牛、豚、鶏、どれか一つ食べられなくなるとしたら?

みなさん、始めまして。私は写真や手紙などから身元不明の日本軍部隊の捜索をしている者です。
今回入手しました資料は、昭和16年頃~昭和19年頃まで、中国の東安市(現在は、黒竜江省牡丹江市東安区と思います。)に駐屯していた部隊です。
手がかりになるのは、写真の裏に、各日付と清尾少尉、松永班長殿など個人名です。兵科は不明です。ほとんどが北海道出身者の方と思います。若干、東京の方がいます。

軍衣の右胸に△と▽を組み合した部隊章や「カ」、「ミ」、「タ」などの名前が縫われています。
情報をお持ちでしたらお知らせください。

A 回答 (3件)

>昭和16年頃~昭和19年頃まで、中国の東安市(現在は、黒竜江省牡丹江市東安区と思います。

)に駐屯していた部隊です。~ ほとんどが北海道出身者の方と思います。若干、東京の方がいます。

>軍衣の右胸に△と▽を組み合した部隊章や「カ」、「ミ」、「タ」などの名前が縫われています。

 当時満洲国の東安に駐屯していた部隊で、ほとんどが北海道出身者ということと山形の部隊章ということから「第24師団歩兵第89連隊」の方々ではないでしょうか。同部隊は「山」という兵団文字符だったため山形(三角形のくみあわせ)の部隊章を右胸につけていました。『秘録写真戦史総集編 日本軍の沖縄作戦』(85年 月刊沖縄社)108頁に同部隊の大佐の写真にその記章が写っています。

 歩兵第89連隊は北海道旭川で編成された連隊で、同師団の隷下部隊として沖縄戦では最終期では連隊長以下の将兵が与座岳陣地を死守してほとんどが戦死しました。

この回答への補足

ありがとうございます。
本日、例の本を入手しまして確認しました。
108ページの輜重兵大佐の部隊章と同じです。
黒塗りのない部隊章の方もいます。こちらが歩兵89連隊の兵士かもしれません。
114ページにも24師団の写真があり似たような方がいますが、
鮮明ではないので断定までは行きませんでした。

「カ」の糸文字は金山大佐の頭文字かもしれません。

判明までもう一歩のような気がします。

補足日時:2008/07/07 21:51
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
山形の部隊章ですが、大きな△の中に逆▽が入っています。
ゲーム「ゼルダの伝説」に出てくる、トライフォースという形です。
早速その本を探してみます。
大佐のお顔も拝見してみたいですし。

お礼日時:2008/07/02 23:40

 補足ありがとうございました。

残念ながら部隊章やカタカナの文字からは辿れるものがありませんでしたが、他は結構大きなヒントがありましたよ。

 以下に、これまで出てきたいくつかのキーワードを当てはめることで検証してみたいと思います。それとお手元の写真は、すべて関連性があるという前提で回答したいと思います。該当部隊の候補として先に挙げました、第24師団、第6国境守備隊、そして第2戦車団に絞り、これを消去法でいくとすれば、まず第24師団です。

 これは熊本で編制された部隊で、当然ながら熊本出身者が大多数を占めており、他県出身者がいたとしてもやはり九州圏内のはずですので、お尋ねの部隊のほとんどが北海道出身者ということで、24師団は外してもよいかと思います。

 次に第2戦車団(後の第2戦車師団)ですが、これは北海道出身者のキーワードを当てはめれば、戦車団そのものが満州で編制されたものですから、雑多な地方出身者がいただろうと考えれば、多少は可能性が残るのですが、あなたの「砲兵かもしれない」という言葉と、二人の兵士の写真と部隊の集合写真から、これも外してよいと考えます。
 なぜなら、彼らが戦車部隊なら、集合写真や個人的な写真であっても必ずといってよいほど、部隊の戦車や自分が搭乗する戦車、つまりは愛車をバックに写すことが多いからです。搭乗員ではない後方部隊の兵士であっても、自隊に所属する戦車と共に写真に納まりたがるものです。
それに戦車部隊に砲兵はいませんからね。(書いていてちょっとこじつけがましいかもと、冷や汗をかいていますが(^_^;))

 さて最後に残った第6国守ですが、ここに新しいキーワードの『近衛帽章を付けた戦闘帽を被った部隊』がかなり大きな意味を持ってくると思われます。これは近衛師団星章が付けられた略帽と理解してよいかと思いますが、れらの写真がどのような経緯で入手されたかは分かりませんが、すべての写真が関連性があると考えるならば、近衛師団に在籍していた兵士が今は満洲関東軍に転出しているという状況が見えてきます。

 第6国守を構成するいくつかの部隊の中に独立混成第135旅団がありました。実はこの部隊にはあの2・26事件に加担した第1師団の一部の兵士が島流しされているのです。でも近衛師団ではないと言われるかもしれませんが、2・26事件にはご存知のように近衛師団の一部の兵士も参加しており、この師団出身の兵士、つまりは東京出身者が第6国守に配属された可能性は非常に大きいといってもよいかと考えます。
残りの問題の「北海道出身」というキーワードですが、これは元々北海道出身者の兵士と共に、戦局が悪化し始めた頃から始まった、南方への逐次抽出によって減少していった関東軍兵力の補充のための現地召集者の中にいた北海道出身者の可能性を考えます。

 ということで、私なりの回答としては第6国境守備隊ではないかということになります。と、自信たっぷりに回答したように見えますが、正直いって結果的には推測のオンパレードになってしまい、かなり恐縮しています。
 言い訳になりますが、関東軍という組織自体が当時の旧日本軍の中では桁違いに巨大な組織で、資料的にもまだまだ研究調査の余地が多大にある対象ですので、なかなか思うような資料を所有していないこともあり、また他所で探したりすることが困難ではありますので、このような中途半端な形ではありますが、多少とも何かの参考になっていただければ幸いです。
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この回答へのお礼

ご丁寧に回答してくださりありがとうございます。
私も戦車師団はないかと思いました。
もう一人の方の意見といいますか、沖縄戦の写真を見ましたら、全く同じ部隊章を付けていましたので、24師団ではないかと思います。
兵科までは分かりませんが、色分けと糸文字で何かを現しているのでしょう。
第6国境守備隊についても継続して調べていきたいと思います。

お礼日時:2008/07/07 22:15

 こんにちは


 ご質問の時期に現在の黒龍河省・当時の東安省東安市に駐屯していた部隊といえば、関東軍第5軍大24師団、第6国境守備隊、そして第2戦車団ではなかったかと思います。

 詳細な回答を差し上げたいのですが、ちょっと時間が無いので、もしよかったら一両日ほど時間をいただけますか?それと部隊を絞り込むためのヒントや資料を、何でもいいので補足していただければ助かるのですが。

この回答への補足

他に補足できるものがないんです。
ほぼすべてが上半身アップの写真ばかりで、服装も冬服で詰襟、折襟の混合、もしくは、防寒被服の満州部隊でよくある写真です。
他にレンガ壁の大きな兵舎の前で撮影した集合写真がありますが、これも判別資料には使えそうにありません。
山形が白っぽく見えるので、砲兵かもしれませんが、白黒写真なのではっきりしません。
一枚大佐の写真があるのですが、名前はなく顔写真のみです。
もう一枚紛れたのか分かりませんが、近衛帽章を付けた戦闘帽を被った部隊が、九二式重機の手入をしている写真です。場所は、長野県有明演習場で、日時は不明です。

補足日時:2008/07/01 20:41
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