叔母が、戦前に大阪でヒトラ-を見たと言うのですが・・
調べてみたのですが、いまいちはっきりとした事が
わかりません。
友人に話してしまい、もし来た事すらなければ
恥ずかしい話しをしてしまったと思いまして・・
どうか、御存知の方いらっしゃいましたら、
宜しくお願いします。

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A 回答 (2件)

1937年昭和十二年三国防共協定成立。

それを祝って、日本全国各地でお祭り騒ぎがあって、その際仕掛け人の人々がヒトラ-やムッソリ-ニに扮装して演壇でいろいろやったということがあったということを聞いております。おそらくあなたの叔母上も、その類をご覧になられたのではないかと思います。
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この回答へのお礼

お返事どうも有難うございました。

そうなんですね、きっと叔母はそのお祭りの事はわすれて
扮装の姿だけ脳裏に焼き付いてしまっていたんですね。

おかげさまで、私が話しをしてしまった人にも、
きちんと間違いを伝える事が出来ます。

本当にどうも有難うございました。

お礼日時:2001/02/16 11:05

来日したという記録はありません。


ひょっとしてチャップリンじゃないですか...?

チャップリンなら1932年5月、1936年3月、同年5月、1961年7月の4回
来日してます。
関西では神戸、京都に行きました。
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この回答へのお礼

お返事有難うございました。
少し顔が赤くなりました・・・

‘歴史データーON THE WEB’というところで、
1938年10月7日ヒトラー,ユーゲントの一行
伊勢神宮参拝というのを見つけ鵜のみにしてしまいました。
しかし、本で調べましたが、そういった記載はなく・・

叔母はたぶん誰か(チャップリン?)と間違えていたんですね。

お礼日時:2001/02/16 10:09

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Qヒトラーによって粛清された高官の話しをテレビで・・

ヒトラーによって粛清された高官の話しをテレビでみたことがあります。劇場映画だったのかもしれません。

今ググッてみたら、権限掌握の途上で「長いナイフの夜」という粛清事件があったらしいですが、それとはちがうようです。

テレビではその高官が自宅から連行されるところでおわりますが、そのあと処刑されたと思います。
わかる方お教えください

Aベストアンサー

 ロンメル将軍でしょうね。
実際の所、ロンメル将軍がヒトラー暗殺計画にどの程度まで関与していたのかはハッキリしていません。
ただ軍の高官の多くはそうした反ヒトラー派の存在は知っていて黙認していました。
反対派も軍の上層部や政財界の要人にしきりにヒトラーを排除する試みに加わるよう誘いを掛けていたみたいです。
ロンメル将軍のような国民的英雄がメンバーに加われば反対派にとって大きな力になる訳ですから、当然ロンメル将軍にも誘いがありました。その時のロンメル将軍の反応ですが諸説あってハッキリしません。同じく誘いを受けた著名な将軍のマンシュタイン元帥はハッキリとクーデターへの参加は拒否しましたが、どうやらロンメル将軍はハッキリした返事を出さなかったようです。ただ過激な暗殺による排除ではなく引退させるか裁判とかいった手段を考えていたようです。それがどうしてヒトラー暗殺計画に連座させられて自殺しなければならなかったのかというと、暗殺計画が未遂に終わり、反対派の多くが逮捕され尋問を受けた際にロンメル将軍の名前を出したのが真相のようです。具体的に言うと、ロンメル将軍にクーデターへの参加を勧めた事を自白した事です。ロンメル将軍のような国民的英雄の名前が出たとなるとヒトラーとしても無視はできません。かといって裁判にかける訳にもいきません。実際ヒトラーもかなりショックを受けどうするか非常に困ったみたいですよ。だから影で家族の命は補償するから自殺するよう促したのです。ロンメル将軍としても自分がヒトラー暗殺計画に連座させられた事など夢にも思っていませんでした。自殺を促すために2人の官憲(ヒトラーの副官ブルクドルフ将軍とマイゼル将軍)がロンメル将軍の元を訪れた時、何処か東部戦線の軍集団の指揮を委ねる話を持ってきたと思ってたようです。国葬の時、当然真相をしっていた未亡人(ルーシーロンメル)は軍や政府の高官からの弔問の握手を拒否し、死ぬまで一生恨んでいたそうです。2人の官憲(ブルクドルフ将軍とマイゼル将軍)の内、ブルクドルフ将軍はベルリン陥落の際に自殺し、マイゼル将軍は戦後ロンメル将軍を自殺に追いやった事を世論から責められ歴史家達から苛められました。ロンメル将軍の息子はロンメル将軍が2人の官憲に自殺を強要される場面に居合わせましたが、戦後シュツットガルト市の市長となり、ドイツの著名な政治家になりました。未だ存命のはずです。

