さも感じてしまいました。

そういう自分にとっては、やはり昨今の「ゆとり教育」は、経済格差を学力に反映させるという点でおかしいと思うのです。個人の努力がなるべく公正に評価されるような次世代の教育システムが早く考案されて欲しいと思います。

お礼日時:2002/11/12 13:19

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