 ロンメル将軍でしょうね。
実際の所、ロンメル将軍がヒトラー暗殺計画にどの程度まで関与していたのかはハッキリしていません。
ただ軍の高官の多くはそうした反ヒトラー派の存在は知っていて黙認していました。
反対派も軍の上層部や政財界の要人にしきりにヒトラーを排除する試みに加わるよう誘いを掛けていたみたいです。
ロンメル将軍のような国民的英雄がメンバーに加われば反対派にとって大きな力になる訳ですから、当然ロンメル将軍にも誘いがありました。その時のロンメル将軍の反応ですが諸説あってハ...続きを読む

Q戦前の定義

こんにちは。

このたび、レポートで、“戦前の日本における分岐型学校体系の実態と特徴を整理する”というものが課されたのですが、この場合の戦前というのは太平洋戦争以前であることは分かっていますがどの位の期間を指しているのかよく分からず、ここで質問させていただいているしだいです。
講義の中で、いつからいつまで、と言っていたかもしれないのですけれども、丁度その辺りの授業の時に、私事ですが法事がありまして聞く事ができませんでした。
不躾な質問とは思いますが、どうか回答よろしくお願いいたします。

Aベストアンサー

学校問題についての戦前ということなら、国民学校ができる以前を指すのでしょう。昭和16年 3月までです。
では、始まりはいつかというと、それは出題者の意図によって代わってきますが、明治 5年の学制頒布から論じておけば、間違いはないでしょう。

Q戦前の学制について

NHKの朝のドラマを見ていると、中学校、師範学校、女学校、八校、上野の音楽学校、帝大などの学校が出てくるのですが、戦前の学制について詳しくないのでよくわかりません。
どなたかわかりやすく説明してください。

Aベストアンサー

戦前の教育制度は、上から見たほうが分かりやすいです。

官立(国立)、公立の学校を基準にしますと、

大学ランク:帝国大学、東京商科大学、医科大学など
高等学校ランク:高等学校、大学予科、高等専門学校、高等師範学校、女子高等師範学校、陸軍兵学校など。
中学校ランク:中学校、師範学校、高等女学校、専門学校、陸軍幼年学校など。
義務教育の尋常小学校

となっていました。

戦前の学業優秀、学資十分な子供は、例えば下記のコースをたどりました。
東京市立 麹町尋常小学校→東京府立 第一中学校→官立 第一高等学校→官立 東京帝国大学
高等学校から帝国大学に進学するのは、原則として無試験でした。

一方、家が貧しくて小学校に行くのがやっと、という子供は、例えば下記のコースを経れば、最終的には前記の裕福な子供と同じ学歴を得ることができました。
尋常小学校→高等小学校→師範学校→高等師範学校→帝国大学
師範学校は授業料が無料でした。戦前の貧しい少年は、師範学校に行って小学校訓導になることをまず目指していたようです。小学校教師になれば、少なくとも「食って行けない貧困」とは絶縁し、自分の子供にさらに上の教育を授けることができますから。2代かけて社会的上昇を果たした親子を何例か知っています。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B8%AB%E7%AF%84%E5%AD%A6%E6%A0%A1
師範学校卒業者が高等学校を受験し、エリートに合流することも可能だったはずです。

陸軍将校を志望する子供は、下記のコースが理想でした。
尋常小学校→中学校→中学1年修了で陸軍幼年学校→陸軍士官学校→陸軍将校に任官
この場合、幼年学校に入った時点で官費となり、貧しい子供にはやはり魅力的だったようです。

20年ほど前に法務大臣を務めた秦野章氏は、警察官僚のトップの警視総監から政界に入った人ですが、家が貧しかったために下記の経歴を経ています。
小学校→今で言う大検に合格→私立 日本大学の夜間部卒業→今で言う国家公務員一種試験合格→内務省官僚→戦後に警察官僚
まともな学校に通えなくても、努力すれば帝大卒のエリートと同様に扱われることが可能だった、という実例です。

戦前の教育制度は、上から見たほうが分かりやすいです。

官立(国立)、公立の学校を基準にしますと、

大学ランク:帝国大学、東京商科大学、医科大学など
高等学校ランク:高等学校、大学予科、高等専門学校、高等師範学校、女子高等師範学校、陸軍兵学校など。
中学校ランク:中学校、師範学校、高等女学校、専門学校、陸軍幼年学校など。
義務教育の尋常小学校

となっていました。

戦前の学業優秀、学資十分な子供は、例えば下記のコースをたどりました。
東京市立 麹町尋常小学校→東京府立 第一...続きを読む

Q戦前内閣のゴロ合わせ

戦前内閣の順番を覚える、ウマイ語呂合わせはないでしょうか?
教えてください!

Aベストアンサー

イクヤマイマイ オヤイカサカサ・・・。
各内閣総理大臣の頭文字で覚えるのが、定番だと思いますが・・・。

ついでに、近代史の場合、
戦争や条約などが時代の区切りになるので、
あわせて覚えるといい、と習った記憶があります。

Q戦前と戦後の政治の比較

日本の戦前の政党政治~と、戦後の政治の主な違い(比較)は何なのでしょうか?

民主的な政治は、戦前の政党政治でも多少はされていると思うのですが、度合いが全然違うのでしょうか?

Aベストアンサー

戦前には、日本にも華族(貴族)制度があり、庶民院(下院)と貴族院(上院)による二院制でした。戦後、日本は貴族制度を廃止したはずなのに、二院制を続け、衆議院(下院)と参議院(上院)を持っています。世界でも例の少ない制度で、貴族制度もない、連邦国でもないのに、2つの議会があり、その権限が、ほぼ、対等というのは珍しいケースです。いわゆる「ねじれ国会」は、日本の外では、ほとんど見ることが出来ないでしょう。ねじれ国会の本質は、下院(衆議院)は上院(参議院)に対して、内閣総理大臣の選出、参議院で否決された法案も衆議院の3分の2の賛成で再議決可能、内閣不信任案の提出権くらいしか優位性を持っていないのに対し、厚生労働省が出し渋っている年金記録の実態を明らかにする国政捜査権や、公的組織人事における両院の権力は、衆参でまったく互角であることにあります(だから、日銀総裁がなかなか決まらなかったりするのです)。

内閣総理大臣の権限が強化されたことも、戦後の制度改正のポイントです。戦前には、総理大臣は、内閣の全大臣のまとめ役程度の権限しかなく、陸軍大臣が暴走して戦争を止めることが出来なかったことを反省し、内閣総理大臣がいつでも防衛大臣を罷免する権限を持つようになったことも重要項目といえるでしょう。

戦前には、日本にも華族(貴族)制度があり、庶民院(下院)と貴族院(上院)による二院制でした。戦後、日本は貴族制度を廃止したはずなのに、二院制を続け、衆議院(下院)と参議院(上院)を持っています。世界でも例の少ない制度で、貴族制度もない、連邦国でもないのに、2つの議会があり、その権限が、ほぼ、対等というのは珍しいケースです。いわゆる「ねじれ国会」は、日本の外では、ほとんど見ることが出来ないでしょう。ねじれ国会の本質は、下院(衆議院)は上院(参議院)に対して、内閣総理大臣の選...続きを読む


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